史記 / 呂不韋列伝
呂不韋乃以五百金與子楚,為進用,結賓客;而復以五百金買奇物玩好,自奉而西游秦,求見華陽夫人姊,而皆以其物獻華陽夫人。因言子楚賢智,結諸侯賓客遍天下,常曰「楚也以夫人為天,日夜泣思太子及夫人」。夫人大喜。不韋因使其姊說夫人曰:「吾聞之,以色事人者,色衰而愛弛。今夫人事太子,甚愛而無子,不以此時蚤自結於諸子中賢孝者,舉立以為適而子之,夫在則重尊,夫百歲之後,所子者為王,終不失勢,此所謂一言而萬世之利也。不以繁華時樹本,即色衰愛弛後,雖欲開一語,尚可得乎?今子楚賢,而自知中男也,次不得為適,其母又不得幸,自附夫人,夫人誠以此時拔以為適,夫人則竟世有寵於秦矣。」華陽夫人以為然,承太子閒,從容言子楚質於趙者絕賢,來往者皆稱譽之。乃因涕泣曰:「妾幸得充後宮,不幸無子,願得子楚立以為適嗣,以託妾身。」安國君許之,乃與夫人刻玉符,約以為適嗣。安國君及夫人因厚餽遺子楚,而請呂不韋傅之,子楚以此名譽益盛於諸侯。呂不韋取邯鄲諸姬絕好善舞者與居,知有身。子楚從不韋飲,見而說之,因起為壽,請之。呂不韋怒,念業已破家為子楚,欲以釣奇,乃遂獻其姬。
新字:呂不韋乃以五百金与子楚,為進用,結賓客;而復以五百金買奇物玩好,自奉而西游秦,求見華陽夫人姊,而皆以其物献華陽夫人。因言子楚賢智,結諸侯賓客遍天下,常曰「楚也以夫人為天,日夜泣思太子及夫人」。夫人大喜。不韋因使其姊説夫人曰:「吾聞之,以色事人者,色衰而愛弛。今夫人事太子,甚愛而無子,不以此時蚤自結於諸子中賢孝者,舉立以為適而子之,夫在則重尊,夫百歳之後,所子者為王,終不失勢,此所謂一言而万世之利也。不以繁華時樹本,即色衰愛弛後,雖欲開一語,尚可得乎?今子楚賢,而自知中男也,次不得為適,其母又不得幸,自附夫人,夫人誠以此時抜以為適,夫人則竟世有寵於秦矣。」華陽夫人以為然,承太子閒,従容言子楚質於趙者絶賢,来往者皆称誉之。乃因涕泣曰:「妾幸得充後宮,不幸無子,願得子楚立以為適嗣,以託妾身。」安国君許之,乃与夫人刻玉符,約以為適嗣。安国君及夫人因厚餽遺子楚,而請呂不韋傅之,子楚以此名誉益盛於諸侯。呂不韋取邯鄲諸姫絶好善舞者与居,知有身。子楚従不韋飲,見而説之,因起為寿,請之。呂不韋怒,念業已破家為子楚,欲以釣奇,乃遂献其姫。
書き下し
呂不韋乃ち五百金を以て子楚に与へ、進用と為し、賓客を結ばしむ。而して復た五百金を以て奇物玩好を買ひ、自ら奉じて西のかた秦に游び、華陽夫人の姊に見えんことを求め、而して皆其の物を以て華陽夫人に献ず。因りて子楚の賢智にして、諸侯の賓客と結ぶこと天下に遍く、常に曰ふ「楚や夫人を以て天と為し、日夜泣きて太子及び夫人を思ふ」と言ふ。夫人大いに喜ぶ。不韋因りて其の姊をして夫人に説かしめて曰く、「吾之を聞く、色を以て人に事ふる者は、色衰へて愛弛むと。今、夫人は太子に事へ、甚だ愛せらるれども子無し。此の時を以て蚤く自ら諸子の中の賢孝なる者に結び、挙げ立てて以て適と為して之を子とせずんば、夫在らば則ち重く尊ばれ、夫百歳の後、子とする所の者王と為り、終に勢を失はず。此れ所謂一言にして万世の利なり。繁華の時を以て本を樹てずんば、即ち色衰へ愛弛むの後、一語を開かんと欲すと雖も、尚ほ得べけんや。今、子楚は賢にして、自ら中男にして、次として適と為るを得ず、其の母又幸せらるるを得ざるを知り、自ら夫人に附く。夫人誠に此の時を以て抜きて以て適と為さば、夫人は則ち世を竟ふるまで秦に寵有らん」と。華陽夫人以て然りと為し、太子の閒を承け、従容として子楚の趙に質たる者の絶だ賢にして、来往する者皆之を称誉すと言ふ。乃ち因りて涕泣して曰く、「妾幸ひに後宮に充つるを得たるも、不幸にして子無し。願はくは子楚を得て立てて以て適嗣と為し、以て妾が身を託さん」と。安国君之を許し、乃ち夫人と玉符を刻し、約して以て適嗣と為す。安国君及び夫人因りて厚く子楚に餽遺し、而して呂不韋に請ひて之に傅たらしむ。子楚此を以て名誉益々諸侯に盛んなり。呂不韋、邯鄲の諸姫の絶好にして善く舞ふ者を取りて与に居り、身有るを知る。子楚不韋に従ひて飲み、見て之を説び、因りて起ちて寿を為し、之を請ふ。呂不韋怒るも、念ふに業已に家を破りて子楚の為にし、以て奇を釣らんと欲す。乃ち遂に其の姫を献ず。
現代語訳
呂不韋はそこで五百金を子楚に与えて日々の費用とし、賓客と交わりを結ばせた。さらに五百金で珍しい品や愛玩の品を買い、自らそれを携えて西の秦に行き、華陽夫人の姉に面会を求め、それらの品をすべて華陽夫人に献上させた。そして、子楚は賢く聡明で、天下の諸侯の賓客と広く交わり、いつも「私は夫人を天と仰ぎ、日夜泣きながら太子と夫人をお慕いしている」と言っていると伝えた。夫人は大いに喜んだ。呂不韋はそこで姉に命じて夫人にこう説かせた。「聞くところでは、容色で人に仕える者は、容色が衰えれば愛も薄れるという。いま夫人は太子に仕えてたいへん寵愛されているが、子がない。今のうちに早く太子の子らのなかで賢く孝行な者と結び、跡継ぎに推し立てて自分の子としておかなければならない。そうすれば夫が生きているうちは重んじられ、夫が亡くなった後も自分の子とした者が王となって、最後まで勢いを失わない。これこそ一言で万世の利を得るということだ。花盛りの今のうちに根を張っておかなければ、容色が衰え愛が薄れてから一言口をきこうとしても、もうかなわないだろう。いま子楚は賢く、自分が真ん中の生まれで順番から跡継ぎになれず、母も寵愛されていないことを知っているので、自ら夫人を頼ってきている。夫人が本当に今この時に彼を抜擢して跡継ぎとなされば、夫人は生涯秦で寵愛を受けられるだろう」。華陽夫人はもっともだと思い、太子のくつろいでいるときを見はからって、趙に人質となっている子楚はたいへん賢く、行き来する者がみな褒めていると、それとなく話した。そして涙を流して言った。「私は幸いにも後宮に入れていただいたが、不幸にして子がいない。どうか子楚を跡継ぎに立てて、私の身を託させてほしい」。安国君はこれを承知し、夫人とともに玉の割符を刻んで、子楚を跡継ぎとすることを約束した。安国君と夫人はそこで子楚に手厚く贈り物をし、呂不韋に子楚の守り役を頼んだ。子楚はこれによって、諸侯の間でますます名声が高まった。呂不韋は邯鄲の女たちのなかでもとりわけ美しく舞の上手な者を選んで一緒に暮らしていたが、その女が身ごもったことを知った。子楚は呂不韋のところで酒を飲み、この女を見て気に入り、立ち上がって呂不韋の長寿を祝う杯をささげ、女を譲ってほしいと願った。呂不韋は怒ったが、すでに家財をなげうって子楚のために尽くしており、大きな獲物を釣り上げようとしていることを思い返し、ついにその女を献上した。
解説
関連する章句
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史記 呂不韋列伝深く語る。呂不韋曰く、「秦王老いたり。安国君太子と為るを得たり。竊かに聞く、安国君は華陽夫人を愛幸す。華陽夫人子無し。能く適嗣を立つる者は独り華陽夫人のみと。今、子の兄弟二十余人、子又中に居り、甚だしくは幸せられず、久しく諸侯に質たり。即し大王薨じ、安国君立ちて王と為らば、則ち子は長子及び諸子の旦暮前に在る者と太子を争ふを得る幾毋し」と。子楚曰く、「然り。之を為すこと柰何」と。呂不韋曰く、「子は貧しく、此に客たり。以て親に奉献し及び賓客を結ぶ有るに非ざるなり。不韋貧しと雖も、請ふ千金を以て子の為に西游し、安国君及び華陽夫人に事へ、子を立てて適嗣と為さん」と。子楚乃ち頓首して曰く、「必ず君の策の如くならば、請ふ秦国を分かちて君と之を共にせん」と。
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史記 呂不韋列伝呂不韋は、陽翟の大賈人なり。往来して賤きを販ひ貴きを売り、家千金を累ぬ。秦の昭王の四十年、太子死す。其の四十二年、其の次子安国君を以て太子と為す。安国君に子二十余人有り。安国君に甚だ愛する所の姫有り、立てて以て正夫人と為し、号して華陽夫人と曰ふ。華陽夫人子無し。安国君の中男を子楚と名づく。子楚の母を夏姫と曰ひ、愛せらるる毋し。子楚は秦の質子と為りて趙に於てす。秦数々趙を攻む。趙甚だしくは子楚を礼せず。子楚は秦の諸庶孽の孫にして、諸侯に質となり、車乗進用饒かならず、居処困しみ、意を得ず。呂不韋邯鄲に賈し、見て之を憐みて曰く、「此れ奇貨居くべし」と。乃ち往きて子楚に見え、説きて曰く、「吾能く子の門を大にせん」と。子楚笑ひて曰く、「且く自ら君の門を大にして、而る後に乃ち吾が門を大にせよ」と。呂不韋曰く、「子は知らざるなり。吾が門は子の門を待ちて大なり」と。子楚心に謂ふ所を知り、乃ち引きて与に坐し、
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戦国策・濮陽人呂不韋賈於邯鄲濮陽の人呂不韋、邯鄲に賈す。秦の質子異人を見て、歸りて父に謂ひて曰く、「田を耕すの利は幾倍ぞ。」曰く、「十倍。」「珠玉の贏は幾倍ぞ。」曰く、「百倍。」「國家の主を立つるの贏は幾倍ぞ。」曰く、「數ふる無し。」曰く、「今力田疾作するも、煖衣餘食を得ず。今國を建て君を立つれば、澤以て世に遺すべし。願はくは往きて之に事へん。」秦の子異人、趙に質たり、〈戶夘〉城に處る。故に往きて之に說きて曰く、「子傒に國を承くるの業有り、又母中に在り有り。今子中に母無く、外は不可知の國に託せらる。一日約に倍かば、身糞土と爲らん。今子吾が計事を聽きて歸るを求めば、以て秦國を有つべし。吾子の爲に秦に使ひして、必ず來りて子を請はん。」乃ち秦の王后の弟陽泉君に說きて曰く、「君の罪死に至る、君之を知るか。君の門下高尊の位に居らざる無く、太子の門下貴き者無し。君の府藏の珍珠寶玉、君の駿馬外廄に盈ち、美女後庭に充つ。王の春秋高く、一日山陵崩ぜば、太子事を用ゐ、君累卵より危ふく、朝生よりも壽ならず。說くこと一切を以て君をして富貴千萬歲ならしむべき有り、其れ太山四維よりも寧んじ、必ず危亡の患無からん。」陽泉君席を避けて、其の說を聞かんことを請ふ。不韋曰く、「王年高し。王后子無し。子傒に國を承くるの業有り、士倉又之を輔く。王一日山陵崩ぜば、子傒立ちて士倉事を用ゐ、王后の門必ず蓬蒿を生ぜん。子異人賢材なるに、棄てられて趙に在り、中に母無く、引領して西望し、一たび歸るを得んことを願ふ。王后誠に請ひて之を立てば、是れ子異人國無くして國有り、王后子無くして子有るなり。」陽泉君曰く、「然り。」入りて王后に說く。王后乃ち趙に請ひて之を歸せしむ。趙未だ之を遣らず。不韋趙に說きて曰く、「子異人は秦の寵子なり、中に母無く、王后取りて之を子とせんと欲す。秦をして趙を屠らんと欲せしめば、一子を顧みずして計を留めん、是れ空質を抱くなり。若し子異人をして歸りて立つを得しめば、趙厚く之を送遣し、是れ敢へて德に倍き施を畔かず、是れ自ら德の講と爲すなり。秦王老いたり、一日晏駕せば、子異人有りと雖も、以て秦を結ぶに足らず。」趙乃ち之を遣る。異人至る。不韋楚服を使ひて見えしむ。王后其の狀を悅び、其の知を高しとし、曰く、「吾は楚人なり。」而して自ら之を子とし、乃ち其の名を變じて楚と曰ふ。王子をして誦せしむ。子曰く、「少くして棄捐せられて外に在り、嘗て師傅の教學する所無く、誦に習はず。」王之を罷む、乃ち留止す。間に曰く、「陛下嘗て趙に軔車せり。趙の豪桀、名を知られたる者少なからず。今大王反國して、皆西面して望む。大王一介の使も以て之を存する無くば、臣恐らくは其れ皆怨心有らん。邊境をして早く閉ぢ晚く開かしめん。」王以て然りとし、其の計を奇とす。王后立つるを勸む。王乃ち相を召し、之に令して曰く、「寡人の子は楚に若く莫し。」立てて以て太子と爲す。子楚立ち、不韋を以て相と爲し、號して文信侯と曰ひ、藍田十二縣を食む。王后華陽太后と爲り、諸侯皆な秦に邑を致す。
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史記 呂不韋列伝姫自ら身有るを匿し、大期の時に至りて、子政を生む。子楚遂に姫を立てて夫人と為す。秦の昭王の五十年、王齮をして邯鄲を囲ましむ。急にして、趙子楚を殺さんと欲す。子楚、呂不韋と謀り、金六百斤を行りて守者の吏に予へ、脱るるを得て、亡げて秦軍に赴き、遂に以て帰るを得たり。趙、子楚の妻子を殺さんと欲す。子楚の夫人は趙の豪家の女なり。匿るるを得、故を以て母子竟に活くるを得たり。秦の昭王の五十六年、薨ず。太子安国君立ちて王と為り、華陽夫人を王后と為し、子楚を太子と為す。趙も亦子楚の夫人及び子政を奉じて秦に帰す。秦王立つこと一年にして薨ず。謚して孝文王と為す。太子子楚代りて立つ。是を荘襄王と為す。荘襄王の母とする所の華陽后を華陽太后と為し、真の母夏姫を尊びて以て夏太后と為す。荘襄王の元年、呂不韋を以て丞相と為し、封じて文信侯と為し、河南洛陽の十万戸を食ましむ。
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史記 呂不韋列伝始皇帝益々壮なり。太后の淫止まず。呂不韋、覚られて禍の己に及ばんことを恐れ、乃ち私かに大陰人嫪毐を求めて以て舎人と為す。時に倡楽を縦にし、毐をして其の陰を以て桐輪を闕けて行かしめ、太后をして之を聞かしめ、以て太后を啗はしむ。太后聞き、果して私かに之を得んと欲す。呂不韋乃ち嫪毐を進め、詐りて人をして腐罪を以て之を告げしむ。不韋又陰かに太后に謂ひて曰く、「詐りて腐を事とせしむべし。則ち給事中を得ん」と。太后乃ち陰かに厚く主腐者の吏に賜ひ、詐りて之を論じ、其の須眉を抜きて宦者と為し、遂に太后に侍するを得たり。太后私かに与に通じ、絶だ之を愛す。身有り。太后人の之を知らんことを恐れ、詐りて卜ふに時を避くべしとし、宮を徙して雍に居る。嫪毐常に従ひ、賞賜甚だ厚く、事皆嫪毐に決す。嫪毐の家僮数千人、諸客の宦を求めて嫪毐の舎人と為る者千余人。始皇の七年、荘襄王の母夏太后薨ず。孝文王の后を華陽太后と曰ひ、孝文王と寿陵に会葬す。夏太后の子荘襄王は芷陽に葬らる。故に夏太后独り別に杜の東に葬られ、曰く「東のかた吾が子を望み、西のかた吾が夫を望む。後百年、旁らに当に万家の邑有るべし」と。
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史記 楚世家太子寡人の重臣を陵殺し、謝せずして亡げ去る。寡人誠に怒りに勝へず、兵をして君王の辺を侵さしむ。今聞く、君王乃ち太子をして斉に質たらしめて以て平らがんことを求むと。寡人楚と境を接し界を壌(つら)ぬ。故に婚姻を為し、相親しむ所従(よ)りて久し。而るに今秦・楚驩しからずんば、則ち以て諸侯に令する無し。寡人願はくは君王と武関に会し、面して相約し、盟を結びて去らん。寡人の願ひなり。敢て以て下執事に聞す」と。楚の懐王秦王の書を見て、之を患ふ。往かんと欲すれば、欺かれんことを恐る。往くこと無からんとすれば、秦の怒らんことを恐る。昭雎曰く、「王行くこと毋かれ。而して兵を発して自ら守らんのみ。秦は虎狼なり。信ずべからず。諸侯を并するの心有り」と。懐王の子子蘭王に行かんことを勧めて曰く、「奈何ぞ秦の驩心を絶たん」と。是に於て往きて秦の昭王に会す。昭王詐りて一将軍をして兵を武関に伏せしめ、号して秦王と為す。楚王至れば、則ち武関を閉ぢ、遂に与に西のかた咸陽に至り、章台に朝せしむること、蕃臣の如くし、与に亢礼せず。楚の懐王大いに怒り、昭子の言を用ひざりしを悔ゆ。秦因りて楚王を留め、要むるに巫・黔中の郡を割くを以てす。楚王盟はんと欲するも、秦先づ地を得んと欲す。楚王怒りて曰く、「秦我を詐りて又彊ひて我に要むるに地を以てす」と。復た秦に許さず。秦因りて之を留む。楚の大臣之を患ひ、乃ち相与に謀りて曰く、「吾が王秦に在りて還るを得ず、要むるに割地を以てす。而して太子斉に質為り。斉・秦謀を合はせば、則ち楚国無からん」と。乃ち懐王の子の国に在る者を立てんと欲す。昭雎曰く、「王と太子と倶に諸侯に困しむ。而るに今又王命に倍きて其の庶子を立つるは、宜しからず」と。乃ち詐りて斉に赴す。斉の湣王其の相に謂ひて曰く、「太子を留めて以て楚の淮北を求むるに若かず」と。相曰く、「不可なり。郢中王を立てば、是れ吾空質を抱きて不義を天下に行ふなり」と。或ひと曰く、「然らず。
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