葉隠 / 聞書第一
打返しの仕樣は、踏懸けて切殺さるゝ迄なり。これにて恥にならぬなり。仕果すべしと思ふ故、間に合はず。向は大勢などと云ひて時を移し、しまり止めになる相談に極まるなり。相手何千人もあれ、片端より撫切と思ひ定めて、立向ふ迄にて成就なり。多分仕濟ますものなり。又淺野殿浪人夜討も、泉岳寺にて腹切らぬが落度なり。又主を討たせて、敵を討つ事延びゝなり。若し、その内に吉良殿病死の時は殘念千萬なり。上方衆は智慧かしこき故、褒めらるゝ仕樣は上手なれども、長崎喧嘩の樣に無分別にする事はならぬなり。又曾我殿夜討も殊の外の延引。幕の紋見物の時、祐成圖をはづしたり。不運の事なり。五郎申樣見事なり。總じて斯樣の批判はせぬものなれども、これも武道の吟味なれば申すなり。前方に吟味して置かねば、行當りて分別出來合はぬ故、大かた恥になり候。話を聞覺え、物の本を見るも、かねての覺悟のためなり。就中、武道は今日の事も知らずと思ひて、日々夜々に簡條を立てゝ吟味すべき事なり。時の行掛りにて勝負はあるべし。恥をかゝぬ仕樣は別なり。死ぬ迄なり。これには智慧も業も入らぬなり。死ぬ迄といふは勝負を考へず、無二無三に死狂ひするばかりなり。これにて夢覺むるなり。
新字:打返しの仕様は、踏懸けて切殺さるゝ迄なり。これにて恥にならぬなり。仕果すべしと思ふ故、間に合はず。向は大勢などと云ひて時を移し、しまり止めになる相談に極まるなり。相手何千人もあれ、片端より撫切と思ひ定めて、立向ふ迄にて成就なり。多分仕済ますものなり。又浅野殿浪人夜討も、泉岳寺にて腹切らぬが落度なり。又主を討たせて、敵を討つ事延びゝなり。若し、その内に吉良殿病死の時は残念千万なり。上方衆は智慧かしこき故、褒めらるゝ仕様は上手なれども、長崎喧嘩の様に無分別にする事はならぬなり。又曽我殿夜討も殊の外の延引。幕の紋見物の時、祐成図をはづしたり。不運の事なり。五郎申様見事なり。総じて斯様の批判はせぬものなれども、これも武道の吟味なれば申すなり。前方に吟味して置かねば、行当りて分別出来合はぬ故、大かた恥になり候。話を聞覚え、物の本を見るも、かねての覚悟のためなり。就中、武道は今日の事も知らずと思ひて、日々夜々に簡条を立てゝ吟味すべき事なり。時の行掛りにて勝負はあるべし。恥をかゝぬ仕様は別なり。死ぬ迄なり。これには智慧も業も入らぬなり。死ぬ迄といふは勝負を考へず、無二無三に死狂ひするばかりなり。これにて夢覚むるなり。
書き下し
打返しの仕様(しよう)は、踏懸けて切り殺さるるまでなり。これにて恥(はじ)にならぬなり。仕果(しは)たすべしと思ふゆゑ、間(ま)に合はず。向(むこう)は大勢(おおぜい)などと云ひて時を移し、しまり止(どめ)になる相談に極(きわ)まるなり。相手何千人もあれ、片端(かたはし)より撫切(なでぎ)りと思ひ定めて、立ち向ふまでにて成就(じょうじゅ)なり。多分(たぶん)仕(し)済ますものなり。又(また)浅野殿(あさのどの)浪人(ろうにん)夜討(ようち)も、泉岳寺(せんがくじ)にて腹切らぬが落度(おちど)なり。又主(しゅ)を討たせて、敵(かたき)を討つ事延び延びなり。若(も)し、その内に吉良殿(きらどの)病死の時は残念千万なり。上方衆(かみがたしゅう)は智慧(ちえ)かしこきゆゑ、褒めらるる仕様は上手(じょうず)なれども、長崎喧嘩(ながさきけんか)の様に無分別(むふんべつ)にする事はならぬなり。又曾我殿(そがどの)夜討も殊(こと)の外(ほか)の延引(えんいん)。幕(まく)の紋(もん)見物(けんぶつ)の時、祐成(すけなり)図(ず)をはづしたり。不運の事なり。五郎(ごろう)申し様(よう)見事なり。総(そう)じてかやうの批判(ひはん)はせぬものなれども、これも武道(ぶどう)の吟味(ぎんみ)なれば申すなり。前方(ぜんぽう)に吟味して置かねば、行(ゆ)き当りて分別(ふんべつ)出来(でき)合はぬゆゑ、おおかた恥になり候。話を聞き覚え、物の本を見るも、かねての覚悟のためなり。就中(なかんずく)、武道は今日の事も知らずと思ひて、日々夜々(ひびよよ)に箇条(かじょう)を立てて吟味すべき事なり。時の行掛(ゆきがか)りにて勝負はあるべし。恥をかかぬ仕様は別(べつ)なり。死ぬまでなり。これには智慧も業(わざ)も入らぬなり。死ぬまでといふは勝負を考へず、無二無三(むにむざん)に死狂(しにぐる)ひするばかりなり。これにて夢(ゆめ)覚むるなり。
現代語訳
仕返し(打ち返し)は、踏み込んで斬り殺されるまでやるものだ。赤穂義士の敵討ちは、あまりに延び延びだった。仕返しのやり方は、踏み込んで斬り殺されるまで、これで恥にはならない。「必ず討ち果たそう」と考えるから、間に合わなくなるのだ。相手は大勢だなどと言って時を移すうちに、結局は打ち切りにしようという相談に落ち着いてしまう。相手が何千人いようと、片端から斬り伏せると心に決めて立ち向かうだけで、それで成就である。たいていはやり遂げられるものだ。また、浅野殿の浪人たち(赤穂浪士)の夜討ちも、泉岳寺で腹を切らなかったのは落ち度だ。主君を討たせておいて、敵を討つのがあれほど延び延びでは、もしその間に吉良殿が病死していたら無念千万だった。上方の人々は知恵が回るので、褒められるやり方は巧みだが、長崎喧嘩のように後先を考えず一途に動くことができない。また曾我兄弟の夜討ちもことのほか遅かった。幕の紋を見物していたとき、祐成は好機を逃した。不運なことだ。(弟の)五郎の言いようは見事であった。だいたいこうした批判はしないものだが、これも武道の吟味だから言うのだ。前もって吟味しておかなければ、いざその場に行き当たって分別が間に合わず、たいてい恥をかくことになる。話を聞き覚え、書物を読むのも、かねての覚悟のためである。とりわけ武道は、今日のことすら知れないと思って、日々夜々に箇条を立てて吟味すべきだ。勝負はその時の成り行き次第だろう。恥をかかないやり方は別で、それは死ぬまでやること、これに知恵も技も要らない。「死ぬまで」とは、勝ち負けを考えず、ただ無我夢中で死に物狂いになるばかりだ。それでこそ迷いの夢が覚めるのである。
解説
この章句が説くこと
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