史記 / 田単列伝
乃迎襄王於莒,入臨菑而聽政。襄王封田單,號曰安平君。
新字:乃迎襄王於莒,入臨菑而聴政。襄王封田単,号曰安平君。
書き下し
乃ち襄王を莒に迎へ、臨菑に入りて政を聴く。襄王、田単を封じ、号して安平君と曰ふ。
現代語訳
そこで(湣王の子の)襄王を莒から迎え、都の臨菑に入って政治を執らせた。襄王は田単に領地を与え、安平君と号した。
解説
斉の国土を取り戻した田単が、自ら王を名乗らず、莒に逃れていた湣王の子を迎えて都に戻す短い段です。一介の市場役人から将軍となり、七十余城を回復した功績を思えば、自立を勧める声があっても不思議ではありません。前の段で田単は、楽毅が斉王になろうとしているという噂を流して敵将を失脚させましたが、その噂の中身を自分が実行することはしませんでした。襄王はその功に報いて安平君の号を与えます。安平はかつて田単が鉄籠の工夫で一族を救った町で、その名を冠したところに因縁が感じられます。大きな成果を上げた人が、その成果を私物化せず本来の持ち主に返すことで、かえって信頼と地位を確かなものにする。組織の立て直しを任された人にとっても、最後の身の処し方は成果と同じくらい重く見られます。
関連する章句
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史記 田敬仲完世家襄王莒に在ること五年、田単即墨を以て燕軍を攻破し、襄王を莒に迎へ、臨菑に入る。齊の故地尽く復た齊に属す。齊田単を封じて安平君と為す。
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戦国策・燕攻齊齊破燕齊を攻め、齊破る。閔王莒に奔り、淖歯閔王を殺す。田単即墨の城を守り、燕兵を破り、齊墟を復す。襄王太子と為りて徴せらる。齊燕を破るを以て、田単の立つこと疑わる、齊国の衆、皆田単を以て自立せんとすと為すなり。襄王立ち、田単之に相たり。菑水を過ぐるに、老人有り菑を渉りて寒く、出でて行く能わず、沙中に坐す。田単其の寒きを見、後車をして衣を分たしめんと欲するも、以て分つべき無く、単裘を解きて之に衣せしむ。襄王之を悪みて曰く、「田単の施しは、将に以て我が国を取らんと欲するか。早く図らずんば、恐らくは之に後れん」と。左右を顧みるに人無く、巌下に珠を貫く者有り、襄王呼びて之に問いて曰く、「女吾が言を聞くか」と。対えて曰く、「之を聞けり」と。王曰く、「女以て何如と為すか」と。対えて曰く、「王は因りて以て己の善と為すに如かず。王単の善を嘉して、令を下して曰く、『寡人民の饑うるを憂え、単収めて之を食わしめ、寡人民の寒きを憂え、単裘を解きて之に衣せしめ、寡人百姓を憂労し、単も亦た之を憂う、寡人の意に称う』と。単是の善有りて王之を嘉し、単の善を善しとせば、亦た王の善のみ」と。王曰く、「善し」と。乃ち単に牛酒を賜い、其の行を嘉す。後数日、珠を貫く者復た王に見えて曰く、「王朝日に至らば、宜しく田単を召して之を庭に揖し、口に之を労うべし。乃ち令を布きて百姓の饑寒する者を求め、之を収穀せしめよ」と。乃ち人をして閭里に聴かしむるに、丈夫の相い□と語るを聞き、□□□□を挙げて曰く、「田単の人を愛す、嗟、乃ち王の教沢なり」と。
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史記 田単列伝田単は、斉の諸田の疏属なり。湣王の時、単は臨菑の市掾と為るも、知られず。燕、楽毅をして斉を伐ち破らしむるに及び、斉の湣王出奔し、已にして莒城を保つ。燕の師長駆して斉を平らぐ。而して田単は安平に走り、其の宗人をして尽く其の車軸の末を断ちて鉄籠を傅けしむ。已にして燕軍安平を攻め、城壊れ、斉人走りて塗を争ひ、轊の折るるを以て車敗れ、燕の虜とする所と為る。唯だ田単の宗人のみ鉄籠の故を以て脱るるを得、東して即墨を保つ。燕既に尽く斉の城を降し、
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史記 田単列伝初め、淖歯の湣王を殺すや、莒人、湣王の子法章を求め、之を太史嬓の家に得たり。人の為に園に灌ぐ。嬓の女憐みて善く之を遇す。後、法章私かに情を以て女に告ぐ。女遂に与に通ず。莒人共に法章を立てて斉王と為し、莒を以て燕を距ぐに及び、而して太史氏の女遂に后と為る。所謂「君王后」なり。
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史記 田単列伝唯だ独り莒と即墨とのみ下らず。燕軍、斉王の莒に在るを聞き、兵を并せて之を攻む。淖歯既に湣王を莒に殺し、因りて堅く守り、燕軍を距ぐこと数年、下らず。燕、兵を引きて東して即墨を囲む。即墨の大夫出でて与に戦ひ、敗れて死す。城中相与に田単を推して曰く、「安平の戦に、田単の宗人は鉄籠を以て全きを得たり。兵に習ふ」と。立てて以て将軍と為し、即墨を以て燕を距がしむ。頃之して、燕の昭王卒し、恵王立つ。楽毅と隙有り。田単之を聞き、乃ち反間を燕に縦ちて、宣言して曰く、「斉王已に死し、城の抜けざる者は二つのみ。楽毅は誅を畏れて敢て帰らず、斉を伐つを以て名と為すも、実は兵を連ねて南面して斉に王たらんと欲す。斉人未だ附かず、故に且く即墨を攻むるを緩めて以て其の事を待つ。斉人の懼るる所は、唯だ他将の来たらんことを恐るるのみ。即墨残はれん」と。燕王以て然りと為し、騎劫をして楽毅に代らしむ。楽毅因りて趙に帰し、燕人の士卒忿る。而して田単乃ち城中の人をして食ふに必ず其の先祖を庭に祭らしむ。飛鳥悉く城中に翔舞して下りて食ふ。燕人之を怪しむ。田単因りて宣言して曰く、「神来り下りて我に教ふ」と。乃ち城中の人に令して曰く、「当に神人の我が師と為る有るべし」と。一卒有りて曰く、「臣以て師と為るべきか」と。因りて反り走る。田単乃ち起ち、引きて還し、東嚮して坐せしめ、之に師事す。卒曰く、「臣、君を欺けり。誠に能無きなり」と。田単曰く、「子言ふ勿かれ」と。因りて之を師とす。約束を出だす毎に、必ず神師と称す。乃ち宣言して曰く、「吾は唯だ燕軍の得る所の斉の卒を劓し、之を前行に置きて我と戦はんことを懼る。即墨敗れん」と。燕人之を聞き、其の言の如くす。城中の人、斉の諸の降る者の尽く劓せらるるを見て、皆怒り、堅く守り、唯だ得らるるを恐る。単又反間を縦ちて曰く、「吾は燕人の吾が城外の冢墓を掘り、先人を僇しめんことを懼る。寒心すべし」と。燕軍尽く壟墓を掘り、死人を焼く。即墨の人、城上より望み見て、皆涕泣し、倶に出でて戦はんと欲し、怒り自ら十倍す。
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戦国策・貂勃常惡田單貂勃常に田単を悪みて曰く、「安平君は、小人なり」と。安平君之を聞き、故に酒を為して貂勃を召して曰く、「単何を以て先生に罪を得たれば、故に常に朝に譽めらるるか」と。貂勃曰く、「跖の狗堯に吠ゆるは、跖を貴びて堯を賤しむに非ざるなり、狗固より其の主に非ざるに吠ゆるなり。且つ今公孫子をして賢ならしめ、徐子をして不肖ならしむ。然れども公孫子をして徐子と鬬わしめば、徐子の狗、猶お時に公孫子の腓を攫みて之を噬まん。若し乃ち不肖なる者を去ることを得て、賢者の狗と為らば、豈に特だ其の腓を攫みて之を噬むのみならんや」と。安平君曰く、「敬んで命を聞けり」と。明日、之を王に任ず。王に幸臣九人の属有り、安平君を傷わんと欲し、相い与に王に語りて曰く、「燕の齊を伐つの時、楚王将軍をして万人を将いて齊を佐けしむ。今国已に定まり、社稷已に安んず、何ぞ使者をして楚王に謝せしめざる」と。王曰く、「左右孰れか可ならん」と。九人の属曰く、「貂勃可なり」と。貂勃楚に使いす。楚王受けて之を觴し、数日反らず。九人の属相い与に王に語りて曰く、「夫れ一人の身にして、万乗を牽き留むるは、豈に勢に拠るを以てせざらんや。且つ安平君の王に与するや、君臣礼無く、上下別無し。且つ其の志不善を為さんと欲す。内は百姓を牧し、其の心を循撫し、窮を振い不足を補い、徳を民に布く。外は戎翟・天下の賢士を懐け、陰に諸侯の雄俊豪英を結ぶ。其の志為す有らんと欲するなり。願わくは王の之を察せよ」と。異日、王曰く、「相単を召し来らしめよ」と。田単冠を免れ跣足肉袒して進み、退きて死罪を請う。五日にして、王曰く、「子寡人に罪無し、子は子の臣たるの礼を為せ、吾は吾が王たるの礼を為すのみ」と。貂勃楚より来り、王諸を前に賜い、酒酣にして、王曰く、「相田単を召し来らしめよ」と。貂勃席を避けて稽首して曰く、「王悪んぞ此の亡国の言を得るか。王上なる者は周文王と孰れぞ」と。王曰く、「吾若かざるなり」と。貂勃曰く、「然り、臣固より王の若かざるを知る。下なる者は齊桓公と孰れぞ」と。王曰く、「吾若かざるなり」と。貂勃曰く、「然り、臣固より王の若かざるを知る。然らば則ち周文王は呂尚を得て以て太公と為し、齊桓公は管夷吾を得て以て仲父と為す。今王は安平君を得て独り『単』と曰う。且つ天地の闢けてより、民人の治まるより、人臣為るの功なる者、誰か安平君より厚き者有らんや。而るに王『単、単』と曰う。悪んぞ此の亡国の言を得るか。且つ王先王の社稷を守る能わず、燕人師を興して齊墟を襲い、王走りて城陽の山中に之く。安平君惴惴たるの即墨、三里の城、五里の郭、敝卒七千を以て、其の司馬を禽にし、千里の齊を反す、安平君の功なり。是の時に当りてや、城陽を闔じて王とせば、城陽・天下之を止むる莫し。然れども之を道に計り、之を義に帰し、以て不可と為し、故に桟道木閣を為して、王と后とを城陽山中に迎う、王乃ち反るを得て、百姓に臨む。今国已に定まり、民已に安んずるに、王乃ち『単』と曰う。且つ嬰児の計すら此れを為さず。王亟かに此の九子なる者を殺して以て安平君に謝せずんば、然らずんば国危うし」と。王乃ち九子を殺して其の家を逐い、安平君に益封するに夜邑万戸を以てす。
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