史記 / 酈生陸賈列伝
使者對曰:「狀貌類大儒,衣儒衣,冠側注。」沛公曰:「為我謝之,言我方以天下為事,未暇見儒人也。」使者出謝曰:「沛公敬謝先生,方以天下為事,未暇見儒人也。」酈生瞋目案劍叱使者曰:「走!復入言沛公,吾高陽酒徒也,非儒人也。」使者懼而失謁,跪拾謁,還走,復入報曰:「客,天下壯士也,叱臣,臣恐,至失謁。曰『走!復入言,而公高陽酒徒也』。」沛公遽雪足杖矛曰:「延客入!」酈生入,揖沛公曰:「足下甚苦,暴衣露冠,將兵助楚討不義,足下何不自喜也?臣願以事見,而曰『吾方以天下為事,未暇見儒人也』。夫足下欲興天下之大事而成天下之大功,而以目皮相,恐失天下之能士。且吾度足下之智不如吾,勇又不如吾。若欲就天下而不相見,竊為足下失之。」沛公謝曰:「鄉者聞先生之容,今見先生之意矣。」乃延而坐之,問所以取天下者。酈生曰:「夫足下欲成大功,不如止陳留。陳留者,天下之據衝也,兵之會地也,積粟數千萬石,城守甚堅。臣素善其令,願為足下說之。不聽臣,臣請為足下殺之,而下陳留。足下將陳留之眾,據陳留之城,而食其積粟,招天下之從兵;從兵已成,足下橫行天下,莫能有害足下者矣。」沛公曰:「敬聞命矣。」
新字:使者対曰:「状貌類大儒,衣儒衣,冠側注。」沛公曰:「為我謝之,言我方以天下為事,未暇見儒人也。」使者出謝曰:「沛公敬謝先生,方以天下為事,未暇見儒人也。」酈生瞋目案剣叱使者曰:「走!復入言沛公,吾高陽酒徒也,非儒人也。」使者懼而失謁,跪拾謁,還走,復入報曰:「客,天下壮士也,叱臣,臣恐,至失謁。曰『走!復入言,而公高陽酒徒也』。」沛公遽雪足杖矛曰:「延客入!」酈生入,揖沛公曰:「足下甚苦,暴衣露冠,将兵助楚討不義,足下何不自喜也?臣願以事見,而曰『吾方以天下為事,未暇見儒人也』。夫足下欲興天下之大事而成天下之大功,而以目皮相,恐失天下之能士。且吾度足下之智不如吾,勇又不如吾。若欲就天下而不相見,窃為足下失之。」沛公謝曰:「郷者聞先生之容,今見先生之意矣。」乃延而坐之,問所以取天下者。酈生曰:「夫足下欲成大功,不如止陳留。陳留者,天下之拠衝也,兵之会地也,積粟数千万石,城守甚堅。臣素善其令,願為足下説之。不聴臣,臣請為足下殺之,而下陳留。足下将陳留之衆,拠陳留之城,而食其積粟,招天下之従兵;従兵已成,足下横行天下,莫能有害足下者矣。」沛公曰:「敬聞命矣。」
書き下し
使者対へて曰く、「状貌大儒に類し、儒衣を衣、側注を冠す」と。沛公曰く、「我が為に之に謝せよ。我方に天下を以て事と為し、未だ儒人に見ゆるに暇あらずと言へ」と。使者出でて謝して曰く、「沛公敬んで先生に謝す、方に天下を以て事と為し、未だ儒人に見ゆるに暇あらざるなり」と。酈生目を瞋らし剣を案じて使者を叱して曰く、「走れ。復た入りて沛公に言へ、吾は高陽の酒徒なり、儒人に非ざるなりと」と。使者懼れて謁を失ひ、跪きて謁を拾ひ、還り走り、復た入りて報じて曰く、「客は天下の壮士なり。臣を叱す、臣恐れて、謁を失ふに至る。曰く、『走れ。復た入りて言へ、而公(だいこう)は高陽の酒徒なり』と」と。沛公遽かに足を雪(すす)ぎ矛を杖つきて曰く、「客を延きて入れよ」と。酈生入り、沛公に揖して曰く、「足下甚だ苦しみ、衣を暴し冠を露し、兵を将ゐて楚を助けて不義を討つ。足下何ぞ自ら喜ばざるや。臣事を以て見えんと願ふに、而も曰く、『吾方に天下を以て事と為し、未だ儒人に見ゆるに暇あらざるなり』と。夫れ足下天下の大事を興して天下の大功を成さんと欲するに、而も目を以て皮相せば、恐らくは天下の能士を失はん。且つ吾足下の智を度るに吾に如かず、勇も又吾に如かず。若し天下を就さんと欲して相見えずんば、窃かに足下の為に之を失へりとす」と。沛公謝して曰く、「郷(さき)には先生の容を聞き、今は先生の意を見る」と。乃ち延きて之を坐せしめ、天下を取る所以の者を問ふ。酈生曰く、「夫れ足下大功を成さんと欲せば、陳留に止まるに如かず。陳留は天下の拠衝なり、兵の会地なり。積粟数千万石、城守甚だ堅し。臣素より其の令に善し、願はくは足下の為に之に説かん。臣に聴かずんば、臣請ふ足下の為に之を殺して、陳留を下さん。足下陳留の衆を将ゐ、陳留の城に拠りて、其の積粟を食み、天下の従兵を招け。従兵已に成らば、足下天下に横行し、能く足下を害する者有る莫からん」と。沛公曰く、「敬んで命を聞く」と。
現代語訳
使者は答えた。「姿かたちは大儒者のようで、儒者の衣を着て、側注という儒者の冠をかぶっている。」沛公は言った。「私に代わって断ってくれ。私はいま天下のことで忙しく、儒者に会う暇はないと言え。」使者は出て行って断りを述べた。「沛公はつつしんで先生にお詫び申し上げる。いま天下のことで忙しく、儒者に会う暇はないとのことだ。」酈生は目をむき、剣の柄に手をかけて使者を叱りつけた。「行け。もう一度入って沛公に言え。わしは高陽の酒飲みであって、儒者などではないとな。」使者は恐れて名札を取り落とし、ひざまずいて拾うと、走って戻り、また中に入って報告した。「客は天下の壮士だ。私を叱りつけ、私は恐ろしくて名札を落とすほどだった。『行け。もう一度入って言え、このおやじは高陽の酒飲みだ』と言っている。」沛公はあわてて足をすすぎ、矛を杖について言った。「客をお通しせよ。」酈生は入ると、沛公に会釈して言った。「あなたはたいへんな苦労をして、衣服を風雨にさらし冠を露に濡らし、兵を率いて楚を助け不義を討っている。それなのになぜ自分を大切にしないのか。私が大事のためにお目にかかりたいと願ったのに、『私はいま天下のことで忙しく、儒者に会う暇はない』と言う。そもそも天下の大事を起こし、天下の大功を成し遂げようとしているのに、見た目だけで人を判断していては、天下の有能な士を失ってしまうだろう。それに私の見るところ、あなたの知恵は私に及ばず、勇気もまた私に及ばない。天下を成し遂げようとしながら私に会わないのなら、ひそかにあなたのために惜しいことだと思う。」沛公は詫びて言った。「さきほどは先生の風采を聞いただけだったが、いま先生の心がよく分かった。」そこで招いて座らせ、天下を取る方法を尋ねた。酈生は言った。「あなたが大功を成し遂げたいなら、陳留に拠るのが一番だ。陳留は天下の要衝で、兵の集まる地である。蓄えた穀物は数千万石、城の守りはきわめて堅い。私はかねてその県令と親しいので、あなたのために説きたい。私の言うことを聞かなければ、あなたのために県令を殺して陳留を降そう。あなたは陳留の人々を率い、陳留の城に拠って、その蓄えの穀物を食糧とし、天下の兵を招き集めるがよい。兵が集まれば、あなたは天下を思うままに進み、あなたを害せる者はいなくなるだろう。」沛公は言った。「つつしんで仰せに従おう。」
解説
関連する章句
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史記 酈生陸賈列伝酈生食其(れきせいいき)は、陳留高陽の人なり。読書を好み、家貧しく落魄して、以て衣食の業を為す無く、里の監門の吏と為る。然れども県中の賢豪敢へて役せず、県中皆之を狂生と謂ふ。陳勝・項梁等の起こるに及び、諸将の地を徇へて高陽を過ぐる者数十人、酈生其の将皆握齱(あくさく)として苛礼を好み自ら用ひ、大度の言を聴く能はずと聞き、酈生乃ち深く自ら蔵匿す。後に沛公兵を将ゐて地を陳留の郊に略すと聞く。沛公の麾下の騎士、適(たまたま)酈生の里中の子なり、沛公時時邑中の賢士豪俊を問ふ。騎士帰る。酈生見えて之に謂ひて曰く、「吾聞く、沛公は慢にして人を易(あなど)るも、大略多しと。此れ真に吾が従ひて游ばんと願ふ所なり、我が為に先(さきだ)つ莫し。若し沛公に見えなば、謂ひて曰へ、『臣が里中に酈生有り、年六十余、長八尺、人皆之を狂生と謂ふも、生は自ら我は狂生に非ずと謂ふ』と」と。騎士曰く、「沛公は儒を好まず、諸客の儒冠を冠して来たる者あれば、沛公輒ち其の冠を解き、其の中に溲溺(そうでき)す。人と言ふに、常に大いに罵る。未だ儒生を以て説くべからざるなり」と。酈生曰く、「弟(ただ)之を言へ」と。騎士従容として酈生の誡むる所の如く言ふ。沛公高陽の伝舎に至り、人をして酈生を召さしむ。酈生至り、入りて謁す。沛公方に床に倨して両女子をして足を洗はしめ、而して酈生を見る。酈生入り、則ち長揖して拝せず、曰く、「足下は秦を助けて諸侯を攻めんと欲するか。且(はた)諸侯を率ゐて秦を破らんと欲するか」と。沛公罵りて曰く、「豎儒(じゅじゅ)。夫れ天下同じく秦に苦しむこと久し、故に諸侯相率ゐて秦を攻む。何ぞ秦を助けて諸侯を攻むと謂ふや」と。酈生曰く、「必ず徒を聚め義兵を合はせて無道の秦を誅せんとならば、宜しく倨して長者を見るべからず」と。是に於て沛公洗ふを輟め、起ちて衣を摂(ととの)へ、酈生を延きて上坐せしめ、
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史記 酈生陸賈列伝是に於て酈生乃ち夜陳留の令に見え、之に説きて曰く、「夫れ秦は無道を為して天下之に畔く。今足下天下と従はば則ち以て大功を成すべし。今独り亡秦の為に城を嬰(めぐ)らして堅守す、臣窃かに足下の為に之を危ぶむ」と。陳留の令曰く、「秦の法は至って重きなり、以て妄言すべからず、妄言する者は類無し。吾以て応ずべからず。先生の臣に教ふる所以の者は、臣の意に非ざるなり。願はくは復た道ふ勿かれ」と。酈生留まりて宿臥し、夜半の時陳留の令の首を斬り、城を踰えて下りて沛公に報ず。沛公兵を引きて城を攻め、令の首を長竿に県けて以て城上の人に示して曰く、「趣(すみ)やかに下れ。而(なんぢ)の令の頭已に断たれたり。今より後に下る者は必ず先づ之を斬らん」と。是に於て陳留の人令の已に死するを見て、遂に相率ゐて沛公に下る。沛公陳留の南城門の上に舎り、其の庫兵に因り、積粟を食み、留まりて出入すること三月、従兵万を以て数へ、遂に入りて秦を破る。
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史記 酈生陸賈列伝之に謝す。酈生因りて六国従横の時を言ふ。沛公喜び、酈生に食を賜ひ、問ひて曰く、「計将に安くにか出でん」と。酈生曰く、「足下糾合の衆を起こし、散乱の兵を収むるも、万人に満たず。以て径ちに彊秦に入らんと欲す、此れ所謂虎口を探る者なり。夫れ陳留は天下の衝、四通五達の郊なり。今其の城又多く粟を積む。臣其の令に善し、請ふ之に使ひして、足下に下らしめん。即し聴かずんば、足下兵を挙げて之を攻めよ、臣内応と為らん」と。是に於て酈生を遣はして行かしめ、沛公兵を引きて之に随ひ、遂に陳留を下す。酈食其を号して広野君と為す。酈生其の弟酈商を言ひ、数千人を将ゐて沛公に従ひ西南に地を略せしむ。酈生常に説客と為り、諸侯に馳使す。漢の三年秋、項羽漢を撃ち、滎陽を抜く。漢兵遁れて鞏・洛を保つ。楚人淮陰侯の趙を破り、彭越の数(しばしば)梁の地に反するを聞き、則ち兵を分かちて之を救ふ。淮陰方に東して斉を撃ち、漢王数滎陽・成皋に困しみ、成皋以東を捐てて、鞏・洛に屯して以て楚を拒がんと計欲す。酈生因りて曰く、
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史記 高祖本紀沛公をして西のかた地を略して関に入らしむ。諸将と約す、先づ入りて関中を定むる者は之を王とせんと。是の時に当たりて、秦の兵彊く、常に勝ちに乗じて北ぐるを逐ふ、諸将先づ関に入るを利とする莫し。独り項羽秦の項梁の軍を破りしを怨み、奮ひて、沛公と西のかた関に入らんことを願ふ。懐王の諸老将皆曰く、「項羽の人と為り彊悍猾賊なり。項羽嘗て襄城を攻め、襄城に遺類無く、皆之を阬にす、諸々の過ぐる所残滅せざる無し。且つ楚数(しばしば)進み取らんとし、前の陳王・項梁皆敗る。更に長者を遣はして義に扶りて西し、秦の父兄に告諭するに如かず。秦の父兄其の主に苦しむこと久し、今誠に長者を得て往き、侵暴する毋くんば、宜しく下すべし。今項羽は彊悍なり、今遣はすべからず。独り沛公素より寛大の長者なり、遣はすべし。」と。卒に項羽を許さずして、沛公を遣はして西のかた地を略し、陳王・項梁の散卒を収めしむ。乃ち碭に道して成陽に至り、杠里の秦の軍と壁を夾み、(魏)[秦]の二軍を破る。楚の軍兵を出して王離を撃ち、大いに之を破る。沛公兵を引きて西し、彭越に昌邑に遇ひ、因りて与に倶に秦の軍を攻む、戦ひて利あらず。還りて栗に至り、剛武侯に遇ひ、其の軍を奪ふ、四千余人可り、之を并す。魏の将皇欣・魏の申徒武蒲の軍と并せて昌邑を攻む、昌邑未だ抜けず。西のかた高陽を過ぐ。酈食其監門為り、曰く、「諸将の此を過ぐる者多し、吾沛公を視るに大人長者なり。」と。乃ち見えんことを求めて沛公に説く。沛公方に牀に踞し、両女子をして足を洗はしむ。酈生拝せず、長揖して、曰く、「足下必ず無道の秦を誅せんと欲せば、宜しく踞して長者に見ゆべからず。」と。是に於て沛公起ち、衣を摂めて之に謝し、延きて上坐せしむ。食其沛公に説きて陳留を襲はしめ、秦の積粟を得たり。乃ち酈食其を以て広野君と為し、酈商を将と為し、陳留の兵に将たらしめ、与に偕に開封を攻む、開封未だ抜けず。西のかた秦の将楊熊と白馬に戦ひ、又曲遇の東に戦ひ、大いに之を破る。
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史記 酈生陸賈列伝大臣多く辟陽侯の行ひを害(にく)み、遂に之を誅せんと欲す。辟陽侯急なり、因りて人をして平原君に見えんと欲せしむ。平原君辞して曰く、「獄急なり、敢へて君に見えず」と。乃ち孝恵の幸臣閎籍孺(こうせきじゅ)に見えんことを求め、之に説きて曰く、「君の帝に幸を得る所以は、天下聞かざる莫し。今辟陽侯太后に幸せられて吏に下さる、道路皆君讒して之を殺さんと欲すと言ふ。今日辟陽侯誅せらるれば、旦日太后怒りを含みて、亦君を誅せん。何ぞ肉袒して辟陽侯の為に帝に言はざる。帝君に聴きて辟陽侯を出ださば、太后大いに驩ばん。両主共に君を幸せば、君の貴富益ます倍せん」と。是に於て閎籍孺大いに恐れ、其の計に従ひて帝に言ひ、果して辟陽侯を出だす。辟陽侯の囚はるるや、平原君に見えんと欲するも、平原君辟陽侯に見えず、辟陽侯以て己に倍くと為し、大いに怒る。其の成功して之を出だすに及び、乃ち大いに驚く。呂太后崩じ、大臣諸呂を誅す。辟陽侯は諸呂に於て至って深きも、卒に誅せられず。計画して全うせし所以の者は、皆陸生・平原君の力なり。孝文帝の時、淮南厲王辟陽侯を殺す、諸呂の故を以てなり。文帝其の客平原君の計策を為すを聞き、吏をして捕へて治めんと欲せしむ。吏の門に至るを聞き、平原君自殺せんと欲す。諸子及び吏皆曰く、「事未だ知るべからず、何ぞ早く自殺するを為さん」と。平原君曰く、「我死せば禍絶え、而(なんぢ)の身に及ばざらん」と。遂に自剄す。孝文帝聞きて之を惜しみ、曰く、「吾之を殺すに意無し」と。乃ち其の子を召し、拝して中大夫と為す。匈奴に使ひし、単于無礼なり、乃ち単于を罵り、遂に匈奴の中に死す。初め、沛公兵を引きて陳留を過ぐるや、酈生軍門に踵(いた)りて上謁して曰く、「高陽の賤民酈食其、窃かに聞く、沛公暴露し、兵を将ゐて楚を助けて不義を討つと。敬んで従者を労ひ、望見して、口づから天下の便事を画くを得んと願ふ」と。使者入りて通ず。沛公方に洗ふ、使者に問ひて曰く、「何如なる人ぞ」と。
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『長短経』覇図田斉、以て然りと為し、乃ち酈生の説を聴き、歴下の兵守を罷む。淮陰侯、乃ち夜に兵を平原に渡して斉を襲う。斉王、酈生を烹て、兵を引きて東に走る。初め、酈生、沛公に見ゆ。沛公、方に床に倨り、両女子をして足を洗わしめて、酈生に見ゆ。酈生入りて長揖して拝せず、曰く「足下、秦を助けて諸侯を攻めんと欲するか。且た諸侯を率いて秦を破らんと欲するか」と。沛公罵りて曰く「豎儒。天下、同じく秦に苦しむこと久し。故に諸侯相い率いて秦を攻む。何ぞ秦を助けて諸侯を攻むと謂うか」と。酈生曰く「必ず徒を聚め義兵を合わせ、無道の秦を誅せんと欲せば、宜しく倨りて長者に見ゆべからず」と。是に於て沛公、足を洗うを輟め、起ちて之に謝せり。〉
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