史記 / 張耳陳余列伝
使人報陳王,陳王大怒,欲盡族武臣等家,而發兵撃趙。陳王相國房君諫曰:「秦未亡而誅武臣等家,此又生一秦也。不如因而賀之,使急引兵西撃秦。」陳王然之,從其計,徙系武臣等家宮中,封張耳子敖爲成都君。陳王使使者賀趙,令趣發兵西入關。張耳、陳餘説武臣曰:「王王趙,非楚意,特以計賀王。楚已滅秦,必加兵於趙。願王毋西兵,北徇燕、代,南收河内以自廣。趙南據大河,北有燕、代,楚雖勝秦,必不敢制趙。」趙王以爲然,因不西兵,而使韓廣略燕,李良略常山,張黶略上黨。韓廣至燕,燕人因立廣爲燕王。趙王乃與張耳、陳餘北略地燕界。趙王閒出,爲燕軍所得。燕將囚之,欲與分趙地半,乃歸王。使者往,燕輒殺之以求地。張耳、陳餘患之。有廝養卒謝其舍中曰:「吾爲公説燕,與趙王載歸。」舍中皆笑曰:「使者往十餘輩,輒死,若何以能得王?」乃走燕壁。燕將見之,問燕將曰:「知臣何欲?」燕將曰:「若欲得趙王耳。」曰:「君知張耳、陳餘何如人也?」燕將曰:「賢人也。」曰:「知其志何欲?」曰:「欲得其王耳。」趙養卒乃笑曰:「君未知此兩人所欲也。夫武臣、張耳、陳餘杖馬箠下趙數十城,此亦各欲南面而王,豈欲爲卿相終己邪?
新字:使人報陳王,陳王大怒,欲尽族武臣等家,而発兵撃趙。陳王相国房君諫曰:「秦未亡而誅武臣等家,此又生一秦也。不如因而賀之,使急引兵西撃秦。」陳王然之,従其計,徙系武臣等家宮中,封張耳子敖為成都君。陳王使使者賀趙,令趣発兵西入関。張耳、陳余説武臣曰:「王王趙,非楚意,特以計賀王。楚已滅秦,必加兵於趙。願王毋西兵,北徇燕、代,南収河内以自広。趙南拠大河,北有燕、代,楚雖勝秦,必不敢制趙。」趙王以為然,因不西兵,而使韓広略燕,李良略常山,張黶略上党。韓広至燕,燕人因立広為燕王。趙王乃与張耳、陳余北略地燕界。趙王閒出,為燕軍所得。燕将囚之,欲与分趙地半,乃帰王。使者往,燕輒殺之以求地。張耳、陳余患之。有廝養卒謝其舎中曰:「吾為公説燕,与趙王載帰。」舎中皆笑曰:「使者往十余輩,輒死,若何以能得王?」乃走燕壁。燕将見之,問燕将曰:「知臣何欲?」燕将曰:「若欲得趙王耳。」曰:「君知張耳、陳余何如人也?」燕将曰:「賢人也。」曰:「知其志何欲?」曰:「欲得其王耳。」趙養卒乃笑曰:「君未知此両人所欲也。夫武臣、張耳、陳余杖馬箠下趙数十城,此亦各欲南面而王,豈欲為卿相終己邪?
書き下し
人をして陳王に報ぜしむ。陳王大いに怒り、尽く武臣等の家を族し、而して兵を発して趙を撃たんと欲す。陳王の相国房君諫めて曰く、「秦未だ亡びずして武臣等の家を誅せば、此れ又一秦を生ずるなり。因りて之を賀し、急ぎ兵を引きて西のかた秦を撃たしむるに如かず」と。陳王之を然りとし、其の計に従ひ、武臣等の家を宮中に徙系し、張耳の子敖を封じて成都君と為す。陳王使者をして趙を賀せしめ、趣やかに兵を発して西のかた関に入らしむ。張耳・陳餘武臣に説きて曰く、「王の趙に王たるは、楚の意に非ず。特だ計を以て王を賀するのみ。楚已に秦を滅ぼさば、必ず兵を趙に加へん。願はくは王西に兵する毋く、北のかた燕・代を徇へ、南のかた河内を収めて以て自ら広くせよ。趙南に大河に拠り、北に燕・代有らば、楚秦に勝つと雖も、必ず敢て趙を制せず」と。趙王以て然りと為し、因りて西に兵せず、而して韓広をして燕を略し、李良をして常山を略し、張黶をして上党を略せしむ。韓広燕に至る。燕人因りて広を立てて燕王と為す。趙王乃ち張耳・陳餘と北のかた地を燕の界に略す。趙王間に出で、燕軍の得る所と為る。燕将之を囚へ、与に趙の地の半ばを分かたんと欲し、乃ち王を帰さんとす。使者往けば、燕輒ち之を殺して以て地を求む。張耳・陳餘之を患ふ。廝養の卒有りて其の舎中に謝して曰く、「吾公の為に燕に説き、趙王と載せて帰らん」と。舎中皆笑ひて曰く、「使者往くこと十余輩、輒ち死す。若何を以て能く王を得ん」と。乃ち燕の壁に走る。燕将之を見る。燕将に問ひて曰く、「臣が何をか欲するを知るか」と。燕将曰く、「若は趙王を得んと欲するのみ」と。曰く、「君は張耳・陳餘の何如なる人なるかを知るか」と。燕将曰く、「賢人なり」と。曰く、「其の志の何をか欲するかを知るか」と。曰く、「其の王を得んと欲するのみ」と。趙の養卒乃ち笑ひて曰く、「君は未だ此の両人の欲する所を知らざるなり。夫れ武臣・張耳・陳餘は馬箠を杖つきて趙の数十城を下す。此れ亦各々南面して王たらんと欲す。豈に卿相と為りて己を終へんと欲せんや。
現代語訳
人を遣わして陳王に報告させた。陳王は大いに怒り、武臣らの家族をことごとく一族皆殺しにし、兵を出して趙を攻めようとした。陳王の相国の房君が諫めた。「秦がまだ滅びていないのに武臣らの家族を殺せば、もう一つ秦のような敵を生むことになる。それよりこれを祝い、急いで兵を率いて西の秦を攻めさせるほうがよい」。陳王はもっともだと思ってその計に従い、武臣らの家族を宮中に移して監禁し、張耳の子の張敖を成都君に封じた。陳王は使者を送って趙を祝わせ、すみやかに兵を出して西の関中に入るよう促した。張耳と陳餘は武臣に説いた。「王が趙の王となったのは、楚(陳王)の本意ではない。ただ計略として王を祝っているにすぎない。楚が秦を滅ぼしたら、必ず趙に兵を向けてくるだろう。どうか王は西へ兵を出さず、北は燕・代を攻め従え、南は河内を収めて、自らの領土を広げていただきたい。趙が南は黄河に拠り、北に燕・代を持てば、楚が秦に勝っても、決して趙を押さえつけることはできない」。趙王はもっともだと思い、西へは兵を出さず、韓広に燕を、李良に常山を、張黶に上党を攻め取らせた。韓広が燕に着くと、燕の人々はそのまま韓広を燕王に立てた。趙王はそこで張耳・陳餘とともに北へ向かい、燕との国境の地を攻め取った。趙王がお忍びで出かけたところ、燕軍に捕らえられた。燕の将軍は趙王を捕らえたまま、趙の領土の半分を分けてもらえば王を返すと言った。趙から使者が行くと、燕はそのたびに使者を殺して土地を要求した。張耳と陳餘はこれに困り果てた。すると、炊事や雑用をする下働きの兵卒が、宿舎の仲間たちに別れを告げて言った。「おれが公(張耳・陳餘)のために燕を説いて、趙王と一緒に車に乗って帰ってきてやろう」。仲間たちはみな笑って言った。「使者が十人以上行って、みな殺されている。おまえなんかにどうして王を取り戻せるものか」。兵卒はそのまま燕の陣営へ走っていった。燕の将軍が彼に会うと、兵卒は燕の将軍に尋ねた。「私が何を望んで来たか、わかるか」。燕の将軍は「おまえは趙王を取り戻したいのだろう」と言った。兵卒は「あなたは張耳と陳餘がどういう人物か、ご存じか」と尋ねた。燕の将軍は「賢人だ」と答えた。「では、彼らの本心が何を望んでいるか、ご存じか」。「自分たちの王を取り戻したいのだろう」。趙の下働きの兵卒はそこで笑って言った。「あなたはまだこの二人の望みがわかっていない。武臣・張耳・陳餘は、馬の鞭一本で趙の数十の城を降したのだ。彼らもそれぞれ南面して王になりたいと思っている。どうして大臣や宰相のままで一生を終えたいと思うだろうか。
解説
関連する章句
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史記 陳渉世家周文は、陳の賢人なり、嘗て項燕の軍の視日と為り、春申君に事ふ、自ら兵を習ふと言ふ、陳王之に将軍の印を与へ、西のかた秦を撃たしむ。行くゆく兵を収めて関に至る、車千乗、卒数十万、戯に至り、焉に軍す。秦、少府章邯をして酈山の徒・人奴産子の生を免じ、悉く発して以て楚の大軍を撃たしめ、尽く之を敗る。周文敗れ、走りて関を出で、曹陽に止次すること二三月。章邯追ひて之を敗る、復た走りて澠池に次すること十余日。章邯撃ちて、大いに之を破る。周文自剄し、軍遂に戦はず。武臣邯鄲に到り、自ら立ちて趙王と為る、陳余は大将軍と為り、張耳・召騒は左右の丞相と為る。陳王怒り、武臣等の家室を捕系し、之を誅せんと欲す。柱国曰く、「秦未だ亡びざるに趙王将相の家属を誅するは、此れ一秦を生ずるなり。因りて之を立つるに如かず」と。陳王乃ち使者を遣はして趙を賀し、武臣等の家属を宮中に徙系し、耳の子張敖を封じて成都君と為し、趙の兵を趣して亟やかに関に入らしむ。趙王の将相相与に謀りて曰く、「王の趙に王たるは、楚の意に非ざるなり。楚已に秦を誅せば、必ず兵を趙に加へん。計は西に兵すること毋く、使をして北のかた燕の地を徇へしめて以て自ら広むるに如くは莫し。趙南は大河に拠り、北は燕・代有り、楚秦に勝つと雖も、敢へて趙を制せず。若し楚秦に勝たずんば、必ず趙を重んぜん。趙秦の獘に乗じ、以て志を天下に得べし」と。趙王以て然りと為し、因りて西に兵せず、而して故の上谷の卒史韓広をして兵を将ゐて北のかた燕の地を徇へしむ。燕の故の貴人豪傑韓広に謂ひて曰く、「楚已に王を立て、趙も又已に王を立つ。燕は小なりと雖も、亦た万乗の国なり、願はくは将軍立ちて燕王と為れ」と。韓広曰く、「広の母趙に在り、不可なり」と。燕人曰く、「趙は方に西に秦を憂ひ、南に楚を憂ふ、其の力我を禁ずる能はず。且つ楚の彊を以てするも、敢へて趙王将相の家を害せず、趙独り安んぞ敢へて将軍の家を害せんや」と。
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史記 張耳陳余列伝夫れ臣と主と豈に日を同じくして道ふべけんや。顧だ其の勢初めて定まり、未だ敢て参分して王たらず。且く少長を以て先づ武臣を立てて王と為し、以て趙の心を持す。今趙の地已に服す。此の両人も亦趙を分かちて王たらんと欲するも、時未だ可ならざるのみ。今君乃ち趙王を囚ふ。此の両人名は趙王を求むと為すも、実は燕の之を殺さんことを欲す。此の両人趙を分かちて自ら立たん。夫れ一趙を以てするすら尚ほ燕を易しとす。況んや両賢王の左提右挈して、王を殺すの罪を責むるをや。燕を滅ぼすは易し」と。燕将以て然りと為し、乃ち趙王を帰す。養卒御と為りて帰る。李良已に常山を定め、還りて報ず。趙王復た良をして太原を略せしむ。石邑に至る。秦兵井陘を塞ぎ、未だ前む能はず。秦将詐りて二世の使と称し、人をして李良に書を遺らしむ。封ぜずして曰く、「良嘗て我に事へて顕幸を得たり。良誠に能く趙に反きて秦の為にせば、良の罪を赦し、良を貴くせん」と。良書を得て、疑ひて信ぜず。乃ち還りて邯鄲に之き、益々兵を請はんとす。未だ至らずして、道に趙王の姊の出でて飲むに逢ふ。従ふこと百余騎。李良望み見て、以て王と為し、道の旁に伏謁す。王の姊酔ひ、其の将を知らず、騎をして李良に謝せしむ。李良素より貴し。起ちて、其の従官に慚づ。従官に一人有りて曰く、「天下秦に畔き、能ある者先づ立つ。且つ趙王は素より将軍の下に出づ。今女児乃ち将軍の為に車を下らず。請ふ追ひて之を殺さん」と。李良已に秦の書を得て、固より趙に反かんと欲するも、未だ決せず。此に因りて怒り、人を遣はして追ひて王の姊を道中に殺さしめ、乃ち遂に其の兵を将ゐて邯鄲を襲ふ。邯鄲知らず、竟に武臣・邵騒を殺す。趙人多く張耳・陳餘の耳目為る者あり。故を以て脱出するを得たり。其の兵を収め、数万人を得。客に張耳に説く有りて曰く、「両君は羈旅にして、趙に附かんと欲するは難し。独り趙の後を立て、扶くるに義を以てせば、功を就すべし」と。乃ち求めて趙歇を得、立てて趙王と為し、信都に居らしむ。李良兵を進めて陳餘を撃つ。陳餘李良を敗る。李良走りて章邯に帰す。
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史記 張耳陳余列伝范陽の令乃ち蒯通をして武信君に見えしめて曰く、「足下必ず将に戦ひ勝ちて然る後に地を略し、攻め得て然る後に城を下さんとす。臣竊かに以て過てりと為す。誠に臣の計を聴かば、攻めずして城を降し、戦はずして地を略し、檄を伝へて千里定むべし。可ならんか」と。武信君曰く、「何の謂ぞや」と。蒯通曰く、「今范陽の令宜しく其の士卒を整頓して以て守戦すべき者なり。怯にして死を畏れ、貪にして富貴を重んず。故に天下に先んじて降らんと欲するも、君の秦の置く所の吏なるを以て、誅殺すること前の十城の如くならんことを畏る。然れども今范陽の少年亦方に其の令を殺し、自ら城を以て君を距がんとす。君何ぞ臣に侯印を齎して、范陽の令に拝せざる。范陽の令則ち城を以て君に下らん。少年も亦敢て其の令を殺さず。范陽の令をして朱輪華轂に乗り、燕・趙の郊に駆馳せしめよ。燕・趙の郊之を見て、皆曰はん、此れ范陽の令、先に下る者なりと。即ち喜ばん。燕・趙の城は戦ふ毋くして降るべきなり。此れ臣の所謂檄を伝へて千里定まる者なり」と。武信君其の計に従ひ、因りて蒯通をして范陽の令に侯印を賜はしむ。趙の地之を聞き、戦はずして城を以て下る者三十余城。邯鄲に至り、張耳・陳餘、周章の軍関に入り、戯に至りて卻くを聞く。又諸将陳王の為に地を徇へ、多く讒毀を以て罪を得て誅せらるるを聞き、陳王の其の筴を不とし以て将と為さずして校尉と為すを怨む。乃ち武臣に説きて曰く、「陳王蘄に起こり、陳に至りて王たり。必ずしも六国の後を立てず。将軍今三千人を以て趙の数十城を下し、独り河北に介居す。王たらずんば以て之を塡むる無し。且つ陳王讒を聴く。還り報ずれば、恐らくは禍より脱れざらん。又其の兄弟を立つるに如かず。不なれば、即ち趙の後を立てよ。将軍時を失ふ毋かれ。時は間に息を容れず」と。武臣乃ち之を聴き、遂に立ちて趙王と為る。陳餘を以て大将軍と為し、張耳を右丞相と為し、邵騒を左丞相と為す。
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史記 張耳陳余列伝秦詔書もて両人を購ひ求む。両人亦反って門者を用ひて以て里中に令す。陳渉蘄に起こり、陳に入るに至りて、兵数万。張耳・陳餘陳渉に上謁す。渉及び左右生平数々張耳・陳餘の賢を聞くも、未だ嘗て見ず。見て即ち大いに喜ぶ。陳中の豪傑父老乃ち陳渉に説きて曰く、「将軍身に堅を被り鋭を執り、士卒を率ゐて以て暴秦を誅し、復た楚の社稷を立て、亡を存し絶を継ぐ。功徳宜しく王たるべし。且つ夫れ天下の諸将を監臨するに、王と為らずんば可ならず。願はくは将軍立ちて楚王と為れ」と。陳渉此の両人に問ふ。両人対へて曰く、「夫れ秦は無道を為し、人の国家を破り、人の社稷を滅ぼし、人の後世を絶ち、百姓の力を罷らし、百姓の財を尽くす。将軍目を瞋らし胆を張り、万死を出でて一生を顧みざるの計を出だし、天下の為に残を除く。今始めて陳に至りて之に王たらば、天下に私を示さん。願はくは将軍王たる毋く、急ぎ兵を引きて西し、人を遣はして六国の後を立て、自ら党を樹て、秦の為に敵を益せ。敵多ければ則ち力分かれ、与衆ければ則ち兵彊し。此の如くんば野に交兵無く、県に守城無く、暴秦を誅し、咸陽に拠りて以て諸侯に令す。諸侯亡びて立つを得、徳を以て之を服す。此の如くんば則ち帝業成らん。今独り陳に王たらば、恐らくは天下解けん」と。陳渉聴かず、遂に立ちて王と為る。陳餘乃ち復た陳王に説きて曰く、「大王梁・楚を挙げて西し、務めは関に入るに在り。未だ河北を収むるに及ばず。臣嘗て趙に游び、其の豪桀及び地形を知る。願はくは奇兵を請ひて北のかた趙の地を略せん」と。是に於て陳王故の善くする所の陳人武臣を以て将軍と為し、邵騒を護軍と為し、張耳・陳餘を以て左右校尉と為し、卒三千人を予へ、北のかた趙の地を略せしむ。武臣等白馬より河を渡り、諸県に至り、其の豪桀に説きて曰く、「秦は乱政虐刑を為して以て天下を残賊すること、数十年なり。
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『新序』善謀第十乃ち洗沐して往きて張耳・陳餘に見え、行を遣られて燕王に見ゆ。燕王之に問う。對えて曰く、賤人希に長者を見る。願わくは一巵の酒を請わん、と。已に飲む。又た之に問う。復た曰く、賤人希に長者を見る。願わくは復た一巵の酒を請わん、と。之に酒を與う。卒曰く、王臣の何をか欲するかを知るか、と。燕王曰く、而の王を得んと欲するのみ、と。卒曰く、君張耳・陳餘の何人なるかを知るか、と。燕王曰く、賢人なり、と。曰く、君其の意何をか欲するかを知るか、と。曰く、其の王を得んと欲するのみ、と。趙の卒笑いて曰く、君未だ兩人の欲する所を知らざるなり。夫れ武臣・張耳・陳餘馬策を杖き、趙の數十城を下す。此れ亦た各ミ南面して王たらんと欲す。豈に卿相を爲さんや。夫れ臣と主と、豈に日を同じくして道う可けんや。顧ミ其の勢い始めて定まり、未だ敢えて三分して王たらず。且つ長少を以て先ず武臣を立てて王と爲し、以て趙の心を持す。今趙地已に服す。此の兩人も亦た趙を分かちて王たらんと欲す。時未だ可ならざるのみ。今君趙王を囚う。此の兩人名は趙王を求むと爲すも、實は燕の之を殺さんことを欲す。此の兩人趙を分かちて自立せん。夫れ一趙を以てすら尚お燕を易んず。况んや兩賢王左に提げ右に挈え、直義を執りて以て不直の弱きを責むるをや。燕滅ぶること日無からん、と。燕王以て然りと爲し、乃ち趙王を遣る。養卒御と爲りて歸る。遂に國に反るを得、復た立ちて王と爲る。趙の卒の謀なり。
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史記 淮陰侯列伝広武君対へて曰く、「方今将軍の為に計るに、甲を案じ兵を休め、趙を鎮めて其の孤を撫し、百里の内、牛酒日に至り、以て士大夫を饗し兵を醳ひ、燕の路に北首し、而る後に弁士を遣はして咫尺の書を奉じ、其の長ずる所を燕に暴さしむるに如くは莫し。燕必ず敢へて聴従せずんばあらず。燕已に従はば、諠言する者をして東のかた斉に告げしめば、斉必ず風に従ひて服せん。智者有りと雖も、亦斉の為に計るを知らざらん。是くの如くんば、則ち天下の事皆図るべきなり。兵には固より声を先にして実を後にする者有り。此の謂なり」と。韓信曰く、「善し」と。其の策に従ひ、使を発して燕に使はしむ。燕風に従ひて靡く。乃ち使を遣はして漢に報じ、因りて張耳を立てて趙王と為し、以て其の国を鎮撫せんことを請ふ。漢王之を許し、乃ち張耳を立てて趙王と為す。楚数しば奇兵をして河を渡りて趙を撃たしむ。趙王耳・韓信往来して趙を救ひ、因りて行きて趙の城邑を定め、兵を発して漢に詣らしむ。楚方に急に漢王を滎陽に囲む。漢王南に出で、宛・葉の間に之き、黥布を得て、走りて成皋に入る。楚又復た急に之を囲む。六月、漢王成皋を出で、東のかた河を渡り、独り滕公と倶にし、張耳の軍に修武に従ふ。至りて、伝舎に宿す。晨に自ら漢使と称し、馳せて趙の壁に入る。張耳・韓信未だ起きず。即ち其の臥内に上りて其の印符を奪ひ、麾を以て諸将を召し、易へて之を置く。信・耳起きて、乃ち漢王の来たるを知り、大いに驚く。漢王両人の軍を奪ひ、即ち張耳をして趙の地を備守せしむ。韓信を拝して相国と為し、趙の兵の未だ発せざる者を収めて斉を撃たしむ。信兵を引きて東し、未だ平原を渡らざるに、漢王酈食其をして已に斉を説き下さしむと聞き、韓信止まらんと欲す。范陽の弁士蒯通信に説きて曰く、「将軍詔を受けて斉を撃つ。而るに漢独り間使を発して斉を下す。寧ぞ詔有りて将軍を止めんや。何を以て行く毋きを得んや。
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