史記 / 秦始皇本紀
高乃與公子胡亥、丞相斯陰謀破去始皇所封書賜公子扶蘇者,而更詐為丞相斯受始皇遺詔沙丘,立子胡亥為太子。更為書賜公子扶蘇、蒙恬,數以罪,賜死。語具在李斯傳中。行,遂從井陘抵九原。會暑,上轀車臭,乃詔從官令車載一石鮑魚,以亂其臭。行從直道至咸陽,發喪。太子胡亥襲位,為二世皇帝。九月,葬始皇酈山。始皇初即位,穿治酈山,及并天下,天下徒送詣七十餘萬人,穿三泉,下銅而致槨,宮觀百官奇器珍怪徙臧滿之。令匠作機弩矢,有所穿近者輒射之。以水銀為百川江河大海,機相灌輸,上具天文,下具地理。以人魚膏為燭,度不滅者久之。二世曰:「先帝後宮非有子者,出焉不宜。」皆令從死,死者甚眾。葬既已下,或言工匠為機,臧皆知之,臧重即泄。大事畢,已臧,閉中羨,下外羨門,盡閉工匠臧者,無復出者。樹草木以象山。年二十一。趙高為郎中令,任用事。二世下詔,增始皇寢廟犧牲及山川百祀之禮。令群臣議尊始皇廟。群臣皆頓首言曰:「古者天子七廟,諸侯五,大夫三,雖萬世世不軼毀。今始皇為極廟,四海之內皆獻貢職,增犧牲,禮咸備,毋以加。先王廟或在西雍,或在咸陽。天子儀當獨奉酌祠始皇廟。
新字:高乃与公子胡亥、丞相斯陰謀破去始皇所封書賜公子扶蘇者,而更詐為丞相斯受始皇遺詔沙丘,立子胡亥為太子。更為書賜公子扶蘇、蒙恬,数以罪,賜死。語具在李斯伝中。行,遂従井陘抵九原。会暑,上轀車臭,乃詔従官令車載一石鮑魚,以乱其臭。行従直道至咸陽,発喪。太子胡亥襲位,為二世皇帝。九月,葬始皇酈山。始皇初即位,穿治酈山,及并天下,天下徒送詣七十余万人,穿三泉,下銅而致槨,宮観百官奇器珍怪徙臧満之。令匠作機弩矢,有所穿近者輒射之。以水銀為百川江河大海,機相灌輸,上具天文,下具地理。以人魚膏為燭,度不滅者久之。二世曰:「先帝後宮非有子者,出焉不宜。」皆令従死,死者甚衆。葬既已下,或言工匠為機,臧皆知之,臧重即泄。大事畢,已臧,閉中羨,下外羨門,尽閉工匠臧者,無復出者。樹草木以象山。年二十一。趙高為郎中令,任用事。二世下詔,增始皇寝廟犠牲及山川百祀之礼。令群臣議尊始皇廟。群臣皆頓首言曰:「古者天子七廟,諸侯五,大夫三,雖万世世不軼毀。今始皇為極廟,四海之内皆献貢職,增犠牲,礼咸備,毋以加。先王廟或在西雍,或在咸陽。天子儀当独奉酌祠始皇廟。
書き下し
高乃ち公子胡亥・丞相斯と陰かに謀り、始皇の封ずる所の書の公子扶蘇に賜ふ者を破去し、而して更に詐りて丞相斯始皇の遺詔を沙丘に受けたりと為し、子胡亥を立てて太子と為す。更に書を為りて公子扶蘇・蒙恬に賜ひ、数ふるに罪を以てし、死を賜ふ。語は具に李斯伝の中に在り。行きて、遂に井陘より九原に抵る。会暑く、上の轀車臭し。乃ち従官に詔して車をして一石の鮑魚を載せしめ、以て其の臭ひを乱す。行きて直道より咸陽に至り、喪を発す。太子胡亥位を襲ひ、二世皇帝と為る。九月、始皇を酈山に葬る。始皇初めて位に即くや、酈山を穿治し、天下を并するに及び、天下の徒送り詣る者七十余万人、三泉を穿ち、銅を下して槨を致し、宮観・百官・奇器・珍怪を徙し臧して之を満たす。匠をして機弩矢を作らしめ、穿ちて近づく所有る者は輒ち之を射しむ。水銀を以て百川江河大海と為し、機もて相灌輸し、上は天文を具へ、下は地理を具ふ。人魚の膏を以て燭と為し、滅えざるを度ること之を久しくす。二世曰く、「先帝の後宮の子有るに非ざる者は、出だすは宜しからず」と。皆死に従はしむ、死する者甚だ衆し。葬既に已に下り、或いは言ふ、工匠機を為り、臧は皆之を知る、臧重ければ即ち泄れんと。大事畢はり、已に臧し、中羨を閉ぢ、外羨門を下し、尽く工匠の臧する者を閉ぢ、復た出づる者無し。草木を樹ゑて以て山に象る。年二十一。趙高郎中令と為り、任じて事を用ゐる。二世詔を下し、始皇の寝廟の犠牲及び山川百祀の礼を増す。群臣に令して始皇の廟を尊ぶことを議せしむ。群臣皆頓首して言ひて曰く、「古は天子七廟、諸侯五、大夫三、万世と雖も世軼毀せず。今始皇を極廟と為し、四海の内皆貢職を献じ、犠牲を増し、礼咸備はり、以て加ふる毋し。先王の廟或いは西雍に在り、或いは咸陽に在り。天子の儀は当に独り酌を奉じて始皇の廟を祠るべし。
現代語訳
趙高はそこで公子胡亥・丞相李斯とひそかに謀り、始皇帝が封をして公子扶蘇に与えることにしていた詔書を破り捨て、代わりに丞相李斯が沙丘で始皇帝の遺詔を受けたと偽って、子の胡亥を立てて太子とした。さらに偽の詔書を作って公子扶蘇と蒙恬に与え、罪を数え上げて死を命じた。その詳しいことは李斯列伝の中にある。一行は進んで、ついに井陘から九原に至った。ちょうど暑い時期で、皇帝の遺体を載せた車から臭いがしてきた。そこで随行の役人に命じて、車ごとに一石の塩漬けの魚を載せさせ、その臭いをごまかした。一行は直道を通って咸陽に着き、そこで喪を発表した。太子の胡亥が位を継ぎ、二世皇帝となった。九月、始皇帝を驪山に葬った。始皇帝は即位したばかりのころから驪山の陵墓の工事を始め、天下を統一してからは、天下から送り込まれた労役の者が七十万人余りに及んだ。地下水脈を三重に掘り抜き、銅を流し込んで棺の外箱を据え、宮殿や楼観、百官の像、珍しい器物や宝物を運び込んで墓の中を満たした。職人に仕掛け弓を作らせ、墓を掘って近づく者があれば自動的に射るようにした。水銀で多くの川や長江・黄河・大海をかたどり、仕掛けで水銀を循環させ、天井には天文を、床には地理をかたどった。人魚の脂でろうそくを作り、長く消えないように計った。二世皇帝は言った。「先帝の後宮の女性で子のない者を、外に出すのはよくない。」そして全員を殉死させたので、死者は非常に多かった。埋葬が終わると、ある者が言った。「職人たちが仕掛けを作ったので、埋めた宝物のことをみな知っている。宝物は貴重なので、すぐに外に漏れるであろう。」そこで大事が終わり、宝物を埋め終えると、墓道の中間の扉を閉じ、外側の門を下ろして、宝物を埋めた職人たちをすべて中に閉じ込め、一人も出てこられなかった。墓の上には草木を植えて山のように見せた。二世皇帝はこのとき二十一歳であった。趙高は郎中令となり、政務を任されて権力を振るった。二世皇帝は詔を下し、始皇帝の廟に供える犠牲や山川の多くの神々を祭る礼を増やした。群臣に命じて始皇帝の廟を尊ぶ方法を議論させた。群臣はみな頭を地につけて言った。「古には天子は七つの廟、諸侯は五つ、大夫は三つを祭り、万世を経ても取り壊すことはなかった。今、始皇帝の廟を極廟とし、天下の者がみな貢ぎ物を献じ、犠牲を増やし、礼はすべて備わって、これ以上加えるものはない。先王の廟は西の雍にあるものも、咸陽にあるものもある。天子の儀礼としては、ただ始皇帝の廟にのみ自ら酒を捧げて祭るべきである。
解説
関連する章句
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史記 蒙恬列伝趙高は、諸趙の疏遠の属なり。趙高の昆弟数人、皆隠宮に生まれ、其の母刑僇せられ、世世卑賤なり。秦王、高の彊力にして獄法に通ずるを聞き、挙げて以て中車府令と為す。高既に私かに公子胡亥に事へ、之に決獄を喩す。高大罪有り。秦王蒙毅をして法もて之を治めしむ。毅敢て法を阿らず、高の罪死に当つとし、其の宦籍を除く。帝、高の事に敦きを以て、之を赦し、其の官爵を復す。始皇天下に游ばんと欲し、九原に道して、直ちに甘泉に抵らんとし、乃ち蒙恬をして道を通ぜしむ。九原より甘泉に抵るまで、山を塹り谷を堙むること、千八百里。道未だ就らず。始皇の三十七年冬、行きて出でて会稽に游び、海上に并ひて、北のかた瑯邪に走る。道にて病み、蒙毅をして還りて山川に禱らしむ。未だ反らず。始皇沙丘に至りて崩ず。之を秘し、群臣知る莫し。是の時丞相李斯・公子胡亥・中車府令趙高常に従ふ。高雅より胡亥に幸せられ、之を立てんと欲す。又蒙毅の法もて之を治めて己の為にせざるを怨む。因りて賊心有り、乃ち丞相李斯・公子胡亥と陰謀し、胡亥を立てて太子と為す。太子已に立ち、使者を遣はして罪を以て公子扶蘇・蒙恬に死を賜ふ。扶蘇已に死す。蒙恬疑ひて復た之を請ふ。使者蒙恬を以て吏に属し、更めて置く。胡亥、李斯の舎人を以て護軍と為す。使者還りて報ず。胡亥已に扶蘇の死を聞き、即ち蒙恬を釈さんと欲す。趙高、蒙氏の復た貴くして事を用ひんことを恐れ、之を怨む。毅還りて至る。趙高因りて胡亥の為に忠計すると為し、以て蒙氏を滅ぼさんと欲し、乃ち言ひて曰く、「臣聞く、先帝賢を挙げて太子を立てんと欲すること久し。而るに毅諫めて曰く『不可なり』と。若し賢を知りて俞ほ立てずんば、則ち是れ不忠にして主を惑はすなり。臣の愚意を以てすれば、之を誅するに若かず」と。胡亥聴きて蒙毅を代に系ぐ。前に已に蒙恬を陽周に囚ふ。喪咸陽に至り、已に葬り、太子立ちて二世皇帝と為る。而して趙高親近し、日夜蒙氏を毀悪し、其の罪過を求め、之を挙劾す。
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史記 李斯列伝離宮別館を治め、天下に周遍す。明年、又巡狩し、外は四夷を攘ふ。斯皆力有り。斯の長男由は三川の守と為り、諸男は皆秦の公主を尚り、女は悉く秦の諸公子に嫁ぐ。三川の守李由告帰して咸陽に至る。李斯家に置酒す。百官の長皆前みて寿を為し、門廷の車騎千を以て数ふ。李斯喟然として歎じて曰く、「嗟乎、吾之を荀卿に聞く、曰く『物は大いに盛んなるを禁ず』と。夫れ斯は乃ち上蔡の布衣、閭巷の黔首なり。上其の駑下を知らず、遂に擢きて此に至る。当今人臣の位に臣の上に居る者無し。富貴極まれりと謂ふべし。物極まれば則ち衰ふ。吾未だ税駕する所を知らざるなり」と。始皇の三十七年十月、行きて出でて会稽に游び、海上に並ひて、北のかた琅邪に抵る。丞相斯・中車府令趙高の符璽令の事を兼ね行ふもの、皆従ふ。始皇に二十余子有り。長子扶蘇、数々直諫するを以て、上之をして兵を上郡に監せしめ、蒙恬将たり。少子胡亥愛せられ、従はんことを請ふ。上之を許す。余子従ふ莫し。其の年七月、始皇帝沙丘に至り、病甚だし。趙高をして書を為りて公子扶蘇に賜はしめて曰く、「兵を以て蒙恬に属し、喪と咸陽に会して葬れ」と。書已に封じ、未だ使者に授けずして、始皇崩ず。書及び璽皆趙高の所に在り。独り子胡亥・丞相李斯・趙高及び幸宦者五六人のみ始皇の崩ぜしを知り、余の群臣は皆知る莫きなり。李斯以為へらく、上外に在りて崩じ、真の太子無し、故に之を秘すと。始皇を轀輬車の中に置き、百官事を奏し食を上ること故の如し。宦者輒ち轀輬車の中より諸々の奏事を可とす。趙高因りて扶蘇に賜ふ所の璽書を留め、而して公子胡亥に謂ひて曰く、「上崩じ、諸子を王に封ずるの詔無くして独り長子に書を賜ふ。長子至らば、即ち立ちて皇帝と為り、而して子は尺寸の地無し。之を為すこと奈何」と。胡亥曰く、「固より也。
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史記 秦始皇本紀黔首修絜にして、人同則を楽しみ、嘉して太平を保つ。後敬みて法を奉ぜば、常治極まり無く、輿舟傾かず。従臣烈を誦し、此の石に刻さんことを請ひ、休銘を光垂す。還りて呉を過ぎ、江乗より渡る。海上に并ひ、北のかた瑯邪に至る。方士徐巿等海に入りて神薬を求むるも、数歳にして得ず、費多く、譴めらるるを恐れ、乃ち詐りて曰く、「蓬萊の薬得可し。然れども常に大鮫魚の苦しむる所と為る、故に至るを得ず。願はくは善く射る者を請ひて与に倶にし、見れば則ち連弩を以て之を射ん」と。始皇夢に海神と戦ふ、人の状の如し。占夢に問ふ。博士曰く、「水神は見る可からず、大魚蛟龍を以て候と為す。今上禱祠備はり謹めるに、此の悪神有り。当に除去すべし、而して善神致す可し」と。乃ち海に入る者をして巨魚を捕ふる具を齎さしめ、而して自ら連弩を以て大魚の出づるを候ひて之を射んとす。瑯邪より北して栄成山に至るも、見ず。之罘に至り、巨魚を見、一魚を射殺す。遂に海に并ひて西す。平原津に至りて病む。始皇死を言ふを悪む。群臣敢へて死の事を言ふ莫し。上の病益甚だし。乃ち璽書を為りて公子扶蘇に賜ひて曰く、「喪と咸陽に会して葬れ」と。書已に封じ、中車府令趙高の符璽の事を行ふ所に在りて、未だ使者に授けず。七月丙寅、始皇沙丘の平台に崩ず。丞相斯上の外に崩じたるが為に、諸公子及び天下の変有らんことを恐れ、乃ち之を秘して、喪を発せず。棺は轀涼車の中に載せ、故の幸宦者参乗し、至る所上食す。百官奏事すること故の如く、宦者輒ち轀涼車の中より其の奏事を可とす。独り子胡亥・趙高及び幸する所の宦者五六人のみ上の死せるを知る。趙高故嘗て胡亥に書及び獄律令法の事を教ふ。胡亥私かに之を幸す。
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史記 李斯列伝蒙恬死するを肯ぜず。使者即ち以て吏に属し、陽周に系ぐ。使者還りて報ず。胡亥・斯・高大いに喜ぶ。咸陽に至りて喪を発し、太子立ちて二世皇帝と為る。趙高を以て郎中令と為し、常に侍中して事を用ふ。二世燕居し、乃ち高を召して与に事を謀り、謂ひて曰く、「夫れ人生の世間に居るや、譬へば猶ほ六驥を騁せて決隙を過ぐるがごときなり。吾既已に天下に臨めり。耳目の好む所を悉くし、心志の楽しむ所を窮めて、以て宗廟を安んじて万姓を楽しましめ、長く天下を有ちて、吾が年寿を終へんと欲す。其の道可ならんか」と。高曰く、「此れ賢主の能く行ふ所にして、昏乱の主の禁ずる所なり。臣請ふ之を言はん。敢て斧鉞の誅を避けず。願はくは陛下少しく意を留めよ。夫れ沙丘の謀、諸公子及び大臣皆疑ふ。而して諸公子は尽く帝の兄、大臣は又先帝の置く所なり。今陛下初めて立ち、此れ其の属意怏怏として皆服せず。恐らくは変を為さん。且つ蒙恬已に死すと雖も、蒙毅は兵を将ゐて外に居る。臣戦戦栗栗として、唯だ終へざらんことを恐る。且つ陛下安くんぞ此の楽しみを為すを得んや」と。二世曰く、「之を為すこと奈何」と。趙高曰く、「法を厳にして刑を刻にし、有罪者をして相坐して誅せしめ、収族に至らしめ、大臣を滅ぼして骨肉を遠ざけ、貧者は之を富まし、賤者は之を貴くし、尽く先帝の故臣を除き去りて、更めて陛下の親信する所の者を置きて之を近づけよ。此れ則ち陰徳陛下に帰し、害除かれて姦謀塞がり、群臣潤沢を被り厚徳を蒙らざる莫く、陛下則ち枕を高くし志を肆にして寵楽せん。計此より出づるは莫し」と。二世高の言を然りとし、乃ち更めて法律を為る。是に於て群臣諸公子罪有れば、輒ち高に下し、之を鞫治せしむ。大臣蒙毅等を殺し、公子十二人咸陽の市に僇死し、十公主杜に矺死し、財物は県官に入れ、相連坐する者は勝げて数ふべからず。
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史記 李斯列伝是に於て乃ち相与に謀り、詐りて始皇の詔を丞相に受くと為し、子胡亥を立てて太子と為す。更めて書を為りて長子扶蘇に賜ひて曰く、「朕天下を巡り、名山の諸神に禱祠して以て寿命を延べんとす。今扶蘇は将軍蒙恬と師数十万を将ゐて以て辺に屯すること、十有余年なり。進みて前む能はず、士卒多く秏し、尺寸の功無し。乃ち反って数々書を上り直言して我が為す所を誹謗し、罷め帰りて太子と為るを得ざるを以て、日夜怨望す。扶蘇は人の子と為りて不孝なり。其れ剣を賜ひて以て自裁せしめよ。将軍恬は扶蘇と外に居りて、匡正せず。宜しく其の謀を知るべし。人臣と為りて不忠なり。其れ死を賜ひ、兵を以て裨将王離に属せしめよ」と。其の書を封ずるに皇帝の璽を以てし、胡亥の客をして書を奉じて扶蘇に上郡に賜はしむ。使者至り、書を発く。扶蘇泣き、内舎に入り、自殺せんと欲す。蒙恬扶蘇を止めて曰く、「陛下外に居りて、未だ太子を立てず。臣をして三十万の衆を将ゐて辺を守らしめ、公子を監と為す。此れ天下の重任なり。今一使者来たりて、即ち自殺せば、安くんぞ其の詐に非ざるを知らん。請ふ復た請へ。復た請ひて後に死するも、未だ暮れざるなり」と。使者数々之を趣す。扶蘇人と為り仁なり。蒙恬に謂ひて曰く、「父にして子に死を賜ふ。尚ほ安くんぞ復た請はん」と。即ち自殺す。
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史記 秦始皇本紀襄公より已下は軼毀す。置く所凡そ七廟。群臣礼を以て進祠し、以て始皇の廟を尊びて帝者の祖廟と為す。皇帝復た自ら『朕』と称せん」と。二世趙高と謀りて曰く、「朕年少く、初めて位に即き、黔首未だ集附せず。先帝郡県を巡行して、以て彊きを示し、海内を威服す。今晏然として巡行せずんば、即ち弱きを見はし、以て天下を臣畜する毋からん」と。春、二世東のかた郡県を行り、李斯従ふ。碣石に到り、海に并ひ、南して会稽に至り、而して尽く始皇の立つる所の刻石に刻し、石の旁らに大臣の従者の名を著し、以て先帝の成功盛徳を章らかにす。皇帝曰く、「金石の刻は尽く始皇帝の為す所なり。今号を襲ひて金石の刻辞に始皇帝と称せずんば、其の久遠に於けるや後嗣の之を為す者の如く、成功盛徳を称せず」と。丞相臣斯・臣去疾・御史大夫臣徳昧死して言ふ、「臣請ふ具に詔書を刻石に刻し、因りて明白ならしめん。臣昧死して請ふ」と。制して曰く、「可なり」と。遂に遼東に至りて還る。是に於て二世乃ち趙高を遵用し、法令を申ぬ。乃ち陰かに趙高と謀りて曰く、「大臣服せず、官吏尚ほ彊く、及び諸公子必ず我と争はん。之を為すこと柰何」と。高曰く、「臣固より言はんと願ひて未だ敢へてせざりしなり。先帝の大臣は、皆天下累世の名貴の人なり。功労を積みて世以て相伝ふること久し。今高は素より小賤なり。陛下幸ひに称挙し、上位に在りて、中事を管せしむ。大臣鞅鞅として、特だ貌を以て臣に従ふも、其の心実は服せず。今上出づるに、此の時に因りて郡県の守尉の罪有る者を案じて之を誅せずんば、上は以て威を天下に振るひ、下は以て上の生平の可とせざる所の者を除去せん。今時は文を師とせずして武力に決す。願はくは陛下遂に時に従ひて疑ふ毋かれ、即ち群臣謀るに及ばざらん。明主は余民を収挙し、賤しき者は之を貴くし、貧しき者は之を富まし、遠き者は之を近づくれば、則ち上下集まりて国安からん」と。二世曰く、「善し」と。
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