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史記 / 樊酈滕灌列伝

軍所將卒斬韓信,破豨胡騎橫谷,斬將軍趙既,虜代丞相馮梁、守孫奮、大將王黃、將軍、太仆解福等十人。與諸將共定代鄉邑七十三。其後燕王盧綰反,噲以相國擊盧綰,破其丞相抵薊南,定燕地,凡縣十八,鄉邑五十一。益食邑千三百戶,定食舞陽五千四百戶。從,斬首百七十六級,虜二百八十八人。別,破軍七,下城五,定郡六,縣五十二,得丞相一人,將軍十二人,二千石已下至三百石十一人。噲以呂后女弟呂須為婦,生子伉,故其比諸將最親。

新字:軍所将卒斬韓信,破豨胡騎横谷,斬将軍趙既,虜代丞相馮梁、守孫奮、大将王黄、将軍、太仆解福等十人。与諸将共定代郷邑七十三。其後燕王盧綰反,噲以相国撃盧綰,破其丞相抵薊南,定燕地,凡県十八,郷邑五十一。益食邑千三百戸,定食舞陽五千四百戸。従,斬首百七十六級,虜二百八十八人。別,破軍七,下城五,定郡六,県五十二,得丞相一人,将軍十二人,二千石已下至三百石十一人。噲以呂后女弟呂須為婦,生子伉,故其比諸将最親。

書き下し

軍の将ゐる所の卒韓信を斬り、豨の胡騎を横谷に破り、将軍趙既を斬り、代の丞相馮梁・守孫奮・大将王黄・将軍・太僕解福等十人を虜にす。諸将と共に代の郷邑七十三を定む。其の後燕王盧綰反し、噲相国を以て盧綰を撃ち、其の丞相抵を薊の南に破り、燕の地を定むること、凡そ県十八、郷邑五十一。食邑千三百戸を益し、定めて舞陽五千四百戸に食む。従ひて、首を斬ること百七十六級、虜にすること二百八十八人。別れて、軍を破ること七、城を下すこと五、郡を定むること六、県五十二、丞相一人・将軍十二人・二千石已下三百石に至るまで十一人を得。噲呂后の女弟呂須を以て婦と為し、子伉を生む、故に其の諸将に比して最も親し。

現代語訳

樊噲の率いる兵は(韓王)信を斬り、陳豨の胡人の騎兵を横谷で破り、将軍趙既を斬り、代の丞相馮梁、郡守孫奮、大将王黄、将軍、太僕の解福ら十人を捕虜にした。諸将とともに代の郷や邑七十三か所を平定した。その後、燕王盧綰(ろわん)が謀反すると、噲は相国として盧綰を撃ち、その丞相の抵を薊(けい)の南で破り、燕の地を平定した。合わせて県十八、郷邑五十一である。食邑を千三百戸加増され、舞陽の五千四百戸を食邑として確定した。高祖に従っての戦いでは首百七十六級を斬り、二百八十八人を捕虜にした。別動隊を率いては、敵軍を破ること七度、城を落とすこと五、郡を平定すること六、県五十二、丞相一人、将軍十二人、二千石以下三百石までの官吏十一人を捕らえた。噲は呂后の妹の呂須(りょしゅ)を妻とし、子の伉(こう)をもうけたので、諸将の中で最も高祖に近しい間柄であった。

解説

樊噲の戦歴の締めくくりで、韓王信を討ち取り、陳豨・盧綰の乱を鎮めた功績、そして生涯の戦果の総計が示されます。「従って」と「別れて」を分けて数えるのは、主君に随行した戦いと、自ら一軍を率いた戦いを区別して評価する漢の記録の書き方で、樊噲が独立した指揮官としても働いたことを示しています。最後に、呂后の妹呂須を妻にしていたので諸将の中で最も親しかったと添えられますが、これが次の段で、呂氏一派と疑われて危うく斬られるという運命の伏線になります。姻戚や近さは信頼の源にもなり、同時に疑いの種にもなります。組織の中で誰と近しいかは、実力とは別に評価を左右するという現実を、司馬遷はさりげなく書き込んでいます。

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