史記 / 廉頗藺相如列伝
趙以數困於秦兵、趙王思復得廉頗、廉頗亦思復用於趙。趙王使使者視廉頗尚可用否。廉頗之仇郭開多與使者金、令毀之。趙使者既見廉頗、廉頗為之一飯斗米、肉十斤、被甲上馬、以示尚可用。趙使還報王曰、廉將軍雖老、尚善飯、然與臣坐、頃之三遺矢矣。趙王以為老、遂不召。
新字:趙以数困於秦兵、趙王思復得廉頗、廉頗亦思復用於趙。趙王使使者視廉頗尚可用否。廉頗之仇郭開多与使者金、令毀之。趙使者既見廉頗、廉頗為之一飯斗米、肉十斤、被甲上馬、以示尚可用。趙使還報王曰、廉将軍雖老、尚善飯、然与臣坐、頃之三遺矢矣。趙王以為老、遂不召。
書き下し
趙数々秦の兵に困しめらるるを以て、趙王復た廉頗を得んことを思ひ、廉頗も亦た復た趙に用ゐられんことを思ふ。趙王使者をして廉頗の尚ほ用ゐる可きや否やを視しむ。廉頗の仇郭開多く使者に金を与へ、之を毀らしむ。趙の使者既に廉頗に見ゆ。廉頗之が為に一飯斗米、肉十斤、甲を被り馬に上り、以て尚ほ用ゐる可きを示す。趙の使還りて王に報じて曰く、「廉将軍老いたりと雖も、尚ほ善く飯す、然れども臣と坐するに、頃之に三たび矢(し)を遺せり」と。趙王以て老いたりと為し、遂に召さず。
現代語訳
趙はたびたび秦軍に苦しめられたので、趙王はふたたび廉頗を得たいと思い、廉頗もまたふたたび趙に用いられたいと思っていた。趙王は使者をやって、廉頗がまだ使えるかどうかを見させた。廉頗の敵である郭開は、使者に多くの金を与え、廉頗を悪く言わせようとした。趙の使者は廉頗に会った。廉頗は使者の前で一食に米一斗と肉十斤をたいらげ、鎧をつけて馬に乗り、まだ使えることを示した。趙の使者は帰って王に報告した。「廉将軍は老いたとはいえ、まだよく食べます。ただ、私と座っている間に、三度も大便に立ちました」。趙王は老いたと判断し、ついに召し返さなかった。
解説
「わずかな讒言(買収された一言)が、有能な人材を国家の危機の局面で葬る」——老将・廉頗の悲運を描いた、「尚能飯否(まだ飯が食えるか)」の一段です。趙は秦の攻勢に苦しみ、王は名将・廉頗を再び起用しようと考えます。廉頗自身も、祖国のために再び働きたいと願っていました。王は、廉頗がまだ将軍として使えるかを確かめるため、使者を送ります。ところが、廉頗を恨む郭開という人物が、この使者に多額の賄賂を渡し、廉頗を悪く報告させるよう仕込んでいました。使者の前で、廉頗は自分がまだ現役だと示そうと、一度に米一斗と肉十斤を平らげ、鎧を着て馬に飛び乗ってみせます。老いてなお盛んな姿でした。しかし、買収された使者は王にこう報告します。「廉将軍は老いていますが、まだよく食べます。ただ、私と座っている短い間に、三度も便所に立ちました(=もう体がもたない)」と。この虚偽の一言で、王は「廉頗はもう老いぼれた」と判断し、ついに彼を呼び戻しませんでした。国家存亡の危機に、最も頼れる名将が、たった一言の讒言で葬られたのです。ここに、痛切な教訓があります。第一に、買収された虚偽の情報(讒言)が、いかに重大な判断を狂わせるか。廉頗は実際にはまだ十分使えたのに、賄賂を受けた使者の一言で、その真実が王に届かなかった。トップは、情報がどこかで歪められていないか、その情報源が利害で汚染されていないかを、常に警戒する必要があります。第二に、有能な人材が、本人の実力とは無関係な要因(個人的な恨み、賄賂、政治的な工作)で、活躍の機会を奪われる理不尽。廉頗の悲運は、実力があっても、それを正しく評価する仕組みがなければ、埋もれてしまうことを示します。第三に、一次情報の重要性。王が、使者の報告を鵜呑みにせず、自ら廉頗に会うか、複数の情報源で確かめていれば、この誤りは防げたはずです。組織で、重要な人事や判断を下すとき、その根拠となる情報が、利害関係者によって歪められていないかを疑い、可能な限り一次情報・複数の情報源で確かめること——廉頗の悲運は、それを怠った代償の大きさを教えます。
この章句が説くこと
廉頗尚能飯否讒言買収された情報一次情報の重要性有能な人材が埋もれる
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