史記 / 李斯列伝
臣聞地廣者粟多,國大者人眾,兵彊則士勇。是以太山不讓土壤,故能成其大;河海不擇細流,故能就其深;王者不卻眾庶,故能明其德。是以地無四方,民無異國,四時充美,鬼神降福,此五帝、三王之所以無敵也。今乃棄黔首以資敵國,卻賓客以業諸侯,使天下之士退而不敢西向,裹足不入秦,此所謂「藉寇兵而齎盜糧」者也。夫物不產於秦,可寶者多;士不產於秦,而願忠者眾。今逐客以資敵國,損民以益讎,內自虛而外樹怨於諸侯,求國無危,不可得也。秦王乃除逐客之令,復李斯官,卒用其計謀。
新字:臣聞地広者粟多,国大者人衆,兵彊則士勇。是以太山不譲土壤,故能成其大;河海不択細流,故能就其深;王者不却衆庶,故能明其徳。是以地無四方,民無異国,四時充美,鬼神降福,此五帝、三王之所以無敵也。今乃棄黔首以資敵国,却賓客以業諸侯,使天下之士退而不敢西向,裹足不入秦,此所謂「藉寇兵而齎盗糧」者也。夫物不産於秦,可宝者多;士不産於秦,而願忠者衆。今逐客以資敵国,損民以益讎,内自虚而外樹怨於諸侯,求国無危,不可得也。秦王乃除逐客之令,復李斯官,卒用其計謀。
書き下し
臣聞く、地広き者は粟多く、国大なる者は人衆く、兵彊ければ則ち士勇なりと。是を以て太山は土壌を譲らず、故に能く其の大を成す。河海は細流を択ばず、故に能く其の深きを就す。王者は衆庶を卻けず、故に能く其の徳を明らかにす。是を以て地に四方無く、民に異国無く、四時充美にして、鬼神福を降す。此れ五帝・三王の敵無き所以なり。今乃ち黔首を棄てて以て敵国に資し、賓客を卻けて以て諸侯に業し、天下の士をして退きて敢て西に向かはず、足を裹みて秦に入らざらしむ。此れ所謂「寇に兵を藉して盗に糧を齎す」者なり。夫れ物の秦に産せずして、宝とすべき者多し。士の秦に産せずして、忠を願ふ者衆し。今客を逐ひて以て敵国に資し、民を損じて以て讎を益し、内自ら虚しくして外怨みを諸侯に樹つ。国の危ふき無きを求むるも、得べからざるなり、と。秦王乃ち逐客の令を除き、李斯の官を復し、卒に其の計謀を用ふ。
現代語訳
私はこう聞いている。土地が広ければ穀物が多く、国が大きければ人が多く、軍が強ければ兵士は勇敢である、と。だから泰山はひとかたまりの土も拒まないので、あれほど大きくなることができ、黄河や海は細い流れも選り好みしないので、あれほど深くなることができる。王者は多くの民を退けないので、その徳を明らかにすることができる。それゆえ土地には四方の区別がなく、民にはよその国の区別がなく、四季を通じて満ち足り、鬼神も福を下すのである。これこそ五帝・三王が天下に敵なしであった理由である。ところがいま、民を捨てて敵国を助け、賓客を退けて諸侯に功業を立てさせ、天下の士を退かせて西の秦へ向かおうとさせず、足を止めて秦に入らないようにしている。これこそいわゆる『敵に武器を貸し、盗賊に食糧を与える』というものだ。そもそも秦で産しなくても宝とすべき物は多く、秦で生まれなくても忠誠を尽くしたいと願う士は多い。いま客を追放して敵国を助け、民を減らして仇を利し、内は自ら空虚にし、外は諸侯に恨みを植えつけている。これで国が危うくならないことを願っても、かなうはずがない」。秦王はそこで逐客令を取り消し、李斯の官職を元に戻し、ついにその計略を用いた。
解説
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史記 酈生陸賈列伝酈生食其(れきせいいき)は、陳留高陽の人なり。読書を好み、家貧しく落魄して、以て衣食の業を為す無く、里の監門の吏と為る。然れども県中の賢豪敢へて役せず、県中皆之を狂生と謂ふ。陳勝・項梁等の起こるに及び、諸将の地を徇へて高陽を過ぐる者数十人、酈生其の将皆握齱(あくさく)として苛礼を好み自ら用ひ、大度の言を聴く能はずと聞き、酈生乃ち深く自ら蔵匿す。後に沛公兵を将ゐて地を陳留の郊に略すと聞く。沛公の麾下の騎士、適(たまたま)酈生の里中の子なり、沛公時時邑中の賢士豪俊を問ふ。騎士帰る。酈生見えて之に謂ひて曰く、「吾聞く、沛公は慢にして人を易(あなど)るも、大略多しと。此れ真に吾が従ひて游ばんと願ふ所なり、我が為に先(さきだ)つ莫し。若し沛公に見えなば、謂ひて曰へ、『臣が里中に酈生有り、年六十余、長八尺、人皆之を狂生と謂ふも、生は自ら我は狂生に非ずと謂ふ』と」と。騎士曰く、「沛公は儒を好まず、諸客の儒冠を冠して来たる者あれば、沛公輒ち其の冠を解き、其の中に溲溺(そうでき)す。人と言ふに、常に大いに罵る。未だ儒生を以て説くべからざるなり」と。酈生曰く、「弟(ただ)之を言へ」と。騎士従容として酈生の誡むる所の如く言ふ。沛公高陽の伝舎に至り、人をして酈生を召さしむ。酈生至り、入りて謁す。沛公方に床に倨して両女子をして足を洗はしめ、而して酈生を見る。酈生入り、則ち長揖して拝せず、曰く、「足下は秦を助けて諸侯を攻めんと欲するか。且(はた)諸侯を率ゐて秦を破らんと欲するか」と。沛公罵りて曰く、「豎儒(じゅじゅ)。夫れ天下同じく秦に苦しむこと久し、故に諸侯相率ゐて秦を攻む。何ぞ秦を助けて諸侯を攻むと謂ふや」と。酈生曰く、「必ず徒を聚め義兵を合はせて無道の秦を誅せんとならば、宜しく倨して長者を見るべからず」と。是に於て沛公洗ふを輟め、起ちて衣を摂(ととの)へ、酈生を延きて上坐せしめ、
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『講孟余話』告子下 第十三章好善の二字、全章の主意にして、不好善は其の裏なり。中庸に云く、「舜は其れ大知なるか。舜は問ふことを好みて邇言を察することを好む」。秦誓に曰く、「若し一个の臣有り、断々として他の技無く、其の心休休焉として、其れ容るる有るが如し。人の技有る、己之れを有するが若くし、人の彦聖なる、其の心之れを好みし、啻に其の口より出づるが若くするのみならず、寔に能く之れを容る。以て能く我が子孫黎民を保んず、尚はくは亦利有らんかな。人の技有る、媢疾して以て之れを悪み、人の彦聖なる、之れに違ひて通ぜざらしむ。寔に容るること能はず、以て我が子孫黎民を保んずること能はず。亦曰に殆いかな」。大学に引くところ及び此の章と、人の上となり政を執る者、一通を録して座右の銘となすべし。才を嫉み能を妬む時は、有志の士日に屈し、朝廷無人の地となり、一国の正気衰荼し、甚しきは正気下に鬱結し、大変乱を発するに至る。古今乱亡の朝野を歴観するに、皆然らざることなし。大抵変乱を煽起する者は皆傑物なり。故に乱首賊魁となる者、登りて朝廷にあれば良臣賢臣なり。鄭芝龍の如き、去れば則ち海賊なり、帰すれば則ち名将なり。平将門も早く検非違使とならば能吏の名あらん、去りて東すれば則ち朝敵なり。人皆然り、此の二人は特に其の甚しき者なり。是れを以て政を為すの難からざるを知るべし。豪傑を登崇して朝廷に措けば国安く、豪傑を黜斥して草野に放てば国危し。大国・小国・大事・小事、皆類推すべし。畏るべきの甚しきに非ずや。
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史記 季布欒布列伝季布は、楚の人なり。気を為し任侠たり、楚に名有り。項籍兵を将ゐしめ、数々漢王を窘む。項羽滅ぶるに及び、高祖布を千金に購求し、敢へて舎匿する有らば、罪三族に及ぶとす。季布濮陽の周氏に匿る。周氏曰く「漢将軍を購ふこと急なり、跡且に臣の家に至らんとす、将軍能く臣に聴かば、臣敢へて計を献ぜん。即し能はずんば、願はくは先づ自剄せん」と。季布之を許す。乃ち季布を髡鉗し、褐衣を衣せ、広柳車の中に置き、并びに其の家僮数十人と、魯の朱家の所に之きて之を売る。朱家心に是れ季布なるを知り、乃ち買ひて之を田に置く。其の子を誡めて曰く「田事は此の奴に聴け、必ず与に食を同じくせよ」と。朱家乃ち軺車に乗りて洛陽に之き、汝陰侯滕公に見ゆ。滕公朱家を留めて飲むこと数日。因りて滕公に謂ひて曰く「季布何の大罪ありて、上之を求むること急なるや」と。滕公曰く「布数々項羽の為に上を窘む、上之を怨む、故に必ず之を得んと欲す」と。朱家曰く「君季布を視ること何如なる人ぞ」と。曰く「賢者なり」と。朱家曰く「臣は各々其の主の為に用ひらる、季布の項籍の為に用ひらるるは、職のみ。項氏の臣尽く誅すべけんや。今上始めて天下を得て、独り己の私怨を以て一人を求む、何ぞ天下に広からざるを示すや。且つ季布の賢を以てして漢之を求むること此くの如く急なれば、此れ北のかた胡に走らずんば即ち南のかた越に走らんのみ。夫れ壮士を忌みて以て敵国に資するは、此れ伍子胥の荊の平王の墓に鞭うちし所以なり。君何ぞ従容として上の為に言はざるや」と。汝陰侯滕公心に朱家の大侠なるを知り、季布其の所に匿るると意ひ、乃ち許して曰く「諾」と。間を待ちて、果たして朱家の指の如く言ふ。上乃ち季布を赦す。是の時に当たり、諸公皆季布の能く剛を摧きて柔と為すを多とし、
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史記 酈生陸賈列伝使者対へて曰く、「状貌大儒に類し、儒衣を衣、側注を冠す」と。沛公曰く、「我が為に之に謝せよ。我方に天下を以て事と為し、未だ儒人に見ゆるに暇あらずと言へ」と。使者出でて謝して曰く、「沛公敬んで先生に謝す、方に天下を以て事と為し、未だ儒人に見ゆるに暇あらざるなり」と。酈生目を瞋らし剣を案じて使者を叱して曰く、「走れ。復た入りて沛公に言へ、吾は高陽の酒徒なり、儒人に非ざるなりと」と。使者懼れて謁を失ひ、跪きて謁を拾ひ、還り走り、復た入りて報じて曰く、「客は天下の壮士なり。臣を叱す、臣恐れて、謁を失ふに至る。曰く、『走れ。復た入りて言へ、而公(だいこう)は高陽の酒徒なり』と」と。沛公遽かに足を雪(すす)ぎ矛を杖つきて曰く、「客を延きて入れよ」と。酈生入り、沛公に揖して曰く、「足下甚だ苦しみ、衣を暴し冠を露し、兵を将ゐて楚を助けて不義を討つ。足下何ぞ自ら喜ばざるや。臣事を以て見えんと願ふに、而も曰く、『吾方に天下を以て事と為し、未だ儒人に見ゆるに暇あらざるなり』と。夫れ足下天下の大事を興して天下の大功を成さんと欲するに、而も目を以て皮相せば、恐らくは天下の能士を失はん。且つ吾足下の智を度るに吾に如かず、勇も又吾に如かず。若し天下を就さんと欲して相見えずんば、窃かに足下の為に之を失へりとす」と。沛公謝して曰く、「郷(さき)には先生の容を聞き、今は先生の意を見る」と。乃ち延きて之を坐せしめ、天下を取る所以の者を問ふ。酈生曰く、「夫れ足下大功を成さんと欲せば、陳留に止まるに如かず。陳留は天下の拠衝なり、兵の会地なり。積粟数千万石、城守甚だ堅し。臣素より其の令に善し、願はくは足下の為に之に説かん。臣に聴かずんば、臣請ふ足下の為に之を殺して、陳留を下さん。足下陳留の衆を将ゐ、陳留の城に拠りて、其の積粟を食み、天下の従兵を招け。従兵已に成らば、足下天下に横行し、能く足下を害する者有る莫からん」と。沛公曰く、「敬んで命を聞く」と。
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『春秋左氏伝』哀公二年 公孫尨、主の徳に報ゆ鄭の師大いに敗れ、齊の粟千車を獲たり。趙孟喜びて曰く、「可なり」と。傅傁曰く、「鄭に克つと雖も、猶ほ知在る有り。憂ひ未だ艾(や)まざるなり」と。初め、周人、范氏に田を與ふ。公孫尨焉に稅す。趙氏得て之を獻ず。吏之を殺さんことを請ふ。趙孟曰く、「其の主の為にするなり。何の罪かあらん」と。止めて之に田を與ふ。鐵の戰に及び、徒五百人を以て、宵に鄭の師を攻め、蜂旗を子姚の幕下に取りて、獻じて曰く、「請ふ主の德に報いん」と。鄭の師を追ふ。姚・般・公孫林、殿して射る。前列多く死す。趙孟曰く、「國に小無し」と。既に戰ひて、簡子曰く、「吾弢に伏して血を嘔けども、鼓音衰へず。今日我上なり」と。大子曰く、「吾主を車に救ひ、敵を下に退く。我は右の上なり」と。郵良曰く、「我が兩靷將に絕えんとす。吾能く之を止む。我は御の上なり」と。駕して材に乘るに、兩靷皆絕ゆ。吳の洩庸、蔡に如きて聘を納れ、而して稍く師を納る。師畢く入り、眾之を知る。蔡侯大夫に告げ、公子駟を殺して以て說く。哭して墓を遷す。冬、蔡、州來に遷る。
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史記 秦本紀百里傒譲りて曰く、「臣は臣の友蹇叔に及ばず。蹇叔は賢にして世知る莫し。臣常に游びて斉に困しみ、食を銍人に乞ふ。蹇叔臣を収む。臣因りて斉君無知に事へんと欲す。蹇叔臣を止む。臣斉の難を脱るるを得て、遂に周に之く。周の王子穨牛を好む。臣牛を養ふを以て之に干む。穨臣を用ゐんと欲するに及び、蹇叔臣を止む。臣去りて、誅せられざるを得たり。虞君に事ふ。蹇叔臣を止む。臣虞君の臣を用ゐざるを知るも、臣誠に禄爵を私利し、且く留まる。再び其の言を用ゐて、脱るるを得、一たび用ゐずして、虞君の難に及ぶ。是を以て其の賢を知る」と。是に於て繆公人をして幣を厚くして蹇叔を迎へしめ、以て上大夫と為す。秋、繆公自ら将として晋を伐ち、河曲に戦ふ。晋の驪姫乱を作し、太子申生新城に死し、重耳・夷吾出奔す。九年、斉の桓公諸侯を葵丘に会す。晋の献公卒す。驪姫の子奚斉を立つ。其の臣里克奚斉を殺す。荀息卓子を立つ。克又卓子及び荀息を殺す。夷吾人をして秦に請はしめ、晋に入らんことを求む。是に於て繆公之を許し、百里傒をして兵を将ゐて夷吾を送らしむ。夷吾謂ひて曰く、「誠に立つを得ば、請ふ晋の河西の八城を割きて秦に与へん」と。至るに及び、已に立ちて、丕鄭をして秦に謝せしめ、約に背きて河西の城を与へず、而して里克を殺す。丕鄭之を聞き、恐れ、因りて繆公と謀りて曰く、「晋人夷吾を欲せず、実は重耳を欲す。今秦の約に背きて里克を殺すは、皆呂甥・郤芮の計なり。願はくは君利を以て急ぎ呂・郤を召せ。呂・郤至らば、則ち更めて重耳を入るること便ならん」と。繆公之を許し、人をして丕鄭と帰り、呂・郤を召さしむ。呂・郤等丕鄭に間有るを疑ひ、乃ち夷吾に言ひて丕鄭を殺す。丕鄭の子丕豹秦に奔り、繆公に説きて曰く、「晋君無道にして、百姓親しまず、伐つ可し」と。繆公曰く、「百姓苟も便ならずんば、何の故に能く其の大臣を誅せんや。能く其の大臣を誅す、此れ其の調ふなり」と。
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