論語 / 憲問篇
子曰:『士而懷居、不足以為士矣。』
新字:子曰:『士而懐居、不足以為士矣。』
書き下し
子曰く、『士にして居を懐(おも)えば、以て士と為すに足らず。』
現代語訳
孔子が『士でありながら、平穏な暮らしを懐かしむようでは、士とするに足りない』と言われた。
解説
孔子は、志を立てた人が心の中でひそかに「今のままの楽な暮らしでいい」と思うようになったら、その時点でもう志ある人とは呼べない、と厳しく言っています。ここで戒められているのは贅沢そのものではなく、居心地のよさに慣れて挑戦する気持ちを失ってしまうことです。仕事であれば、慣れた業務だけをこなして新しいことを避けるようになった状態がこれに当たりますし、家庭でも、子育てや近所付き合いで「波風を立てなければそれでいい」と守りに入ってしまうことがあります。大事なのは、今の暮らしが安定しているかどうかではなく、心のどこかで「このままでいい」と挑戦を手放していないかを、時々自分に問いかけることです。安住を求める気持ちは誰にでも自然に湧いてきますが、それに気づいて踏みとどまれるかどうかが、志を持ち続けられるかの分かれ目になります。
この章句が説くこと
覚悟ビジョン現状維持バイアス挑戦自己修養
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