呻吟語 / 外篇・品藻・至此不為君子、真小人なり
君子當事,則小人皆為君子,至此不為君子,真小人也;小人當事,則中人皆為小人,至此不為小人,真君子也。
新字:君子当事,則小人皆為君子,至此不為君子,真小人也;小人当事,則中人皆為小人,至此不為小人,真君子也。
書き下し
君子事に當たれば、則ち小人も皆な君子と為る。此に至りて君子と為らざるは、真の小人なり。小人事に當たれば、則ち中人も皆な小人と為る。此に至りて小人と為らざるは、真の君子なり。
現代語訳
君子が事を取り仕切れば、小人もみな君子のように振る舞います。そこまで来て君子にならない者は、本当の小人です。小人が事を取り仕切れば、中位の人もみな小人のように振る舞います。そこまで来て小人にならない者は、本当の君子です。
解説
上に立つ者が周りを染めることを前提に、例外を探します。君子の下でも君子にならない者は本物の小人、小人の下でも小人にならない者は本物の君子。環境に流されるのが普通だからこそ、流されない者が本物として見分けられます。人を試す条件として、環境を使った一段です。環境に流されるのが普通だからこそ、流されない者が見分けられます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
環境染まる例外本物見分け
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孫子・九地篇法に無きの賞を施し、政に無きの令を懸く。三軍の衆を犯すこと、一人を使うが若し。之を犯すに事を以てし、告ぐるに言を以てすること勿かれ。之を犯すに利を以てし、告ぐるに害を以てすること勿かれ。
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『政談』遊女河原者の種姓の分事並に乞食の締りの事善七手下になるときふる乞しきとも是をはういつむさんにあたる、元来こもかぶり宿なしと云ふものは死と紙一まいほとならてはへたてぬものなる故耻を知らす刑をも恐れす、それをふる乞しきはういつむさんにあたるときは其の心入りたかふて返りたる者になるへし、それをまた乞しきの役として刑罰人倒れもの川なかれ等のことを取りあつかはする故、益々その心暴虐不仁に成るも上の仕向にてなるなり、
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『肝要工夫録』・里と友を選ぶされば、人たるもの、よき里に居り、善友を擇みて、之と親めば、芝蘭の室に入るが如く、久しくして、その香きを知らず、また風俗あしき所に居り、惡人と交れば、鮑魚の肆に入るが如く、久しくして、その臭きことを知らざるが如くなれば、まづ里をゑらび、友を擇んで、常に古人の書をよみ、天より受け得し本の性善に立かへらむことこそ肝要の工夫なるべし、これを以て、古人の敎を和らげ、我人日々の行に手近きことどもを思ひはかりて、善道に導くの一助ともならむかと、拙き辭をかへりみず、その一端を記す。且つ古しへより、忠孝義烈の事を擧げむには、棟木にも滿つべし。その他、善行美事の如きも、記さむと欲すれども、是またかへつて見るにわづらはしかるべきことなれば、ただその要を述ぶるのみ。この書、誤れる事の多かるべければ、見る人、かならずさみすることなくして、改竄を加へて、予が恥かしめを補ひ給へかし。是れもとよりの願なれば、偏へに敎を希ふ而已。
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