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史記 / 秦始皇本紀

自襄公已下軼毀。所置凡七廟。群臣以禮進祠,以尊始皇廟為帝者祖廟。皇帝復自稱『朕』。」二世與趙高謀曰:「朕年少,初即位,黔首未集附。先帝巡行郡縣,以示彊,威服海內。今晏然不巡行,即見弱,毋以臣畜天下。」春,二世東行郡縣,李斯從。到碣石,并海,南至會稽,而盡刻始皇所立刻石,石旁著大臣從者名,以章先帝成功盛德焉:皇帝曰:「金石刻盡始皇帝所為也。今襲號而金石刻辭不稱始皇帝,其於久遠也如後嗣為之者,不稱成功盛德。」丞相臣斯、臣去疾、御史大夫臣德昧死言:「臣請具刻詔書刻石,因明白矣。臣昧死請。」制曰:「可。」遂至遼東而還。於是二世乃遵用趙高,申法令。乃陰與趙高謀曰:「大臣不服,官吏尚彊,及諸公子必與我爭,為之柰何?」高曰:「臣固願言而未敢也。先帝之大臣,皆天下累世名貴人也,積功勞世以相傳久矣。今高素小賤,陛下幸稱舉,令在上位,管中事。大臣鞅鞅,特以貌從臣,其心實不服。今上出,不因此時案郡縣守尉有罪者誅之,上以振威天下,下以除去上生平所不可者。今時不師文而決於武力,願陛下遂從時毋疑,即群臣不及謀。明主收舉餘民,賤者貴之,貧者富之,遠者近之,則上下集而國安矣。」二世曰:「善。」

新字:自襄公已下軼毀。所置凡七廟。群臣以礼進祠,以尊始皇廟為帝者祖廟。皇帝復自称『朕』。」二世与趙高謀曰:「朕年少,初即位,黔首未集附。先帝巡行郡県,以示彊,威服海内。今晏然不巡行,即見弱,毋以臣畜天下。」春,二世東行郡県,李斯従。到碣石,并海,南至会稽,而尽刻始皇所立刻石,石旁著大臣従者名,以章先帝成功盛徳焉:皇帝曰:「金石刻尽始皇帝所為也。今襲号而金石刻辞不称始皇帝,其於久遠也如後嗣為之者,不称成功盛徳。」丞相臣斯、臣去疾、御史大夫臣徳昧死言:「臣請具刻詔書刻石,因明白矣。臣昧死請。」制曰:「可。」遂至遼東而還。於是二世乃遵用趙高,申法令。乃陰与趙高謀曰:「大臣不服,官吏尚彊,及諸公子必与我争,為之柰何?」高曰:「臣固願言而未敢也。先帝之大臣,皆天下累世名貴人也,積功労世以相伝久矣。今高素小賤,陛下幸称舉,令在上位,管中事。大臣鞅鞅,特以貌従臣,其心実不服。今上出,不因此時案郡県守尉有罪者誅之,上以振威天下,下以除去上生平所不可者。今時不師文而決於武力,願陛下遂従時毋疑,即群臣不及謀。明主収舉余民,賤者貴之,貧者富之,遠者近之,則上下集而国安矣。」二世曰:「善。」

書き下し

襄公より已下は軼毀す。置く所凡そ七廟。群臣礼を以て進祠し、以て始皇の廟を尊びて帝者の祖廟と為す。皇帝復た自ら『朕』と称せん」と。二世趙高と謀りて曰く、「朕年少く、初めて位に即き、黔首未だ集附せず。先帝郡県を巡行して、以て彊きを示し、海内を威服す。今晏然として巡行せずんば、即ち弱きを見はし、以て天下を臣畜する毋からん」と。春、二世東のかた郡県を行り、李斯従ふ。碣石に到り、海に并ひ、南して会稽に至り、而して尽く始皇の立つる所の刻石に刻し、石の旁らに大臣の従者の名を著し、以て先帝の成功盛徳を章らかにす。皇帝曰く、「金石の刻は尽く始皇帝の為す所なり。今号を襲ひて金石の刻辞に始皇帝と称せずんば、其の久遠に於けるや後嗣の之を為す者の如く、成功盛徳を称せず」と。丞相臣斯・臣去疾・御史大夫臣徳昧死して言ふ、「臣請ふ具に詔書を刻石に刻し、因りて明白ならしめん。臣昧死して請ふ」と。制して曰く、「可なり」と。遂に遼東に至りて還る。是に於て二世乃ち趙高を遵用し、法令を申ぬ。乃ち陰かに趙高と謀りて曰く、「大臣服せず、官吏尚ほ彊く、及び諸公子必ず我と争はん。之を為すこと柰何」と。高曰く、「臣固より言はんと願ひて未だ敢へてせざりしなり。先帝の大臣は、皆天下累世の名貴の人なり。功労を積みて世以て相伝ふること久し。今高は素より小賤なり。陛下幸ひに称挙し、上位に在りて、中事を管せしむ。大臣鞅鞅として、特だ貌を以て臣に従ふも、其の心実は服せず。今上出づるに、此の時に因りて郡県の守尉の罪有る者を案じて之を誅せずんば、上は以て威を天下に振るひ、下は以て上の生平の可とせざる所の者を除去せん。今時は文を師とせずして武力に決す。願はくは陛下遂に時に従ひて疑ふ毋かれ、即ち群臣謀るに及ばざらん。明主は余民を収挙し、賤しき者は之を貴くし、貧しき者は之を富まし、遠き者は之を近づくれば、則ち上下集まりて国安からん」と。二世曰く、「善し」と。

現代語訳

襄公以下の廟は取り壊して祭らず、置くのは全部で七つの廟とする。群臣は礼に従って参拝して祭り、始皇帝の廟を尊んで帝王の祖廟とする。皇帝は再び自らを『朕』と称するべきである。」二世皇帝は趙高と相談して言った。「私は年が若く、即位したばかりで、民はまだ心服していない。先帝は郡県を巡行して強さを示し、天下を威光で服従させた。今、私がのんびりと構えて巡行しなければ、弱さを見せることになり、天下を臣下として従えることができない。」春、二世皇帝は東方の郡県を巡行し、李斯が随行した。碣石に至り、海岸に沿って南下して会稽に至り、始皇帝が立てた刻石のすべてに文を刻み加え、石のそばに随行した大臣の名を記して、先帝の成功と盛んな徳を明らかにした。皇帝は言った。「金属や石の刻文はすべて始皇帝がなさったことである。今、私が皇帝の称号を受け継いでいるのに、刻文に『始皇帝』と記さなければ、遠い後世には、後継ぎの私がしたことのように見えて、始皇帝の成功と盛んな徳をたたえることにならない。」丞相の臣李斯、臣馮去疾、御史大夫の臣徳が死を覚悟して申し上げた。「私どもは、この詔書を刻石に詳しく刻み、それによって明白にしたい。死を覚悟してお願い申し上げる。」皇帝は制して「よし」と言った。こうして遼東まで行って帰った。そこで二世皇帝は趙高の言うことに従って用い、法令を厳しく重ねた。そしてひそかに趙高と謀って言った。「大臣たちは服従せず、役人たちはまだ力を持っており、公子たちは必ず私と位を争うであろう。どうしたらよいか。」趙高は言った。「私はもともとそれを申し上げたいと思いながら、あえて言えずにいた。先帝の大臣たちは、みな天下で代々続く名門の貴人である。功労を積み、代々受け継いできて久しい。ところが私はもともと身分の低い者である。陛下が幸いにも取り立ててくださって上位にあり、宮中のことを取り仕切らせていただいている。大臣たちは不満に思い、うわべだけ私に従っているが、心の中では本当は服していない。今、陛下が巡行に出られたこの機会に、郡県の太守や尉で罪のある者を取り調べて誅殺しなければならない。そうすれば、上には陛下の威光を天下に示すことになり、下には陛下が日ごろ気に入らない者を取り除くことができる。今は文によらず、武力によって決する時である。どうか陛下はこの時の流れに従って迷わないでほしい。そうすれば群臣は謀をめぐらす暇もないであろう。賢明な君主は取り残された民を取り立て、身分の低い者を貴くし、貧しい者を富ませ、遠ざけられていた者を近づける。そうすれば上下がまとまって国は安定する。」二世皇帝は「よい考えだ」と言った。

解説

二世皇帝の即位後、趙高が権力を固めていく過程を描く段です。二世は「巡行しなければ弱さを見せることになる」と言って、父の始皇帝をまねて東方を巡り、各地の刻石に文を刻み加えました。自分の実力ではなく、父の権威を借りて足場を固めようとしたのです。そして本音を趙高に打ち明けます。「大臣は服従せず、公子たちは位を争うだろう」。偽の遺詔で即位した後ろめたさが、周囲への恐れとなって表れています。これに対し趙高は、大臣たちは名門の出で、身分の低い自分に心から従っていないと訴え、罪を口実に地方の官吏や気に入らない者を粛清せよと勧めました。さらに、身分の低い者を貴くし、貧しい者を富ませれば、新しい者たちが恩を感じて従うと説きます。古くからの功臣を排除して、自分たちに恩義を感じる者で周りを固めるという策略です。自分の正統性に自信のないリーダーは、実績のある人を恐れて遠ざけ、忠誠だけを求めるようになります。それは組織から経験と知恵を奪うことになるのです。

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