史記 / 張釈之馮唐列伝
臣愚,以爲陛下法太明,賞太輕,罰太重。且雲中守魏尚坐上功首虜差六級,陛下下之吏,削其爵,罰作之。由此言之,陛下雖得廉頗、李牧,弗能用也。臣誠愚,觸忌諱,死罪死罪!」文帝説。是日令馮唐持節赦魏尚,復以爲雲中守,而拜唐爲車騎都尉,主中尉及郡國車士。七年,景帝立,以唐爲楚相,免。武帝立,求賢良,舉馮唐。唐時年九十餘,不能復爲官,乃以唐子馮遂爲郎。遂字王孫,亦奇士,與余善。太史公曰:張季之言長者,守法不阿意;馮公之論將率,有味哉!有味哉!語曰「不知其人,視其友」。二君之所稱誦,可著廊廟。書曰「不偏不黨,王道蕩蕩;不黨不偏,王道便便」。張季、馮公近之矣。
新字:臣愚,以為陛下法太明,賞太軽,罰太重。且雲中守魏尚坐上功首虜差六級,陛下下之吏,削其爵,罰作之。由此言之,陛下雖得廉頗、李牧,弗能用也。臣誠愚,触忌諱,死罪死罪!」文帝説。是日令馮唐持節赦魏尚,復以為雲中守,而拝唐為車騎都尉,主中尉及郡国車士。七年,景帝立,以唐為楚相,免。武帝立,求賢良,舉馮唐。唐時年九十余,不能復為官,乃以唐子馮遂為郎。遂字王孫,亦奇士,与余善。太史公曰:張季之言長者,守法不阿意;馮公之論将率,有味哉!有味哉!語曰「不知其人,視其友」。二君之所称誦,可著廊廟。書曰「不偏不党,王道蕩蕩;不党不偏,王道便便」。張季、馮公近之矣。
書き下し
臣愚かにして、以為へらく陛下の法太だ明らかにして、賞太だ軽く、罰太だ重しと。且つ雲中の守魏尚は、上功の首虜六級を差(たが)へしに坐して、陛下之を吏に下し、其の爵を削り、之を罰作す。此れに由りて之を言へば、陛下廉頗・李牧を得と雖も、用ふること能はざるなり。臣誠に愚かにして、忌諱に触る。死罪死罪」と。文帝説(よろこ)ぶ。是の日馮唐をして節を持して魏尚を赦さしめ、復た以て雲中の守と為し、而して唐を拝して車騎都尉と為し、中尉及び郡国の車士を主らしむ。七年、景帝立ち、唐を以て楚の相と為し、免ぜらる。武帝立ち、賢良を求め、馮唐を挙ぐ。唐時に年九十余、復た官を為すこと能はず。乃ち唐の子馮遂を以て郎と為す。遂は字は王孫、亦奇士にして、余と善し。太史公曰く、張季の長者を言ふ、法を守りて意に阿(おもね)らず。馮公の将率を論ずる、味有るかな、味有るかな。語に曰く「其の人を知らずんば、其の友を視よ」と。二君の称誦する所は、廊廟に著すべし。書に曰く「偏せず党せず、王道蕩蕩たり。党せず偏せず、王道便便たり」と。張季・馮公之に近し。
現代語訳
わたくしは愚かながら、陛下の法はあまりに厳密で、恩賞はあまりに軽く、刑罰はあまりに重いと考える。しかも雲中郡守の魏尚は、報告した討ち取りの首の数が六つ食い違っていたという罪で、陛下は彼を獄吏に引き渡し、爵位を削って労役刑に処された。このことから言えば、陛下はたとえ廉頗・李牧を得られても、用いることはできない。わたくしはまことに愚かで、忌み憚るべきことに触れてしまった。死罪に値する、死罪に値する」。文帝は喜んだ。その日のうちに馮唐に節を持たせて魏尚を赦させ、再び雲中の郡守とし、馮唐を車騎都尉に任じて、中尉の兵と郡国の戦車兵を統轄させた。七年、景帝が即位すると、馮唐を楚の相としたが、免ぜられた。武帝が即位して賢良の士を求めると、馮唐が推挙された。馮唐はそのとき九十余歳で、もはや官職に就くことはできなかった。そこで馮唐の子の馮遂を郎とした。馮遂は字を王孫といい、やはり非凡な人物で、わたし(司馬遷)と親しかった。太史公は言う。張季(張釈之)が長者について論じたのは、法を守って君主の意向におもねらないものであった。馮公(馮唐)が将帥について論じたのは、実に味わい深い、実に味わい深い。ことわざに「その人を知らなければ、その友を見よ」とある。二人が称えて語ったことは、朝廷に掲げて示すべきものである。書経に「偏らず党派を組まず、王道は広々としている。党派を組まず偏らず、王道は平らかである」とある。張季と馮公はこれに近い。
解説
関連する章句
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史記 張釈之馮唐列伝後、文帝崩じ、景帝立つ。釈之恐れて、病と称す。免じて去らんと欲すれば、大誅の至らんことを懼る。見えて謝せんと欲すれば、則ち未だ何如を知らず。王生の計を用ひ、卒に見えて謝す。景帝過(とが)めざるなり。王生は、善く黄老の言を為す処士なり。嘗て召されて廷中に居る。三公九卿尽く会して立つ。王生は老人なり。曰く「吾が韤(べつ)解けたり」と。顧みて張廷尉に謂ふ、「我が為に韤を結べ」と。釈之跪きて之を結ぶ。既に已みて、人或ひと王生に謂ひて曰く、「独り柰何ぞ廷に張廷尉を辱め、跪きて韤を結ばしむるや」と。王生曰く、「吾は老いて且つ賤し。自ら度るに終に張廷尉に益無し。張廷尉は方今天下の名臣なり。吾故に聊か廷尉を辱め、跪きて韤を結ばしめ、以て之を重くせんと欲す」と。諸公之を聞き、王生を賢として張廷尉を重んず。張廷尉、景帝に事ふること歳余、淮南王の相と為る。猶尚ほ前の過ちを以てなり。之を久しくして、釈之卒す。其の子を張摯と曰ひ、字は長公、官は大夫に至り、免ぜらる。当世に容るるを取ること能はざるを以て、故に終身仕へず。馮唐は、其の大父は趙の人なり。父、代に徙る。漢興りて安陵に徙る。唐は孝を以て著はれ、中郎署長と為り、文帝に事ふ。文帝輦にて過ぎり、唐に問ひて曰く、「父老何よりして郎と為れる。家は安くに在る」と。唐具に実を以て対ふ。文帝曰く、「吾代に居りし時、吾が尚食監高袪、数(しばしば)我が為に趙将李斉の賢にして、鉅鹿の下に戦ひしことを言ふ。今吾飯する毎に、意未だ嘗て鉅鹿に在らずんばあらず。父之を知るか」と。唐対へて曰く、「尚ほ廉頗・李牧の将為るに如かざるなり」と。上曰く、「何を以てか」と。唐曰く、「臣の大父趙に在りし時、官率将と為り、李牧に善し。臣の父故(もと)代の相と為り、趙将李斉に善し。其の人と為りを知るなり」と。上既に廉頗・李牧の人と為りを聞き、良(まこと)に説(よろこ)び、而して髀を搏ちて曰く、「嗟乎、
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史記 張釈之馮唐列伝吾独り廉頗・李牧を得て時に吾が将と為さざるか。吾豈に匈奴を憂へんや」と。唐曰く、「主臣。陛下廉頗・李牧を得と雖も、用ふること能はざるなり」と。上怒り、起ちて禁中に入る。良久しくして、唐を召して譲(せ)めて曰く、「公柰何ぞ衆にて我を辱むる。独り間処無からんや」と。唐謝して曰く、「鄙人忌諱を知らず」と。是の時に当たり、匈奴新たに大いに朝那に入り、北地の都尉卬を殺す。上胡寇を以て意と為し、乃ち卒に復た唐に問ひて曰く、「公何を以て吾が廉頗・李牧を用ふること能はざるを知るや」と。唐対へて曰く、「臣聞く、上古の王者の将を遣はすや、跪きて轂を推し、曰く閫(こん)以内は寡人之を制し、閫以外は将軍之を制すと。軍功爵賞は皆外に決し、帰りて之を奏す。此れ虚言に非ざるなり。臣の大父言ふ、李牧、趙の将と為りて辺に居り、軍市の租は皆自ら用ひて士を饗し、賞賜は外に決し、中より擾されずと。委任して成功を責む。故に李牧乃ち其の智能を尽くすを得たり。選車千三百乗、彀騎万三千、百金の士十万を遣はし、是を以て北のかた単于を逐ひ、東胡を破り、澹林を滅ぼし、西のかた彊秦を抑へ、南のかた韓・魏を支ふ。是の時に当たりて、趙幾(ほと)んど霸たらんとす。其の後会(たまたま)趙王遷立つ。其の母は倡なり。王遷立ち、乃ち郭開の讒を用ひ、卒に李牧を誅し、顔聚をして之に代はらしむ。是を以て兵破れ士北(に)げ、秦の禽滅する所と為る。今臣竊かに聞く、魏尚雲中の守と為り、其の軍市の租は尽く以て士卒を饗し、[出]私養の銭もて、五日に一たび牛を椎(う)ち、賓客・軍吏・舎人を饗す。是を以て匈奴遠く避け、雲中の塞に近づかず。虜曾て一たび入る。尚、車騎を率ゐて之を撃ち、殺す所其れ衆し。夫れ士卒は尽く家人の子にして、田中より起ちて軍に従ふ。安くんぞ尺籍・伍符を知らん。終日力戦し、首を斬り虜を捕へ、功を莫府に上るに、一言相応ぜざれば、文吏法を以て之を縄す。其の賞行はれずして吏の法を奉ずるは必ず用ひらる。
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史記 張釈之馮唐列伝上車に就き、釈之を召して参乗せしめ、徐行して、釈之に秦の敝を問ふ。具(つぶさ)に質言を以てす。宮に至り、上、釈之を拝して公車令と為す。
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史記 張釈之馮唐列伝張廷尉釈之(ちやうていゐせきし)は、堵陽の人なり、字は季。兄仲有りて同居す。訾(し)を以て騎郎と為り、孝文帝に事ふ。十歳調せられず、名を知らるる所無し。釈之曰く、「久しく宦して仲の産を減じ、遂げず」と。自ら免じて帰らんと欲す。中郎将袁盎其の賢を知り、其の去るを惜しみ、乃ち請ひて釈之を徙して謁者に補せしむ。釈之既に朝し畢り、因りて前みて便宜の事を言ふ。文帝曰く、「之を卑くせよ。甚だしくは高論する毋かれ。今施行すべからしめよ」と。是に於て釈之、秦漢の間の事、秦の失ひし所以と漢の興りし所以の者を言ふこと之を久しくす。文帝善しと称し、乃ち釈之を拝して謁者僕射と為す。
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史記 張釈之馮唐列伝頃之(しばらく)して、太子、梁王と車を共にして入朝し、司馬門に下りず。是に於て釈之、追ひて太子・梁王を止め、殿門に入るを得る無からしむ。遂に公門に下りざるは不敬なりと劾し、之を奏す。薄太后之を聞く。文帝冠を免ぎて謝して曰く、「児子を教ふること謹まず」と。薄太后乃ち使をして詔を承けて太子・梁王を赦さしめ、然る後に入るを得たり。文帝是に由りて釈之を奇とし、
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史記 張釈之馮唐列伝其の後人の高廟の坐前の玉環を盜む有り、捕へ得たり、文帝怒り、廷尉に下して治めしむ。釈之律を案じて宗廟の服御の物を盜む者を奏と為し、奏して棄市に当つ。上大いに怒りて曰く、「人の無道なる、乃ち先帝の廟器を盜む、吾が廷尉に属する者は、之を族せんと欲す、而るに君法を以て之を奏す、吾が宗廟を共承する所以の意に非ざるなり」と。釈之冠を免ぎ頓首して謝して曰く、「法是くのごとくにして足れり。且つ罪等しきも、然れども逆順を以て差と為す。今宗廟の器を盜みて之を族せば、如し萬分の一有りて、仮令ひ愚民長陵の一抔の土を取らば、陛下何を以て其の法を加へんや」と。久しくして、文帝太后と之を言ひ、乃ち廷尉の当つるを許す。是の時、中尉條侯周亜夫と梁相山都侯王恬開釈之の議を持すること平かなるを見て、乃ち結びて親友と為る。張廷尉此に由りて天下之を称す。
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