史記 / 張釈之馮唐列伝
上就車,召釋之參乘,徐行,問釋之秦之敝。具以質言。至宮,上拜釋之爲公車令。
新字:上就車,召釈之参乗,徐行,問釈之秦之敝。具以質言。至宮,上拝釈之為公車令。
書き下し
上車に就き、釈之を召して参乗せしめ、徐行して、釈之に秦の敝を問ふ。具(つぶさ)に質言を以てす。宮に至り、上、釈之を拝して公車令と為す。
現代語訳
帝は車に乗ると、張釈之を呼んで同乗させ、ゆっくり進みながら、張釈之に秦の弊害について尋ねた。張釈之はありのままの言葉で詳しく答えた。宮殿に着くと、帝は張釈之を公車令(宮門の警備と上書の受付を司る官)に任じた。
解説
嗇夫の抜擢を諫めた直後の短い段です。文帝は張釈之を自分の車に同乗させ、道すがら秦の弊害について重ねて尋ねました。張釈之は飾らない言葉で詳しく答え、宮殿に着くとすぐ公車令に任じられます。先ほど口達者な者より実のある者をと説いた張釈之自身が、率直で飾らない答えによって用いられたという対応になっています。文帝も、耳の痛い諫言をした相手を遠ざけるのではなく、車中という打ち解けた場でさらに話を聞き、その場で登用しました。諫言を受けた上司が不機嫌になるのではなく、もっと聞こうとする姿勢こそが、率直に言う部下を育てます。意見を言われた後の振る舞いに上の人の器が表れることを示す一段です。
関連する章句
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史記 張釈之馮唐列伝釈之従ひて行き、虎圏に登る。上、上林尉に諸々の禽獣の簿を問ふこと、十余問。尉左右を視て、尽く対ふること能はず。虎圏の嗇夫(しよくふ)旁らより尉に代はりて、上の問ふ所の禽獣の簿に対ふること甚だ悉くす。以て其の能く口対して響きの応ずるがごとく窮まり無きを観しめんと欲す。文帝曰く、「吏は当に是くの若くならざるべけんや。尉は無頼なり」と。乃ち釈之に詔して嗇夫を拝して上林の令と為さしむ。釈之之を久しくして前みて曰く、「陛下は絳侯周勃を以て何如なる人と為すや」と。上曰く、「長者なり」と。又復た問ふ、「東陽侯張相如は何如なる人ぞや」と。上復た曰く、「長者なり」と。釈之曰く、「夫れ絳侯・東陽侯は称して長者と為す。此の両人は事を言ふに曾て口より出だすこと能はず。豈に此の嗇夫の諜諜として利口捷給なるに斅(なら)はんや。且つ秦は刀筆の吏に任ずるを以て、吏争ひて亟疾苛察を以て相高くす。然れども其の敝は徒に文具はるのみにして、惻隠の実無し。故を以て其の過ちを聞かず、陵遅して二世に至り、天下土崩す。今陛下、嗇夫の口弁なるを以て之を超遷せば、臣恐らくは天下風に随ひて靡靡として、争ひて口弁を為して其の実無からん。且つ下の上に化するは景響よりも疾し。挙錯は審らかにせざるべからざるなり」と。文帝曰く、「善し」と。乃ち止めて嗇夫を拝せず。
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史記 張釈之馮唐列伝張廷尉釈之(ちやうていゐせきし)は、堵陽の人なり、字は季。兄仲有りて同居す。訾(し)を以て騎郎と為り、孝文帝に事ふ。十歳調せられず、名を知らるる所無し。釈之曰く、「久しく宦して仲の産を減じ、遂げず」と。自ら免じて帰らんと欲す。中郎将袁盎其の賢を知り、其の去るを惜しみ、乃ち請ひて釈之を徙して謁者に補せしむ。釈之既に朝し畢り、因りて前みて便宜の事を言ふ。文帝曰く、「之を卑くせよ。甚だしくは高論する毋かれ。今施行すべからしめよ」と。是に於て釈之、秦漢の間の事、秦の失ひし所以と漢の興りし所以の者を言ふこと之を久しくす。文帝善しと称し、乃ち釈之を拝して謁者僕射と為す。
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『長短経』是非漢の文帝、虎圏に登り、嗇夫の口弁を美として、拝して上林令と為さんとす。張釈之、前みて曰く「陛下は絳侯周勃を以て何如なる人と為すや」と。上曰く「長者なり」と。又た問いて曰く「東陽侯張相如は何如なる人ぞ」と。上復た曰く「長者なり」と。釈之曰く「此の両人は事を言うに、曾て口より出す能わず。豈に此の嗇夫の喋喋として利口捷給なるに効わんや。且つ秦は刀筆の吏に任ずるを以て、争いて亟疾苛察を以て相い高しとす。然れども其の弊は、徒だ文具のみ。惻隠の実亡し。故を以て其の過ちを聞かず。陵遅して二世に至り、天下土崩す。今、陛下、嗇夫の口弁を以て之を超遷せば、臣恐る、天下、風に随いて靡き、口弁を争いて、其の実無からんことを。且つ下の上に化するは、影響より疾し。挙錯の間、審らかにせざる可からず」と。帝乃ち止む。
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史記 張釈之馮唐列伝頃之(しばらく)して、太子、梁王と車を共にして入朝し、司馬門に下りず。是に於て釈之、追ひて太子・梁王を止め、殿門に入るを得る無からしむ。遂に公門に下りざるは不敬なりと劾し、之を奏す。薄太后之を聞く。文帝冠を免ぎて謝して曰く、「児子を教ふること謹まず」と。薄太后乃ち使をして詔を承けて太子・梁王を赦さしめ、然る後に入るを得たり。文帝是に由りて釈之を奇とし、
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史記 張釈之馮唐列伝臣愚かにして、以為へらく陛下の法太だ明らかにして、賞太だ軽く、罰太だ重しと。且つ雲中の守魏尚は、上功の首虜六級を差(たが)へしに坐して、陛下之を吏に下し、其の爵を削り、之を罰作す。此れに由りて之を言へば、陛下廉頗・李牧を得と雖も、用ふること能はざるなり。臣誠に愚かにして、忌諱に触る。死罪死罪」と。文帝説(よろこ)ぶ。是の日馮唐をして節を持して魏尚を赦さしめ、復た以て雲中の守と為し、而して唐を拝して車騎都尉と為し、中尉及び郡国の車士を主らしむ。七年、景帝立ち、唐を以て楚の相と為し、免ぜらる。武帝立ち、賢良を求め、馮唐を挙ぐ。唐時に年九十余、復た官を為すこと能はず。乃ち唐の子馮遂を以て郎と為す。遂は字は王孫、亦奇士にして、余と善し。太史公曰く、張季の長者を言ふ、法を守りて意に阿(おもね)らず。馮公の将率を論ずる、味有るかな、味有るかな。語に曰く「其の人を知らずんば、其の友を視よ」と。二君の称誦する所は、廊廟に著すべし。書に曰く「偏せず党せず、王道蕩蕩たり。党せず偏せず、王道便便たり」と。張季・馮公之に近し。
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