史記 / 李斯列伝
於是乃相與謀,詐為受始皇詔丞相,立子胡亥為太子。更為書賜長子扶蘇曰:「朕巡天下,禱祠名山諸神以延壽命。今扶蘇與將軍蒙恬將師數十萬以屯邊,十有餘年矣,不能進而前,士卒多秏,無尺寸之功,乃反數上書直言誹謗我所為,以不得罷歸為太子,日夜怨望。扶蘇為人子不孝,其賜劍以自裁!將軍恬與扶蘇居外,不匡正,宜知其謀。為人臣不忠,其賜死,以兵屬裨將王離。」封其書以皇帝璽,遣胡亥客奉書賜扶蘇於上郡。使者至,發書,扶蘇泣,入內舍,欲自殺。蒙恬止扶蘇曰:「陛下居外,未立太子,使臣將三十萬眾守邊,公子為監,此天下重任也。今一使者來,即自殺,安知其非詐?請復請,復請而後死,未暮也。」使者數趣之。扶蘇為人仁,謂蒙恬曰:「父而賜子死,尚安復請!」即自殺。
新字:於是乃相与謀,詐為受始皇詔丞相,立子胡亥為太子。更為書賜長子扶蘇曰:「朕巡天下,祷祠名山諸神以延寿命。今扶蘇与将軍蒙恬将師数十万以屯辺,十有余年矣,不能進而前,士卒多秏,無尺寸之功,乃反数上書直言誹謗我所為,以不得罷帰為太子,日夜怨望。扶蘇為人子不孝,其賜剣以自裁!将軍恬与扶蘇居外,不匡正,宜知其謀。為人臣不忠,其賜死,以兵属裨将王離。」封其書以皇帝璽,遣胡亥客奉書賜扶蘇於上郡。使者至,発書,扶蘇泣,入内舎,欲自殺。蒙恬止扶蘇曰:「陛下居外,未立太子,使臣将三十万衆守辺,公子為監,此天下重任也。今一使者来,即自殺,安知其非詐?請復請,復請而後死,未暮也。」使者数趣之。扶蘇為人仁,謂蒙恬曰:「父而賜子死,尚安復請!」即自殺。
書き下し
是に於て乃ち相与に謀り、詐りて始皇の詔を丞相に受くと為し、子胡亥を立てて太子と為す。更めて書を為りて長子扶蘇に賜ひて曰く、「朕天下を巡り、名山の諸神に禱祠して以て寿命を延べんとす。今扶蘇は将軍蒙恬と師数十万を将ゐて以て辺に屯すること、十有余年なり。進みて前む能はず、士卒多く秏し、尺寸の功無し。乃ち反って数々書を上り直言して我が為す所を誹謗し、罷め帰りて太子と為るを得ざるを以て、日夜怨望す。扶蘇は人の子と為りて不孝なり。其れ剣を賜ひて以て自裁せしめよ。将軍恬は扶蘇と外に居りて、匡正せず。宜しく其の謀を知るべし。人臣と為りて不忠なり。其れ死を賜ひ、兵を以て裨将王離に属せしめよ」と。其の書を封ずるに皇帝の璽を以てし、胡亥の客をして書を奉じて扶蘇に上郡に賜はしむ。使者至り、書を発く。扶蘇泣き、内舎に入り、自殺せんと欲す。蒙恬扶蘇を止めて曰く、「陛下外に居りて、未だ太子を立てず。臣をして三十万の衆を将ゐて辺を守らしめ、公子を監と為す。此れ天下の重任なり。今一使者来たりて、即ち自殺せば、安くんぞ其の詐に非ざるを知らん。請ふ復た請へ。復た請ひて後に死するも、未だ暮れざるなり」と。使者数々之を趣す。扶蘇人と為り仁なり。蒙恬に謂ひて曰く、「父にして子に死を賜ふ。尚ほ安くんぞ復た請はん」と。即ち自殺す。
現代語訳
こうして三人は共謀し、始皇帝の詔を丞相が受けたといつわって、公子胡亥を太子に立てた。さらに書を作り直して長子扶蘇に与えた。そこにはこうあった。「朕は天下を巡り、名山の神々に祈って寿命を延ばそうとしてきた。いま扶蘇は将軍蒙恬とともに数十万の軍を率いて辺境に駐屯すること、十年余りになる。前進することもできず、兵士を多く失い、わずかな功もない。それどころかたびたび上書して率直な物言いで朕のすることを誹謗し、任を解かれて帰り太子となれないことを、日夜恨んでいる。扶蘇は子として不孝である。剣を与えるから自害せよ。将軍蒙恬は扶蘇とともに外にありながら、これを正さなかった。その企みを知っていたに違いない。臣として不忠である。死を与える。軍は副将の王離に委ねよ」。その書に皇帝の玉璽で封をし、胡亥の食客に書を持たせて、上郡の扶蘇のもとへ届けさせた。使者が着いて書を開くと、扶蘇は泣き、奥の部屋に入って自害しようとした。蒙恬は扶蘇を止めて言った。「陛下は都の外におられ、まだ太子を立てておられない。私に三十万の軍を率いて辺境を守らせ、公子を監督役とされた。これは天下の重任である。いま使者が一人来ただけですぐに自害しては、それが偽りでないとどうしてわかろうか。どうかもう一度お伺いを立てていただきたい。お伺いを立ててから死んでも、遅くはない」。使者はたびたび自害を急かした。扶蘇は情け深い人柄であったので、蒙恬に言った。「父が子に死を賜ったのだ。どうしてまたお伺いなど立てられようか」。そしてすぐに自害した。
解説
この章句が説くこと
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『翁問答』上卷之本此宝は天に在ては天の道となり、地に在ては地の道となるは、元来名はなき物なれ共、衆生に教へ示さん為めに、昔しの聖人其光景をかたどりて、孝と名付け玉ふ、夫よりこの方愚痴不肖の賤男賤女に至る迄も、其名をば知ると云共、其真実の道理は、老師宿儒知見抜群の人さへ悟り得る事稀なり、然る故に世俗孝は親に事ふる一事となして、浅近の道理なりと思へり、孔子嘆かはしく思召して、万世の盲聾を開かん為めに、孝徳神妙不測広大深遠にして、無始無終の神道を孝経に発明し玉ふ、孝徳の感通を手近く名付け言へば、愛敬の二字に極まれり、愛は懇に親しむ心なり、敬は上をうやまひ下を軽しめ侮らざる義なり、孝は譬へば明なる鏡の如し、向ふ物の形と色とに因て、鏡の中の影は品々かはれ共、明らかに写す鏡の体は同じ者なり、其如く父子君臣の人倫に相交ることは、千々万々品変れ共、愛敬の至徳は通せざる所なし、
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『徂徠先生答問書』卷中一孝行の儀御尋に候。成程聖人の教には孝弟忠信を中庸の徳行と名付け、是を貴賤によらず人たる者の勤め行ふべき事といたし申候。君子の道も、是を土台にいたし不申候得ば、高きにのぼるに楷梯なきがごとくに御座候。舜の契を司徒の官になされ、五倫を教へしめ給ふも、孔子の民に中庸の徳なき事を御なげき被成候も同意にて御座候。孝は父母によくつかへ候事、弟は兄長によくつかへ候事、忠は君につかゆるにても、又たれにても、人のためになし候事をば我身の事のごとくに如在なく身にかけ申候事に候。信と申候は、朋友其外あまねくの人にまじはり申候には言語を慎み偽り違候事なきやうに致し候を申候。是にて父母兄弟君臣朋友の道こもり申候故、五倫と申候も、中庸と申候も、孝弟忠信と申候も、ひとつ事にて御座候。
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『翁問答』上卷之本体充問曰庶人の孝行はいかゞ。師の曰農工商何れも其所作を能勤め怠らず財穀を貯へ、むざと費やさず身持心立能慎み、公儀を恐れて法度に背かず、我身子の事をば第二とし、父母の衣服食物を第一に思ひ入、心力を尽して及ぬきはをも調へて父母の受悦ぶ様にもてなして能く養ふは庶人の孝なり。体充問曰五等の孝の内、只庶人に計り父母を養ふと説給ふは、如何なる故にて候や。師の曰士より上は財乏しからず養ふ事は云ふに及はず、庶人は財乏しくして、充分に心を苦しめ力を尽さゞれば、衣服食物足らざる故に、庶人に計り養ひを説給ふ五等皆其位の内にて第一重き所を取りて、説給ふ道理は皆相通するなり、能く体認すべし。
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論語・為政篇孟武伯孝を問う。子曰く、「父母は唯其の疾(やまい)を之憂う。」
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尚書・君陳王若(かく)のごとく曰く、「君陳よ、惟れ爾令徳にして孝恭なり。惟れ孝にして、兄弟に友に、克く有政に施す。汝に命じて茲の東郊を尹(をさ)めしむ、敬せよや。昔周公万民を師保し、民其の徳を懐く。往きて乃の司を慎み、茲に厥の常に率へ。懋めて周公の訓を昭らかにせば、惟れ民其れ乂まらん。我聞く、曰く、
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『十善法語』巻第五・不綺語戒若或ハ父母カ悪事ニ随順シテ止ヌコトアレハ。此ハ変ト知ヘシ。其時ニハ事ノ軽重。時ノ進不ヲ斟酌スヘキコトシヤ。自心ノ及ハヌ処ハ。智者明師ノ指示ヲ受ルガヨイ。要ヲ取テ云ハ。此孝道。思惟度量シテ別ニムツカシキ一法ヲ造作スルナラス。唯子タル者ノ平生安ンスル処。コレヲ孝ノ道ト云。何故ニ如是ソ。此父母コレ我自性善根ノ開発セル儀シヤ。若業障深キ衆生ハ父母ノ名字タモ聞コトナラヌシヤ。梵網経ニ。若有犯者不得現身発菩提心。乃至二却三却不聞父母三宝名字トアル。余経ニ。夢ニ父母師僧ヲミル。皆福分ノアル処ト云。魚ノ水中ニ游フ如ク。鳥ノ空中ニ飛カ如ク。孝子順孫ノ父母王母ノ膝下ニアル。此ニ同シ。実実ニカクノ如クナラバ。地中ニ金一釜ヲ得ズトモ或ハ冬時筍ヲ得ストモ。孝道全トス。世ニ不孝ノ子アル。或ハ功利名誉ニ蔽ハル。或ハ博奕婬酒ニ蔽ハル。ミナ宿悪深重ノナス所ト知ルヘキシヤ。
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