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名将言行録 / 『名将言行録』豐臣秀吉 家康を迎える夜の心配り

○十四年、秀吉、既に家康と和睦成り、九月二十七日、家康着京ありければ、秀吉、弟の秀長及び淺野長政を使にて、上京の忝きを謝し、偖兩三日風疾に侵されければ、急に參會六箇敷由を申し、偖諸大名へも對面の義、四五日延引と觸ければ、人々、家康切腹にても申付らるるかと疑ひあへり。此夜秀吉微行して家康の旅館に至り、上京の忝きを謝し、名物の刀を贈り酒酌み替はして歸れり。二十八日夜、又至り名物の茶壺を贈る。二十九日夜も亦至り、黄金三百枚を贈る。明る十月朔日の夜も又至り、小袖を贈り、偖明二日四ッ過までに御目に掛るべく候、兼ねて書狀に申す如く、少し懇懃に御挨拶成し賜はるべく左すれば、信長よりの侍大將、吾等を主人會釋に致候とのことなり。家康、上京致したる上は、御爲め宜しき樣に致すべき由、返答ありければ、秀吉三度拜して歸れり。偖二日の朝、今午の刻に、家康に對面之ある間、各束帶にて五つ半時に登城致すべくと相觸る。諸大名寄合、家康は、秀吉の母を人質に取り上京なれば、定めて上段へ上り申べく、其時我等は、秀吉被官の樣なるべしと申あへり。偖家康出られければ、新庄駿河守直頼、德川三河守と披露せり。そこにて秀吉、上京大義なりと言はる、家康如何にも懇懃に禮を申されけり。諸大名退出に、偖々家康は、秀吉を眞の主人の如く會釋せり、各我等惡しき分別なりと、此日より信長以來の侍大將、俄に秀吉を主人の如く仰ぎ尊敬以前に十倍せり。

新字:○十四年、秀吉、既に家康と和睦成り、九月二十七日、家康着京ありければ、秀吉、弟の秀長及び浅野長政を使にて、上京の忝きを謝し、偖両三日風疾に侵されければ、急に参会六箇敷由を申し、偖諸大名へも対面の義、四五日延引と触ければ、人々、家康切腹にても申付らるるかと疑ひあへり。此夜秀吉微行して家康の旅館に至り、上京の忝きを謝し、名物の刀を贈り酒酌み替はして帰れり。二十八日夜、又至り名物の茶壺を贈る。二十九日夜も亦至り、黄金三百枚を贈る。明る十月朔日の夜も又至り、小袖を贈り、偖明二日四ッ過までに御目に掛るべく候、兼ねて書状に申す如く、少し懇懃に御挨拶成し賜はるべく左すれば、信長よりの侍大将、吾等を主人会釈に致候とのことなり。家康、上京致したる上は、御為め宜しき様に致すべき由、返答ありければ、秀吉三度拝して帰れり。偖二日の朝、今午の刻に、家康に対面之ある間、各束帯にて五つ半時に登城致すべくと相触る。諸大名寄合、家康は、秀吉の母を人質に取り上京なれば、定めて上段へ上り申べく、其時我等は、秀吉被官の様なるべしと申あへり。偖家康出られければ、新庄駿河守直頼、徳川三河守と披露せり。そこにて秀吉、上京大義なりと言はる、家康如何にも懇懃に礼を申されけり。諸大名退出に、偖々家康は、秀吉を真の主人の如く会釈せり、各我等悪しき分別なりと、此日より信長以来の侍大将、俄に秀吉を主人の如く仰ぎ尊敬以前に十倍せり。

書き下し

○十四年、秀吉、既に家康と和睦成り、九月二十七日、家康着京ありければ、秀吉、弟の秀長及び淺野長政を使にて、上京の忝きを謝し、偖兩三日風疾に侵されければ、急に參會六箇敷由を申し、偖諸大名へも對面の義、四五日延引と觸ければ、人々、家康切腹にても申付らるるかと疑ひあへり。此夜秀吉微行して家康の旅館に至り、上京の忝きを謝し、名物の刀を贈り酒酌み替はして歸れり。二十八日夜、又至り名物の茶壺を贈る。二十九日夜も亦至り、黄金三百枚を贈る。明る十月朔日の夜も又至り、小袖を贈り、偖明二日四ッ過までに御目に掛るべく候、兼ねて書狀に申す如く、少し懇懃に御挨拶成し賜はるべく左すれば、信長よりの侍大將、吾等を主人會釋に致候とのことなり。家康、上京致したる上は、御爲め宜しき樣に致すべき由、返答ありければ、秀吉三度拜して歸れり。偖二日の朝、今午の刻に、家康に對面之ある間、各束帶にて五つ半時に登城致すべくと相觸る。諸大名寄合、家康は、秀吉の母を人質に取り上京なれば、定めて上段へ上り申べく、其時我等は、秀吉被官の樣なるべしと申あへり。偖家康出られければ、新庄駿河守直頼、德川三河守と披露せり。そこにて秀吉、上京大義なりと言はる、家康如何にも懇懃に禮を申されけり。諸大名退出に、偖々家康は、秀吉を眞の主人の如く會釋せり、各我等惡しき分別なりと、此日より信長以來の侍大將、俄に秀吉を主人の如く仰ぎ尊敬以前に十倍せり。

現代語訳

天正十四年、秀吉はすでに家康と和睦が成り、九月二十七日、家康が京に到着すると、秀吉は弟の秀長と浅野長政を使いとして、上京への礼を述べさせ、さらに、二、三日風邪を引いたので、すぐには対面しにくい旨を伝え、諸大名へも対面の件を四、五日延期する、と触れさせた。人々は、家康に切腹でも申し付けるのではないかと疑い合った。この夜、秀吉はお忍びで家康の旅館に行き、上京への礼を述べ、名物の刀を贈り、酒を酌み交わして帰った。二十八日の夜、また行って名物の茶壺を贈った。二十九日の夜も行って黄金三百枚を贈った。翌十月一日の夜もまた行き、小袖を贈り、さて明二日の四つ過ぎまでにお目にかかります、かねて書状にも申したように、少し丁重にご挨拶いただければ、信長以来の侍大将たちは私を主人として会釈するでしょう、とのことであった。家康は、上京した以上、貴殿のためによいようにいたそう、と返答すると、秀吉は三度拝して帰った。さて二日の朝、今日の午の刻に家康と対面する、おのおの正装で五つ半時に登城せよ、と触れた。諸大名が集まり、家康は秀吉の母を人質にして上京したのだから、上段に上がるだろう、そのとき我々は秀吉の家来のようになるだろう、と言い合った。さて家康が出てこられると、新庄駿河守直頼が、徳川三河守と披露した。そこで秀吉は、上京は大儀であったと言われ、家康はいかにも丁重に礼を述べた。諸大名は退出し、さて家康は秀吉を真の主人のように会釈した、我々は悪い考えをしていた、と口々に言い、この日から、信長以来の侍大将は、急に秀吉を主人のように仰ぎ、以前に十倍して尊敬した。

解説

家康が上京して秀吉に臣従する儀式を、前夜から周到に仕込んだとされる話です。秀吉は連夜、お忍びで家康のもとを訪ね、名物や黄金を贈り、翌日の挨拶を丁寧にしてほしいと頼みます。目的は家康を押さえ込むことではなく、家康が丁重に頭を下げる姿を諸大名に見せることでした。これは岡谷が集めた逸話のひとつで、細部は伝承として読むのが穏当です。大きな交渉では、相手を説得するだけでなく、周囲がその結果をどう受け取るかまで設計することが効きます。公の場の演出を、事前の根回しと贈り物で整える点は、現代のプロジェクト発表にも通じます。
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