史記 / 廉頗藺相如列伝
楚聞廉頗在魏,陰使人迎之。廉頗一爲楚將,無功,曰:「我思用趙人。」廉頗卒死於壽春。
新字:楚聞廉頗在魏,陰使人迎之。廉頗一為楚将,無功,曰:「我思用趙人。」廉頗卒死於寿春。
書き下し
楚、廉頗の魏に在るを聞き、陰かに人をしてこれを迎へしむ。廉頗一たび楚の将と為るも、功無し、曰く、「我は趙人を用ひんことを思ふ」と。廉頗卒に寿春に死す。
現代語訳
楚は廉頗が魏にいると聞いて、ひそかに人をやって迎えさせた。廉頗は一度楚の将となったが、手柄を立てられず、「わしは趙の兵を率いたいものだ」と言った。廉頗は結局、楚の寿春で亡くなった。
解説
名将廉頗の最期を記した短い段です。魏で用いられなかった廉頗は、楚にひそかに迎えられて将となりましたが、何の功も立てられませんでした。そして「我は趙人を用ひんことを思ふ」、つまり「趙の兵を率いたい」と漏らし、そのまま楚の都寿春で亡くなります。この直前には、趙王が廉頗を呼び戻そうと使者を送ったところ、廉頗は一斗の飯と十斤の肉を平らげ、鎧を着て馬に乗って健在ぶりを示したのに、廉頗を嫌う郭開に買収された使者が「食事の間に三度厠に立った」と報告したため、呼び戻しが取りやめになったという有名な逸話があります(直前の章句にあります)。どれほどの名将でも、気心の知れた兵と、長年戦ってきた土地を離れては力を発揮できなかったのです。人の能力は、その人を知り、信頼する仲間と環境があってこそ生きるものであり、場所を変えれば同じ成果が出せるとは限らないという点は、今の転職や異動を考えるときにも示唆に富む話です。
関連する章句
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史記 廉頗藺相如列伝居ること六年、趙、廉頗をして魏の繁陽を伐たしめ、これを抜く。趙の孝成王卒し、子の悼襄王立ち、楽乗をして廉頗に代へしむ。廉頗怒り、楽乗を攻む、楽乗走る。廉頗遂に魏の大梁に奔る。その明年、趙乃ち李牧を以て将と為して燕を攻め、武遂・方城を抜く。廉頗、梁に居ること久しくして、魏信用する能はず。
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史記 廉頗藺相如列伝趙数々秦の兵に困しめらるるを以て、趙王復た廉頗を得んことを思ひ、廉頗も亦た復た趙に用ゐられんことを思ふ。趙王使者をして廉頗の尚ほ用ゐる可きや否やを視しむ。廉頗の仇郭開多く使者に金を与へ、之を毀らしむ。趙の使者既に廉頗に見ゆ。廉頗之が為に一飯斗米、肉十斤、甲を被り馬に上り、以て尚ほ用ゐる可きを示す。趙の使還りて王に報じて曰く、「廉将軍老いたりと雖も、尚ほ善く飯す、然れども臣と坐するに、頃之に三たび矢(し)を遺せり」と。趙王以て老いたりと為し、遂に召さず。
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史記 廉頗藺相如列伝趙の悼襄王の元年、廉頗既に亡げて魏に入り、趙、李牧をして燕を攻めしめ、武遂・方城を抜く。居ること二年、龐暖燕の軍を破り、劇辛を殺す。後七年、秦、趙の将扈輒を武遂に破り殺し、斬首十万。趙乃ち李牧を以て大将軍と為し、秦の軍を宜安に撃ち、大いに秦の軍を破り、秦の将桓齮を走らす。李牧を封じて武安君と為す。居ること三年、秦番吾を攻む、李牧秦の軍を撃破し、南のかた韓・魏を距ぐ。趙王遷の七年、秦、王翦をして趙を攻めしむ、趙、李牧・司馬尚をしてこれを禦がしむ。秦多く趙王の寵臣郭開に金を与へ、反間を為し、李牧・司馬尚反せんと欲すと言はしむ。趙王乃ち趙蔥及び斉の将顔聚をして李牧に代へしむ。李牧命を受けず、趙人をして微かに李牧を捕へ得しめ、これを斬る。司馬尚を廃す。後三月、王翦因りて急に趙を撃ち、大いに趙蔥を破り殺し、趙王遷及びその将顔聚を虜にし、遂に趙を滅ぼす。
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史記 廉頗藺相如列伝廉頗の長平より免ぜられて帰るや、勢を失ふの時、故客尽く去る。復た用ゐられて将と為るに及び、客又復た至る。廉頗曰く、「客退け」と。客曰く、「吁、君何ぞ之を見るの晩きや。夫れ天下は市道を以て交はる、君勢有れば、我則ち君に従ひ、君勢無ければ則ち去る、此れ固より其の理なり、何の怨みか有らん」と。
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史記 廉頗藺相如列伝奇兵を縦ち、詳りて敗走し、而してその糧道を絶ち、その軍を分断して二と為す、士卒心を離す。四十余日、軍餓う、趙括鋭卒を出だして自ら博戦す、秦の軍趙括を射殺す。括の軍敗れ、数十万の衆遂に秦に降る、秦悉くこれを阬にす。趙の前後に亡ふ所凡そ四十五万。明年、秦の兵遂に邯鄲を囲む、歳余にして、幾ど脱るるを得ず。楚・魏の諸侯来たり救ふに頼りて、乃ち邯鄲の囲みを解くを得たり。趙王もまた括の母の先言を以て、竟に誅せざるなり。邯鄲の囲み解けてより五年、而して燕、栗腹の謀を用ふ、曰く「趙の壮者は長平に尽き、その孤未だ壮ならず」と。兵を挙げて趙を撃つ。趙、廉頗をして将たらしめ、撃ちて、大いに燕の軍を鄗に破り、栗腹を殺し、遂に燕を囲む。燕五城を割きて和を請ふ、乃ちこれを聴す。趙、尉文を以て廉頗を封じて信平君と為し、仮の相国と為す。
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史記 廉頗藺相如列伝既に罷めて国に帰り、相如の功大なるを以て、拝して上卿と為し、位は廉頗の右に在り。廉頗曰く、「我は趙の将と為り、攻城野戦の大功有り、而るに藺相如は徒だ口舌を以て労と為し、而して位は我が上に居る。且つ相如は素賤人なり、吾羞ぢて、これが下と為るに忍びず」と。宣言して曰く、「我相如を見ば、必ずこれを辱めん」と。相如聞き、与に会ふことを肯んぜず。相如朝する時毎に、常に病と称し、廉頗と列を争ふことを欲せず。已にして相如出で、廉頗を望見す、相如車を引きて避け匿る。是に於いて舎人相与に諫めて曰く、「臣の親戚を去りて君に事ふる所以の者は、徒だ君の高義を慕へばなり。今、君は廉頗と列を同じくす、廉君悪言を宣べて、君畏れてこれに匿る、恐懼すること殊に甚だし。且つ庸人すら尚ほこれを羞づ、況んや将相に於いてをや。臣等不肖なり、請ふ辞し去らん」と。藺相如固くこれを止めて曰く、「公の廉将軍を視るに、秦王といづれぞ」と。曰く、「若かざるなり」と。相如曰く、「夫れ秦王の威を以てすら、而も相如これを廷に叱し、その群臣を辱む。相如駑なりと雖も、独り廉将軍を畏れんや。顧だ吾これを念ふに、彊秦の敢へて兵を趙に加へざる所以の者は、徒だ吾が両人の在るを以てなり。今、両虎共に闘はば、その勢ひ倶には生きざらん。吾の此を為す所以の者は、国家の急を先にして私讎を後にするを以てなり」と。廉頗これを聞き、肉袒して荊を負ひ、賓客に因りて藺相如の門に至りて罪を謝して曰く、「鄙賤の人、将軍の寛なることの此に至るを知らざりき」と。卒に相与に驩び、刎頸の交はりを為す。
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