史記 / 刺客列伝
見嚴仲子曰:「前日所以不許仲子者,徒以親在;今不幸而母以天年終。仲子所欲報仇者爲誰?請得從事焉!」嚴仲子具告曰:「臣之仇韓相俠累,俠累又韓君之季父也,宗族盛多,居處兵衞甚設,臣欲使人刺之,終莫能就。今足下幸而不棄,請益其車騎壯士可爲足下輔翼者。」聶政曰:「韓之與衞,相去中閒不甚遠,今殺人之相,相又國君之親,此其勢不可以多人,多人不能無生得失,生得失則語泄,語泄是韓舉國而與仲子爲讎,豈不殆哉!」遂謝車騎人徒,聶政乃辭獨行。杖劍至韓,韓相俠累方坐府上,持兵戟而衞侍者甚衆。聶政直入,上階刺殺俠累,左右大亂。聶政大呼,所撃殺者數十人,
新字:見厳仲子曰:「前日所以不許仲子者,徒以親在;今不幸而母以天年終。仲子所欲報仇者為誰?請得従事焉!」厳仲子具告曰:「臣之仇韓相侠累,侠累又韓君之季父也,宗族盛多,居処兵衛甚設,臣欲使人刺之,終莫能就。今足下幸而不棄,請益其車騎壮士可為足下輔翼者。」聶政曰:「韓之与衛,相去中閒不甚遠,今殺人之相,相又国君之親,此其勢不可以多人,多人不能無生得失,生得失則語泄,語泄是韓舉国而与仲子為讎,豈不殆哉!」遂謝車騎人徒,聶政乃辞独行。杖剣至韓,韓相侠累方坐府上,持兵戟而衛侍者甚衆。聶政直入,上階刺殺侠累,左右大乱。聶政大呼,所撃殺者数十人,
書き下し
厳仲子に見えて曰く、「前日仲子に許さざりし所以の者は、徒だ親在るを以てのみ。今不幸にして母天年を以て終る。仲子の仇を報ぜんと欲する所の者は誰と為す。請ふ事に従ふを得ん」と。厳仲子具に告げて曰く、「臣の仇は韓の相俠累なり。俠累は又韓君の季父なり。宗族盛んに多く、居処兵衛甚だ設く。臣、人をして之を刺さしめんと欲するも、終に能く就る莫し。今足下幸ひにして棄てず。請ふ其の車騎壮士の足下の輔翼と為るべき者を益さん」と。聶政曰く、「韓と衛と、相去ること中間甚だしくは遠からず。今人の相を殺す、相又国君の親なり。此れ其の勢多人なるべからず。多人なれば得失を生ずる無き能はず。得失を生ずれば則ち語泄る。語泄るれば是れ韓国を挙げて仲子と讎と為るなり。豈に殆からずや」と。遂に車騎人徒を謝し、聶政乃ち辞して独り行く。剣を杖つきて韓に至る。韓の相俠累方に府上に坐し、兵戟を持ちて衛侍する者甚だ衆し。聶政直ちに入り、階を上りて俠累を刺殺す。左右大いに乱る。聶政大呼し、撃殺する所の者数十人。
現代語訳
厳仲子に会って言った。「以前あなたの頼みを引き受けなかったのは、ただ親が生きていたからだ。いま不幸にも母は天寿を全うした。あなたが仇を討ちたいという相手は誰なのか。どうか私にその仕事をさせてほしい」。厳仲子は詳しく告げた。「私の仇は韓の宰相俠累だ。俠累はまた韓の君主の叔父でもある。一族は非常に多く、住まいの警護もたいへん厳重だ。人に刺させようとしたが、ついに成功しなかった。いまあなたが幸いにも私を見捨てずにいてくれる。どうか車騎や壮士を増やして、あなたの助けとさせてほしい」。聶政は言った。「韓と(濮陽のある)衛とは、あまり遠く離れていない。いま一国の宰相を殺そうというのであり、しかも宰相は国君の身内である。こういう情勢では人数を多くしてはならない。人数が多ければ、捕まる者が出ないわけにはいかない。捕まる者が出れば話が漏れる。話が漏れれば、韓の国を挙げてあなたを仇とすることになる。なんと危ういことではないか」。そして車騎や従者を断り、聶政は別れを告げてただ一人で出かけた。剣を杖について韓に着くと、韓の宰相俠累はちょうど役所の上座に座っていて、武器を持って護衛する者がたいへん大勢いた。聶政はまっすぐ入っていき、階段を上って俠累を刺し殺した。側近たちは大混乱に陥った。聶政は大声で叫びながら戦い、数十人を斬り殺した。
解説
関連する章句
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史記 刺客列伝聶政は、軹の深井里の人なり。人を殺して仇を避け、母・姊と斉に如き、屠を以て事と為す。之を久しくして、濮陽の厳仲子、韓の哀侯に事へ、韓の相俠累と卻有り。厳仲子誅を恐れて亡げ去り、游びて人の以て俠累に報ずべき者を求む。斉に至る。斉人或いは言ふ、聶政は勇敢の士なり、仇を避けて屠者の間に隠ると。厳仲子門に至りて請ふこと、数々反し、然る後に酒を具へて自ら聶政の母の前に暢ぶ。酒酣にして、厳仲子黄金百溢を奉じ、前みて聶政の母の寿を為す。聶政其の厚きに驚怪し、固く厳仲子に謝す。厳仲子固く進む。而して聶政謝して曰く、「臣幸ひに老母有り、家貧しく、客游して以て狗屠と為り、以て旦夕に甘毳を得て以て親を養ふべし。親の供養備はる。敢て仲子の賜に当たらず」と。厳仲子人を辟け、因りて聶政の為に言ひて曰く、「臣に仇有りて、諸侯に行游すること衆し。然れども斉に至りて、竊かに足下の義甚だ高きを聞く。故に百金を進むる者は、将に用ひて大人の麤糲の費と為し、以て足下の驩を交はすを得んとするなり。豈に敢て以て求望する有らんや」と。聶政曰く、「臣の志を降し身を辱めて市井の屠者に居る所以の者は、徒だ幸ひに以て老母を養はんとするのみ。老母在り、政の身は未だ敢て以て人に許さざるなり」と。厳仲子固く譲る。聶政竟に受くるを肯ぜざるなり。然れども厳仲子卒に賓主の礼を備へて去る。之を久しくして、聶政の母死す。既已に葬り、服を除く。聶政曰く、「嗟乎、政は乃ち市井の人、刀を鼓して以て屠る。而るに厳仲子は乃ち諸侯の卿相なり。千里を遠しとせず、車騎を枉げて臣に交はる。臣の之を待する所以の者は、至って浅鮮なり。未だ大功の以て称すべき者有らず。而るに厳仲子百金を奉じて親の寿を為す。我受けずと雖も、然れども是れ徒だ深く政を知るなり。夫れ賢者は感忿睚眞諼を以て窮僻の人を親信す。而るに政独り安んぞ嘿然として已むを得んや。且つ前日政を要むるに、政は徒だ老母を以てせり。老母今天年を以て終る。政将に己を知る者の為に用ひられんとす」と。乃ち遂に西のかた濮陽に至り、
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戦国策・韓傀相韓韓傀韓に相たり、嚴遂君に重んぜらる、二人相害す。嚴遂政議直指し、韓傀の過を舉ぐ。韓傀之を以て朝に叱る。嚴遂劍を拔きて之に趨るも、救解を以てす。是に於て嚴遂誅を懼れ、亡げ去りて游び、人の以て韓傀に報ゆ可き者を求む。齊に至り、齊人或るひと言う、「軹の深井里の聶政、勇敢の士なり、仇を避けて屠者の間に隱る」と。嚴遂陰かに聶政に交わり、意を以て之を厚くす。聶政問いて曰く、「子安んぞ我を用いんと欲するか。」嚴遂曰く、「吾役を為すの日淺く、事今薄し、奚ぞ敢えて請う有らんや。」是に於て嚴遂乃ち酒を具え、聶政の母の前に觴す。仲子黃金百鎰を奉じ、前みて聶政の母の壽を為す。聶政驚き、愈々其の厚きを恠しみ、固く嚴仲子に謝す。仲子固く進むるも、聶政謝して曰く、「臣に老母有り、家貧しく、客游して以て狗屠を為す、旦夕に甘脆を得て以て親を養う可し。親供養備われば、義として敢えて仲子の賜を當たらず。」嚴仲子人を辟け、因りて聶政の為に語りて曰く、「臣仇有りて、行游すること諸侯眾し。然れども齊に至り、足下の義甚だ高きを聞く。故に直ちに百金を進むるは、特だ以て夫人の麤糲の費と為すのみ、以て足下の驩に交わるを以てす、豈敢えて求むる有らんや。」聶政曰く、「臣の志を降し身を辱め、市井に居る所以の者は、徒だ幸いに老母を養わんとすればなり。老母在れば、政身未だ敢えて以て人に許さざるなり。」嚴仲子固く讓るも、聶政竟に肯て受けず。然れども仲子卒に賓主の禮を備えて去る。之を久しくして、聶政の母死す、既に葬り、服を除く。聶政曰く、「嗟乎、政乃ち市井の人、刀を鼓して以て屠り、而して嚴仲子乃ち諸侯の卿相なるに、千里を遠しとせず、車騎を枉げて臣に交わる、臣の之を待つ所以は至って淺鮮なり、未だ大功の以て稱す可き有らざるに、而して嚴仲子百金を舉げて親壽を為す、我受けずと雖も、然れども是れ深く政を知るなり。夫れ賢者忿を感じ睚眥の意を以て、窮僻の人に親信す、而して政獨り安んぞ嘿然として止む可けんや。且つ前日政を要するや、政徒だ老母を以てす。老母今天年を以て終う、政將に知己の者の為に用いられんとす。」遂に西のかた濮陽に至り、嚴仲子に見えて曰く、「前に仲子を許さざる所以の者は、徒だ親の在るを以てなり。今親不幸なり、仲子報いんと欲する所の仇は誰為るぞ。」嚴仲子具に告げて曰く、「臣の仇韓の相傀なり。傀又韓君の季父なり、宗族盛んに、兵衛設けあり、臣人をして之を刺さしむるも、終に就く能わず。今足下幸いに棄てられずんば、請う益々車騎壯士を具え、以て羽翼と為さん。」政曰く、「韓と衛と、中間遠からず、今人の相を殺すに、相又國君の親なれば、此れ其の勢多人を以てす可からず。多人生得失無き能わず、生得失あれば則ち語泄れ、語泄るれば則ち韓國を舉げて仲子と讎を為さん、豈殆うからざらんや。」遂に車騎人徒を謝し、辭して、獨り行きて劍を仗り韓に至る。韓適々東孟の會有り、韓王及び相皆焉に在り、兵戟を持して衛る者甚だ眾し。聶政直ちに入り、階を上りて韓傀を刺す。韓傀走りて哀侯を抱く、聶政之を刺し、兼ねて哀侯に中つ、左右大いに亂る。聶政大呼し、殺す所の者數十人。因りて自ら面を皮ぎ眼を抉り、自ら腸を屠り出だし、遂に死す。韓聶政の屍を市に取り、縣けて之を購うこと千金。之を久しくして誰の子なるかを知る莫し。政の姊之を聞きて曰く、「弟至って賢なるも、妾の軀を愛しみて、吾が弟の名を滅ぼす可からず、弟の意に非ざるなり。」乃ち韓に之く。之を視て曰く、「勇なるかな、氣矜の隆んなること。是れ其の賁・育を軼えて成荊より高し。今死して名無く、父母既に歿し、兄弟有る無し、此れ我が故を為すなり。夫れ身を愛しみて弟の名を揚げざるは、吾忍びざるなり。」乃ち屍を抱きて之を哭して曰く、「此れ吾が弟軹の深井里の聶政なり。」亦自ら屍の下に殺す。晉・楚・齊・衛之を聞きて曰く、「獨り政の能のみに非ず、乃ち其の姊なる者も、亦列女なり。」聶政の名の後世に施す所以の者は、其の姊菹醢の誅を避けず、以て其の名を揚げたればなり。
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史記 刺客列伝因りて自ら面を皮ぎ眼を決し、自ら屠りて腸を出だし、遂に以て死す。韓、聶政の尸を取りて市に暴し、購ひ問へども誰の子なるかを知る莫し。是に於て韓之し、能く相俠累を殺す者を言ふ有らば千金を予へんとす。久しくして知る莫きなり。政の姊栄、人の韓の相を刺殺する者有り、賊得られず、国其の名姓を知らず、其の尸を暴して之に千金を県くと聞き、乃ち於邑して曰く、「其れ是れ吾が弟か。嗟乎、厳仲子吾が弟を知れり」と。立ちどころに起ち、韓に如き、市に之けば、死者果して政なり。尸に伏して哭すること極めて哀しみて曰く、「是れ軹の深井里の所謂聶政なる者なり」と。市行く者諸々の衆人皆曰く、「此の人は吾が国の相を暴虐す。王其の名姓を千金に県購す。夫人聞かざるか。何ぞ敢て来りて之を識るや」と。栄之に応へて曰く、「之を聞けり。然れども政の汚辱を蒙りて自ら市販の間に棄つる所以の者は、老母幸ひに恙無く、妾未だ嫁がざるが為なり。親既に天年を以て世を下り、妾已に夫に嫁ぐ。厳仲子乃ち吾が弟を困汚の中に察挙して之に交はる。沢厚し。柰何すべき。士は固より己を知る者の為に死す。今乃ち妾尚ほ在るの故を以て、重ねて自ら刑して以て従を絶つ。妾其れ柰何ぞ歿身の誅を畏れて、終に賢弟の名を滅ぼさんや」と。大いに韓の市人を驚かす。乃ち大いに天を呼ぶこと三たび、卒に於邑悲哀して政の旁に死す。晋・楚・斉・衛之を聞き、皆曰く、「独り政のみ能くするに非ず、乃ち其の姊も亦烈女なり。郷に政をして誠に其の姊の濡忍の志無く、暴骸の難を重んぜずして、必ず険を千里に絶えて以て其の名を列ね、姊弟倶に韓の市に僇せらるるを知らしめば、亦未だ必ずしも敢て身を以て厳仲子に許さざりしならん。厳仲子も亦人を知りて能く士を得たりと謂ふべし」と。
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史記 刺客列伝曰く、「吾以て下智伯に報ずべし」と。遂に剣に伏して自殺す。死するの日、趙国の志士之を聞き、皆為に涕泣す。其の後四十余年にして軹に聶政の事有り。
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史記 韓世家十六年、武子卒し、子景侯立つ。景侯虔の元年、鄭を伐ち、雍丘を取る。二年、鄭我を負黍に敗る。六年、趙・魏と倶に列して諸侯と為るを得たり。九年、鄭我が陽翟を囲む。景侯卒し、子列侯取立つ。列侯三年、聶政韓の相俠累を殺す。九年、秦我が宜陽を伐ち、六邑を取る。十三年、列侯卒し、子文侯立つ。是の歳魏の文侯卒す。文侯二年、鄭を伐ち、陽城を取る。宋を伐ち、彭城に到り、宋君を執ふ。七年、斉を伐ち、桑丘に至る。鄭晋に反く。九年、斉を伐ち、霊丘に至る。十年、文侯卒し、子哀侯立つ。哀侯元年、趙・魏と晋国を分つ。二年、鄭を滅ぼし、因りて都を鄭に徙す。六年、韓厳其の君哀侯を弑す。而して子懿侯立つ。懿侯二年、魏我を馬陵に敗る。五年、魏の恵王と宅陽に会す。九年、魏我を澮に敗る。十二年、懿侯卒し、子昭侯立つ。昭侯元年、秦我を西山に敗る。二年、宋我が黄池を取る。魏朱を取る。六年、東周を伐ち、陵観・邢丘を取る。
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史記 刺客列伝居ること頃之、豫譲又身に漆して厲と為り、炭を呑みて唖と為り、形状をして知るべからざらしめ、市に行乞す。其の妻識らざるなり。行きて其の友に見ゆ。其の友之を識りて曰く、「汝は豫譲に非ずや」と。曰く、「我是なり」と。其の友為に泣きて曰く、「子の才を以て、質を委ねて臣として襄子に事へば、襄子必ず子を近幸せん。子を近幸せば、乃ち欲する所を為すこと、顧って易からずや。何ぞ乃ち身を残し形を苦しめ、以て襄子に報ぜんことを求めんと欲する。亦難からずや」と。豫譲曰く、「既已に質を委ねて臣として人に事へ、而して之を殺さんことを求むるは、是れ二心を懐きて以て其の君に事ふるなり。且つ吾が為す所の者は極めて難きのみ。然れども此を為す所以の者は、将に以て天下後世の人臣と為りて二心を懐きて以て其の君に事ふる者を愧ぢしめんとするなり」と。既に去り、頃之、襄子当に出づべし。豫譲、当に過ぐべき所の橋の下に伏す。襄子橋に至り、馬驚く。襄子曰く、「此れ必ず是れ豫譲ならん」と。人をして之を問はしむれば、果して豫譲なり。是に於て襄子乃ち豫譲を数めて曰く、「子は嘗て范・中行氏に事へずや。智伯尽く之を滅ぼす。而るに子は為に讎を報ぜず、而して反って質を委ねて智伯に臣たり。智伯も亦已に死せり。而るに子独り何を以て之が為に讎を報ずることの深きや」と。豫譲曰く、「臣、范・中行氏に事ふ。范・中行氏は皆衆人もて我を遇す。我故に衆人もて之に報ず。智伯に至りては、国士もて我を遇す。我故に国士もて之に報ず」と。襄子喟然として嘆息して泣きて曰く、「嗟乎豫子。子の智伯の為にする、名既に成れり。而して寡人の子を赦す、亦已に足れり。子其れ自ら計を為せ。寡人復た子を釈さず」と。兵をして之を囲ましむ。豫譲曰く、「臣聞く、明主は人の美を掩はず、而して忠臣は名に死するの義有りと。前に君已に寛く臣を赦し、天下君の賢を称せざる莫し。今日の事、臣固より誅に伏せん。然れども願はくは君の衣を請ひて之を撃ち、以て讎を報ずるの意を致さば、則ち死すと雖も恨みず。敢て望む所に非ざるなり。敢て腹心を布く」と。是に於て襄子大いに之を義とし、乃ち使をして衣を持ちて豫譲に与へしむ。豫譲剣を抜きて三たび躍りて之を撃ち、
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