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史記 / 酈生陸賈列伝

方今燕、趙已定,唯齊未下。今田廣據千里之齊,田閒將二十萬之眾,軍於歷城,諸田宗彊,負海阻河濟,南近楚,人多變詐,足下雖遣數十萬師,未可以歲月破也。臣請得奉明詔說齊王,使為漢而稱東藩。」上曰:「善。」乃從其畫,復守敖倉,而使酈生說齊王曰:「王知天下之所歸乎?」王曰:「不知也。」曰:「王知天下之所歸,則齊國可得而有也;若不知天下之所歸,即齊國未可得保也。」齊王曰:「天下何所歸?」曰:「歸漢。」曰:「先生何以言之?」曰:「漢王與項王力西面擊秦,約先入咸陽者王之。漢王先入咸陽,項王負約不與而王之漢中。項王遷殺義帝,漢王聞之,起蜀漢之兵擊三秦,出關而責義帝之處,收天下之兵,立諸侯之後。降城即以侯其將,得賂即以分其士,與天下同其利,豪英賢才皆樂為之用。諸侯之兵四面而至,蜀漢之粟方船而下。項王有倍約之名,殺義帝之負;於人之功無所記,於人之罪無所忘;戰勝而不得其賞,拔城而不得其封;非項氏莫得用事;為人刻印,刓而不能授;攻城得賂,積而不能賞:天下畔之,賢才怨之,而莫為之用。故天下之士歸於漢王,可坐而策也。

新字:方今燕、趙已定,唯斉未下。今田広拠千里之斉,田閒将二十万之衆,軍於歴城,諸田宗彊,負海阻河済,南近楚,人多変詐,足下雖遣数十万師,未可以歳月破也。臣請得奉明詔説斉王,使為漢而称東藩。」上曰:「善。」乃従其画,復守敖倉,而使酈生説斉王曰:「王知天下之所帰乎?」王曰:「不知也。」曰:「王知天下之所帰,則斉国可得而有也;若不知天下之所帰,即斉国未可得保也。」斉王曰:「天下何所帰?」曰:「帰漢。」曰:「先生何以言之?」曰:「漢王与項王力西面撃秦,約先入咸陽者王之。漢王先入咸陽,項王負約不与而王之漢中。項王遷殺義帝,漢王聞之,起蜀漢之兵撃三秦,出関而責義帝之処,収天下之兵,立諸侯之後。降城即以侯其将,得賂即以分其士,与天下同其利,豪英賢才皆楽為之用。諸侯之兵四面而至,蜀漢之粟方船而下。項王有倍約之名,殺義帝之負;於人之功無所記,於人之罪無所忘;戦勝而不得其賞,抜城而不得其封;非項氏莫得用事;為人刻印,刓而不能授;攻城得賂,積而不能賞:天下畔之,賢才怨之,而莫為之用。故天下之士帰於漢王,可坐而策也。

書き下し

方今燕・趙已に定まり、唯だ斉のみ未だ下らず。今田広は千里の斉に拠り、田間は二十万の衆を将ゐて、歴城に軍し、諸田の宗彊く、海を負ひ河済を阻み、南は楚に近く、人変詐多し。足下数十万の師を遣はすと雖も、未だ歳月を以て破るべからざるなり。臣請ふ明詔を奉じて斉王に説き、漢の為に東藩と称せしめん」と。上曰く、「善し」と。乃ち其の画に従ひ、復た敖倉を守り、而して酈生をして斉王に説かしめて曰く、「王は天下の帰する所を知るか」と。王曰く、「知らざるなり」と。曰く、「王天下の帰する所を知らば、則ち斉国得て有つべきなり。若し天下の帰する所を知らずんば、即ち斉国未だ得て保つべからざるなり」と。斉王曰く、「天下何れにか帰する所ぞ」と。曰く、「漢に帰す」と。曰く、「先生何を以て之を言ふ」と。曰く、「漢王と項王と力めて西面して秦を撃ち、先に咸陽に入る者之に王たらんと約す。漢王先に咸陽に入る。項王約に負きて与へずして之を漢中に王とす。項王義帝を遷殺す。漢王之を聞き、蜀漢の兵を起こして三秦を撃ち、関を出でて義帝の処を責め、天下の兵を収め、諸侯の後を立つ。城を降せば即ち以て其の将を侯とし、賂を得れば即ち以て其の士に分かち、天下と其の利を同じくす。豪英賢才皆楽しんで之が用を為す。諸侯の兵四面より至り、蜀漢の粟船を方べて下る。項王は約に倍くの名、義帝を殺すの負有り。人の功に於ては記する所無く、人の罪に於ては忘るる所無し。戦ひ勝ちて其の賞を得ず、城を抜きて其の封を得ず。項氏に非ざれば用事を得る莫し。人の為に印を刻し、刓(けず)れて授くる能はず。城を攻めて賂を得るも、積みて賞する能はず。天下之に畔き、賢才之を怨みて、之が用を為す莫し。故に天下の士の漢王に帰すること、坐して策すべきなり。

現代語訳

いま燕・趙はすでに平定され、斉だけがまだ降っていません。いま田広は千里の斉に拠り、田間は二十万の軍勢を率いて歴城に陣取り、田氏一族の勢力は強く、海を背にし黄河と済水を盾とし、南は楚に近く、人々は変わり身が早く偽りが多い。あなたが数十万の軍を送っても、一年や数か月では破れません。どうか私に明らかな詔を奉じて斉王を説かせ、漢のために東方の藩屏と称させてください。」漢王は言った。「よし。」そこでその計画に従って再び敖倉を守り、酈生に斉王を説かせた。酈生は言った。「王は天下が誰に帰するかご存じですか。」王は言った。「知らぬ。」酈生は言った。「王が天下の帰する所を知っていれば、斉国を保つことができる。もし知らなければ、斉国を保つことはできません。」斉王は言った。「天下はどこに帰するのか。」「漢に帰する。」「先生はなぜそう言うのか。」酈生は言った。「漢王と項王は力を尽くして西へ向かい秦を撃ち、先に咸陽に入った者がそこの王になると約束しました。漢王が先に咸陽に入りましたが、項王は約束に背いてそれを与えず、漢王を漢中の王にしました。項王は義帝を遷した上で殺しました。漢王はこれを聞くと、蜀・漢中の兵を起こして三秦を撃ち、関を出て義帝の殺害の責任を問い、天下の兵を集め、滅んだ諸侯の子孫を立てました。城を降せばその将を侯とし、財貨を得ればそれを兵士に分け、天下と利益を分かち合ったので、豪傑や賢才は皆喜んで漢王のために働いている。諸侯の兵は四方から集まり、蜀・漢中の穀物は船を並べて川を下って来る。一方の項王には、約束に背いたという汚名と、義帝を殺したという負い目がある。人の功績は覚えておらず、人の罪は決して忘れません。戦に勝っても恩賞がなく、城を落としても封地がもらえません。項氏一族でなければ要職につけません。人のために官印を刻んでも、角がすり減るまで手の中でもてあそんで授けることができず、城を攻めて財貨を得ても、積み上げるばかりで賞として与えられません。だから天下は項王に背き、賢才は彼を怨んで、誰も彼のために働こうとしません。ですから天下の士が漢王に帰することは、座ったままでも見通せるのだ。

解説

酈生が斉王田広を説く場面の前半です。まず劉邦には、力攻めでは一年かかっても落ちない斉を、自分の弁舌で東方の藩屏にしてみせると申し出ます。斉王への説得は「天下の帰する所を知るか」という問いから入り、劉邦と項羽を対比して見せます。劉邦は城を降せばその将を侯にし、得た財貨は兵に分け、天下と利を共にする。項羽は人の功を忘れて罪を忘れず、恩賞の印を刻んでも角がすり減るまで手放せない。これは韓信が漢中で語った項羽評「婦人の仁」とも重なる、史記が繰り返し描く項羽の欠点です。楚漢の勝敗を分けたのは武力ではなく、報酬と評価の仕組みだったと司馬遷は見ています。成果を上げても報われない組織から人が去るのは、二千年前も今も変わりません。評価と分配の公正さが、人が集まるかどうかを決めるのです。

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