史記 / 張耳陳余列伝
夫臣與主豈可同日而道哉,顧其勢初定,未敢參分而王,且以少長先立武臣爲王,以持趙心。今趙地已服,此兩人亦欲分趙而王,時未可耳。今君乃囚趙王。此兩人名爲求趙王,實欲燕殺之,此兩人分趙自立。夫以一趙尚易燕,況以兩賢王左提右挈,而責殺王之罪,滅燕易矣。」燕將以爲然,乃歸趙王,養卒爲御而歸。李良已定常山,還報,趙王復使良略太原。至石邑,秦兵塞井陘,未能前。秦將詐稱二世使人遺李良書,不封,曰:「良嘗事我得顯幸。良誠能反趙爲秦,赦良罪,貴良。」良得書,疑不信。乃還之邯鄲,益請兵。未至,道逢趙王姊出飲,從百餘騎。李良望見,以爲王,伏謁道旁。王姊醉,不知其將,使騎謝李良。李良素貴,起,慚其從官。從官有一人曰:「天下畔秦,能者先立。且趙王素出將軍下,今女兒乃不爲將軍下車,請追殺之。」李良已得秦書,固欲反趙,未決,因此怒,遣人追殺王姊道中,乃遂將其兵襲邯鄲。邯鄲不知,竟殺武臣、邵騷。趙人多爲張耳、陳餘耳目者,以故得脱出。收其兵,得數萬人。客有説張耳曰:「兩君羈旅,而欲附趙,難;獨立趙後,扶以義,可就功。」乃求得趙歇,立爲趙王,居信都。李良進兵撃陳餘,陳餘敗李良,李良走歸章邯。
新字:夫臣与主豈可同日而道哉,顧其勢初定,未敢参分而王,且以少長先立武臣為王,以持趙心。今趙地已服,此両人亦欲分趙而王,時未可耳。今君乃囚趙王。此両人名為求趙王,実欲燕殺之,此両人分趙自立。夫以一趙尚易燕,況以両賢王左提右挈,而責殺王之罪,滅燕易矣。」燕将以為然,乃帰趙王,養卒為御而帰。李良已定常山,還報,趙王復使良略太原。至石邑,秦兵塞井陘,未能前。秦将詐称二世使人遺李良書,不封,曰:「良嘗事我得顕幸。良誠能反趙為秦,赦良罪,貴良。」良得書,疑不信。乃還之邯鄲,益請兵。未至,道逢趙王姊出飲,従百余騎。李良望見,以為王,伏謁道旁。王姊酔,不知其将,使騎謝李良。李良素貴,起,慚其従官。従官有一人曰:「天下畔秦,能者先立。且趙王素出将軍下,今女児乃不為将軍下車,請追殺之。」李良已得秦書,固欲反趙,未決,因此怒,遣人追殺王姊道中,乃遂将其兵襲邯鄲。邯鄲不知,竟殺武臣、邵騷。趙人多為張耳、陳余耳目者,以故得脱出。収其兵,得数万人。客有説張耳曰:「両君羈旅,而欲附趙,難;独立趙後,扶以義,可就功。」乃求得趙歇,立為趙王,居信都。李良進兵撃陳余,陳余敗李良,李良走帰章邯。
書き下し
夫れ臣と主と豈に日を同じくして道ふべけんや。顧だ其の勢初めて定まり、未だ敢て参分して王たらず。且く少長を以て先づ武臣を立てて王と為し、以て趙の心を持す。今趙の地已に服す。此の両人も亦趙を分かちて王たらんと欲するも、時未だ可ならざるのみ。今君乃ち趙王を囚ふ。此の両人名は趙王を求むと為すも、実は燕の之を殺さんことを欲す。此の両人趙を分かちて自ら立たん。夫れ一趙を以てするすら尚ほ燕を易しとす。況んや両賢王の左提右挈して、王を殺すの罪を責むるをや。燕を滅ぼすは易し」と。燕将以て然りと為し、乃ち趙王を帰す。養卒御と為りて帰る。李良已に常山を定め、還りて報ず。趙王復た良をして太原を略せしむ。石邑に至る。秦兵井陘を塞ぎ、未だ前む能はず。秦将詐りて二世の使と称し、人をして李良に書を遺らしむ。封ぜずして曰く、「良嘗て我に事へて顕幸を得たり。良誠に能く趙に反きて秦の為にせば、良の罪を赦し、良を貴くせん」と。良書を得て、疑ひて信ぜず。乃ち還りて邯鄲に之き、益々兵を請はんとす。未だ至らずして、道に趙王の姊の出でて飲むに逢ふ。従ふこと百余騎。李良望み見て、以て王と為し、道の旁に伏謁す。王の姊酔ひ、其の将を知らず、騎をして李良に謝せしむ。李良素より貴し。起ちて、其の従官に慚づ。従官に一人有りて曰く、「天下秦に畔き、能ある者先づ立つ。且つ趙王は素より将軍の下に出づ。今女児乃ち将軍の為に車を下らず。請ふ追ひて之を殺さん」と。李良已に秦の書を得て、固より趙に反かんと欲するも、未だ決せず。此に因りて怒り、人を遣はして追ひて王の姊を道中に殺さしめ、乃ち遂に其の兵を将ゐて邯鄲を襲ふ。邯鄲知らず、竟に武臣・邵騒を殺す。趙人多く張耳・陳餘の耳目為る者あり。故を以て脱出するを得たり。其の兵を収め、数万人を得。客に張耳に説く有りて曰く、「両君は羈旅にして、趙に附かんと欲するは難し。独り趙の後を立て、扶くるに義を以てせば、功を就すべし」と。乃ち求めて趙歇を得、立てて趙王と為し、信都に居らしむ。李良兵を進めて陳餘を撃つ。陳餘李良を敗る。李良走りて章邯に帰す。
現代語訳
臣下と君主とでは、どうして同じに語ることができようか。ただ情勢が定まったばかりなので、まだ三人で趙を三分して王となることはせず、とりあえず年齢の順で武臣を先に王に立てて、趙の人心をつなぎとめているのだ。いまや趙の地はすでに服従した。この二人も趙を分けて王になりたいのだが、まだ時機が来ていないだけだ。いまあなたは趙王を捕らえている。この二人は、表向きは趙王を取り戻したいと言っているが、実は燕に趙王を殺してもらいたいのだ。そうなれば二人は趙を分けて自ら王となるだろう。趙一国だけでも燕を攻めるのはたやすい。まして賢い二人の王が左右から手を携えて、王を殺した罪を問うて攻めてくれば、燕を滅ぼすのはいとも簡単だ」。燕の将軍はもっともだと思い、趙王を返した。下働きの兵卒は御者となって趙王とともに帰った。李良はすでに常山を平定し、戻って報告した。趙王は再び李良に太原を攻め取らせた。石邑まで来たとき、秦の兵が井陘の道をふさいでいて、前に進めなかった。秦の将軍は二世皇帝の使いといつわって、人に李良あての手紙を届けさせた。手紙は封をしておらず、こう書かれていた。「李良はかつて私に仕えて、目をかけられ出世した。李良が本当に趙に背いて秦につくなら、李良の罪を赦し、高い位を与えよう」。李良は手紙を受け取ったが、疑って信じなかった。そこで引き返して邯鄲へ向かい、援軍を求めようとした。邯鄲に着く前に、道で趙王の姉が酒宴に出かけるのに出会った。百騎余りを従えていた。李良は遠くからそれを見て王だと思い、道端に伏して拝謁した。王の姉は酔っていて、それが将軍だとは知らず、騎兵をやって李良に挨拶させただけであった。李良はもともと身分の高い人だったので、立ち上がると、部下たちの前で恥ずかしく思った。部下の一人が言った。「天下は秦に背き、力のある者が先に王となっている。しかも趙王はもともと将軍より身分が下だった。いま小娘ごときが将軍のために車から降りもしない。どうか追いかけて殺させていただきたい」。李良はすでに秦の手紙を受け取っていて、もともと趙に背こうと思いながら決めかねていたが、これで怒り、人をやって王の姉を道中で追いかけて殺させ、そのまま兵を率いて邯鄲を襲った。邯鄲は備えがなく、ついに武臣と邵騒は殺された。趙の人々の中には張耳・陳餘の耳目となっている者が多かったので、二人は脱出することができた。二人は兵を集め、数万人を得た。ある客人が張耳に説いた。「お二人はよそから来た身なので、趙の人々に支持されるのは難しい。ただ趙の王家の子孫を立て、義によってこれを助ければ、功業を成し遂げられるだろう」。そこで趙歇を探し出して趙王に立て、信都に住まわせた。李良が兵を進めて陳餘を攻めたが、陳餘は李良を打ち破り、李良は逃げて秦の章邯に身を寄せた。
解説
関連する章句
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史記 張耳陳余列伝人をして陳王に報ぜしむ。陳王大いに怒り、尽く武臣等の家を族し、而して兵を発して趙を撃たんと欲す。陳王の相国房君諫めて曰く、「秦未だ亡びずして武臣等の家を誅せば、此れ又一秦を生ずるなり。因りて之を賀し、急ぎ兵を引きて西のかた秦を撃たしむるに如かず」と。陳王之を然りとし、其の計に従ひ、武臣等の家を宮中に徙系し、張耳の子敖を封じて成都君と為す。陳王使者をして趙を賀せしめ、趣やかに兵を発して西のかた関に入らしむ。張耳・陳餘武臣に説きて曰く、「王の趙に王たるは、楚の意に非ず。特だ計を以て王を賀するのみ。楚已に秦を滅ぼさば、必ず兵を趙に加へん。願はくは王西に兵する毋く、北のかた燕・代を徇へ、南のかた河内を収めて以て自ら広くせよ。趙南に大河に拠り、北に燕・代有らば、楚秦に勝つと雖も、必ず敢て趙を制せず」と。趙王以て然りと為し、因りて西に兵せず、而して韓広をして燕を略し、李良をして常山を略し、張黶をして上党を略せしむ。韓広燕に至る。燕人因りて広を立てて燕王と為す。趙王乃ち張耳・陳餘と北のかた地を燕の界に略す。趙王間に出で、燕軍の得る所と為る。燕将之を囚へ、与に趙の地の半ばを分かたんと欲し、乃ち王を帰さんとす。使者往けば、燕輒ち之を殺して以て地を求む。張耳・陳餘之を患ふ。廝養の卒有りて其の舎中に謝して曰く、「吾公の為に燕に説き、趙王と載せて帰らん」と。舎中皆笑ひて曰く、「使者往くこと十余輩、輒ち死す。若何を以て能く王を得ん」と。乃ち燕の壁に走る。燕将之を見る。燕将に問ひて曰く、「臣が何をか欲するを知るか」と。燕将曰く、「若は趙王を得んと欲するのみ」と。曰く、「君は張耳・陳餘の何如なる人なるかを知るか」と。燕将曰く、「賢人なり」と。曰く、「其の志の何をか欲するかを知るか」と。曰く、「其の王を得んと欲するのみ」と。趙の養卒乃ち笑ひて曰く、「君は未だ此の両人の欲する所を知らざるなり。夫れ武臣・張耳・陳餘は馬箠を杖つきて趙の数十城を下す。此れ亦各々南面して王たらんと欲す。豈に卿相と為りて己を終へんと欲せんや。
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史記 陳渉世家周文は、陳の賢人なり、嘗て項燕の軍の視日と為り、春申君に事ふ、自ら兵を習ふと言ふ、陳王之に将軍の印を与へ、西のかた秦を撃たしむ。行くゆく兵を収めて関に至る、車千乗、卒数十万、戯に至り、焉に軍す。秦、少府章邯をして酈山の徒・人奴産子の生を免じ、悉く発して以て楚の大軍を撃たしめ、尽く之を敗る。周文敗れ、走りて関を出で、曹陽に止次すること二三月。章邯追ひて之を敗る、復た走りて澠池に次すること十余日。章邯撃ちて、大いに之を破る。周文自剄し、軍遂に戦はず。武臣邯鄲に到り、自ら立ちて趙王と為る、陳余は大将軍と為り、張耳・召騒は左右の丞相と為る。陳王怒り、武臣等の家室を捕系し、之を誅せんと欲す。柱国曰く、「秦未だ亡びざるに趙王将相の家属を誅するは、此れ一秦を生ずるなり。因りて之を立つるに如かず」と。陳王乃ち使者を遣はして趙を賀し、武臣等の家属を宮中に徙系し、耳の子張敖を封じて成都君と為し、趙の兵を趣して亟やかに関に入らしむ。趙王の将相相与に謀りて曰く、「王の趙に王たるは、楚の意に非ざるなり。楚已に秦を誅せば、必ず兵を趙に加へん。計は西に兵すること毋く、使をして北のかた燕の地を徇へしめて以て自ら広むるに如くは莫し。趙南は大河に拠り、北は燕・代有り、楚秦に勝つと雖も、敢へて趙を制せず。若し楚秦に勝たずんば、必ず趙を重んぜん。趙秦の獘に乗じ、以て志を天下に得べし」と。趙王以て然りと為し、因りて西に兵せず、而して故の上谷の卒史韓広をして兵を将ゐて北のかた燕の地を徇へしむ。燕の故の貴人豪傑韓広に謂ひて曰く、「楚已に王を立て、趙も又已に王を立つ。燕は小なりと雖も、亦た万乗の国なり、願はくは将軍立ちて燕王と為れ」と。韓広曰く、「広の母趙に在り、不可なり」と。燕人曰く、「趙は方に西に秦を憂ひ、南に楚を憂ふ、其の力我を禁ずる能はず。且つ楚の彊を以てするも、敢へて趙王将相の家を害せず、趙独り安んぞ敢へて将軍の家を害せんや」と。
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『新序』善謀第十乃ち洗沐して往きて張耳・陳餘に見え、行を遣られて燕王に見ゆ。燕王之に問う。對えて曰く、賤人希に長者を見る。願わくは一巵の酒を請わん、と。已に飲む。又た之に問う。復た曰く、賤人希に長者を見る。願わくは復た一巵の酒を請わん、と。之に酒を與う。卒曰く、王臣の何をか欲するかを知るか、と。燕王曰く、而の王を得んと欲するのみ、と。卒曰く、君張耳・陳餘の何人なるかを知るか、と。燕王曰く、賢人なり、と。曰く、君其の意何をか欲するかを知るか、と。曰く、其の王を得んと欲するのみ、と。趙の卒笑いて曰く、君未だ兩人の欲する所を知らざるなり。夫れ武臣・張耳・陳餘馬策を杖き、趙の數十城を下す。此れ亦た各ミ南面して王たらんと欲す。豈に卿相を爲さんや。夫れ臣と主と、豈に日を同じくして道う可けんや。顧ミ其の勢い始めて定まり、未だ敢えて三分して王たらず。且つ長少を以て先ず武臣を立てて王と爲し、以て趙の心を持す。今趙地已に服す。此の兩人も亦た趙を分かちて王たらんと欲す。時未だ可ならざるのみ。今君趙王を囚う。此の兩人名は趙王を求むと爲すも、實は燕の之を殺さんことを欲す。此の兩人趙を分かちて自立せん。夫れ一趙を以てすら尚お燕を易んず。况んや兩賢王左に提げ右に挈え、直義を執りて以て不直の弱きを責むるをや。燕滅ぶること日無からん、と。燕王以て然りと爲し、乃ち趙王を遣る。養卒御と爲りて歸る。遂に國に反るを得、復た立ちて王と爲る。趙の卒の謀なり。
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史記 張耳陳余列伝張耳数々人をして前みて陳餘を召さしむ。陳餘自ら兵少なく、秦に敵せずと度り、敢て前まず。数月、張耳大いに怒り、陳餘を怨み、張黶・陳沢をして往きて陳餘を讓めしめて曰く、「始め吾公と刎頸の交はりを為す。今王と耳と旦暮に且に死せんとす。而るに公は兵数万を擁し、肯へて相救はず。安くにか其の相為に死するに在らんや。茍くも必ず信ならば、胡ぞ秦軍に赴きて倶に死せざる。且つ十に一二の相全うする有らん」と。陳餘曰く、「吾度るに、前むとも終に趙を救ふ能はず、徒らに尽く軍を亡はん。且つ餘の倶に死せざる所以は、趙王・張君の為に秦に報ぜんと欲すればなり。今必ず倶に死せば、肉を以て餓虎に委ぬるが如し。何の益かあらん」と。張黶・陳沢曰く、「事已に急なり。要するに倶に死して以て信を立てん。安くんぞ後の慮りを知らん」と。陳餘曰く、「吾死すとも顧って以て益無しと為す。必ず公の言の如くせん」と。乃ち五千人をして張黶・陳沢に令して先づ秦軍を嘗みしむ。至りて皆没す。是の時に当り、燕・斉・楚、趙の急なるを聞き、皆来たり救ふ。張敖も亦北のかた代の兵を収め、万余人を得て、来たる。皆餘の旁に壁し、未だ敢て秦を撃たず。項羽の兵数々章邯の甬道を絶ち、王離の軍食に乏し。項羽悉く兵を引きて河を渡り、遂に章邯を破る。章邯兵を引きて解く。諸侯の軍乃ち敢て鉅鹿を囲む秦軍を撃ち、遂に王離を虜にす。渉間自殺す。卒に鉅鹿を存する者は、楚の力なり。是に於て趙王歇・張耳乃ち鉅鹿を出づるを得て、諸侯に謝す。張耳陳餘と相見え、陳餘を責讓するに趙を救ふを肯ぜざるを以てし、及び張黶・陳沢の所在を問ふ。陳餘怒りて曰く、「張黶・陳沢は必死を以て臣を責む。臣将をして五千人を将ゐて先づ秦軍を嘗みしむ。皆没して出でず」と。張耳信ぜず、以て之を殺せりと為し、数々陳餘に問ふ。陳餘怒りて曰く、「意はざりき、君の臣を望むことの深きや。豈に臣を以て将を去るを重んずと為さんや」と。乃ち印綬を脱解し、推して張耳に予ふ。張耳も亦愕きて受けず。陳餘起ちて廁に如く。客に張耳に説く有りて曰く、「臣聞く『天与ふるに取らずんば、反って其の咎を受く』と。
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史記 張耳陳余列伝范陽の令乃ち蒯通をして武信君に見えしめて曰く、「足下必ず将に戦ひ勝ちて然る後に地を略し、攻め得て然る後に城を下さんとす。臣竊かに以て過てりと為す。誠に臣の計を聴かば、攻めずして城を降し、戦はずして地を略し、檄を伝へて千里定むべし。可ならんか」と。武信君曰く、「何の謂ぞや」と。蒯通曰く、「今范陽の令宜しく其の士卒を整頓して以て守戦すべき者なり。怯にして死を畏れ、貪にして富貴を重んず。故に天下に先んじて降らんと欲するも、君の秦の置く所の吏なるを以て、誅殺すること前の十城の如くならんことを畏る。然れども今范陽の少年亦方に其の令を殺し、自ら城を以て君を距がんとす。君何ぞ臣に侯印を齎して、范陽の令に拝せざる。范陽の令則ち城を以て君に下らん。少年も亦敢て其の令を殺さず。范陽の令をして朱輪華轂に乗り、燕・趙の郊に駆馳せしめよ。燕・趙の郊之を見て、皆曰はん、此れ范陽の令、先に下る者なりと。即ち喜ばん。燕・趙の城は戦ふ毋くして降るべきなり。此れ臣の所謂檄を伝へて千里定まる者なり」と。武信君其の計に従ひ、因りて蒯通をして范陽の令に侯印を賜はしむ。趙の地之を聞き、戦はずして城を以て下る者三十余城。邯鄲に至り、張耳・陳餘、周章の軍関に入り、戯に至りて卻くを聞く。又諸将陳王の為に地を徇へ、多く讒毀を以て罪を得て誅せらるるを聞き、陳王の其の筴を不とし以て将と為さずして校尉と為すを怨む。乃ち武臣に説きて曰く、「陳王蘄に起こり、陳に至りて王たり。必ずしも六国の後を立てず。将軍今三千人を以て趙の数十城を下し、独り河北に介居す。王たらずんば以て之を塡むる無し。且つ陳王讒を聴く。還り報ずれば、恐らくは禍より脱れざらん。又其の兄弟を立つるに如かず。不なれば、即ち趙の後を立てよ。将軍時を失ふ毋かれ。時は間に息を容れず」と。武臣乃ち之を聴き、遂に立ちて趙王と為る。陳餘を以て大将軍と為し、張耳を右丞相と為し、邵騒を左丞相と為す。
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史記 張耳陳余列伝秦詔書もて両人を購ひ求む。両人亦反って門者を用ひて以て里中に令す。陳渉蘄に起こり、陳に入るに至りて、兵数万。張耳・陳餘陳渉に上謁す。渉及び左右生平数々張耳・陳餘の賢を聞くも、未だ嘗て見ず。見て即ち大いに喜ぶ。陳中の豪傑父老乃ち陳渉に説きて曰く、「将軍身に堅を被り鋭を執り、士卒を率ゐて以て暴秦を誅し、復た楚の社稷を立て、亡を存し絶を継ぐ。功徳宜しく王たるべし。且つ夫れ天下の諸将を監臨するに、王と為らずんば可ならず。願はくは将軍立ちて楚王と為れ」と。陳渉此の両人に問ふ。両人対へて曰く、「夫れ秦は無道を為し、人の国家を破り、人の社稷を滅ぼし、人の後世を絶ち、百姓の力を罷らし、百姓の財を尽くす。将軍目を瞋らし胆を張り、万死を出でて一生を顧みざるの計を出だし、天下の為に残を除く。今始めて陳に至りて之に王たらば、天下に私を示さん。願はくは将軍王たる毋く、急ぎ兵を引きて西し、人を遣はして六国の後を立て、自ら党を樹て、秦の為に敵を益せ。敵多ければ則ち力分かれ、与衆ければ則ち兵彊し。此の如くんば野に交兵無く、県に守城無く、暴秦を誅し、咸陽に拠りて以て諸侯に令す。諸侯亡びて立つを得、徳を以て之を服す。此の如くんば則ち帝業成らん。今独り陳に王たらば、恐らくは天下解けん」と。陳渉聴かず、遂に立ちて王と為る。陳餘乃ち復た陳王に説きて曰く、「大王梁・楚を挙げて西し、務めは関に入るに在り。未だ河北を収むるに及ばず。臣嘗て趙に游び、其の豪桀及び地形を知る。願はくは奇兵を請ひて北のかた趙の地を略せん」と。是に於て陳王故の善くする所の陳人武臣を以て将軍と為し、邵騒を護軍と為し、張耳・陳餘を以て左右校尉と為し、卒三千人を予へ、北のかた趙の地を略せしむ。武臣等白馬より河を渡り、諸県に至り、其の豪桀に説きて曰く、「秦は乱政虐刑を為して以て天下を残賊すること、数十年なり。
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