史記 / 李斯列伝
初,趙高為郎中令,所殺及報私怨眾多,恐大臣入朝奏事毀惡之,乃說二世曰:「天子所以貴者,但以聞聲,群臣莫得見其面,故號曰『朕』。且陛下富於春秋,未必盡通諸事,今坐朝廷,譴舉有不當者,則見短於大臣,非所以示神明於天下也。且陛下深拱禁中,與臣及侍中習法者待事,事來有以揆之。如此則大臣不敢奏疑事,天下稱聖主矣。」二世用其計,乃不坐朝廷見大臣,居禁中。趙高常侍中用事,事皆決於趙高。高聞李斯以為言,乃見丞相曰:「關東羣盜多,今上急益發繇治阿房宮,聚狗馬無用之物。臣欲諫,為位賤。此真君侯之事,君何不諫?」李斯曰:「固也,吾欲言之久矣。今時上不坐朝廷,上居深宮,吾有所言者,不可傳也,欲見無間。」趙高謂曰:「君誠能諫,請為君候上間語君。」於是趙高待二世方燕樂,婦女居前,使人告丞相:「上方間,可奏事。」丞相至宮門上謁,如此者三。二世怒曰:「吾常多間日,丞相不來。吾方燕私,丞相輒來請事。丞相豈少我哉?且固我哉?」趙高因曰:「如此殆矣!夫沙丘之謀,丞相與焉。今陛下已立為帝,而丞相貴不益,此其意亦望裂地而王矣。且陛下不問臣,臣不敢言。
新字:初,趙高為郎中令,所殺及報私怨衆多,恐大臣入朝奏事毀悪之,乃説二世曰:「天子所以貴者,但以聞声,群臣莫得見其面,故号曰『朕』。且陛下富於春秋,未必尽通諸事,今坐朝廷,譴舉有不当者,則見短於大臣,非所以示神明於天下也。且陛下深拱禁中,与臣及侍中習法者待事,事来有以揆之。如此則大臣不敢奏疑事,天下称聖主矣。」二世用其計,乃不坐朝廷見大臣,居禁中。趙高常侍中用事,事皆決於趙高。高聞李斯以為言,乃見丞相曰:「関東羣盗多,今上急益発繇治阿房宮,聚狗馬無用之物。臣欲諫,為位賤。此真君侯之事,君何不諫?」李斯曰:「固也,吾欲言之久矣。今時上不坐朝廷,上居深宮,吾有所言者,不可伝也,欲見無間。」趙高謂曰:「君誠能諫,請為君候上間語君。」於是趙高待二世方燕楽,婦女居前,使人告丞相:「上方間,可奏事。」丞相至宮門上謁,如此者三。二世怒曰:「吾常多間日,丞相不来。吾方燕私,丞相輒来請事。丞相豈少我哉?且固我哉?」趙高因曰:「如此殆矣!夫沙丘之謀,丞相与焉。今陛下已立為帝,而丞相貴不益,此其意亦望裂地而王矣。且陛下不問臣,臣不敢言。
書き下し
初め、趙高郎中令と為り、殺す所及び私怨を報ずる所衆多なり。大臣の入朝して事を奏し之を毀悪せんことを恐れ、乃ち二世に説きて曰く、「天子の貴き所以の者は、但だ声を聞かしむるを以てし、群臣其の面を見るを得る莫し。故に号して『朕』と曰ふ。且つ陛下は春秋に富み、未だ必ずしも尽くは諸事に通ぜず。今朝廷に坐し、譴挙当たらざる者有らば、則ち短を大臣に見す。神明を天下に示す所以に非ざるなり。且つ陛下深く禁中に拱し、臣及び侍中の法に習ふ者と事を待ち、事来たらば以て之を揆る有らん。此の如くんば則ち大臣敢て疑事を奏せず、天下聖主と称せん」と。二世其の計を用ひ、乃ち朝廷に坐して大臣に見えず、禁中に居る。趙高常に侍中して事を用ひ、事皆趙高に決す。高、李斯の以て言を為さんとするを聞き、乃ち丞相に見えて曰く、「関東の群盗多し。今上急に益々繇を発して阿房宮を治め、狗馬無用の物を聚む。臣諫めんと欲するも、位賤しと為す。此れ真に君侯の事なり。君何ぞ諫めざる」と。李斯曰く、「固より也。吾之を言はんと欲すること久し。今時上朝廷に坐せず、上深宮に居る。吾が言はんとする所の者、伝ふべからず。見えんと欲するも間無し」と。趙高謂ひて曰く、「君誠に能く諫めば、請ふ君の為に上の間を候ひて君に語らん」と。是に於て趙高、二世の方に燕楽し、婦女前に居るを待ちて、人をして丞相に告げしむ。「上方に間なり、事を奏すべし」と。丞相宮門に至りて上謁す。此の如き者三たび。二世怒りて曰く、「吾常に間日多きに、丞相来たらず。吾方に燕私するに、丞相輒ち来たりて事を請ふ。丞相豈に我を少しとせんや、且つ我を固とせんや」と。趙高因りて曰く、「此の如くんば殆し。夫れ沙丘の謀、丞相与れり。今陛下已に立ちて帝と為り、而して丞相の貴さ益さず。此れ其の意亦地を裂きて王たらんことを望むなり。且つ陛下臣に問はず、臣敢て言はず。
現代語訳
これより前、趙高は郎中令となってから、多くの人を殺し、私怨を晴らしていた。大臣たちが朝廷に来て政事を奏上する際に自分を悪く言うことを恐れ、二世に説いて言った。「天子が尊いのは、ただ声を聞かせるだけで、群臣がその顔を見ることができないからで、だから『朕(きざし)』と称するのだ。しかも陛下はまだお若く、あらゆる政事に通じておられるとは限らない。いま朝廷に座って、叱責や登用で不適切なことがあれば、大臣に弱みを見せることになり、天下に神のような聡明さを示すことにならない。陛下は宮中の奥深くに手をこまねいておられ、私や法律に通じた侍中たちとともに事を待ち、事が来たらそれで判断すればよい。そうすれば大臣たちは疑わしい事を奏上しなくなり、天下は陛下を聖主と称えるだろう」。二世はその計を用い、朝廷に座って大臣に会うことをやめ、宮中の奥に住むようになった。趙高は常に宮中に仕えて政事を取り仕切り、政事はすべて趙高が決めた。趙高は、李斯が自分のことを言おうとしていると聞き、丞相に会って言った。「関東では群盗が多い。それなのに陛下は今しきりに労役を課して阿房宮を造らせ、犬や馬のような無用のものを集めている。私も諫めたいが、身分が低い。これはまさに丞相であるあなたの仕事だ。なぜ諫めないのか」。李斯は言った。「そのとおりだ。私はずっと前から申し上げたいと思っていた。ところが近ごろ陛下は朝廷に出られず、宮中の奥におられる。申し上げたいことがあっても人づてにはできず、お目にかかりたくても機会がない」。趙高は言った。「あなたが本当に諫めるおつもりなら、私があなたのために陛下のお手すきの時をうかがって、お知らせしよう」。そこで趙高は、二世がちょうど酒宴を楽しみ、女たちをはべらせているときを見はからって、人をやって丞相に「陛下は今お手すきだから、奏上なさるとよい」と告げさせた。丞相が宮門に来て謁見を願い出ることが、三度に及んだ。二世は怒って言った。「私にはいつも暇な日がたくさんあるのに、そのときには丞相は来ない。私が宴を楽しんでくつろいでいると、決まって丞相が来て政事を願い出る。丞相は私を若いと侮っているのか、それとも私を愚か者と見ているのか」。趙高はこれに乗じて言った。「そういうことなら危険だ。沙丘での謀議には、丞相も加わっていた。いま陛下はすでに即位して皇帝となられたのに、丞相の地位は上がっていない。その本心は、領地を分けてもらって王になりたいということだろう。それに陛下がお尋ねにならなかったので、私もあえて申し上げなかったが、
解説
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史記 李斯列伝且つ趙君は人と為り精廉彊力、下は人情を知り、上は能く朕に適す。君其れ疑ふ勿かれ」と。李斯曰く、「然らず。夫れ高は、故の賤人なり。理に識無く、貪欲厭く無く、利を求めて止まず、列勢は主に次ぎ、欲を求めて窮まり無し。臣故に殆しと曰ふ」と。二世已前に趙高を信じ、李斯の之を殺さんことを恐れ、乃ち私かに趙高に告ぐ。高曰く、「丞相の患ふる所の者は独り高のみ。高已に死せば、丞相即ち田常の為す所を為さんと欲せん」と。是に於て二世曰く、「其れ李斯を以て郎中令に属せよ」と。趙高李斯を案治す。李斯拘執束縛せられ、囹圄の中に居り、天を仰ぎて歎じて曰く、「嗟乎、悲しいかな。不道の君、何ぞ為に計るべけんや。昔者桀は関竜逢を殺し、紂は王子比干を殺し、呉王夫差は伍子胥を殺す。此の三臣は、豈に忠ならざらんや。然り而して死を免れず。身死して忠とする所の者非なればなり。今吾が智は三子に及ばず、而して二世の無道は桀・紂・夫差に過ぐ。吾忠を以て死するは、宜なり。且つ二世の治、豈に乱れざらんや。日者其の兄弟を夷して自ら立ち、忠臣を殺して賤人を貴び、阿房の宮を作為し、天下に賦斂す。吾諫めざるに非ざるなり。而して吾に聴かざるなり。凡そ古の聖王は、飲食に節有り、車器に数有り、宮室に度有り。令を出だし事を造るに、費を加へて民の利に益無き者は禁ず。故に能く長久に治安なり。今昆弟に逆を行ひて、其の咎を顧みず。忠臣を侵殺して、其の殃を思はず。大いに宮室を為り、厚く天下に賦し、其の費を愛しまず。三者已に行はれ、天下聴かず。今反く者已に天下の半ばを有つ。而るに心尚ほ未だ寤めず、而して趙高を以て佐と為す。吾必ず寇の咸陽に至り、麋鹿の朝に游ぶを見ん」と。是に於て二世乃ち高をして丞相の獄を案じ、罪を治めしめ、斯と子由との謀反の状を責め、皆宗族賓客を収捕す。
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史記 李斯列伝丞相の長男李由は三川の守為り。楚の盗陳勝等は皆丞相の傍県の子なり。故を以て楚の盗公行し、三川を過ぐるも、城守りて撃つを肯ぜず。高聞く、其の文書相往来すと。未だ其の審らかなるを得ず。故に未だ敢て以て聞せず。且つ丞相は外に居りて、権は陛下より重し」と。二世以て然りと為す。丞相を案ぜんと欲するも、其の審らかならざるを恐れ、乃ち人をして三川の守の盗と通ずる状を案験せしむ。李斯之を聞く。是の時二世甘泉に在り、方に觳抵優俳の観を作す。李斯見ゆるを得ず、因りて書を上りて趙高の短を言ひて曰く、「臣之を聞く、臣其の君を疑へば、国を危ふくせざる無し。妾其の夫を疑へば、家を危ふくせざる無しと。今大臣有りて陛下に於て利を擅にし害を擅にし、陛下と異なる無し。此れ甚だ便ならず。昔者司城子罕宋に相たり、身づから刑罰を行ひ、威を以て之を行ふ。朞年にして遂に其の君を劫かす。田常は簡公の臣と為り、爵列国に敵無く、私家の富は公家と均し。恵を布き徳を施し、下は百姓を得、上は群臣を得、陰かに斉国を取り、宰予を庭に殺し、即ち簡公を朝に弑し、遂に斉国を有つ。此れ天下の明らかに知る所なり。今高は邪佚の志、危反の行ひ有ること、子罕の宋に相たるが如きなり。私家の富は、田氏の斉に於けるが若きなり。田常・子罕の逆道を兼ね行ひて陛下の威信を劫かす。其の志は韓玘の韓安の相と為るが若きなり。陛下図らずんば、臣其の変を為さんことを恐る」と。二世曰く、「何ぞや。夫れ高は、故の宦人なり。然れども安きを為して志を肆にせず、危ふきを以て心を易へず、行ひを潔くし善を修め、自ら此に至らしむ。忠を以て進むを得、信を以て位を守る。朕実に之を賢とす。而るに君之を疑ふは、何ぞや。且つ朕少くして先人を失ひ、識知する所無く、民を治むるに習はず。而して君又老い、恐らくは天下と絶えん。朕趙君に属せずんば、当に誰にか任ずべき。
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史記 李斯列伝蒙恬死するを肯ぜず。使者即ち以て吏に属し、陽周に系ぐ。使者還りて報ず。胡亥・斯・高大いに喜ぶ。咸陽に至りて喪を発し、太子立ちて二世皇帝と為る。趙高を以て郎中令と為し、常に侍中して事を用ふ。二世燕居し、乃ち高を召して与に事を謀り、謂ひて曰く、「夫れ人生の世間に居るや、譬へば猶ほ六驥を騁せて決隙を過ぐるがごときなり。吾既已に天下に臨めり。耳目の好む所を悉くし、心志の楽しむ所を窮めて、以て宗廟を安んじて万姓を楽しましめ、長く天下を有ちて、吾が年寿を終へんと欲す。其の道可ならんか」と。高曰く、「此れ賢主の能く行ふ所にして、昏乱の主の禁ずる所なり。臣請ふ之を言はん。敢て斧鉞の誅を避けず。願はくは陛下少しく意を留めよ。夫れ沙丘の謀、諸公子及び大臣皆疑ふ。而して諸公子は尽く帝の兄、大臣は又先帝の置く所なり。今陛下初めて立ち、此れ其の属意怏怏として皆服せず。恐らくは変を為さん。且つ蒙恬已に死すと雖も、蒙毅は兵を将ゐて外に居る。臣戦戦栗栗として、唯だ終へざらんことを恐る。且つ陛下安くんぞ此の楽しみを為すを得んや」と。二世曰く、「之を為すこと奈何」と。趙高曰く、「法を厳にして刑を刻にし、有罪者をして相坐して誅せしめ、収族に至らしめ、大臣を滅ぼして骨肉を遠ざけ、貧者は之を富まし、賤者は之を貴くし、尽く先帝の故臣を除き去りて、更めて陛下の親信する所の者を置きて之を近づけよ。此れ則ち陰徳陛下に帰し、害除かれて姦謀塞がり、群臣潤沢を被り厚徳を蒙らざる莫く、陛下則ち枕を高くし志を肆にして寵楽せん。計此より出づるは莫し」と。二世高の言を然りとし、乃ち更めて法律を為る。是に於て群臣諸公子罪有れば、輒ち高に下し、之を鞫治せしむ。大臣蒙毅等を殺し、公子十二人咸陽の市に僇死し、十公主杜に矺死し、財物は県官に入れ、相連坐する者は勝げて数ふべからず。
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史記 秦始皇本紀襄公より已下は軼毀す。置く所凡そ七廟。群臣礼を以て進祠し、以て始皇の廟を尊びて帝者の祖廟と為す。皇帝復た自ら『朕』と称せん」と。二世趙高と謀りて曰く、「朕年少く、初めて位に即き、黔首未だ集附せず。先帝郡県を巡行して、以て彊きを示し、海内を威服す。今晏然として巡行せずんば、即ち弱きを見はし、以て天下を臣畜する毋からん」と。春、二世東のかた郡県を行り、李斯従ふ。碣石に到り、海に并ひ、南して会稽に至り、而して尽く始皇の立つる所の刻石に刻し、石の旁らに大臣の従者の名を著し、以て先帝の成功盛徳を章らかにす。皇帝曰く、「金石の刻は尽く始皇帝の為す所なり。今号を襲ひて金石の刻辞に始皇帝と称せずんば、其の久遠に於けるや後嗣の之を為す者の如く、成功盛徳を称せず」と。丞相臣斯・臣去疾・御史大夫臣徳昧死して言ふ、「臣請ふ具に詔書を刻石に刻し、因りて明白ならしめん。臣昧死して請ふ」と。制して曰く、「可なり」と。遂に遼東に至りて還る。是に於て二世乃ち趙高を遵用し、法令を申ぬ。乃ち陰かに趙高と謀りて曰く、「大臣服せず、官吏尚ほ彊く、及び諸公子必ず我と争はん。之を為すこと柰何」と。高曰く、「臣固より言はんと願ひて未だ敢へてせざりしなり。先帝の大臣は、皆天下累世の名貴の人なり。功労を積みて世以て相伝ふること久し。今高は素より小賤なり。陛下幸ひに称挙し、上位に在りて、中事を管せしむ。大臣鞅鞅として、特だ貌を以て臣に従ふも、其の心実は服せず。今上出づるに、此の時に因りて郡県の守尉の罪有る者を案じて之を誅せずんば、上は以て威を天下に振るひ、下は以て上の生平の可とせざる所の者を除去せん。今時は文を師とせずして武力に決す。願はくは陛下遂に時に従ひて疑ふ毋かれ、即ち群臣謀るに及ばざらん。明主は余民を収挙し、賤しき者は之を貴くし、貧しき者は之を富まし、遠き者は之を近づくれば、則ち上下集まりて国安からん」と。二世曰く、「善し」と。
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