呻吟語 / 外篇・治道・人を我に體す
先王為政,全在人心上用工夫。其體人心,在我心上用工夫。何者?同然之故也。故先王體人於我,而民心得,天下治。
新字:先王為政,全在人心上用工夫。其体人心,在我心上用工夫。何者?同然之故也。故先王体人於我,而民心得,天下治。
書き下し
先王の政を為すは、全く人心の上に在りて工夫を用ふ。其の人心を體するは、我が心の上に在りて工夫を用ふ。何者ぞ。同然の故なり。故に先王は人を我に體して、民心得られ、天下治まる。
現代語訳
先王が政治を行うのは、まったく人の心の上で工夫を用いることです。その人の心を我が身に置き換えるのは、自分の心の上で工夫を用いることです。なぜか。同じだからです。だから先王は人を自分の身に置き換えて、民の心を得て天下が治まりました。
解説
政治の対象を人心に置き、その人心を知る方法を自分の心に置きます。二段の折り返しです。根拠は一語で、人の心は同じだから。調査も観察も要らず、自分の心を工夫すればよいことになります。前に出てきた、人の情は天下古今に共通するという段が、ここで方法の根拠として使われています。統治論が自己修養に接続する、この書らしい構えの一段です。
この章句が説くこと
人心同然折り返し体する修養
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