智囊 / 制勝・王越
王越撫大同。一日大雪,方坐地爐,使諸妓抱琵琶捧觴侍,而一千戶詗虜還,即召入,與談虜事甚析,大喜,曰:「寒矣!」手金卮飲之。復談則益喜,命弦琵琶而侑酒,即並金卮與之。已又談,則又喜,指妓中最姝麗者曰:「欲之乎?以乞汝。」自是千戶所至為效死力,積功至指揮。其夜襲虜帳,將至,風暴起,塵翳目,眾惑欲歸,一老卒前曰:「天贊我也!去而風,使虜不覺。歸而卒遇虜人掠者還,而我據上游。皆是風也!」越不覺下馬拜。功成,推卒功以為千戶。〔評〕平蔡乘雪,奪昆關乘雨,破大同虜乘風,而皆以夜,所謂出其不意也。威寧恩結千戶,是大手段,至推功小卒,即淮陰北面左車,意何以加此!文臣中哪得此等快士!其雄略又出韓襄毅、楊文襄上矣,百陳鉞何敢望之!而阿丑以「兩鉞」為戲,老、韓同傳,非公論也!
新字:王越撫大同。一日大雪,方坐地炉,使諸妓抱琵琶捧觴侍,而一千戸詗虜還,即召入,与談虜事甚析,大喜,曰:「寒矣!」手金卮飲之。復談則益喜,命弦琵琶而侑酒,即並金卮与之。已又談,則又喜,指妓中最姝麗者曰:「欲之乎?以乞汝。」自是千戸所至為効死力,積功至指揮。其夜襲虜帳,将至,風暴起,塵翳目,衆惑欲帰,一老卒前曰:「天賛我也!去而風,使虜不覚。帰而卒遇虜人掠者還,而我拠上游。皆是風也!」越不覚下馬拝。功成,推卒功以為千戸。〔評〕平蔡乗雪,奪昆関乗雨,破大同虜乗風,而皆以夜,所謂出其不意也。威寧恩結千戸,是大手段,至推功小卒,即淮陰北面左車,意何以加此!文臣中哪得此等快士!其雄略又出韓襄毅、楊文襄上矣,百陳鉞何敢望之!而阿丑以「両鉞」為戯,老、韓同伝,非公論也!
書き下し
王越、大同を撫す。一日大雪、方に地爐に坐し、諸妓をして琵琶を抱き觴を捧げて侍らしむ。而して一千戶、虜の還るを詗い、即ち召し入れて、與に虜の事を談ずること甚だ析なり。大いに喜びて曰く、「寒し!」と。手ずから金卮を以て之に飲ましむ。復た談ずれば則ち益々喜び、琵琶を弦して酒を侑めしめ、即ち金卮を並せて之に與う。已にして又談ずれば、則ち又喜び、妓の中の最も姝麗なる者を指して曰く、「之を欲するか。以て汝に乞わん」と。是れより千戶、至る所、為に死力を效し、功を積みて指揮に至る。其の夜、虜帳を襲う。將に至らんとして、風暴かに起こり、塵、目を翳い、眾惑いて歸らんと欲す。一老卒前みて曰く、「天、我を贊くるなり。去くに風あらば、虜をして覚らざらしめん。歸るに卒に虜人の掠むる者の還るに遇わば、我は上游に據らん。皆是れ風なり」と。越、覚えず馬を下りて拜す。功成るや、卒の功を推して以て千戶と為す。〔評〕蔡を平らぐるに雪に乗じ、昆關を奪うに雨に乗じ、大同の虜を破るに風に乗じ、而して皆夜を以てす。所謂其の不意に出ずるなり。威寧、恩を千戶に結ぶは是れ大手段、功を小卒に推すに至りては、即ち淮陰の左車に北面せるも、意は何ぞ以て此に加えん。文臣の中、哪ぞ此等の快士を得ん。其の雄略は又韓襄毅、楊文襄の上に出ず。百たび陳鉞何ぞ敢えて望まんや。而るに阿丑は「兩鉞」を以て戲れを為し、老、韓、傳を同じくするは、公論に非ざるなり。
現代語訳
王越が大同を治めていたときのことです。ある日大雪が降り、王越が地炉の前に座って、妓女たちに琵琶を抱かせ杯を捧げさせて侍らせていると、一人の千戸が敵の様子を探って戻ってきました。すぐに呼び入れて敵の事情を詳しく尋ねたところ、大いに喜んで「寒いな」と言い、自分の手で金の杯に酒をついで飲ませました。千戸がさらに話すといよいよ喜び、琵琶を弾かせて酒をすすめさせ、その金の杯までそのまま与えました。しばらくしてまた話すと、さらに喜び、妓女の中で最も美しい者を指して「あれが欲しいか。おまえにくれてやろう」と言いました。これ以来、千戸は行く先々で王越のために死力を尽くし、功を重ねて指揮にまで昇りました。その夜、敵の陣営を襲おうとして、あと少しで着くというところで突然暴風が起こり、砂塵が目をふさぎ、兵たちは迷って引き返そうとしました。そのとき一人の老兵が進み出て言いました。「天が我らを助けているのです。行くときに風が吹けば、敵に気づかれません。帰るときに、掠奪に出た敵兵が戻ってきても、我らは風上に陣取れます。みなこの風のおかげです」。王越は思わず馬から下りて老兵を拝みました。功が成ると、この老兵の功績を推挙して千戸に取り立てました。〔評〕蔡を平定したときは雪に乗じ、昆関を奪ったときは雨に乗じ、大同の敵を破ったときは風に乗じ、しかもみな夜に動きました。いわゆる相手の不意を突くことです。威寧伯王越が千戸に恩を結んだのは大きな手腕で、功を一介の老兵に譲るに至っては、あの淮陰侯韓信が広武君李左車に北面して教えを請うたことと比べても、これ以上のものがあるでしょうか。文官の中にどうしてこのような快男児がいるでしょう。その雄大な謀略は韓襄毅や楊文襄よりも上です。陳鉞が百人束になっても及ぶはずがありません。それなのに道化の阿丑が「二人の鉞」と戯れて、王越と韓雍を同じ伝に並べたのは、公平な評ではありません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 五帝本紀象曰く、「本謀る者は象なり」と。象其の父母と分かち、是に於て曰く、「舜の妻、堯の二女と琴とは、象之を取らん。牛羊倉廩は、父母に予へん」と。象乃ち舜の宮に止まりて居り、其の琴を鼓す。舜往きて之を見る。象鄂きて懌ばず、曰く、「我舜を思ひて正に鬱陶たり」と。舜曰く、「然り、爾其れ庶からんか」と。舜復た瞽叟に事へ、弟を愛すること彌謹む。是に於て堯乃ち舜を五典百官に試むるに、皆治まる。昔高陽氏に才子八人有り、世其の利を得、之を八愷と謂ふ。高辛氏に才子八人有り、世之を八元と謂ふ。此の十六族は、世其の美を済し、其の名を隕さず。堯に至るまで、堯未だ挙ぐる能はず。舜八愷を挙げ、后土を主らしめ、以て百事を揆らしむるに、時序せざる莫し。八元を挙げ、五教を四方に布かしむ。父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝にして、内平らかに外成る。昔帝鴻氏に不才の子有り、義を掩ひ賊を隠し、好んで凶慝を行ふ。天下之を渾沌と謂ふ。少暤氏に不才の子有り、信を毀り忠を悪み、悪言を崇飾す。天下之を窮奇と謂ふ。顓頊氏に不才の子有り、教訓す可からず、話言を知らず。天下之を檮杌と謂ふ。此の三族は世之を憂ふ。堯に至るまで、堯未だ去る能はず。縉雲氏に不才の子有り、飲食を貪り、貨賄を冒す。天下之を饕餮と謂ふ。天下之を悪み、之を三凶に比す。舜四門に賓し、乃ち四凶族を流し、四裔に遷し、以て螭魅を御がしむ。是に於て四門辟き、凶人毋きを言ふなり。舜大麓に入り、烈風雷雨にも迷はず。堯乃ち舜の天下を授くるに足るを知る。堯老い、舜をして天子の政を摂行し、巡狩せしむ。舜挙げられ、事を用ゐること二十年にして、堯摂政せしむ。摂政すること八年にして堯崩ず。三年の喪畢はり、丹朱に譲るも、天下舜に帰す。而して禹・皋陶・契・后稷・伯夷・夔・龍・倕・益・彭祖は堯の時より皆挙用せらるるも、未だ職を分かつこと有らず。
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史記 夏本紀夏禹は、名を文命と曰ふ。禹の父を鯀と曰ひ、鯀の父を帝顓頊と曰ひ、顓頊の父を昌意と曰ひ、昌意の父を黄帝と曰ふ。禹は、黄帝の玄孫にして帝顓頊の孫なり。禹の曾大父昌意及び父鯀は皆帝位に在るを得ず、人臣と為る。帝堯の時に当たり、鴻水天に滔り、浩浩として山を懐き陵に襄り、下民其れ憂ふ。堯能く水を治むる者を求むるに、羣臣四嶽皆鯀可なりと曰ふ。堯曰く、「鯀は人と為り命に負き族を毀る、不可なり」と。四嶽曰く、「之を等しくするに未だ鯀より賢なる者有らず。願はくは帝之を試みよ」と。是に於て堯四嶽に聴き、鯀を用ゐて水を治めしむ。九年にして水息まず、功用成らず。是に於て帝堯乃ち人を求め、更に舜を得たり。舜登用せられ、天子の政を摂行し、巡狩す。行きて鯀の治水の状無きを視、乃ち鯀を羽山に殛して以て死せしむ。天下皆舜の誅を以て是と為す。是に於て舜鯀の子禹を挙げて、鯀の業を続がしむ。堯崩じ、帝舜四嶽に問ひて曰く、「能く堯の事を成美する者有らば官に居らしめん」と。皆曰く、「伯禹司空と為らば、堯の功を成美す可し」と。舜曰く、「嗟、然り」と。禹に命ず、「女水土を平らげよ、維れ是れ之を勉めよ」と。禹拝稽首し、契・后稷・皋陶に譲る。舜曰く、「女其れ往きて爾の事を視よ」と。
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史記 張釈之馮唐列伝上車に就き、釈之を召して参乗せしめ、徐行して、釈之に秦の敝を問ふ。具(つぶさ)に質言を以てす。宮に至り、上、釈之を拝して公車令と為す。
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史記 淮陰侯列伝信拝礼畢はり、上坐す。王曰く、「丞相数しば将軍を言ふ。将軍何を以て寡人に計策を教へんとするか」と。信謝し、
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『長短経』将体故に将は、能く清く、能く静かに〔財に廉なるを清と曰い、擾さざるを静と曰う。老子曰く「重きは軽きの根為り、静かなるは躁がしきの君為り」と〕、能く平らかに、能く整い、能く諫を受け、能く訟を聴き、能く人を納れ〔賢を群英の中に受く。越の范蠡を納れ、斉の甯戚を納るるの類の若きなり〕、能く善言を採り、能く国俗を知り、能く山川を図り、能く阨難を裁き〔険・難・阨、皆悉く之に明らかなり〕、能く軍権を制す。
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史記 張丞相列伝年十歳なり。高祖、即(も)し万歳の後に全からざらんことを憂ふ。趙堯は年少くして、符璽御史為り。趙人方与公、御史大夫周昌に謂ひて曰く、「君の史趙堯は、年少しと雖も、然れども奇才なり。君必ず之を異とせよ。是れ且に君の位に代はらんとす」と。周昌笑ひて曰く、「堯は年少く、刀筆の吏のみ。何ぞ能く是に至らんや」と。居ること頃之(しばらく)して、趙堯、高祖に侍す。高祖独り心楽しまず、悲歌す。群臣、上の然る所以を知らず。趙堯進みて請ひ問ひて曰く、「陛下の楽しまざる所以は、趙王年少くして戚夫人と呂后と卻(げき)有るが為に非ずや。万歳の後に趙王自ら全うすること能はざらんことを備ふるにあらずや」と。高祖曰く、「然り。吾私かに之を憂ふれども、出づる所を知らず」と。堯曰く、「陛下独り宜しく趙王の為に貴彊の相を置くべし。呂后・太子・群臣の素より敬憚する所に及べば乃ち可なり」と。高祖曰く、「然り。吾之を念ひて是くの如くせんと欲す。而れども群臣誰か可なる者ぞ」と。堯曰く、「御史大夫周昌、其の人堅忍質直にして、且つ呂后・太子及び大臣より皆素より之を敬憚す。独り昌のみ可なり」と。高祖曰く、「善し」と。是に於て乃ち周昌を召して、謂ひて曰く、「吾固く公を煩はさんと欲す。公彊ひて我が為に趙王に相たれ」と。周昌泣きて曰く、「臣初めて起ちて陛下に従ふ。陛下独り柰何ぞ中道にして之を諸侯に棄つるや」と。高祖曰く、「吾極めて其の左遷なるを知る。然れども吾私かに趙王を憂ふ。念ふに公に非ずんば可なる者無し。公已むを得ず彊ひて行け」と。是に於て御史大夫周昌を徙して趙の相と為す。既に行きて之を久しくして、高祖御史大夫の印を持ちて之を弄びて曰く、「誰か以て御史大夫と為すべき者ぞ」と。趙堯を孰視して曰く、「以て堯に易ふる無し」と。遂に趙堯を拝して御史大夫と為す。堯も亦前に軍功の食邑有り。御史大夫を以て従ひて陳豨を撃ちて功有るに及び、封ぜられて江邑侯と為る。高祖崩じ、呂太后、使をして趙王を召さしむ。其の相周昌、王をして疾と称して行かざらしむ。
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