葉隠 / 聞書第一
古人の覺悟は深き事なり。十三以上六十以下出陣と云ふ事あり。それ故に、古老は年をかくすといへり。
新字:古人の覚悟は深き事なり。十三以上六十以下出陣と云ふ事あり。それ故に、古老は年をかくすといへり。
書き下し
古人(こじん)の覚悟は深き事なり。十三以上六十以下出陣と云う事あり。それ故に、古老(ころう)は年をかくすといえり。
現代語訳
昔の人の覚悟は深いものだ。十三歳以上六十歳以下は出陣する、という決まりがあった。だからこそ老武士は自分の年齢を隠したのである。
解説
昔の武士は十三から六十までを戦の担い手と考えていました。だからこそ老武士は、年齢を理由に役目を免れることを潔しとせず、あえて年を隠して現役であり続けようとした、という一節です。背景には、老いても主君のために働く覚悟を失わない葉隠の武士像があります。年齢を言い訳にして責任から退くのではなく、最後まで一人前として立とうとする姿勢です。現代でも、年齢や立場を理由に挑戦や役割を手放してしまう場面は多いでしょう。この言葉は、いくつになっても現役の気概を保ち、自分を戦力として差し出し続ける生き方を静かに問いかけているように読めます。
この章句が説くこと
覚悟年齢を言い訳にしない現役の気概責任老いと務め武士道
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