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史記 / 張丞相列伝

年十歲,高祖憂即萬歲之後不全也。趙堯年少,為符璽御史。趙人方與公謂御史大夫周昌曰:「君之史趙堯,年雖少,然奇才也,君必異之,是且代君之位。」周昌笑曰;「堯年少,刀筆吏耳,何能至是乎!」居頃之,趙堯侍高祖。高祖獨心不樂,悲歌,群臣不知上之所以然。趙堯進請問曰:「陛下所為不樂,非為趙王年少而戚夫人與呂后有卻邪?備萬歲之後而趙王不能自全乎?」高祖曰:「然。吾私憂之,不知所出。」堯曰:「陛下獨宜為趙王置貴彊相,及呂后、太子、群臣素所敬憚乃可。」高祖曰:「然。吾念之欲如是,而群臣誰可者?」堯曰:「御史大夫周昌,其人堅忍質直,且自呂后、太子及大臣皆素敬憚之。獨昌可。」高祖曰:「善。」於是乃召周昌,謂曰:「吾欲固煩公,公彊為我相趙王。」周昌泣曰:「臣初起從陛下,陛下獨柰何中道而棄之於諸侯乎?」高祖曰:「吾極知其左遷,然吾私憂趙王,念非公無可者。公不得已彊行!」於是徙御史大夫周昌為趙相。既行久之,高祖持御史大夫印弄之,曰:「誰可以為御史大夫者?」孰視趙堯,曰:「無以易堯。」遂拜趙堯為御史大夫。堯亦前有軍功食邑,及以御史大夫從擊陳豨有功,封為江邑侯。高祖崩,呂太后使使召趙王,其相周昌令王稱疾不行。

新字:年十歳,高祖憂即万歳之後不全也。趙堯年少,為符璽御史。趙人方与公謂御史大夫周昌曰:「君之史趙堯,年雖少,然奇才也,君必異之,是且代君之位。」周昌笑曰;「堯年少,刀筆吏耳,何能至是乎!」居頃之,趙堯侍高祖。高祖独心不楽,悲歌,群臣不知上之所以然。趙堯進請問曰:「陛下所為不楽,非為趙王年少而戚夫人与呂后有却邪?備万歳之後而趙王不能自全乎?」高祖曰:「然。吾私憂之,不知所出。」堯曰:「陛下独宜為趙王置貴彊相,及呂后、太子、群臣素所敬憚乃可。」高祖曰:「然。吾念之欲如是,而群臣誰可者?」堯曰:「御史大夫周昌,其人堅忍質直,且自呂后、太子及大臣皆素敬憚之。独昌可。」高祖曰:「善。」於是乃召周昌,謂曰:「吾欲固煩公,公彊為我相趙王。」周昌泣曰:「臣初起従陛下,陛下独柰何中道而棄之於諸侯乎?」高祖曰:「吾極知其左遷,然吾私憂趙王,念非公無可者。公不得已彊行!」於是徙御史大夫周昌為趙相。既行久之,高祖持御史大夫印弄之,曰:「誰可以為御史大夫者?」孰視趙堯,曰:「無以易堯。」遂拝趙堯為御史大夫。堯亦前有軍功食邑,及以御史大夫従撃陳豨有功,封為江邑侯。高祖崩,呂太后使使召趙王,其相周昌令王称疾不行。

書き下し

年十歳なり。高祖、即(も)し万歳の後に全からざらんことを憂ふ。趙堯は年少くして、符璽御史為り。趙人方与公、御史大夫周昌に謂ひて曰く、「君の史趙堯は、年少しと雖も、然れども奇才なり。君必ず之を異とせよ。是れ且に君の位に代はらんとす」と。周昌笑ひて曰く、「堯は年少く、刀筆の吏のみ。何ぞ能く是に至らんや」と。居ること頃之(しばらく)して、趙堯、高祖に侍す。高祖独り心楽しまず、悲歌す。群臣、上の然る所以を知らず。趙堯進みて請ひ問ひて曰く、「陛下の楽しまざる所以は、趙王年少くして戚夫人と呂后と卻(げき)有るが為に非ずや。万歳の後に趙王自ら全うすること能はざらんことを備ふるにあらずや」と。高祖曰く、「然り。吾私かに之を憂ふれども、出づる所を知らず」と。堯曰く、「陛下独り宜しく趙王の為に貴彊の相を置くべし。呂后・太子・群臣の素より敬憚する所に及べば乃ち可なり」と。高祖曰く、「然り。吾之を念ひて是くの如くせんと欲す。而れども群臣誰か可なる者ぞ」と。堯曰く、「御史大夫周昌、其の人堅忍質直にして、且つ呂后・太子及び大臣より皆素より之を敬憚す。独り昌のみ可なり」と。高祖曰く、「善し」と。是に於て乃ち周昌を召して、謂ひて曰く、「吾固く公を煩はさんと欲す。公彊ひて我が為に趙王に相たれ」と。周昌泣きて曰く、「臣初めて起ちて陛下に従ふ。陛下独り柰何ぞ中道にして之を諸侯に棄つるや」と。高祖曰く、「吾極めて其の左遷なるを知る。然れども吾私かに趙王を憂ふ。念ふに公に非ずんば可なる者無し。公已むを得ず彊ひて行け」と。是に於て御史大夫周昌を徙して趙の相と為す。既に行きて之を久しくして、高祖御史大夫の印を持ちて之を弄びて曰く、「誰か以て御史大夫と為すべき者ぞ」と。趙堯を孰視して曰く、「以て堯に易ふる無し」と。遂に趙堯を拝して御史大夫と為す。堯も亦前に軍功の食邑有り。御史大夫を以て従ひて陳豨を撃ちて功有るに及び、封ぜられて江邑侯と為る。高祖崩じ、呂太后、使をして趙王を召さしむ。其の相周昌、王をして疾と称して行かざらしむ。

現代語訳

(趙王如意は)十歳であった。高祖は、自分の死後に趙王が身を全うできないのではないかと憂えていた。趙堯は年若く、符璽御史(割符と印章を管理する御史)であった。趙の人の方与公が御史大夫の周昌に言った。「あなたの属官の趙堯は、若いけれども並外れた才能の持ち主だ。必ず特別に扱いなさい。この者はいずれあなたの地位に取って代わるだろう」。周昌は笑って「趙堯は若く、文書書きの小役人にすぎない。どうしてそこまでになれようか」と言った。しばらくして、趙堯が高祖のそばに仕えていたとき、高祖はひとり心が晴れず、悲しげに歌っていた。群臣は帝がなぜそうなのか分からなかった。趙堯は進み出てお尋ねした。「陛下がお楽しみにならないのは、趙王が幼く、戚夫人と呂后との間に確執があるからではございませんか。陛下の亡き後、趙王が身を全うできないことを案じておられるのではございませんか」。高祖は「そうだ。ひそかに憂えているが、どうすればよいか分からない」と言った。趙堯は言った。「陛下は趙王のために、身分が高く強い相を置かれるのがよい。それも呂后・太子・群臣が日頃から敬い憚っている人物ならばよろしい」。高祖は「そうだ。わしもそうしたいと考えていた。だが群臣のうち誰がよいか」と言った。趙堯は「御史大夫の周昌は、辛抱強く実直な人で、しかも呂后・太子から大臣まで皆が日頃から敬い憚っている。周昌しかいない」と言った。高祖は「よし」と言った。そこで周昌を召して「どうしてもあなたを煩わせたい。無理をしてでもわしのために趙王の相になってくれ」と言った。周昌は泣いて「わたくしは挙兵の初めから陛下にお従いしてきた。陛下はどうして途中でわたくしを諸侯のもとへお棄てになるのか」と言った。高祖は「左遷であることは重々承知している。しかしわしはひそかに趙王を憂えており、あなたでなければ任せられる者がいないと思う。やむをえぬと思って無理にでも行ってくれ」と言った。こうして御史大夫の周昌を趙の相に移した。周昌が赴任してしばらくたったころ、高祖は御史大夫の印を手に持ってもてあそびながら「誰を御史大夫にすべきか」と言い、趙堯をじっと見つめて「趙堯に代わる者はいない」と言った。そこで趙堯を御史大夫に任じた。趙堯はそれ以前にも軍功による食邑を持っていたが、御史大夫として陳豨討伐に従い功を立てたので、江邑侯に封ぜられた。高祖が崩ずると、呂太后は使者を送って趙王を召し出そうとした。趙の相の周昌は、王に病気と称して行かせなかった。

解説

趙王如意を守るための人事の段です。若い符璽御史の趙堯が、高祖の悲歌の理由を言い当て、呂后も太子も一目置く周昌を趙の相に付けるよう献策します。周昌は中央の御史大夫から諸侯国の相へ移るのを左遷と感じて泣きますが、高祖は承知のうえで頼み込みます。そして空いた御史大夫の席には、かつて周昌が「刀筆の吏にすぎない」と笑った趙堯が座ることになりました。方与公の予言が当たったわけです。司馬遷は、若者を見くびった上司がその若者に地位を譲る皮肉を淡々と描いています。同時に、趙堯の策は主君の私的な不安を読み取って形にしたものでした。部下の才能は肩書きや年齢では測れないこと、そして要所には信頼の厚い人を置くという人事の基本が読み取れます。

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