呻吟語 / 内篇・修身・入る所を慎み、接する所を慎む
入廟不期敬而自敬,入朝不期肅而自肅,是以君子慎所入也。見嚴師則收斂,見狎友則放恣,是以君子慎所接也。
新字:入廟不期敬而自敬,入朝不期粛而自粛,是以君子慎所入也。見厳師則収斂,見狎友則放恣,是以君子慎所接也。
書き下し
廟に入れば敬を期せずして自ら敬し、朝に入れば肅を期せずして自ら肅たり。是を以て君子は入る所を慎むなり。嚴師を見れば則ち收斂し、狎友を見れば則ち放恣なり。是を以て君子は接する所を慎むなり。
現代語訳
廟に入れば敬おうと思わなくても自然に敬い、朝廷に入れば厳粛にしようと思わなくても自然に厳粛になります。だから君子は入る場所を慎みます。厳しい師に会えば引き締まり、馴れ合いの友に会えば勝手になります。だから君子は接する相手を慎みます。
解説
人の振る舞いが、意志ではなく場所と相手で決まることを認めた一段です。意識しなくても廟では敬い、馴れ合いの友の前では緩む。ならば直すべきは心構えではなく、どこへ行き誰と会うかになります。修養を環境設計の問題として捉えた実際的な見方で、意志の弱さを責めるより有効です。心構えを直すより、行き先と会う相手を選ぶほうが早い。修養を環境の設計として捉えた、実に実際的な一段です。
この章句が説くこと
環境場所交友自然設計
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