史記 / 季布欒布列伝
季布者、楚人也。為気任俠、有名於楚。項籍使将兵、数窘漢王。及項羽滅、高祖購求布千金、敢有舍匿、罪及三族。朱家心知是季布、乃買而置之田。朱家乃之洛陽、見汝陰侯滕公、曰、臣各為其主用、季布為項籍用、職耳。今上始得天下、独以己之私怨求一人、何示天下之不広也。且以季布之賢而漢求之急如此、此不北走胡即南走越耳。夫忌壮士以資敵国、此伍子胥所以鞭荊平王之墓也。滕公待閒、果言如朱家指。上乃赦季布。当是時、諸公皆多季布能摧剛為柔。上拝為郎中。
新字:季布者、楚人也。為気任俠、有名於楚。項籍使将兵、数窘漢王。及項羽滅、高祖購求布千金、敢有舎匿、罪及三族。朱家心知是季布、乃買而置之田。朱家乃之洛陽、見汝陰侯滕公、曰、臣各為其主用、季布為項籍用、職耳。今上始得天下、独以己之私怨求一人、何示天下之不広也。且以季布之賢而漢求之急如此、此不北走胡即南走越耳。夫忌壮士以資敵国、此伍子胥所以鞭荊平王之墓也。滕公待閒、果言如朱家指。上乃赦季布。当是時、諸公皆多季布能摧剛為柔。上拝為郎中。
書き下し
季布は、楚の人なり。気を為し俠に任じ、楚に名有り。項籍将兵せしめ、数しば漢王を窘しむ。項羽滅ぶに及び、高祖布を購求すること千金、敢て舍匿する有らば、罪三族に及ぶ。朱家心に是れ季布なるを知り、乃ち買ひて之を田に置く。朱家乃ち洛陽に之き、汝陰侯滕公に見えて曰く、「臣各おの其の主の為に用ゐらる、季布項籍の為に用ゐらるるは、職のみ。今上始めて天下を得、独り己の私怨を以て一人を求む、何ぞ天下に之が広からざるを示すや。且つ季布の賢を以て漢の之を求むること急なること此くのごとくんば、此れ北のかた胡に走らずんば即ち南のかた越に走らんのみ。夫れ壮士を忌みて以て敵国を資くるは、此れ伍子胥の荊の平王の墓を鞭ちし所以なり」と。滕公閒を待ち、果たして朱家の指のごとく言ふ。上乃ち季布を赦す。是の時に当たり、諸公皆季布の能く剛を摧きて柔と為すを多とす。上拝して郎中と為す。
現代語訳
季布は楚の人である。義気に富み、俠を任じ、楚で名が知られていた。項籍が彼に兵を率いさせ、たびたび漢王を窮地に追い込んだ。項羽が滅ぶと、高祖は千金の懸賞をかけて布を捜索し、かくまう者があれば三族まで罪に問うとした。朱家は、その男が季布だと察して、買い取って自分の田に置いた。朱家は洛陽へ行き、汝陰侯の滕公に会って言った。「臣下はそれぞれ自分の主君のために働くもの。季布が項籍のために働いたのは、その職務にすぎません。今、主上は天下を得たばかりなのに、自分の私的な怨みだけで一人の男を追いかけている。それでは天下に、なんと度量が狭いかを示すようなものです。それに季布ほどの有能な男を、漢がこれほど厳しく追えば、彼は北の匈奴へ走るか、南の越へ走るしかありません。豪傑を憎んで敵国に利するというのは、伍子胥が楚の平王の墓を鞭打つに至った、その原因と同じことです」。滕公は機会を待って、果たして朱家の趣旨どおりに帝に言った。帝はそこで季布を赦した。当時、人々はみな、季布が剛直さを抑えて柔軟になったことを称えた。帝は彼を郎中に任じた。
解説
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史記 管晏列伝管仲夷吾は、潁上の人なり。少き時常に鮑叔牙と游び、鮑叔、其の賢なるを知れり。管仲貧困にして、常に鮑叔を欺くも、鮑叔、終に善く之を遇し、以て言を為さず。已にして鮑叔、斉の公子小白に事へ、管仲は公子糾に事ふ。小白立ちて桓公と為り、公子糾死するに及び、管仲囚はる。鮑叔遂に管仲を進む。管仲既に用ひられ、政に斉に任ず。斉の桓公以て覇たり、諸侯を九合し、天下を一匡したるは、管仲の謀なり。
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説苑・尊賢斉の桓公庭燎を設け、士の造り見えんと欲する者の為にす。期年にして士至らず。是に於いて東野の鄙人に九九の術を以て見えんとする者有り。桓公曰く、「九九何ぞ以て見ゆるに足らんや」と。鄙人対えて曰く、「臣九九を以て見ゆるに足れりと為すに非ず、臣聞く、主君庭燎を設けて以て士を待つも、期年にして士至らずと。夫れ士の至らざる所以の者は、君は天下の賢君なり、四方の士、皆自ら論ずるに君に及ばずと以て、故に至らざるなり。夫れ九九は薄能のみなるに、而れども君猶お之を礼す、況んや九九より賢れる者をや。夫れ太山は壌石を辞せず、江海は小流を逆えず、大を成す所以なり」と。詩に云う、「先民言える有り、芻蕘に詢う」と。博く謀ることを言うなり。桓公善しと曰いて、乃ち因りて之を礼す。期月にして四方の士、相携えて並び至る。詩に曰く、「堂より基に徂き、羊より牛に徂く」と。内を以て外に及び、小を以て大に及ぶことを言うなり。
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説苑・復恩楚の荘王群臣に酒を賜ふ、日暮れて酒酣にして、燈燭滅す、乃ち人の美人の衣を引く者有り、美人其の冠纓を援絶して、王に告げて曰く、「今者燭滅え、妾の衣を引く者有り、妾其の冠纓を援け得て之を持てり、趣かに火を来して上げしめ、纓を絶ちし者を視られよ」と。王曰く、「人に酒を賜ひ、酔ひて礼を失はしめしに、奈何ぞ婦人の節を顕して士を辱めんと欲せんや」と。乃ち左右に命じて曰く、「今日寡人と飲みて、冠纓を絶たざる者は懽ならず」と。群臣百有余人皆其の冠纓を絶ち去りて火を上ぐ、卒に尽く懽びて罷む。居ること三年、晋楚と戦ふ、一臣常に前に在り、五合五たび奮ひ、首として敵を卻く、卒に之に勝つを得たり、荘王怪しみて問ひて曰く、「寡人徳薄く、又未だ嘗て子を異にせざるに、子何の故に死に出でて疑はざること是の如きか」と。対へて曰く、「臣当に死すべかりき、往者酔ひて礼を失ひしとき、王隠忍して誅を加へざりき、臣終に敢へて蔭蔽の徳を以て王に顕報せざらんや、常に肝脳を地に塗り、頸血を用ひて敵に湔がんことを願ふこと久し、臣乃ち夜纓を絶ちし者なり」と。遂に晋軍を敗り、楚以て強きを得たり、此れ陰徳有る者は必ず陽報有るなり。
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