史記 / 李斯列伝
官至廷尉。二十餘年,竟并天下,尊主為皇帝,以斯為丞相。夷郡縣城,銷其兵刃,示不復用。使秦無尺土之封,不立子弟為王,功臣為諸侯者,使後無戰攻之患。始皇三十四年,置酒咸陽宮,博士僕射周青臣等頌始皇威德。齊人淳于越進諫曰:「臣聞之,殷周之王千餘歲,封子弟功臣自為支輔。今陛下有海內,而子弟為匹夫,卒有田常、六卿之患,臣無輔弼,何以相救哉?事不師古而能長久者,非所聞也。今青臣等又面諛以重陛下過,非忠臣也。」始皇下其議丞相。丞相謬其說,絀其辭,乃上書曰:「古者天下散亂,莫能相一,是以諸侯並作,語皆道古以害今,飾虛言以亂實,人善其所私學,以非上所建立。今陛下并有天下,別白黑而定一尊;而私學乃相與非法教之制,聞令下,即各以其私學議之,入則心非,出則巷議,非主以為名,異趣以為高,率群下以造謗。如此不禁,則主勢降乎上,黨與成乎下。禁之便。臣請諸有文學詩書百家語者,蠲除去之。令到滿三十日弗去,黥為城旦。所不去者,醫藥卜筮種樹之書。若有欲學者,以吏為師。」始皇可其議,收去詩書百家之語以愚百姓,使天下無以古非今。明法度,定律令,皆以始皇起。同文書。
新字:官至廷尉。二十余年,竟并天下,尊主為皇帝,以斯為丞相。夷郡県城,銷其兵刃,示不復用。使秦無尺土之封,不立子弟為王,功臣為諸侯者,使後無戦攻之患。始皇三十四年,置酒咸陽宮,博士僕射周青臣等頌始皇威徳。斉人淳于越進諫曰:「臣聞之,殷周之王千余歳,封子弟功臣自為支輔。今陛下有海内,而子弟為匹夫,卒有田常、六卿之患,臣無輔弼,何以相救哉?事不師古而能長久者,非所聞也。今青臣等又面諛以重陛下過,非忠臣也。」始皇下其議丞相。丞相謬其説,絀其辞,乃上書曰:「古者天下散乱,莫能相一,是以諸侯並作,語皆道古以害今,飾虚言以乱実,人善其所私学,以非上所建立。今陛下并有天下,別白黒而定一尊;而私学乃相与非法教之制,聞令下,即各以其私学議之,入則心非,出則巷議,非主以為名,異趣以為高,率群下以造謗。如此不禁,則主勢降乎上,党与成乎下。禁之便。臣請諸有文学詩書百家語者,蠲除去之。令到満三十日弗去,黥為城旦。所不去者,医薬卜筮種樹之書。若有欲学者,以吏為師。」始皇可其議,収去詩書百家之語以愚百姓,使天下無以古非今。明法度,定律令,皆以始皇起。同文書。
書き下し
官廷尉に至る。二十余年、竟に天下を并せ、主を尊びて皇帝と為し、斯を以て丞相と為す。郡県の城を夷げ、其の兵刃を銷かし、復た用ひざるを示す。秦をして尺土の封無からしめ、子弟を立てて王と為さず、功臣を諸侯と為す者無く、後に戦攻の患ひ無からしむ。始皇の三十四年、咸陽宮に置酒す。博士僕射周青臣等、始皇の威徳を頌す。斉人淳于越進み諫めて曰く、「臣之を聞く、殷周の王たること千余歳、子弟功臣を封じて自ら支輔と為す。今陛下海内を有つも、而して子弟は匹夫たり。卒に田常・六卿の患ひ有らば、臣に輔弼無し。何を以て相救はんや。事古を師とせずして能く長久なる者は、聞く所に非ざるなり。今青臣等又面諛して以て陛下の過ちを重ぬ。忠臣に非ざるなり」と。始皇其の議を丞相に下す。丞相其の説を謬とし、其の辞を絀け、乃ち書を上りて曰く、「古者天下散乱し、能く相一にする莫し。是を以て諸侯並び作り、語は皆古を道ひて以て今を害し、虚言を飾りて以て実を乱し、人其の私学する所を善しとして、以て上の建立する所を非とす。今陛下天下を并有し、白黒を別ちて一尊を定む。而るに私学乃ち相与に法教の制を非とし、令の下るを聞けば、即ち各々其の私学を以て之を議し、入りては則ち心に非とし、出でては則ち巷に議し、主を非として以て名と為し、趣を異にして以て高しと為し、群下を率ゐて以て謗りを造る。此の如くにして禁ぜずんば、則ち主の勢は上に降り、党与は下に成らん。之を禁ずるは便なり。臣請ふ、諸々の文学・詩書・百家の語を有する者は、蠲除して之を去らしめん。令到りて満三十日にして去らずんば、黥して城旦と為さん。去らざる所の者は、医薬・卜筮・種樹の書なり。若し学ばんと欲する者有らば、吏を以て師と為さん」と。始皇其の議を可とし、詩書百家の語を収め去りて以て百姓を愚にし、天下をして古を以て今を非とする無からしむ。法度を明らかにし、律令を定むること、皆始皇を以て起こる。文書を同じくす。
現代語訳
李斯の官は廷尉にまで至った。二十年余りで、ついに天下を統一し、主君を尊んで皇帝とし、李斯を丞相とした。郡や県の城壁を取り壊し、兵器を溶かして、二度と用いないことを示した。秦には一尺の土地も封ずることをせず、皇帝の子弟を王に立てず、功臣を諸侯に封じることもせず、後世に戦乱の憂いがないようにした。始皇帝の三十四年、咸陽宮で酒宴が催され、博士僕射の周青臣らが始皇帝の威光と徳をたたえた。斉の人淳于越が進み出て諫めた。「私はこう聞いている。殷や周が千年余りも王であり続けたのは、子弟や功臣を諸侯に封じて自らの支えとしたからだ、と。いま陛下は天下を保有されているのに、子弟はただの庶民である。もし(斉の)田常や(晋の)六卿のような臣下の簒奪が起これば、補佐する者がいない。どうやって救えばよいのか。古を手本とせずに長く続いた例など、聞いたことがない。いま周青臣らはまた面と向かってへつらい、陛下の過ちを重ねさせている。忠臣ではない」。始皇帝はこの議論を丞相に下して検討させた。丞相の李斯はその説を誤りとし、その言葉を退けて、上書した。「昔は天下が乱れて統一することができず、そのため諸侯が並び立った。人々の言葉はみな古を持ち出して今を損ない、空しい言葉を飾って事実を乱し、人々は自分が私的に学んだことをよしとして、お上の定めた制度を非難した。いま陛下は天下を統一し、白と黒をはっきり分けて、ただ一つの尊いものを定められた。ところが私学の者たちは寄り集まって法令や教化の制度を非難し、法令が下されたと聞けば、それぞれ自分の私学でそれを論じ、朝廷に入れば心の中で非とし、出れば町なかで論じ合い、君主を非難することで名声を得、異説を唱えることを高尚とし、配下を率いて誹謗を広めている。このままで禁じなければ、君主の権勢は上で衰え、徒党は下にできあがってしまう。禁じるのがよい。どうか、文学・詩書・諸子百家の書を持っている者には、それを除き去らせていただきたい。命令が届いて三十日たっても捨てない者は、入れ墨の刑に処して城壁造りの労役につかせる。捨てなくてよいのは、医薬・占い・農業の書である。もし学ぼうとする者がいれば、役人を師とさせる」。始皇帝はこの議を認め、詩書や諸子百家の書を没収して民を愚かにし、天下に古をもって今を非難する者がいないようにした。法の規範を明らかにし、律令を定めることは、すべて始皇帝の代に始まった。文字の書き方も統一した。
解説
関連する章句
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史記 秦始皇本紀丞相李斯曰く、「五帝は相復せず、三代は相襲はず、各以て治む。其の相反するに非ず、時変異なればなり。今陛下大業を創め、万世の功を建つ。固より愚儒の知る所に非ず。且つ越の言は乃ち三代の事なり、何ぞ法るに足らんや。異時諸侯并び争ひ、厚く游学を招く。今天下已に定まり、法令一より出づ。百姓は家に当たりては則ち農工に力め、士は則ち法令辟禁を学習す。今諸生今を師とせずして古を学び、以て当世を非り、黔首を惑乱す。丞相臣斯昧死して言ふ。古は天下散乱し、之を能く一にする莫し。是を以て諸侯并び作り、語るに皆古を道ひて以て今を害し、虚言を飾りて以て実を乱し、人其の私学する所を善しとして、以て上の建立する所を非る。今皇帝天下を并有し、黒白を別ちて一尊を定む。私学して相与に法教を非り、人令の下るを聞けば、則ち各其の学を以て之を議し、入りては則ち心に非とし、出でては則ち巷に議し、主に夸りて以て名と為し、取を異にして以て高しと為し、群下を率ゐて以て謗りを造る。此の如くして禁ぜずんば、則ち主の勢ひ上に降り、党与下に成らん。之を禁ずるを便とす。臣請ふ、史官の秦記に非ざるものは皆之を焼かん。博士官の職とする所に非ずして、天下に敢へて詩・書・百家の語を蔵する者有らば、悉く守・尉に詣りて雑へて之を焼かしめん。敢へて詩書を偶語する者有らば棄市せん。古を以て今を非る者は族せん。吏見知して挙げざる者は与に罪を同じくせん。令下りて三十日にして焼かずんば、黥して城旦と為さん。去らざる所の者は、医薬・卜筮・種樹の書なり。若し法令を学ばんと欲する有らば、吏を以て師と為せ」と。制して曰く、「可なり」と。三十五年、道を除き、九原に道して雲陽に抵り、山を塹り谷を堙め、直ちに之に通ず。是に於て始皇以為へらく咸陽は人多く、先王の宮廷小なりと。吾聞く、周の文王は豊に都し、武王は鎬に都す、豊鎬の間は、帝王の都なりと。乃ち朝宮を渭南の上林苑中に営作す。
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史記 秦始皇本紀始皇終始五徳の伝を推し、以為へらく周は火徳を得たり、秦周の徳に代はる、勝たざる所に従ふと。方今水徳の始めなり。年始を改め、朝賀は皆十月朔よりす。衣服・旄旌・節旗は皆黒を上ぶ。数は六を以て紀と為し、符・法冠は皆六寸、而して輿は六尺、六尺を歩と為し、六馬に乗る。河を更名して徳水と曰ひ、以て水徳の始めと為す。剛毅戾深にして、事は皆法に決し、刻削して仁恩和義毋く、然る後に五徳の数に合ふ。是に於て法を急にし、久しき者も赦さず。丞相綰等言ふ、「諸侯初めて破れ、燕・斉・荊の地遠く、為に王を置かずんば、以て之を填むる毋し。請ふ諸子を立てんことを、唯だ上幸ひに許せ」と。始皇其の議を群臣に下す。群臣皆以て便と為す。廷尉李斯議して曰く、「周の文武の封ずる所の子弟同姓甚だ衆し。然る後に属疏遠となり、相攻撃すること仇讎の如く、諸侯更相誅伐し、周の天子禁止する能はず。今海内陛下の神霊に頼りて一統し、皆郡県と為る。諸子功臣は公の賦税を以て重く之を賞賜せば、甚だ足りて制し易し。天下に異意無きは、則ち安寧の術なり。諸侯を置くは便ならず」と。始皇曰く、「天下共に戦闘の休まざるに苦しむは、侯王有るを以てなり。宗廟に頼り、天下初めて定まる。又復た国を立つるは、是れ兵を樹つるなり。而して其の寧息を求むるは、豈に難からずや。廷尉の議是なり」と。天下を分かちて以て三十六郡と為し、郡に守・尉・監を置く。民を更名して「黔首」と曰ふ。大いに酺す。天下の兵を収め、之を咸陽に聚め、銷して以て鐘鐻・金人十二と為す。重さ各千石、廷宮の中に置く。法度・衡石・丈尺を一にす。車は軌を同じくす。書は文字を同じくす。地は東は海に至りて朝鮮に暨び、西は臨洮・羌中に至り、南は北向戸に至り、北は河に拠りて塞と為し、陰山に并ひて遼東に至る。天下の豪富を咸陽に徙すこと十二万戸。諸廟及び章台・上林は皆渭南に在り。
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史記 秦始皇本紀恵は諸産に被び、久しく并せて来たりて田し、所に安んぜざる莫し。群臣烈を誦し、此の石に刻さんことを請ひ、儀矩を垂著す。因りて韓終・侯公・石生をして僊人不死の薬を求めしむ。始皇北辺を巡り、上郡より入る。燕人盧生使ひして海に入りて還り、鬼神の事を以て、因りて録図書を奏す。曰く「秦を亡ぼす者は胡なり」と。始皇乃ち将軍蒙恬をして兵三十万人を発して北のかた胡を撃たしめ、河南の地を略取す。三十三年、諸の嘗て逋亡せし人・贅婿・賈人を発して陸梁の地を略取し、桂林・象郡・南海と為し、以て適遣して戍らしむ。西北のかた匈奴を斥逐す。楡中より河に并ひて以東、之を陰山に属し、以て三十四県と為し、河上に城きて塞と為す。又蒙恬をして河を渡りて高闕・陽山・北仮の中を取り、亭障を築きて以て戎人を逐はしむ。謫を徙して、之を初県に実たす。禁じて祠るを得ざらしむ。明星西方に出づ。三十四年、獄吏の直ならざる者を適して、長城及び南越の地を築かしむ。始皇酒を咸陽宮に置き、博士七十人前みて寿を為す。僕射周青臣進みて頌して曰く、「他時秦の地千里に過ぎず。陛下の神霊明聖に頼り、海内を平定し、蛮夷を放逐し、日月の照らす所、賓服せざる莫し。諸侯を以て郡県と為し、人人自ら安楽にして、戦争の患ひ無く、之を万世に伝ふ。上古より陛下の威徳に及ばず」と。始皇悦ぶ。博士の斉人淳于越進みて曰く、「臣聞く、殷・周の王たること千余歳、子弟功臣を封じ、自ら枝輔と為すと。今陛下海内を有つも、而も子弟匹夫と為る。卒に田常・六卿の臣有らば、輔拂無くして、何を以て相救はんや。事古を師とせずして能く長久なる者は、聞く所に非ざるなり。今青臣又面諛して以て陛下の過ちを重ぬ、忠臣に非ず」と。始皇其の議を下す。
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