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講孟余話 / 滕文公下 第六章

一薜居州獨如宋王何、此章ノ義極テ明白、比喩極テ的切、而シテ到底又此一句ニ帰ス、然トモ是レ独リ人君ノ知ルヘキノミニ非ス、卿大夫士ニ至ル迄、爭臣爭友少ナクテハ、善ヲナスコト甚タ難シ更ニ一轉シテ思フニ、心ノ存スル所、身ノ行フ所、接スル所ノ事翫フ所ノ藝、皆善ニ非ルコトナクハ、何ヲ以テ不善ノ人タランヤ、故ニ云ク、小人間居シテ不善ヲナスト、不善ノ萠ハ必無事ニヨル者ナレハ、是ヲ思テ、身ヲ孝悌文武ノ内ニ漸漬シテ他念ヲ生スルニ暇ナクスヘシ、是亦莊嶽ニ置クノ意ナリ

新字:一薜居州独如宋王何、此章ノ義極テ明白、比喩極テ的切、而シテ到底又此一句ニ帰ス、然トモ是レ独リ人君ノ知ルヘキノミニ非ス、卿大夫士ニ至ル迄、争臣争友少ナクテハ、善ヲナスコト甚タ難シ更ニ一転シテ思フニ、心ノ存スル所、身ノ行フ所、接スル所ノ事翫フ所ノ芸、皆善ニ非ルコトナクハ、何ヲ以テ不善ノ人タランヤ、故ニ云ク、小人間居シテ不善ヲナスト、不善ノ萠ハ必無事ニヨル者ナレハ、是ヲ思テ、身ヲ孝悌文武ノ内ニ漸漬シテ他念ヲ生スルニ暇ナクスヘシ、是亦荘嶽ニ置クノ意ナリ

書き下し

「一薛居州、独り宋王を如何せん」。此の章の義極めて明白、比喩極めて的切、而して到底又此の一句に帰す。然れども是れ独り人君の知るべきのみに非ず。卿大夫士に至るまで、争臣争友少なくては、善をなすこと甚だ難し。更に一転して思ふに、心の存する所、身の行ふ所、接する所の事、翫ぶ所の芸、皆善に非ざることなくば、何を以て不善の人たらんや。故に云ふ、「小人間居して不善をなす」と。不善の萌しは必ず無事による者なれば、是れを思ひて、身を孝悌文武の内に漸漬して、他念を生ずるに暇なくすべし。是れ亦荘嶽に置くの意なり。

現代語訳

「薛居州という善人が一人いたところで、宋王一人をどうすることができようか」。この章の意味はきわめて明白で、たとえもきわめて的確であり、結局はまたこの一句に帰着する。しかしこれは君主だけが知るべきことではない。大臣から武士に至るまで、諫めてくれる家臣や友が少なくては、善を行うことはたいへん難しい。さらに一歩進めて考えると、心に抱くこと、身に行うこと、関わる事柄、親しむ芸事が、すべて善でないものがなければ、どうして不善の人になろうか。だから『大学』に「小人は暇でいると不善をなす」と言う。不善の芽は必ず何もすることがないところから生じるのだから、このことを思い、身を孝悌や文武の営みの中にどっぷり浸して、ほかの考えが起こる暇がないようにすべきである。これもまた、斉の言葉を覚えさせるには斉の町なかに置けという喩えの意味である。

解説

孟子は、楚の人の子に斉の言葉を学ばせたいなら、斉の都の荘や嶽という街に何年か住まわせるのが一番で、一人の斉人が教えても周りの楚人が騒げば身につかないと喩えました。王の周りに善人が一人だけでは王は変わらない、という話です。松陰はこれを君主だけでなく誰にでも当てはめ、諫めてくれる友がいなければ善は行いがたいと言い、さらに環境は自分でつくれると一歩進めます。暇があると人は悪いことを考えるのだから、孝悌や文武の稽古で日々を満たせ、と。人は環境に染まるという前提に立った、実践的な自己管理の勧めです。

この章句が説くこと

環境友諫め習慣孟子

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