葉隠 / 聞書第一
御縁組の時、何某一分を申し達し候。此の事、若き衆よく心得置くべき事なり。其の身氣味よく思うて、云ふべき事を云うて腹切りても本望と思ふべし。よく〳〵了簡候へ、何の益にも立たぬ事なり。我斯様の事を云うて腹切りても本望と思ふは、成程聞えたり。曲者などと思ふは以ての外なる取違なり。先づ申出でたる事其の詮なく、我が身は引取り、御養育も仕らず、追附御死去なされ候に、御看病も仕らず、殘念千萬なり。氣過ぎなる人は多分誤る所なり。總じて其の位に至らずして諫言するは却つて不忠なり。誠の者ならば、我が存寄りたる事を似合ひたる人に潜かに内談して、其の人の思寄にさせて云へば、其の事調はるなり。これ忠節なり。若し、内談にて其の人請合はずば、又外の人にも内談し、兎角色々心遣をして、其の事さへ調はる〻様にすれば、大忠節も知れぬ様にして居るものなり。幾人に内談しても、埒明かざる時は力に及ばず、其の分にて打過ぎ、又は起し立て〳〵すれば、多分叶ふものなり。我こそ曲者と云はる〻名聞計りにて、我が手柄にする故調はざるなり。申出でたる事益には立たず、人に難ぜられ、我が身を崩したる人數多これあるなり。畢竟眞の志なき故なり。我が身を一向に捨て〳〵て、主君の上どうなりとも好き様にとさへ思へば、紛る〻事はこれなく候なり。
新字:御縁組の時、何某一分を申し達し候。此の事、若き衆よく心得置くべき事なり。其の身気味よく思うて、云ふべき事を云うて腹切りても本望と思ふべし。よく〳〵了簡候へ、何の益にも立たぬ事なり。我斯様の事を云うて腹切りても本望と思ふは、成程聞えたり。曲者などと思ふは以ての外なる取違なり。先づ申出でたる事其の詮なく、我が身は引取り、御養育も仕らず、追附御死去なされ候に、御看病も仕らず、残念千万なり。気過ぎなる人は多分誤る所なり。総じて其の位に至らずして諫言するは却つて不忠なり。誠の者ならば、我が存寄りたる事を似合ひたる人に潜かに内談して、其の人の思寄にさせて云へば、其の事調はるなり。これ忠節なり。若し、内談にて其の人請合はずば、又外の人にも内談し、兎角色々心遣をして、其の事さへ調はる〻様にすれば、大忠節も知れぬ様にして居るものなり。幾人に内談しても、埒明かざる時は力に及ばず、其の分にて打過ぎ、又は起し立て〳〵すれば、多分叶ふものなり。我こそ曲者と云はる〻名聞計りにて、我が手柄にする故調はざるなり。申出でたる事益には立たず、人に難ぜられ、我が身を崩したる人数多これあるなり。畢竟真の志なき故なり。我が身を一向に捨て〳〵て、主君の上どうなりとも好き様にとさへ思へば、紛る〻事はこれなく候なり。
書き下し
御縁組(ごえんぐみ)の時、何某(なにがし)一分(いちぶん)を申し達し候。この事、若き衆(しゅう)よく心得(こころえ)置くべき事なり。その身(み)気味(きみ)よく思うて、云(い)ふべき事を云うて腹切(はらき)りても本望(ほんもう)と思ふべし。よくよく了簡(りょうけん)候へ、何の益(えき)にも立たぬ事なり。我(われ)かやうの事を云うて腹切りても本望と思ふは、なるほど聞(きこ)えたり。曲者(くせもの)などと思ふは以(もっ)ての外(ほか)なる取違(とりちが)ひなり。まづ申し出でたる事その詮(せん)なく、我が身は引き取り、御養育(ごよういく)も仕(つかまつ)らず、追付(おっつ)け御死去(ごしきょ)なされ候に、御看病(ごかんびょう)も仕らず、残念千万(ざんねんせんばん)なり。気過(きす)ぎなる人は多分(たぶん)誤(あやま)る所なり。総(そう)じてその位(くらい)に至らずして諫言(かんげん)するは却(かえ)つて不忠(ふちゅう)なり。誠(まこと)の者ならば、我が存(ぞん)じ寄りたる事を似合(にあ)ひたる人に潜(ひそ)かに内談(ないだん)して、その人の思ひ寄りにさせて云へば、その事調(ととの)はるなり。これ忠節(ちゅうせつ)なり。もし、内談にてその人請(う)け合はずば、また外(ほか)の人にも内談し、とかく色々心遣(こころづか)ひをして、その事さへ調はるる様にすれば、大忠節(だいちゅうせつ)も知れぬ様にして居るものなり。幾人(いくにん)に内談しても、埒(らち)明かざる時は力に及ばず、その分(ぶん)にて打ち過ぎ、または起こし立て起こし立てすれば、多分叶(かな)ふものなり。我こそ曲者と云はるる名聞(みょうもん)ばかりにて、我が手柄(てがら)にするゆゑ調はざるなり。申し出でたる事益には立たず、人に難(なん)ぜられ、我が身を崩(くず)したる人数多(あまた)これあるなり。畢竟(ひっきょう)真(しん)の志(こころざし)なきゆゑなり。我が身を一向(いっこう)に捨て捨てて、主君の上(うえ)どうなりとも好き様にとさへ思へば、紛(まぎ)るる事はこれなく候なり。
現代語訳
あるお縁組の折、某(なにがし)が自分の一存で意見を申し立てた。このことは、若い者たちがよく心得ておくべきである。自分ではよかれと思い、言うべきことを言って腹を切っても本望だ、と思うものだが、よくよく考えてみよ、それでは何の役にも立たないのだ。「自分はこういうことを言って腹を切っても本望だ」と思うのは、なるほど筋は通っている。それを「けしからぬ者」と見なすのはとんでもない取り違えだ。だが、せっかく申し立ててもその甲斐なく身を引くことになり、(主君の)ご養育も看病もできぬまま、やがて亡くなられてしまえば、無念千万である。血気にはやる人が多くしくじるのはここだ。そもそも、その地位に至らないのに諫言するのは、かえって不忠である。真の忠臣なら、自分の考えを、ふさわしい人にひそかに相談し、その人自身の考えとして言わせれば、事は整うものだ。これが忠節である。もし相談してその人が引き受けなければ、また別の人にも相談し、あれこれ心を配って、とにかく事さえ整うようにすれば、大きな忠節を、それと知られぬままに成し遂げているのだ。何人に相談しても埒があかなければ致し方なく、そのままにしておくか、繰り返し働きかければ、たいてい叶うものだ。「自分こそは骨のある者だ」という名声ばかりを求め、自分の手柄にしようとするから、事が整わないのである。せっかく申し立てても役に立たず、人に非難され、身を滅ぼした者が数多くいる。要するに、真の志がないからだ。わが身をすっかり捨てきって、主君の御身がどうであれよいようにと、ただそれだけを思えば、迷うことなど何もないのである。
解説
この章句が説くこと
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
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史記 穰侯列伝昭王の七年、樗里子死し、而して涇陽君をして斉に質たらしむ。趙人楼緩来たりて秦に相たり、趙利あらず、乃ち仇液をして秦に之かしめ、魏冉を以て秦の相と為さんことを請ふ。仇液将に行かんとす、その客宋公、液に謂ひて曰く、「秦公に聴かずんば、楼緩必ず公を怨まん。公は楼緩に謂ひて『請ふ公の為に秦に急にすること毋からん』と曰ふに若かず。秦王、趙の魏冉を相とせんことを請ふの急ならざるを見て、且に公に聴かざらんとす。公言ひて事成らずんば、以て楼子に徳とせられ、事成らば、魏冉故より公を徳とせん」と。是に於いて仇液これに従ふ。而して秦果たして楼緩を免じて魏冉秦に相たり。呂礼を誅せんと欲す、礼出でて斉に奔る。昭王の十四年、
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『配所残筆』配所殘筆(8)大猷院樣御前へ祖心昵近仕られ候時分、祖心被申候者、其方義御次て御座候て具達上聞候、折に其方事上意有之間、必家中へ奉公に罷出候事無用に可仕候、何卒御家人に罷成候やうに取持可被申由被申候、松平越中守殿御念頃故、右之次第具に御內意申上候へば、一段之事に候、表向越中守殿御取持可被下候、其方事松平伊豆守殿兼而能御存被成候間、當公方樣へ被召出候樣に仕候はゞ、早速首尾可仕候、祖心へも其段御相談可被成、先酒井日向守殿へも被仰遣候間、掛御目置候へと被仰候、御家老三輪權右衞門を差添られ、日向守殿へ拙者を遊され懸御目候、其後越中守殿仰られ候は、酒井空印公へ拙者事具に御物語被成置候間、左樣に心得候樣に被仰候、其節空印公事上意にて祖心下屋敷へ振舞申され候時分、拙者も被召出、御念頃之上、越中守殿拙者噂具に被仰候由御挨拶被成候、久世和州公上意にて祖心振舞被成、道春被召寄、老子經之講釋御座候時分。和州公被仰下、拙者も右之末座へ被召出候、祖心後に被申候者、
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史記 荊燕世家高后の時、斉人田生游びて資に乏しく、画を以て営陵侯沢に干む。沢大いに之を説び、金二百斤を用て田生の寿を為す。田生已に金を得て、即ち斉に帰る。二年、沢人をして田生に謂はしめて曰く、「与せざらん」と。田生長安に如き、沢に見えず、而して大宅を仮り、其の子をして呂后の幸する所の大謁者張子卿に事ふるを求めしむ。居ること数月、田生の子張卿に臨まんことを請ひ、親ら具を修む。張卿往くことを許す。田生盛んに帷帳共具し、譬へば列侯の如し。張卿驚く。酒酣にして、乃ち人を屏けて張卿に説きて曰く、「臣諸侯王の邸第百余を観るに、皆高祖の一切の功臣なり。今呂氏は雅故より本高帝を推轂して天下に就かしむ、功至大なり、又太后に親戚の重き有り。太后春秋長じ、諸呂弱し、太后呂産を立てて[呂]王と為し、代に王たらしめんと欲す。太后又重ねて之を発すれば、大臣の聴かざらんことを恐る。今卿最も幸せられ、大臣の敬する所なり、何ぞ大臣に風して以て太后に聞せしめざる、太后必ず喜ばん。諸呂已に王たらば、万戸侯も亦た卿の有なり。太后心に之を欲す、而して卿は内臣為り、急ぎ発せずんば、恐らくは禍身に及ばん」と。張卿大いに之を然りとし、乃ち大臣に風して太后に語らしむ。太后朝し、因りて大臣に問ふ。大臣呂産を立てて呂王と為さんことを請ふ。太后張卿に千斤の金を賜ふ、張卿其の半を以て田生に与ふ。田生受けず、因りて之に説きて曰く、「呂産王たるや、諸大臣未だ大いに服せず。今営陵侯沢は、諸劉にして、大将軍為り、独り此れのみ尚ほ觖望す。今卿太后に言ひ、十余県を列ねて之を王とせば、彼王たるを得て、喜びて去らん、諸呂の王益々固からん」と。張卿入りて言ふ、太后之を然りとす。乃ち営陵侯劉沢を以て瑯邪王と為す。瑯邪王乃ち田生と国に之く。田生沢に急ぎ行きて、留まること毋からんことを勧む。関を出づ、太后果たして人をして追ひて之を止めしむ、已に出でたれば、即ち還る。
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史記 張丞相列伝鄧通既に至り、文帝の為に泣きて曰く、「丞相幾(ほと)んど臣を殺さんとす」と。嘉丞相為ること五歳、孝文帝崩じ、孝景帝即位す。二年、晁錯内史と為り、貴幸せられて事を用ふ。諸法令多く変更を請ふ所あり。謫罰を以て諸侯を侵削せんと議す。而して丞相嘉は自ら言ふ所の用ひられざるを絀(くつ)とし、錯を疾む。錯内史為りしとき、門東に出で、便ならず。更に一門を穿ちて南に出だす。南に出づる者は、太上皇の廟の堧垣(ぜんゑん)なり。嘉之を聞き、此に因りて錯の擅に宗廟の垣を穿ちて門と為すを法(のつと)らんと欲し、奏して錯を誅せんことを請ふ。錯の客に錯に語る有り。錯恐れ、夜宮に入りて上謁し、自ら景帝に帰す。朝に至りて、丞相、内史錯を誅せんことを奏請す。景帝曰く、「錯の穿ちし所は真の廟垣に非ず、乃ち外の堧垣なり。故に他官其の中に居る。且つ又我之を為さしむ。錯罪無し」と。朝を罷め、嘉、長史に謂ひて曰く、「吾先づ錯を斬らずして、乃ち先づ之を請ひ、錯の売る所と為りしを悔ゆ」と。舎に至り、因りて血を欧(は)きて死す。謚して節侯と為す。子の共侯蔑代はり、三年にして卒す。子の侯去病代はり、三十一年にして卒す。子の侯臾代はり、六歳にして、九江の太守と為りて故の官の送るを受けて罪有るに坐して、国除かる。申屠嘉死せしより後、景帝の時、開封侯陶青・桃侯劉舍丞相と為る。今上の時に及び、柏至侯許昌・平棘侯薛沢・武彊侯荘青翟・高陵侯趙周等丞相と為る。皆列侯の継嗣を以て、娖娖(さくさく)として廉謹、丞相と為りて員に備はるのみ。能く功名を発明して当世に著はるる者有る所無し。
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史記 呂不韋列伝呂不韋乃ち五百金を以て子楚に与へ、進用と為し、賓客を結ばしむ。而して復た五百金を以て奇物玩好を買ひ、自ら奉じて西のかた秦に游び、華陽夫人の姊に見えんことを求め、而して皆其の物を以て華陽夫人に献ず。因りて子楚の賢智にして、諸侯の賓客と結ぶこと天下に遍く、常に曰ふ「楚や夫人を以て天と為し、日夜泣きて太子及び夫人を思ふ」と言ふ。夫人大いに喜ぶ。不韋因りて其の姊をして夫人に説かしめて曰く、「吾之を聞く、色を以て人に事ふる者は、色衰へて愛弛むと。今、夫人は太子に事へ、甚だ愛せらるれども子無し。此の時を以て蚤く自ら諸子の中の賢孝なる者に結び、挙げ立てて以て適と為して之を子とせずんば、夫在らば則ち重く尊ばれ、夫百歳の後、子とする所の者王と為り、終に勢を失はず。此れ所謂一言にして万世の利なり。繁華の時を以て本を樹てずんば、即ち色衰へ愛弛むの後、一語を開かんと欲すと雖も、尚ほ得べけんや。今、子楚は賢にして、自ら中男にして、次として適と為るを得ず、其の母又幸せらるるを得ざるを知り、自ら夫人に附く。夫人誠に此の時を以て抜きて以て適と為さば、夫人は則ち世を竟ふるまで秦に寵有らん」と。華陽夫人以て然りと為し、太子の閒を承け、従容として子楚の趙に質たる者の絶だ賢にして、来往する者皆之を称誉すと言ふ。乃ち因りて涕泣して曰く、「妾幸ひに後宮に充つるを得たるも、不幸にして子無し。願はくは子楚を得て立てて以て適嗣と為し、以て妾が身を託さん」と。安国君之を許し、乃ち夫人と玉符を刻し、約して以て適嗣と為す。安国君及び夫人因りて厚く子楚に餽遺し、而して呂不韋に請ひて之に傅たらしむ。子楚此を以て名誉益々諸侯に盛んなり。呂不韋、邯鄲の諸姫の絶好にして善く舞ふ者を取りて与に居り、身有るを知る。子楚不韋に従ひて飲み、見て之を説び、因りて起ちて寿を為し、之を請ふ。呂不韋怒るも、念ふに業已に家を破りて子楚の為にし、以て奇を釣らんと欲す。乃ち遂に其の姫を献ず。

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