史記 / 季布欒布列伝
彼必自負其材,故受辱而不羞,欲有所用其未足也,故終爲漢名將。賢者誠重其死。夫婢妾賤人感慨而自殺者,非能勇也,其計畫無復之耳。欒布哭彭越,趣湯如歸者,彼誠知所處,不自重其死。雖往古烈士,何以加哉!
新字:彼必自負其材,故受辱而不羞,欲有所用其未足也,故終為漢名将。賢者誠重其死。夫婢妾賤人感慨而自殺者,非能勇也,其計画無復之耳。欒布哭彭越,趣湯如帰者,彼誠知所処,不自重其死。雖往古烈士,何以加哉!
書き下し
彼必ず自ら其の材を負み、故に辱めを受けて羞ぢず、其の未だ足らざる所を用ふる有らんと欲するなり、故に終に漢の名将と為る。賢者は誠に其の死を重んず。夫れ婢妾賤人の感慨して自殺する者は、能く勇なるに非ず、其の計画復た之く無きのみ。欒布の彭越を哭し、湯に趣くこと帰するが如き者は、彼誠に処る所を知り、自ら其の死を重んぜず。往古の烈士と雖も、何を以て加へんや。
現代語訳
(季布は)きっと自分の才能に自負があったので、辱めを受けても恥とせず、まだ十分に発揮していない才能を用いる機会を得たいと願ったのだろう。だからこそ最後には漢の名将となったのである。賢者は本当に自分の死を重く見るものだ。召使いの女や身分の低い者が、感情の高ぶりから自殺するのは、勇気があるからではなく、もはや他に手立てがないからにすぎない。欒布が彭越の死を嘆いて泣き、煮えたぎる釜へ家に帰るかのように平然と向かったのは、まことに自分の身を置くべきところを知っていて、自分の死を惜しまなかったからである。いにしえの烈士であっても、これ以上のことはできまい。
解説
司馬遷による「太史公曰」の後半で、季布と欒布という対照的な二人を評しています。季布は奴隷に身を落としてまで生き延びましたが、それは自分の才能を信じ、まだ使い切っていない力を世に役立てたいと願ったからで、実際に漢の名将となりました。賢者は死を軽々しく選ばない。感情に任せて死ぬのは勇気ではなく、手立てが尽きただけだと言います。一方の欒布は、死ぬべきときを知っていたからこそ釜へ平然と向かいました。生き延びる決断も、死に臨む決断も、どちらも「自分が何のためにそこにいるか」を知っていてこそ意味を持つのです。宮刑の恥を受けながら史記を書き継いだ司馬遷自身の生き方が、季布への評に重なっていると読まれてきた一節でもあります。
関連する章句
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『長短経』臣行或るひと曰く「季布は壮士なり。而るに反って剛を摧きて柔と為り、髠鉗して逃匿す。是と為すか」と。司馬遷曰く「項羽の気を以てして、季布は勇を以て楚に顕る。身は屢しば軍を典り、旗を搴ぐ〔音、綺連の反。〕こと数しばなり。壮士と謂う可し。然れども刑戮を被り、人の奴と為りて死せざるに至る。何ぞ其れ下れるや。彼は必ず自ら其の材を負む。故に辱を受けて羞じず。其の未だ足らざるを用うる所有らんと欲するなり。故に終に漢の名将と為る。賢者は誠に其の死を重んず。
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史記 季布欒布列伝斉に使ひし、未だ還らざるに、漢彭越を召し、責むるに謀反を以てし、三族を夷す。已にして彭越の頭を雒陽の下に梟し、詔して曰く「敢へて収め視る者有らば、輒ち之を捕へよ」と。布斉より還り、事を彭越の頭の下に奏し、祠りて之を哭す。吏布を捕へて以聞す。上布を召し、罵りて曰く「若彭越と反するか。吾人を禁じて収むる勿からしむるに、若独り祠りて之を哭す、越と反すること明らかなり。趣やかに之を亨よ」と。方に提げて湯に趣くに、布顧みて曰く「願はくは一言して死せん」と。上曰く「何をか言はん」と。布曰く「方に上の彭城に困しみ、滎陽・成皋の間に敗るるに、項王の遂に西する能はざる所以は、徒だ彭王梁の地に居り、漢と合従して楚を苦しむるを以てなり。是の時に当たり、彭王一たび顧みて、楚に与せば則ち漢破れ、漢に与せば楚破れん。且つ垓下の会、彭王微かりせば、項氏亡びず。天下已に定まり、彭王符を剖き封を受く、亦た之を万世に伝へんと欲す。今陛下一たび兵を梁に徴し、彭王病みて行かず、而るに陛下疑ひて以て反と為す、反の形未だ見えざるに、苛小の案を以て之を誅滅す、臣恐らくは功臣人人自ら危ぶまん。今彭王已に死す、臣生くるは死するに如かず、請ふ亨に就かん」と。是に於て上乃ち布の罪を釈し、拝して都尉と為す。孝文の時、燕の相と為り、将軍に至る。布乃ち称して曰く「窮困して身を辱め志を下す能はざるは、人に非ず。富貴にして意を快くする能はざるは、賢に非ず」と。是に於て嘗て徳有る者には厚く之に報い、怨み有る者には必ず法を以て之を滅す。呉・楚反せし時、軍功を以て兪侯に封ぜられ、復た燕の相と為る。燕・斉の間皆欒布の為に社を立て、欒公社と号す。景帝中五年薨ず。子賁嗣ぎ、太常と為り、犠牲令の如くならず、国除かる。太史公曰く、項羽の気を以てして、季布勇を以て楚に顕はれ、身ら軍を屨みて旗を搴ること数々なり、壮士と謂ふべし。然れども刑戮を被り、人の奴と為りて死せざるに至るは、何ぞ其の下れるや。
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史記 季布欒布列伝欒布は、梁の人なり。始め梁王彭越家人為りし時、嘗て布と游ぶ。窮困し、斉に賃傭し、酒人の保と為る。数歳、彭越去りて巨野の中に之きて盗と為り、而して布人の略売する所と為り、燕に奴と為る。其の家主の為に仇を報じ、燕の将臧荼挙げて以て都尉と為す。臧荼後に燕王と為り、布を以て将と為す。臧荼反するに及び、漢燕を撃ち、布を虜にす。梁王彭越之を聞き、乃ち上に言ひ、布を贖ひて以て梁の大夫と為さんと請ふ。
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『長短経』臣行夫れ婢妾賤人の、感慨して自殺する者は、勇に非ざるなり。其の計尽きて、復た之く無きのみ」と。〔議に曰く、太史公曰く「魏豹・彭越は故より賤しと雖も、然れども已に千里を席巻し、南面して孤と称し、血を喋りて勝に乗じ、日に聞こゆる有り。叛逆の意を懐き、敗るるに及び、死せずして虜となり、身を囚われて刑戮を被るは何ぞや。中材以上すら且つ其の行いを羞ず。況んや王者をや。彼に異なる無し。故に智略は人に絶し、独り身無きを患うるのみ。尺寸の柄を摂るを得れば、其れ雲蒸龍変し、其の度を会する所有らんと欲す。故を以て幽囚して辞せずと云う」と。此れ則ち縦横の士、功を立つるを務むる者なり。
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史記 季布欒布列伝季布河東の守と為る、孝文の時、人其の賢を言ふ者有り、孝文召し、以て御史大夫と為さんと欲す。復た其の勇にして、酒を使ひて近づき難きを言ふ有り。至り、邸に留まること一月、見えて罷めらる。季布因りて進みて曰く「臣功無くして竊かに寵せられ、罪を河東に待つ。陛下故無くして臣を召す、此れ人必ず臣を以て陛下を欺く者有らん。今臣至るに、事を受くる所無くして、罷め去らしむ、此れ人必ず以て臣を毀る者有らん。夫れ陛下一人の誉を以て臣を召し、一人の毀を以て臣を去らしむ、臣恐らくは天下の識有る者之を聞き以て陛下を闚ふ有らん」と。上黙然として慚ぢ、良久しくして曰く「河東は吾が股肱の郡なり、故に特に君を召せしのみ」と。布辞して官に之く。
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