史記 / 李斯列伝
蒙恬不肯死,使者即以屬吏,系於陽周。使者還報,胡亥、斯、高大喜。至咸陽,發喪,太子立為二世皇帝。以趙高為郎中令,常侍中用事。二世燕居,乃召高與謀事,謂曰:「夫人生居世間也,譬猶騁六驥過決隙也。吾既已臨天下矣,欲悉耳目之所好,窮心志之所樂,以安宗廟而樂萬姓,長有天下,終吾年壽,其道可乎?」高曰:「此賢主之所能行也,而昏亂主之所禁也。臣請言之,不敢避斧鉞之誅,願陛下少留意焉。夫沙丘之謀,諸公子及大臣皆疑焉,而諸公子盡帝兄,大臣又先帝之所置也。今陛下初立,此其屬意怏怏皆不服,恐為變。且蒙恬已死,蒙毅將兵居外,臣戰戰栗栗,唯恐不終。且陛下安得為此樂乎?」二世曰:「為之奈何?」趙高曰:「嚴法而刻刑,令有罪者相坐誅,至收族,滅大臣而遠骨肉;貧者富之,賤者貴之。盡除去先帝之故臣,更置陛下之所親信者近之。此則陰德歸陛下,害除而姦謀塞,羣臣莫不被潤澤,蒙厚德,陛下則高枕肆志寵樂矣。計莫出於此。」二世然高之言,乃更為法律。於是群臣諸公子有罪,輒下高,令鞠治之。殺大臣蒙毅等,公子十二人僇死咸陽市,十公主矺死於杜,財物入於縣官,相連坐者不可勝數。
新字:蒙恬不肯死,使者即以属吏,系於陽周。使者還報,胡亥、斯、高大喜。至咸陽,発喪,太子立為二世皇帝。以趙高為郎中令,常侍中用事。二世燕居,乃召高与謀事,謂曰:「夫人生居世間也,譬猶騁六驥過決隙也。吾既已臨天下矣,欲悉耳目之所好,窮心志之所楽,以安宗廟而楽万姓,長有天下,終吾年寿,其道可乎?」高曰:「此賢主之所能行也,而昏乱主之所禁也。臣請言之,不敢避斧鉞之誅,願陛下少留意焉。夫沙丘之謀,諸公子及大臣皆疑焉,而諸公子尽帝兄,大臣又先帝之所置也。今陛下初立,此其属意怏怏皆不服,恐為変。且蒙恬已死,蒙毅将兵居外,臣戦戦栗栗,唯恐不終。且陛下安得為此楽乎?」二世曰:「為之奈何?」趙高曰:「厳法而刻刑,令有罪者相坐誅,至収族,滅大臣而遠骨肉;貧者富之,賤者貴之。尽除去先帝之故臣,更置陛下之所親信者近之。此則陰徳帰陛下,害除而姦謀塞,羣臣莫不被潤沢,蒙厚徳,陛下則高枕肆志寵楽矣。計莫出於此。」二世然高之言,乃更為法律。於是群臣諸公子有罪,輒下高,令鞠治之。殺大臣蒙毅等,公子十二人僇死咸陽市,十公主矺死於杜,財物入於県官,相連坐者不可勝数。
書き下し
蒙恬死するを肯ぜず。使者即ち以て吏に属し、陽周に系ぐ。使者還りて報ず。胡亥・斯・高大いに喜ぶ。咸陽に至りて喪を発し、太子立ちて二世皇帝と為る。趙高を以て郎中令と為し、常に侍中して事を用ふ。二世燕居し、乃ち高を召して与に事を謀り、謂ひて曰く、「夫れ人生の世間に居るや、譬へば猶ほ六驥を騁せて決隙を過ぐるがごときなり。吾既已に天下に臨めり。耳目の好む所を悉くし、心志の楽しむ所を窮めて、以て宗廟を安んじて万姓を楽しましめ、長く天下を有ちて、吾が年寿を終へんと欲す。其の道可ならんか」と。高曰く、「此れ賢主の能く行ふ所にして、昏乱の主の禁ずる所なり。臣請ふ之を言はん。敢て斧鉞の誅を避けず。願はくは陛下少しく意を留めよ。夫れ沙丘の謀、諸公子及び大臣皆疑ふ。而して諸公子は尽く帝の兄、大臣は又先帝の置く所なり。今陛下初めて立ち、此れ其の属意怏怏として皆服せず。恐らくは変を為さん。且つ蒙恬已に死すと雖も、蒙毅は兵を将ゐて外に居る。臣戦戦栗栗として、唯だ終へざらんことを恐る。且つ陛下安くんぞ此の楽しみを為すを得んや」と。二世曰く、「之を為すこと奈何」と。趙高曰く、「法を厳にして刑を刻にし、有罪者をして相坐して誅せしめ、収族に至らしめ、大臣を滅ぼして骨肉を遠ざけ、貧者は之を富まし、賤者は之を貴くし、尽く先帝の故臣を除き去りて、更めて陛下の親信する所の者を置きて之を近づけよ。此れ則ち陰徳陛下に帰し、害除かれて姦謀塞がり、群臣潤沢を被り厚徳を蒙らざる莫く、陛下則ち枕を高くし志を肆にして寵楽せん。計此より出づるは莫し」と。二世高の言を然りとし、乃ち更めて法律を為る。是に於て群臣諸公子罪有れば、輒ち高に下し、之を鞫治せしむ。大臣蒙毅等を殺し、公子十二人咸陽の市に僇死し、十公主杜に矺死し、財物は県官に入れ、相連坐する者は勝げて数ふべからず。
現代語訳
蒙恬は死ぬことを承知しなかった。使者はそこで蒙恬を役人に引き渡し、陽周の獄につないだ。使者が帰って報告すると、胡亥・李斯・趙高は大いに喜んだ。咸陽に着いてから喪を発表し、太子の胡亥が即位して二世皇帝となった。趙高を郎中令とし、常に宮中に仕えさせて政事を任せた。二世はくつろいでいるとき、趙高を呼んで相談し、こう言った。「人がこの世に生きるのは、六頭立ての駿馬を走らせて壁の隙間の前を通り過ぎるようなもので、あっという間だ。私はもう天下に君臨している。耳目の好むものをすべて味わい、心の楽しむことを極め尽くしながら、宗廟を安泰にし、民を楽しませ、いつまでも天下を保って天寿を全うしたい。そういうやり方はできるだろうか」。趙高は言った。「それは賢君ならできることで、愚かで乱れた君主には許されないことだ。どうか申し上げさせていただきたい。斧や鉞で誅されることも恐れずに申し上げるので、陛下には少しお心にとめていただきたい。そもそも沙丘での謀議については、公子たちも大臣たちもみな疑っている。しかも公子たちはみな陛下の兄であり、大臣たちは先帝が任じた者ばかりだ。いま陛下は即位されたばかりで、彼らは内心不満を抱いてみな服従しておらず、反乱を起こすおそれがある。そのうえ蒙恬はもう死んだとはいえ、蒙毅が兵を率いて外にいる。私は震えおののき、ただ無事に終わらないのではと恐れている。そんな状況で、陛下がどうしてそのような楽しみにふけることができようか」。二世は「では、どうすればよいのか」と言った。趙高は言った。「法を厳しくし、刑罰を苛酷にして、罪ある者は連座させて誅殺し、一族まで捕らえるようにし、大臣を滅ぼし、肉親を遠ざけるのだ。貧しい者を富ませ、卑しい者を貴くし、先帝以来の旧臣をことごとく除き去って、陛下が親しみ信頼する者を新たに任じてそば近くに置く。そうすれば人知れぬ恩徳は陛下のものとなり、害は除かれ、悪だくみの道はふさがり、群臣はみな恩恵を受けて厚い徳をこうむり、陛下は枕を高くして思うままに楽しむことができる。これにまさる計はない」。二世は趙高の言葉をもっともだと思い、法律を改めた。そして群臣や公子たちに罪があれば、すぐに趙高に引き渡して取り調べさせた。大臣の蒙毅らを殺し、公子十二人は咸陽の市場で処刑され、十人の公主(皇女)は杜で車裂きにされ、財物は官に没収され、連座した者は数えきれなかった。
解説
関連する章句
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史記 蒙恬列伝趙高は、諸趙の疏遠の属なり。趙高の昆弟数人、皆隠宮に生まれ、其の母刑僇せられ、世世卑賤なり。秦王、高の彊力にして獄法に通ずるを聞き、挙げて以て中車府令と為す。高既に私かに公子胡亥に事へ、之に決獄を喩す。高大罪有り。秦王蒙毅をして法もて之を治めしむ。毅敢て法を阿らず、高の罪死に当つとし、其の宦籍を除く。帝、高の事に敦きを以て、之を赦し、其の官爵を復す。始皇天下に游ばんと欲し、九原に道して、直ちに甘泉に抵らんとし、乃ち蒙恬をして道を通ぜしむ。九原より甘泉に抵るまで、山を塹り谷を堙むること、千八百里。道未だ就らず。始皇の三十七年冬、行きて出でて会稽に游び、海上に并ひて、北のかた瑯邪に走る。道にて病み、蒙毅をして還りて山川に禱らしむ。未だ反らず。始皇沙丘に至りて崩ず。之を秘し、群臣知る莫し。是の時丞相李斯・公子胡亥・中車府令趙高常に従ふ。高雅より胡亥に幸せられ、之を立てんと欲す。又蒙毅の法もて之を治めて己の為にせざるを怨む。因りて賊心有り、乃ち丞相李斯・公子胡亥と陰謀し、胡亥を立てて太子と為す。太子已に立ち、使者を遣はして罪を以て公子扶蘇・蒙恬に死を賜ふ。扶蘇已に死す。蒙恬疑ひて復た之を請ふ。使者蒙恬を以て吏に属し、更めて置く。胡亥、李斯の舎人を以て護軍と為す。使者還りて報ず。胡亥已に扶蘇の死を聞き、即ち蒙恬を釈さんと欲す。趙高、蒙氏の復た貴くして事を用ひんことを恐れ、之を怨む。毅還りて至る。趙高因りて胡亥の為に忠計すると為し、以て蒙氏を滅ぼさんと欲し、乃ち言ひて曰く、「臣聞く、先帝賢を挙げて太子を立てんと欲すること久し。而るに毅諫めて曰く『不可なり』と。若し賢を知りて俞ほ立てずんば、則ち是れ不忠にして主を惑はすなり。臣の愚意を以てすれば、之を誅するに若かず」と。胡亥聴きて蒙毅を代に系ぐ。前に已に蒙恬を陽周に囚ふ。喪咸陽に至り、已に葬り、太子立ちて二世皇帝と為る。而して趙高親近し、日夜蒙氏を毀悪し、其の罪過を求め、之を挙劾す。
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史記 蒙恬列伝而して御史曲宮を遣はし伝に乗りて代に之かしめ、蒙毅に令して曰く、「先主太子を立てんと欲して卿之を難ず。今丞相卿を以て不忠と為し、罪其の宗に及ぶ。朕忍びず、乃ち卿に死を賜ふ。亦甚だ幸ひなり。卿其れ之を図れ」と。毅対へて曰く、「臣を以て先主の意を得る能はずと為さば、則ち臣は少くして宦し、順ひ幸せられて世を没へたり。意を知ると謂ふべし。臣を以て太子の能を知らずと為さば、則ち太子独り従ひ、天下を周旋し、諸公子を去ること絶だ遠し。臣疑ふ所無し。夫れ先主の太子を挙用するは、数年の積なり。臣乃ち何の言か之れ敢て諫め、何の慮りか之れ敢て謀らん。敢て辞を飾りて以て死を避くるに非ざるなり。先主の名を羞累せんが為なり。願はくは大夫為に慮り、臣をして情実に死するを得しめよ。且つ夫れ順成全なる者は、道の貴ぶ所なり。刑殺なる者は、道の卒ふる所なり。昔者秦の穆公は三良を殺して死し、百里奚を罪するも其の罪に非ず。故に号を立てて『繆』と曰ふ。昭襄王は武安君白起を殺す。楚の平王は伍奢を殺す。呉王夫差は伍子胥を殺す。此の四君は、皆大いに失ふと為して、天下之を非とし、其の君を以て明ならずと為し、是を以て諸侯に籍せらる。故に曰く『道を用ひて治むる者は無罪を殺さず、而して罰は無辜に加へず』と。唯だ大夫心を留めよ」と。使者、胡亥の意を知り、蒙毅の言を聴かず、遂に之を殺す。二世又使者を遣はして陽周に之かしめ、
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史記 秦始皇本紀高乃ち公子胡亥・丞相斯と陰かに謀り、始皇の封ずる所の書の公子扶蘇に賜ふ者を破去し、而して更に詐りて丞相斯始皇の遺詔を沙丘に受けたりと為し、子胡亥を立てて太子と為す。更に書を為りて公子扶蘇・蒙恬に賜ひ、数ふるに罪を以てし、死を賜ふ。語は具に李斯伝の中に在り。行きて、遂に井陘より九原に抵る。会暑く、上の轀車臭し。乃ち従官に詔して車をして一石の鮑魚を載せしめ、以て其の臭ひを乱す。行きて直道より咸陽に至り、喪を発す。太子胡亥位を襲ひ、二世皇帝と為る。九月、始皇を酈山に葬る。始皇初めて位に即くや、酈山を穿治し、天下を并するに及び、天下の徒送り詣る者七十余万人、三泉を穿ち、銅を下して槨を致し、宮観・百官・奇器・珍怪を徙し臧して之を満たす。匠をして機弩矢を作らしめ、穿ちて近づく所有る者は輒ち之を射しむ。水銀を以て百川江河大海と為し、機もて相灌輸し、上は天文を具へ、下は地理を具ふ。人魚の膏を以て燭と為し、滅えざるを度ること之を久しくす。二世曰く、「先帝の後宮の子有るに非ざる者は、出だすは宜しからず」と。皆死に従はしむ、死する者甚だ衆し。葬既に已に下り、或いは言ふ、工匠機を為り、臧は皆之を知る、臧重ければ即ち泄れんと。大事畢はり、已に臧し、中羨を閉ぢ、外羨門を下し、尽く工匠の臧する者を閉ぢ、復た出づる者無し。草木を樹ゑて以て山に象る。年二十一。趙高郎中令と為り、任じて事を用ゐる。二世詔を下し、始皇の寝廟の犠牲及び山川百祀の礼を増す。群臣に令して始皇の廟を尊ぶことを議せしむ。群臣皆頓首して言ひて曰く、「古は天子七廟、諸侯五、大夫三、万世と雖も世軼毀せず。今始皇を極廟と為し、四海の内皆貢職を献じ、犠牲を増し、礼咸備はり、以て加ふる毋し。先王の廟或いは西雍に在り、或いは咸陽に在り。天子の儀は当に独り酌を奉じて始皇の廟を祠るべし。
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史記 李斯列伝初め、趙高郎中令と為り、殺す所及び私怨を報ずる所衆多なり。大臣の入朝して事を奏し之を毀悪せんことを恐れ、乃ち二世に説きて曰く、「天子の貴き所以の者は、但だ声を聞かしむるを以てし、群臣其の面を見るを得る莫し。故に号して『朕』と曰ふ。且つ陛下は春秋に富み、未だ必ずしも尽くは諸事に通ぜず。今朝廷に坐し、譴挙当たらざる者有らば、則ち短を大臣に見す。神明を天下に示す所以に非ざるなり。且つ陛下深く禁中に拱し、臣及び侍中の法に習ふ者と事を待ち、事来たらば以て之を揆る有らん。此の如くんば則ち大臣敢て疑事を奏せず、天下聖主と称せん」と。二世其の計を用ひ、乃ち朝廷に坐して大臣に見えず、禁中に居る。趙高常に侍中して事を用ひ、事皆趙高に決す。高、李斯の以て言を為さんとするを聞き、乃ち丞相に見えて曰く、「関東の群盗多し。今上急に益々繇を発して阿房宮を治め、狗馬無用の物を聚む。臣諫めんと欲するも、位賤しと為す。此れ真に君侯の事なり。君何ぞ諫めざる」と。李斯曰く、「固より也。吾之を言はんと欲すること久し。今時上朝廷に坐せず、上深宮に居る。吾が言はんとする所の者、伝ふべからず。見えんと欲するも間無し」と。趙高謂ひて曰く、「君誠に能く諫めば、請ふ君の為に上の間を候ひて君に語らん」と。是に於て趙高、二世の方に燕楽し、婦女前に居るを待ちて、人をして丞相に告げしむ。「上方に間なり、事を奏すべし」と。丞相宮門に至りて上謁す。此の如き者三たび。二世怒りて曰く、「吾常に間日多きに、丞相来たらず。吾方に燕私するに、丞相輒ち来たりて事を請ふ。丞相豈に我を少しとせんや、且つ我を固とせんや」と。趙高因りて曰く、「此の如くんば殆し。夫れ沙丘の謀、丞相与れり。今陛下已に立ちて帝と為り、而して丞相の貴さ益さず。此れ其の意亦地を裂きて王たらんことを望むなり。且つ陛下臣に問はず、臣敢て言はず。
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史記 秦始皇本紀襄公より已下は軼毀す。置く所凡そ七廟。群臣礼を以て進祠し、以て始皇の廟を尊びて帝者の祖廟と為す。皇帝復た自ら『朕』と称せん」と。二世趙高と謀りて曰く、「朕年少く、初めて位に即き、黔首未だ集附せず。先帝郡県を巡行して、以て彊きを示し、海内を威服す。今晏然として巡行せずんば、即ち弱きを見はし、以て天下を臣畜する毋からん」と。春、二世東のかた郡県を行り、李斯従ふ。碣石に到り、海に并ひ、南して会稽に至り、而して尽く始皇の立つる所の刻石に刻し、石の旁らに大臣の従者の名を著し、以て先帝の成功盛徳を章らかにす。皇帝曰く、「金石の刻は尽く始皇帝の為す所なり。今号を襲ひて金石の刻辞に始皇帝と称せずんば、其の久遠に於けるや後嗣の之を為す者の如く、成功盛徳を称せず」と。丞相臣斯・臣去疾・御史大夫臣徳昧死して言ふ、「臣請ふ具に詔書を刻石に刻し、因りて明白ならしめん。臣昧死して請ふ」と。制して曰く、「可なり」と。遂に遼東に至りて還る。是に於て二世乃ち趙高を遵用し、法令を申ぬ。乃ち陰かに趙高と謀りて曰く、「大臣服せず、官吏尚ほ彊く、及び諸公子必ず我と争はん。之を為すこと柰何」と。高曰く、「臣固より言はんと願ひて未だ敢へてせざりしなり。先帝の大臣は、皆天下累世の名貴の人なり。功労を積みて世以て相伝ふること久し。今高は素より小賤なり。陛下幸ひに称挙し、上位に在りて、中事を管せしむ。大臣鞅鞅として、特だ貌を以て臣に従ふも、其の心実は服せず。今上出づるに、此の時に因りて郡県の守尉の罪有る者を案じて之を誅せずんば、上は以て威を天下に振るひ、下は以て上の生平の可とせざる所の者を除去せん。今時は文を師とせずして武力に決す。願はくは陛下遂に時に従ひて疑ふ毋かれ、即ち群臣謀るに及ばざらん。明主は余民を収挙し、賤しき者は之を貴くし、貧しき者は之を富まし、遠き者は之を近づくれば、則ち上下集まりて国安からん」と。二世曰く、「善し」と。
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『長短経』懼戒胡亥既に高の言を然りとし、乃ち丞相斯に謂いて曰く「上崩じ、長子に書を賜い、喪と俱に咸陽に会して、立てて嗣と為さしむ。書未だ行かざるに、今上崩じ、未だ知る者有らず。事将に何如せん」と。斯曰く「安んぞ亡国の言を得んや」と。高曰く「君、自ら料るに、才能は蒙恬に孰与れぞ。功の高きこと蒙恬に孰与れぞ。謀の遠くして失わざること蒙恬に孰与れぞ。天下に怨み無きこと蒙恬に孰与れぞ。長子の旧くして之を信ずること蒙恬に孰与れぞ」と。斯曰く「此の五者は皆蒙恬に及ばず。而るに君の之を責むること何ぞ深きや」と。高曰く「高は故の内官の廝役なり。幸いに刀筆の吏を以て秦宮に進入することを得、事を管すること二十余年、未だ嘗て秦の免罷せし丞相・功臣の封有りて二世に及ぶ者を見ず。卒に皆以て誅亡す。皇帝の二十余子は、皆君の知る所なり。長子は剛毅にして武勇、人を信じて事に奮う。位に即かば必ず蒙恬を用いて丞相と為さん。君侯の終に通侯の印を懐きて郷里に帰らざること、明らかなり。高、詔を受けて胡亥に教習して法を学ばしむ。仁慈篤厚にして、財を軽んじ士を重んず。秦の諸子皆及ぶ莫し。以て嗣と為すべし。君、計りて之を定めよ」と。
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