孫子 / 地形篇
視卒如嬰兒,故可以與之赴深溪;視卒如愛子,故可與之俱死。厚而不能使,愛而不能令,亂而不能治,譬若驕子,不可用也。
新字:視卒如嬰児,故可以与之赴深渓;視卒如愛子,故可与之倶死。厚而不能使,愛而不能令,乱而不能治,譬若驕子,不可用也。
書き下し
卒を視ること嬰児の如し、故に之と深谿に赴くべし。卒を視ること愛子の如し、故に之と俱に死すべし。厚くして使う能わず、愛して令する能わず、乱れて治むる能わざれば、譬えば驕子の若く、用うべからざるなり。
現代語訳
兵士を赤子のように慈しむからこそ、彼らと共に深い谷へも進める。兵士を我が子のように愛するからこそ、彼らと生死を共にできる。だが、厚遇するばかりで働かせられず、可愛がるばかりで命令できず、乱れても正せないなら、それは甘やかされたわがままな子と同じで、使いものにならない。
解説
孫子の人間観がにじむ、有名な一節です。将は兵を赤子や我が子のように慈しめ——だからこそ兵は将のために命を懸ける、と説きます。しかし孫子はすぐに釘を刺します。愛情が甘やかしに変われば、兵は「わがままな子」になり、いざというとき使えない、と。慈しみと規律は、どちらか一方では成り立ちません。深く思いやりながら、なすべきことは厳しく求める——その両立こそが人を動かします。組織でも、優しさだけでは緩み、厳しさだけでは離れます。心から大切にすること(厚遇)と、きちんと導き律すること(統率)を両輪で回す。愛と規律のバランスこそ、人の上に立つ者の技だと、この一節は教えます。
この章句が説くこと
視卒如嬰児判断利害慈しみと規律地形統率
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