史記 / 淮陰侯列伝
信拜禮畢,上坐。王曰:『丞相數言將軍,將軍何以教寡人計策?』信謝,
新字:信拝礼畢,上坐。王曰:『丞相数言将軍,将軍何以教寡人計策?』信謝,
書き下し
信拝礼畢はり、上坐す。王曰く、「丞相数しば将軍を言ふ。将軍何を以て寡人に計策を教へんとするか」と。信謝し、
現代語訳
韓信の大将任命の儀式が終わり、主上(漢王劉邦)が座についた。王は言った。「丞相(蕭何)がたびたび将軍のことを推してきた。将軍はどんな計略をわしに教えてくれるのか」。韓信は謙遜して礼を述べ、(続いて王に問いかけた。)
解説
大将に任命された直後、劉邦が韓信に初めて天下取りの策を問う、有名な「漢中対」の入口です。わずか一文ですが、劉邦が「丞相がたびたび将軍を推した」と、推薦者である蕭何の名を出して問いかけている点に注意したいところです。劉邦はまだ韓信の力量を自分の目で確かめていません。任命の儀式を尽くしたうえで、まず相手の見立てを聞くという順序は、人を迎える側の作法として理にかなっています。韓信はすぐに答えを述べず、へりくだってから逆に王へ問いを返すところから策を語り始めます。この続きが次の章句に置かれています。新しく迎えた人に、最初に何を尋ねるかで、その人の力の引き出し方が決まります。
関連する章句
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史記 淮陰侯列伝信数しば蕭何と語る。何之を奇とす。南鄭に至るに、諸将の道に行きて亡ぐる者数十人。信度るに、何等已に数しば上に言ふも、上我を用ゐずと、即ち亡ぐ。何信の亡ぐるを聞き、以て聞するに及ばず、自ら之を追ふ。人有りて上に言ひて曰く、「丞相何亡げたり」と。上大いに怒り、左右の手を失ふが如し。居ること一二日、何来りて上に謁す。上且つ怒り且つ喜び、何を罵りて曰く、「若亡ぐるは、何ぞや」と。何曰く、「臣敢へて亡げざるなり。臣は亡ぐる者を追ふ」と。上曰く、「若追ふ所の者は誰ぞ」と。何曰く、「韓信なり」と。上復た罵りて曰く、「諸将の亡ぐる者は十を以て数ふるも、公追ふ所無し。信を追ふは、詐りなり」と。何曰く、「諸将は得易きのみ。信の如き者に至りては、国士無双なり。王必ず長く漢中に王たらんと欲せば、信を事とする所無し。必ず天下を争はんと欲せば、信に非ずんば与に事を計る所の者無し。顧ふに王の策安くに決する所かのみ」と。王曰く、「吾も亦東せんと欲するのみ。安んぞ能く郁郁として久しく此に居らんや」と。何曰く、「王の計必ず東せんと欲せば、能く信を用ゐば、信即ち留まらん。用ゐること能はずんば、信終に亡げんのみ」と。王曰く、「吾公の為に以て将と為さん」と。何曰く、「将と為すと雖も、信必ず留まらじ」と。王曰く、「以て大将と為さん」と。何曰く、「幸甚なり」と。是に於て王信を召して之を拝せんと欲す。何曰く、「王素より慢にして礼無し。今大将を拝すること小児を呼ぶが如きのみ。此れ乃ち信の去る所以なり。王必ず之を拝せんと欲せば、良日を択び、斎戒し、壇場を設け、礼を具へて、乃ち可なるのみ」と。王之を許す。諸将皆喜び、人人各自ら以て大将を得んと為す。大将を拝するに至りて、乃ち韓信なり。一軍皆驚く。
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史記 蕭相国世家項王諸侯と与に咸陽を屠り焼きて去る。何、韓信を進言し、漢王信を以て大将軍と為す。
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史記 淮陰侯列伝韓信謝して曰く、「臣項王に事ふるに、官は郎中に過ぎず、位は執戟に過ぎず、言は聴かれず、画は用ゐられず。故に楚に倍きて漢に帰す。漢王我に上将軍の印を授け、我に数万の衆を予へ、衣を解きて我に衣せ、食を推して我に食はしめ、言聴かれ計用ゐらる。故に吾以て此に至るを得たり。夫れ人深く我を親信す。我之に倍くは不祥なり。死すと雖も易へず。幸はくは信の為に項王に謝せよ」と。武渉已に去る。斉人蒯通天下の権の韓信に在るを知り、奇策を為して之を感動せしめんと欲し、相人を以て韓信に説きて曰く、「僕嘗て相人の術を受く」と。韓信曰く、「先生人を相すること何如」と。対へて曰く、「貴賤は骨法に在り、憂喜は容色に在り、成敗は決断に在り。此を以て之を参すれば、万に一も失はず」と。韓信曰く、「善し。先生寡人を相すること何如」と。対へて曰く、「願はくは少しく間ならんことを」と。信曰く、「左右去れり」と。通曰く、「君の面を相すれば、封侯に過ぎず、又危ふくして安からず。君の背を相すれば、貴きこと乃ち言ふべからず」と。韓信曰く、「何の謂ぞや」と。蒯通曰く、「天下初めて難を発するや、俊雄豪桀号を建てて壱たび呼べば、天下の士雲のごとく合ひ霧のごとく集まり、魚鱗のごとく襍遝し、熛のごとく至り風のごとく起こる。此の時に当たりて、憂ひは秦を亡ぼすに在るのみ。今楚漢分争し、天下の罪無きの人をして肝胆地に塗れしめ、父子骸骨を中野に暴すこと、勝げて数ふべからず。楚人彭城に起こり、転闘して北ぐるを逐ひ、滎陽に至り、利に乗じて席巻し、威天下を震はす。然れども兵京・索の間に困しみ、西山に迫りて進むこと能はざる者、此に三年なり。漢王数十万の衆を将ゐ、鞏・雒に距り、山河の険を阻み、一日に数しば戦ふも、尺寸の功無く、折北して救はず、滎陽に敗れ、成皋に傷つき、遂に宛・葉の間に走る。此れ所謂智勇倶に困しむ者なり。夫れ鋭気は険塞に挫け、而して糧食は内府に竭き、百姓罷極怨望し、容容として倚る所無し。
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『長短経』覇図是に於て韓信の策を用い、乃ち東のかた伐ちて、還りて三秦を定む。〈漢王の国にするや、韓信、楚を亡れ、従いて蜀に入るも、名を知らるる所無し。数しば蕭何と語る。何、之を奇とし、薦めて大将軍と為す。信、拝礼畢わる。王曰く「丞相、数しば将軍を言う。将軍、何を以て寡人に計策を教うるか」と。信謝し、因りて王に問いて曰く「今、東に向かいて権を天下に争う者は、豈に項王に非ずや」と。曰く「然り」と。信曰く「大王、自ら料るに勇悍仁強、項王と孰れぞ」と。漢王黙然たること良や久しくして曰く「如かざるなり」と。信、再拝して賀して曰く「信と雖も亦た以為えらく大王は如かずと。然れども臣、嘗て之に事う。請う、項王の人と為りを言わん。項王の喑啞叱咤すれば、千人皆な廃す。然れども賢将に任属する能わず。此れ特だ匹夫の勇なるのみ。項王、人を見れば恭敬慈愛、言語呴嘔たり。人に疾病有れば、涕泣して食飲を分かつ。人をして功有りて当に爵を封ずべき者に至りては、印、刓弊するも忍びて与うる能わず。此れ所謂婦人の仁なり。
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史記 淮陰侯列伝項梁の淮を渡るに及び、信剣を杖つきて之に従ひ、戯下に居るも、名を知らるる所無し。項梁敗れ、又項羽に属す。羽以て郎中と為す。数しば策を以て項羽に干むるも、羽用ゐず。漢王の蜀に入るや、信楚を亡げて漢に帰す。未だ名を知られず、連囂と為る。法に坐して斬に当たる。其の輩十三人皆已に斬られ、次いで信に至る。信乃ち仰ぎ視て、適ま滕公を見、曰く、「上は天下に就くを欲せざるか。何為れぞ壮士を斬る」と。滕公其の言を奇とし、其の貌を壮とし、釈して斬らず。与に語りて、大いに之を説ぶ。上に言ふ。上拝して以て治粟都尉と為すも、上未だ之を奇とせざるなり。
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『新序』善謀第十漢王既に滕公・蕭何の言を用い、韓信を擢拜して上將軍と爲す。信を引きて上坐せしむ。王問いて曰く、丞相數ミ將軍を言う。將軍何を以てか寡人に計策を敎うる、と。信謝し、因りて王に問いて曰く、今東に向かいて權を天下に爭うは、豈に項王に非ずや。曰く、然り、と。大王自ら勇仁悍强を斷ずるに、項王と孰與れぞ、と。漢王默然たること良や久し。曰く、如かざるなり、と。信再拜して賀して曰く、唯だ信も亦た以爲えらく大王は如かざるなり、と。然れども臣嘗て楚に事う。請う項王の人と爲りを言わん。項王喑噁叱咤すれば千人皆な廢る。然れども賢將を任屬する能わず。此れ匹夫の勇のみ。項王人を見て恭謹、言語呴呴たり。人疾病すれば、涕泣して食飲を分かつ。人の功有りて封爵に當たるに至りては、印刓れ綬弊るるまで、忍びて與うる能わず。此れ所謂婦人の仁なり。項王天下に覇として諸侯を臣とすと雖も、關中に居らず、彭城に都す。又た義帝の約に背き、而して親愛を以て王とす。諸侯平らかならず。諸侯の項王の義帝を江南に遷逐するを見るや、亦た皆な歸りて其の主を逐い自ら善地に王たり。項王の過ぐる所、殘滅せざる無く怨み多し。百姓附かず、特だ威强に劫かされて服するのみ。名は覇王と爲すと雖も、實は天下の心を失う。故に曰く、其の强きは弱め易し、と。
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