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史記 / 李斯列伝

公子高欲奔,恐收族,乃上書曰:「先帝無恙時,臣入則賜食,出則乘輿。御府之衣,臣得賜之;中廄之寶馬,臣得賜之。臣當從死而不能,為人子不孝,為人臣不忠。不忠者無名以立於世,臣請從死,願葬酈山之足。唯上幸哀憐之。」書上,胡亥大說,召趙高而示之,曰:「此可謂急乎?」趙高曰:「人臣當憂死而不暇,何變之得謀!」胡亥可其書,賜錢十萬以葬。法令誅罰日益刻深,羣臣人人自危,欲畔者眾。又作阿房之宮,治直、馳道,賦斂愈重,戍徭無已。於是楚戍卒陳勝、吳廣等乃作亂,起於山東,傑俊相立,自置為侯王,叛秦,兵至鴻門而卻。李斯數欲請間諫,二世不許。而二世責問李斯曰:「吾有私議而有所聞於韓子也,曰『堯之有天下也,堂高三尺,采椽不斲,茅茨不翦,雖逆旅之宿不勤於此矣。冬日鹿裘,夏日葛衣,粢糲之食,藜藿之羹,飯土匭,啜土鉶,雖監門之養不觳於此矣。禹鑿龍門,通大夏,疏九河,曲九防,決渟水致之海,而股無胈,脛無毛,手足胼胝,面目黎黑,遂以死于外,葬於會稽,臣虜之勞不烈於此矣』。然則夫所貴於有天下者,豈欲苦形勞神,身處逆旅之宿,口食監門之養,手持臣虜之作哉?此不肖人之所勉也,非賢者之所務也。

新字:公子高欲奔,恐収族,乃上書曰:「先帝無恙時,臣入則賜食,出則乗輿。御府之衣,臣得賜之;中廄之宝馬,臣得賜之。臣当従死而不能,為人子不孝,為人臣不忠。不忠者無名以立於世,臣請従死,願葬酈山之足。唯上幸哀憐之。」書上,胡亥大説,召趙高而示之,曰:「此可謂急乎?」趙高曰:「人臣当憂死而不暇,何変之得謀!」胡亥可其書,賜銭十万以葬。法令誅罰日益刻深,羣臣人人自危,欲畔者衆。又作阿房之宮,治直、馳道,賦斂愈重,戍徭無已。於是楚戍卒陳勝、呉広等乃作乱,起於山東,傑俊相立,自置為侯王,叛秦,兵至鴻門而却。李斯数欲請間諫,二世不許。而二世責問李斯曰:「吾有私議而有所聞於韓子也,曰『堯之有天下也,堂高三尺,采椽不斲,茅茨不翦,雖逆旅之宿不勤於此矣。冬日鹿裘,夏日葛衣,粢糲之食,藜藿之羹,飯土匭,啜土鉶,雖監門之養不觳於此矣。禹鑿竜門,通大夏,疏九河,曲九防,決渟水致之海,而股無胈,脛無毛,手足胼胝,面目黎黒,遂以死于外,葬於会稽,臣虜之労不烈於此矣』。然則夫所貴於有天下者,豈欲苦形労神,身処逆旅之宿,口食監門之養,手持臣虜之作哉?此不肖人之所勉也,非賢者之所務也。

書き下し

公子高奔らんと欲するも、収族を恐れ、乃ち書を上りて曰く、「先帝恙無き時、臣入れば則ち食を賜ひ、出づれば則ち輿に乗る。御府の衣、臣之を賜ふを得、中廄の宝馬、臣之を賜ふを得たり。臣当に死に従ふべくして能はず。人の子と為りて不孝、人の臣と為りて不忠なり。不忠なる者は名無くして以て世に立つ。臣請ふ死に従はん。願はくは酈山の足に葬られん。唯だ上幸ひに之を哀憐せよ」と。書上る。胡亥大いに説び、趙高を召して之を示して曰く、「此れ急と謂ふべきか」と。趙高曰く、「人臣死を憂へて暇あらず。何の変か之れ謀るを得ん」と。胡亥其の書を可とし、銭十万を賜ひて以て葬らしむ。法令誅罰日に益々刻深にして、群臣人人自ら危ぶみ、畔かんと欲する者衆し。又阿房の宮を作り、直・馳道を治め、賦斂愈々重く、戍徭已む無し。是に於て楚の戍卒陳勝・呉広等乃ち乱を作し、山東に起こる。傑俊相立ち、自ら置きて侯王と為り、秦に叛き、兵鴻門に至りて卻く。李斯数々間を請ひて諫めんと欲するも、二世許さず。而して二世李斯を責問して曰く、「吾に私議有りて韓子に聞く所有り。曰く『堯の天下を有つや、堂の高さ三尺、采椽斲らず、茅茨翦らず、逆旅の宿と雖も此より勤めざるなり。冬日は鹿裘、夏日は葛衣、粢糲の食、藜藿の羹、土匭に飯し、土鉶に啜る。監門の養と雖も此より觳ならざるなり。禹は竜門を鑿ち、大夏に通じ、九河を疏し、九防を曲げ、渟水を決して之を海に致す。而して股に胈無く、脛に毛無く、手足胼胝し、面目黎黒にして、遂に以て外に死し、会稽に葬らる。臣虜の労も此より烈しからず』と。然らば則ち夫の天下を有つを貴ぶ所の者は、豈に形を苦しめ神を労し、身は逆旅の宿に処り、口は監門の養を食ひ、手は臣虜の作を持たんと欲せんや。此れ不肖の人の勉むる所なり。賢者の務むる所に非ざるなり。

現代語訳

公子高は逃亡しようとしたが、一族まで捕らえられることを恐れ、上書して言った。「先帝がご健在だったころ、私は宮中に入れば食事を賜り、外に出れば車に乗せていただいた。御府の衣服も賜り、宮中の厩の名馬も賜った。私は先帝に殉じて死ぬべきだったのに、それができなかった。子としては不孝、臣としては不忠である。不忠の者は世に顔向けできる名もない。どうか殉死させていただきたい。酈山(始皇帝陵)のふもとに葬られることを願う。どうか陛下にはお憐れみいただきたい」。書が奉られると、胡亥は大いに喜び、趙高を呼んでこれを見せて言った。「これで追い詰めたと言えるか」。趙高は言った。「臣下たちは死を恐れるのに精いっぱいで、反乱をたくらむ余裕などない」。胡亥はその書を許可し、銭十万を与えて葬らせた。法令による処罰は日ごとにますます苛酷になり、群臣は誰もが身の危険を感じ、背こうとする者が多くなった。さらに阿房宮を造営し、直道・馳道を建設し、税の取り立てはますます重く、辺境の守備や労役に果てがなかった。そこで楚の守備兵であった陳勝・呉広らが反乱を起こし、山東で決起した。各地の豪傑が次々に立ち上がり、自ら侯や王を名乗って秦に背き、その兵は鴻門にまで迫ってから退いた。李斯はたびたび二世に目通りを願って諫めようとしたが、二世は許さなかった。そして二世は李斯を責めて問いただした。「私には私見があり、韓非子から聞いたことがある。『堯が天下を治めていたとき、御殿の高さは三尺、垂木は削らず、茅葺きの屋根は切りそろえず、旅の宿でさえこれほど粗末ではなかった。冬は鹿の皮衣、夏は葛の衣、粗末な飯とあかざや豆の葉の吸い物をとり、土器の椀で食べ、土器の鉢ですすった。門番の暮らしでさえこれほど貧しくはなかった。禹は竜門を切り開いて大夏に通じさせ、九つの河を疏通させ、九つの堤を曲げて築き、よどんだ水を切り開いて海に注がせた。そのため股には肉がなくなり、すねには毛がなくなり、手足にはたこができ、顔は日焼けで黒くなり、ついに都の外で死んで会稽に葬られた。奴隷の労苦でさえこれほど激しくはなかった』。そうだとすれば、天下を保つことを尊ぶのは、体を苦しめ心を疲れさせ、身は旅の宿のようなところに住み、口には門番のような粗末なものを食べ、手には奴隷のような仕事をしたいからであろうか。そんなことは愚かな者が努めることで、賢者の務めることではない。

解説

粛清の恐怖が広がり、ついに陳勝・呉広の乱が起きる段です。公子高は逃げれば一族が殺されると恐れ、自ら殉死を願い出ました。胡亥はそれを喜び、趙高は「臣下は死を恐れるのに精いっぱいで反乱どころではない」と答えます。恐怖による統治が完成したかに見えた瞬間ですが、実際には群臣の心は離れ、重税と労役に苦しむ民の不満が爆発して、紀元前209年に陳勝・呉広が蜂起しました。李斯は諫めようとしますが目通りすら許されず、逆に二世から責められます。二世は韓非子の文を引き、堯や禹のように身を粉にして働くのは愚か者のすることで、天下を持つ者は楽しむべきだと言います。韓非子の本意は聖王の勤勉をたたえることでしたが、二世はそれを逆向きに読みました。恐怖で黙らせた組織は、表面が静かでも内側では不満がたまり続けています。沈黙を服従と取り違えてはいけません。

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