史記 / 刺客列伝
公子光頓首曰:「光之身,子之身也。」四月丙子,光伏甲士於窟室中,而具酒請王僚。王僚使兵陳自宮至光之家,門戸階陛左右,皆王僚之親戚也。夾立侍,皆持長鈹。酒既酣,公子光詳爲足疾,入窟室中,使專諸置匕首魚炙之腹中而進之。既至王前,專諸擘魚,因以匕首刺王僚,王僚立死。左右亦殺專諸,王人擾亂。公子光出其伏甲以攻王僚之徒,盡滅之,遂自立爲王,是爲闔閭。闔閭乃封專諸之子以爲上卿。其後七十餘年而晉有豫讓之事。
新字:公子光頓首曰:「光之身,子之身也。」四月丙子,光伏甲士於窟室中,而具酒請王僚。王僚使兵陳自宮至光之家,門戸階陛左右,皆王僚之親戚也。夾立侍,皆持長鈹。酒既酣,公子光詳為足疾,入窟室中,使専諸置匕首魚炙之腹中而進之。既至王前,専諸擘魚,因以匕首刺王僚,王僚立死。左右亦殺専諸,王人擾乱。公子光出其伏甲以攻王僚之徒,尽滅之,遂自立為王,是為闔閭。闔閭乃封専諸之子以為上卿。其後七十余年而晋有予譲之事。
書き下し
公子光頓首して曰く、「光の身は、子の身なり」と。四月丙子、光甲士を窟室の中に伏せ、而して酒を具へて王僚を請ふ。王僚兵をして陳ねしめ、宮より光の家に至る。門戸階陛の左右、皆王僚の親戚なり。夾みて立ちて侍り、皆長鈹を持つ。酒既に酣にして、公子光詳りて足疾を為し、窟室の中に入り、専諸をして匕首を魚炙の腹中に置きて之を進めしむ。既に王の前に至り、専諸魚を擘き、因りて匕首を以て王僚を刺す。王僚立ちどころに死す。左右亦専諸を殺す。王の人擾乱す。公子光其の伏甲を出だして以て王僚の徒を攻め、尽く之を滅ぼし、遂に自ら立ちて王と為る。是を闔閭と為す。闔閭乃ち専諸の子を封じて以て上卿と為す。其の後七十余年にして晋に豫譲の事有り。
現代語訳
公子光は額を地につけて礼をし、「私の身はあなたの身も同然だ(あなたの家族は私が引き受ける)」と言った。四月丙子の日、公子光は武装した兵を地下室に潜ませ、酒宴を設けて王僚を招いた。王僚は兵を並べさせ、王宮から公子光の家まで警護させた。門や戸口、階段の左右はみな王僚の親族で固められ、両側に立って警護し、みな長い刃の矛を手にしていた。宴がたけなわになったころ、公子光は足が痛むふりをして地下室に入り、専諸に匕首を焼き魚の腹の中に仕込んで運ばせた。王の前に進み出ると、専諸は魚を裂き、そのまま匕首で王僚を刺した。王僚はその場で死んだ。王の側近たちもまた専諸を殺した。王の配下の者たちは大混乱に陥った。公子光は潜ませていた兵を出して王僚の一味を攻め、ことごとく滅ぼし、ついに自ら即位して王となった。これが闔閭である。闔閭はそこで専諸の子を上卿に取り立てた。それから七十年余りのちに、晋で豫譲の事件が起きた。
解説
関連する章句
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史記 呉太伯世家是に於て伍員、光に他志有るを知り、乃ち勇士専諸を求め、之を光に見えしむ。光喜び、乃ち伍子胥を客とす。子胥退きて野に耕し、以て専諸の事を待つ。十二年冬、楚の平王卒す。十三年春、呉、楚の喪に因りて之を伐たんと欲し、公子蓋余・燭庸をして兵を以て楚の六・灊を囲ましむ。季札を晋に使せしめ、以て諸侯の変を観しむ。楚、兵を発して呉の兵の後を絶ち、呉の兵還るを得ず。是に於て呉の公子光曰く、「此の時失ふ可からざるなり」と。専諸に告げて曰く、「索めずんば何をか獲ん。我は真の王の嗣なり、当に立つべし。吾之を求めんと欲す。季子至ると雖も、吾を廃せざるなり」と。専諸曰く、「王僚殺す可きなり。母老い子弱く、而して両公子は兵を将ゐて楚を攻め、楚其の路を絶つ。方今呉は外は楚に困しみ、而して内は空しくして骨鯁の臣無し。是れ我を奈何ともする無し」と。光曰く、「我が身は子の身なり」と。四月丙子、光、甲士を窟室に伏せ、而して王僚を謁して飲ましむ。王僚、兵をして道に陳せしむ。王宮より光の家に至るまで、門・階・戸・席、皆王僚の親なり。人ごとに夾みて鈹を持す。公子光詳りて足疾と為し、窟室に入り、専諸をして匕首を炙魚の中に置きて以て食を進めしむ。手づから匕首もて王僚を刺す。鈹、匈に交はり、遂に王僚を弑す。公子光竟に代りて立ちて王と為る。是れを呉王闔廬と為す。闔廬乃ち専諸の子を以て卿と為す。季子至りて曰く、「苟も先君に祀を廃する無く、民人に主を廃する無く、社稷に奉ずる有らば、乃ち吾が君なり。吾敢て誰をか怨まんや。死を哀しみ生に事へ、以て天命を待たん。我より乱を生ずるに非ず、立つ者には之に従ふは、先人の道なり」と。命を復し、僚の墓に哭し、位に復して待つ。呉の公子燭庸・蓋余の二人、兵を将ゐて楚に囲まるる者、公子光の王僚を弑して自立せるを聞き、乃ち其の兵を以て楚に降る。楚、之を舒に封ず。
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史記 刺客列伝其の後百六十有七年にして呉に専諸の事有り。専諸は、呉の堂邑の人なり。伍子胥の楚を亡げて呉に如くや、専諸の能を知る。伍子胥既に呉王僚に見え、説くに楚を伐つの利を以てす。呉の公子光曰く、「彼の伍員は父兄皆楚に死して、員楚を伐つを言ふは、自ら私讎を報ぜんが為にせんと欲するなり。能く呉の為にするに非ず」と。呉王乃ち止む。伍子胥、公子光の呉王僚を殺さんと欲するを知り、乃ち曰く、「彼の光は将に内志有らんとす。未だ説くに外事を以てすべからず」と。乃ち専諸を公子光に進む。光の父を呉王諸樊と曰ふ。諸樊の弟三人、次を餘祭と曰ひ、次を夷眛と曰ひ、次を季子札と曰ふ。諸樊、季子札の賢なるを知りて太子を立てず、次を以て三弟に伝へ、卒に国を季子札に致さんと欲す。諸樊既に死し、餘祭に伝ふ。餘祭死し、夷眛に伝ふ。夷眛死し、当に季子札に伝ふべし。季子札逃げて立つを肯ぜず。呉人乃ち夷眛の子僚を立てて王と為す。公子光曰く、「兄弟の次を以てせしめば、季子当に立つべし。必ず子を以てせば、則ち光は真の適嗣なり、当に立つべし」と。故に嘗て陰かに謀臣を養ひて以て立たんことを求む。光既に専諸を得、善く客として之を待す。九年にして楚の平王死す。春、呉王僚、楚の喪に因りて、其の二弟公子蓋餘・属庸をして兵を将ゐて楚の灊を囲ましめ、延陵の季子をして晋に使ひせしめ、以て諸侯の変を観しむ。楚兵を発して呉将蓋餘・属庸の路を絶つ。呉兵還るを得ず。是に於て公子光専諸に謂ひて曰く、「此の時失ふべからず。求めずんば何をか獲ん。且つ光は真の王嗣なり、当に立つべし。季子来たると雖も、吾を廃せざるなり」と。専諸曰く、「王僚殺すべきなり。母老い子弱く、而して両弟兵を将ゐて楚を伐ち、楚其の後を絶つ。方今呉は外楚に困しみ、而して内空しくして骨鯁の臣無し。是れ我を如何ともする無し」と。
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史記 伍子胥列伝五年にして楚の平王卒す。初め、平王が奪ふ所の太子建の秦女、子の軫を生む。平王卒するに及び、軫竟に立ちて後と為る、是を昭王と為す。呉王僚、楚の喪に因りて、二公子をして兵を将ゐて往きて楚を襲はしむ。楚兵を発して呉兵の後を絶ち、帰るを得ず。呉国内空し、而して公子光乃ち専諸をして呉王僚を襲刺せしめて自立す、是を呉王闔廬と為す。闔廬既に立ち、志を得たり。乃ち伍員を召して以て行人と為し、与に国事を謀る。
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『新序』節士第七僚なる者は、長子の庶兄なり。自立して吳王と爲る。季子使いして還る。至れば則ち君として之に事う。遏の子を王子光と曰う。號して闔閭と曰う。悦ばずして曰く、先君の爲す所、子に與えずして弟に與うるは、凡そ季子の爲なり。將に先君の命に從わんとせば、則ち國は之を季子に宜しとす。如し先君の命に從わずして子に與うれば、我宜しく當に立つべき者なり。僚惡くんぞ君爲るを得んや、と。是に於いて專諸をして僚を刺さしめ、國を季子に致す。季子曰く、爾我が君を殺す。吾爾の國を受くれば、是れ吾爾と亂を爲すなり。爾我が兄を殺す。吾又た爾を殺さば、是れ父子兄弟相い殺し、身を終うるまで已む無きなり、と。去りて延陵に之き、身を終うるまで吳國に入らず。故に號して延陵季子と曰う。君子其の國を受けざるを以て義と爲し、其の殺さざるを以て仁と爲す。是を以て春秋季子を賢として之を尊貴するなり。
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史記 伍子胥列伝之を久しくして、楚の平王、其の辺邑鐘離と呉の辺邑卑梁氏と俱に蠶し、両女子桑を争ひて相ひ攻むるを以て、乃ち大いに怒り、両国兵を挙げて相ひ伐つに至る。呉、公子光をして楚を伐たしめ、其の鐘離・居巣を抜きて帰る。伍子胥、呉王僚に説きて曰く、「楚破る可きなり。願はくは復た公子光を遣せ」と。公子光、呉王に謂ひて曰く、「彼の伍胥の父兄は楚に戮せらる、而して王に楚を伐つを勧むるは、以て自ら其の讎に報いんと欲するのみ。楚を伐つも未だ破る可からざるなり」と。伍胥、公子光に内志有りて、王を殺して自立せんと欲し、未だ外事を以て説く可からざるを知り、乃ち専諸を公子光に進め、退きて太子建の子の勝と野に耕す。
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史記 呉太伯世家七年、楚の公子囲、其の王夾敖を弑して代りて立つ。是れを霊王と為す。十年、楚の霊王、諸侯を会して以て呉の朱方を伐ち、以て斉の慶封を誅す。呉も亦楚を攻め、三邑を取りて去る。十一年、楚、呉を伐ちて雩婁に至る。十二年、楚復た来り伐ち、乾谿に次る。楚の師敗走す。十七年、王余祭卒し、弟余眛立つ。王余眛の二年、楚の公子棄疾、其の君霊王を弑して代りて立つ。四年、王余眛卒し、弟季札に授けんと欲す。季札譲りて、逃げ去る。是に於て呉人曰く、「先王命有り、兄卒すれば弟代りて立ち、必ず季子に致さんと。季子今位を逃る、則ち王余眛後に立つ。今卒す、其の子当に代るべし」と。乃ち王余眛の子僚を立てて王と為す。王僚の二年、公子光、楚を伐ち、敗れて王舟を亡ふ。光懼れ、楚を襲ひ、復た王舟を得て還る。五年、楚の亡臣伍子胥来奔し、公子光之を客とす。公子光とは、王諸樊の子なり。常に以為へらく、吾が父の兄弟四人、当に伝へて季子に至るべし。季子即し国を受けずんば、光の父先に立つ。即し季子に伝へずんば、光当に立つべしと。陰かに賢士を納れ、以て王僚を襲はんと欲す。八年、呉、公子光をして楚を伐たしむ。楚の師を敗り、楚の故の太子建の母を居巣に迎へて以て帰る。因りて北伐し、陳・蔡の師を敗る。九年、公子光、楚を伐ち、居巣・鍾離を抜く。初め、楚の辺邑卑梁氏の処女、呉の辺邑の女と桑を争ひ、二女の家怒りて相滅し、両国の辺邑の長之を聞き、怒りて相攻め、呉の辺邑を滅す。呉王怒り、故に遂に楚を伐ち、両都を取りて去る。伍子胥の初めて呉に奔るや、呉王僚に説くに楚を伐つの利を以てす。公子光曰く、「胥の父兄は楚に僇せらる。自ら其の仇に報いんと欲するのみ。未だ其の利を見ず」と。
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