史記 / 范雎蔡沢列伝
蔡澤曰:「若夫秦之商君,楚之吳起,越之大夫種,其卒然亦可願與?」應侯知蔡澤之欲困己以說,復謬曰:「何為不可?夫公孫鞅之事孝公也,極身無貳慮,盡公而不顧私;設刀鋸以禁姦邪,信賞罰以致治;披腹心,示情素,蒙怨咎,欺舊友,奪魏公子卬,安秦社稷,利百姓,卒為秦禽將破敵,攘地千里。吳起之事悼王也,使私不得害公,讒不得蔽忠,言不取茍合,行不取茍容,不為危易行,行義不辟難,然為霸主彊國,不辭禍凶。大夫種之事越王也,主雖困辱,悉忠而不解,主雖絕亡,盡能而弗離,成功而弗矜,貴富而不驕怠。若此三子者,固義之至也,忠之節也。是故君子以義死難,視死如歸;生而辱不如死而榮。士固有殺身以成名,雖義之所在,雖死無所恨。何為不可哉?」蔡澤曰:「主聖臣賢,天下之盛福也;君明臣直,國之福也;父慈子孝,夫信妻貞,家之福也。故比干忠而不能存殷,子胥智而不能完吳,申生孝而晉國亂。是皆有忠臣孝子,而國家滅亂者,何也?無明君賢父以聽之,故天下以其君父為僇辱而憐其臣子。今商君、吳起、大夫種之為人臣,是也;其君,非也。故世稱三子致功而不見德,豈慕不遇世死乎?
新字:蔡沢曰:「若夫秦之商君,楚之呉起,越之大夫種,其卒然亦可願与?」応侯知蔡沢之欲困己以説,復謬曰:「何為不可?夫公孫鞅之事孝公也,極身無貳慮,尽公而不顧私;設刀鋸以禁姦邪,信賞罰以致治;披腹心,示情素,蒙怨咎,欺旧友,奪魏公子卬,安秦社稷,利百姓,卒為秦禽将破敵,攘地千里。呉起之事悼王也,使私不得害公,讒不得蔽忠,言不取苟合,行不取苟容,不為危易行,行義不辟難,然為覇主彊国,不辞禍凶。大夫種之事越王也,主雖困辱,悉忠而不解,主雖絶亡,尽能而弗離,成功而弗矜,貴富而不驕怠。若此三子者,固義之至也,忠之節也。是故君子以義死難,視死如帰;生而辱不如死而栄。士固有殺身以成名,雖義之所在,雖死無所恨。何為不可哉?」蔡沢曰:「主聖臣賢,天下之盛福也;君明臣直,国之福也;父慈子孝,夫信妻貞,家之福也。故比干忠而不能存殷,子胥智而不能完呉,申生孝而晋国乱。是皆有忠臣孝子,而国家滅乱者,何也?無明君賢父以聴之,故天下以其君父為僇辱而憐其臣子。今商君、呉起、大夫種之為人臣,是也;其君,非也。故世称三子致功而不見徳,豈慕不遇世死乎?
書き下し
蔡沢曰く、「若し夫れ秦の商君、楚の呉起、越の大夫種、その卒然たるもまた願ふべきか」と。応侯、蔡沢の己を困しめて以て説かんと欲するを知り、また謬りて曰く、「何為れぞ不可ならん。夫れ公孫鞅の孝公に事ふるや、身を極めて貳慮無く、公を尽くして私を顧みず。刀鋸を設けて以て姦邪を禁じ、賞罰を信にして以て治を致す。腹心を披き、情素を示し、怨咎を蒙り、旧友を欺き、魏の公子卬を奪ひ、秦の社稷を安んじ、百姓を利し、卒に秦の為に将を禽にし敵を破り、地を攘ふこと千里。呉起の悼王に事ふるや、私をして公を害するを得ざらしめ、讒をして忠を蔽ふを得ざらしめ、言は茍合を取らず、行ひは茍容を取らず、危ふきが為に行ひを易へず、義を行ひて難を辟けず、然して霸主の為に国を彊くし、禍凶を辞せず。大夫種の越王に事ふるや、主困辱すと雖も、忠を悉くして解らず、主絶亡すと雖も、能を尽くして離れず、功を成して矜らず、貴富にして驕怠せず。此の三子の若き者は、固より義の至りなり、忠の節なり。是の故に君子は義を以て難に死し、死を視ること帰するが如し。生きて辱めらるるは死して栄あるに如かず。士は固より身を殺して以て名を成す有り、義の在る所と雖も、死すと雖も恨む所無し。何為れぞ不可ならんや」と。蔡沢曰く、「主聖に臣賢なるは、天下の盛福なり。君明に臣直なるは、国の福なり。父慈に子孝に、夫信に妻貞なるは、家の福なり。故に比干は忠なれども殷を存する能はず、子胥は智なれども呉を完くする能はず、申生は孝なれども晋国乱る。是れ皆忠臣孝子有りて、国家滅乱する者は、何ぞや。明君賢父以てこれを聴く無し。故に天下その君父を以て僇辱と為してその臣子を憐れむ。今、商君・呉起・大夫種の人臣たるは、是なり。その君は非なり。故に世に三子は功を致して徳とせられずと称す、豈に世に遇はずして死するを慕はんや。
現代語訳
蔡沢は言った。「では、秦の商君(商鞅)、楚の呉起、越の大夫種のように、最後に非業の死を遂げることも、願うべきことなのか。」応侯は、蔡沢が自分を言い詰めて説き伏せようとしていると知って、わざと逆のことを言った。「どうしていけないことがあろう。公孫鞅が孝公に仕えたときは、一身をささげて二心なく、公のために尽くして私事を顧みなかった。刑罰の刀や鋸を備えて悪事を禁じ、賞罰を確かなものにして国を治めた。胸の内をさらけ出し、真心を示し、恨みや非難を身に受け、旧友をも欺いて魏の公子卬を捕らえ、秦の国家を安泰にし、民に利益をもたらし、ついに秦のために敵将を捕らえ敵を破り、千里の地を切り開いた。呉起が悼王に仕えたときは、私情に公を害させず、讒言に忠臣を覆い隠させず、言葉はその場しのぎの迎合をせず、行いは人に取り入るためのものではなく、危ういからといって行いを変えず、義を行って困難を避けなかった。そうして覇者のために国を強くし、禍いや凶事をも辞さなかった。大夫種が越王に仕えたときは、主君が苦しみ辱められても忠を尽くして怠らず、主君の国が滅びかけても力を尽くして離れず、功を成しても誇らず、富貴になっても驕り怠らなかった。この三人のような者こそ、まことに義の極みであり、忠の模範である。だから君子は義のために難に殉じ、死を家に帰るように受け入れる。生きて辱められるより、死んで栄誉を得る方がよい。士にはもともと身を殺して名を成すことがあり、義のあるところなら、死んでも恨むことはない。どうしていけないことがあろう。」蔡沢は言った。「君主が聖明で臣下が賢いのは、天下の大いなる幸いだ。君主が聡明で臣下が正直なのは、国の幸いだ。父が慈しみ子が孝行し、夫が誠実で妻が貞淑なのは、家の幸いだ。ところが比干は忠臣であったのに殷を存続させられず、伍子胥は知恵者であったのに呉を全うできず、申生は孝子であったのに晋の国は乱れた。どれも忠臣や孝子がいたのに国家が滅び乱れたのはなぜか。聡明な君主や賢い父がいて、その言葉を聞き入れなかったからだ。だから天下の人々は、その君主や父を辱められた者と見なし、その臣下や子を哀れんだ。いま商君・呉起・大夫種は臣下としては正しかったが、その君主が正しくなかった。だから世間では、三人は功を立てながら恩に報いられなかったと言うのだ。どうして、世に恵まれずに死ぬことを慕うことがあろうか。
解説
関連する章句
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戦国策・蔡澤見逐於趙蔡澤趙に逐はれ、韓・魏に入るに、塗に釜鬲を奪はるるに遇ふ。應侯の任ずる鄭安平・王稽、皆重罪を負ふを聞き、應侯內に慚ぢ、乃ち西のかた秦に入る。將に昭王に見えんとするに、人をして宣言せしめて以て應侯を感怒せしめて曰く、「燕の客蔡澤は、天下の駿雄弘辯の士なり。彼一たび秦王に見えなば、秦王必ず之を相として君の位を奪はん。」應侯之を聞き、人をして蔡澤を召さしむ。蔡澤入るに、則ち應侯に揖す、應侯固より快からず、之を見るに及びて、又倨(おご)る。應侯因りて之を讓めて曰く、「子常に我に代りて秦に相たらんと宣言すと、豈に此れ有るか。」對へて曰く、「然り。」應侯曰く、「請ふ其の說を聞かん。」蔡澤曰く、「吁、何ぞ君の見ることの晚きや。夫れ四時の序は、功を成す者去る。夫れ人生まれて手足堅強、耳目聰明聖知なるは、豈に士の願ふ所に非ずや。」應侯曰く、「然り。」蔡澤曰く、「仁を質とし義を秉り、道を行ひ德を天下に施し、天下懷き樂しみて敬愛し、願はくは以て君王と爲さんとするは、豈に辯智の期する所ならずや。」應侯曰く、「然り。」蔡澤復た曰く、「富貴顯榮、萬物を成理し、萬物各々其の所を得しめ、生命壽長にして、其の年を終へて夭傷せず、天下其の統を繼ぎ、其の業を守り、之を傳へて窮まり無く、名實純粹にして、澤千世に流れ、之を稱して絕ゆる毋く、天下と終ふるは、豈に道の符にして、聖人の所謂吉祥善事なるに非ずや。」應侯曰く、「然り。」澤曰く、「秦の商君の若き、楚の吳起、越の大夫種の若きは、其の卒(をはり)も亦た願ふ可きか。」應侯蔡澤の己を困しめんと欲して說くを知り、復た曰く、「何為れぞ不可ならん。夫れ公孫鞅孝公に事へ、身を極めて貳(に)する毋く、公を盡くして私に還らず、賞罰を信にして以て治を致し、智能を竭くし、情素を示し、怨咎を蒙り、舊交を欺き、魏の公子卬を虜にし、卒に秦の爲に將を禽にし、敵軍を破り、地を攘(はら)ふこと千里なり。吳起悼王に事へ、私をして公を害せしめず、讒をして忠を蔽はしめず、言苟合を取らず、行苟容を取らず、義を行ひて毀譽に固まらず、必ず伯主強國有り、禍凶を辭せず。大夫種越王に事へ、主困辱を離るるも、悉く忠にして解けず、主亡絕すと雖も、能を盡くして離れず、功多くして矜らず、貴富にして驕怠せず。此くの若き三子は、義の至り、忠の節なり。故に君子は身を殺して以て名を成す、義の在る所、身死すと雖も、憾悔無し、何為れぞ不可ならん。」蔡澤曰く、「主聖にして臣賢なるは、天下の福なり。君明にして臣忠なるは、國の福なり。父慈にして子孝、夫信にして婦貞なるは、家の福なり。故に比干忠なるも、殷を存する能はず、子胥知なるも、呉を存する能はず、申生孝なるも、晉惑亂す。是れ忠臣孝子有りて、國家滅亂するは、何ぞや。明君賢父の以て之を聽く無ければなり。故に天下其の君父を以て戮辱と爲し、其の臣子を憐れむ。夫れ死を待ちて而して後忠を立て名を成す可きは、是れ微子は仁足らず、孔子は聖足らず、管仲は大足らざるなり。」是に於て應侯善しと稱す。蔡澤少しく間を得て、因りて曰く、「商君・吳起・大夫種、其の人臣爲るや、忠を盡くし功を致せば、則ち願ふ可し。閎夭文王に事へ、周公成王を輔けしは、豈に亦た忠ならざらんや。君臣を以て之を論ずれば、商君・吳起・大夫種の、其の願ふ可き閎夭・周公と孰與(いづ)れぞや。」應侯曰く、「商君・吳起・大夫種は若かざるなり。」蔡澤曰く、「然らば則ち君の主、慈仁にして忠を任じ、舊故を欺かざること、秦の孝公・楚の悼王・越王と孰與れぞや。」應侯曰く、「未だ何如なるかを知らざるなり。」蔡澤曰く、「主の忠臣を親しむ、固より秦孝・越王・楚悼に過ぎず。君の主爲るや、亂を正し患を批(う)ち難を折り、地を廣め穀を殖やし、國を富ませ家を足らしめ主を強くし、威海內を蓋ひ、功萬里の外に章(あら)はるるは、商君・吳起・大夫種に過ぎず。而して君の祿位貴盛にして、私家の富三子に過ぐるも、身退かず、竊かに君の爲に之を危ぶむ。語に曰く、『日中すれば則ち移り、月滿つれば則ち虧く』と。物盛んなれば則ち衰ふるは、天の常數なり。進退・盈縮・變化は、聖人の常道なり。昔者、齊桓公九たび諸侯を合し、一たび天下を匡すも、葵丘の會に至りて、驕矜の色有り、畔く者九國なり。吳王夫差天下に適する無く、諸侯を輕んじ、齊・晉を凌ぎ、遂に身を殺し國を亡ぼせり。夏育・太史啟叱呼して三軍を駭かすも、然れども身庸夫に死せり。此れ皆盛を極むるに乘じて道理に及ばざればなり。夫れ商君孝公の爲に權衡を平らかにし、度量を正しくし、輕重を調へ、阡陌を決裂し、民に耕戰を教ふ、是を以て兵動きて地廣まり、兵休みて國富み、故に秦天下に敵無く、威を諸侯に立てり。功已に成り、遂に車裂を以てせらる。楚の地戟を持する者百萬なるに、白起數萬の師を率ゐて、以て楚と戰ひ、一戰して鄢・郢を舉げ、再戰して夷陵を燒き、南は蜀・漢を并せ、又韓・魏を越えて強趙を攻め、北に馬服を坑にし、四十餘萬の眾を誅屠し、流血川を成し、沸聲雷の若く、秦をして帝を業とせしむ。是より之後、趙・楚懾服して、敢へて秦を攻めざる者は、白起の勢なり。身の服する所の者、七十餘城なり。功已に成れるに、死を杜郵に賜はる。吳起楚悼の爲に無能を罷め、無用を廢し、不急の官を損じ、私門の請を塞ぎ、楚國の俗を壹にし、南は楊越を攻め、北は陳・蔡を并せ、橫を破り從を散じ、馳說の士をして口を開く所無からしむ。功已に成れるに、卒に支解せらる。大夫種越王の爲に草を墾き邑を創め、地を辟き穀を殖やし、四方の士を率ゐ、上下の力を合はせ、以て勁呉を禽にし、霸功を成す。勾踐終に棓(つゑ)にて之を殺せり。此の四子は、功を成して去らず、禍此に至れり。此れ所謂信じて詘する能はず、往きて反る能はざる者なり。范蠡之を知りて、超然として世を避け、長く陶朱と爲れり。君獨り博する者を觀ざるか。或は大投を分たんと欲し、或は功を分たんと欲す。此れ皆君の明らかに知る所なり。今君秦に相たり、計は席を下らず、謀は廊廟を出でずして、坐しながら諸侯を制し、利は三川に施し、以て宜陽を實たし、羊腸の險を決し、太行の口を塞ぎ、又范・中行の途を斬り、棧道千里なるを蜀・漢に通じ、天下をして皆秦を畏れしむ。秦の欲する所は得たり、君の功は極まれり。此れ亦た秦の功を分つの時なり。是くの如くにして退かずんば、則ち商君・白公・吳起・大夫種是れなり。君何ぞ此の時を以て相印を歸し、賢者に讓りて之を授けざる、必ず伯夷の廉有らん。長く應侯と爲り、世世孤と稱し、喬・松の壽有らん。孰與(いづ)れぞ禍を以て終ふると。此れ則ち君何くにか居らん。」應侯曰く、「善し。」乃ち延(ひ)き入れて坐せしめ上客と爲す。後數日、朝に入り、秦昭王に言ひて曰く、「客新たに山東より來る者に蔡澤有り、其の人辯士なり。臣の人を見ること甚だ眾きも、及ぶ者有る莫し、臣如かざるなり。」秦昭王召見し、與に語りて、大いに之を說び、拜して客卿と爲す。應侯因りて病と謝し、相印を歸さんことを請ふ。昭王彊ひて應侯を起こすも、應侯遂に篤しと稱し、因りて相を免ぜらる。昭王新たに蔡澤の計畫を說び、遂に拜して秦の相と爲し、東のかた周室を收む。蔡澤秦王に相たること數月、人或は之を惡み、誅を懼れ、乃ち病と謝して相印を歸し、號して剛成君と爲る。秦に十餘年、昭王・孝文王・莊襄王に事へ、卒に始皇帝に事ふ。秦の爲に燕に使し、三年にして燕太子丹をして秦に入質せしむ。
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史記 范雎蔡沢列伝「夫れ商君・呉起・大夫種は、その人臣と為りて忠を尽くし功を致すは則ち願ふべし。閎夭の文王に事へ、周公の成王を輔くるや、豈にまた忠聖ならずや。君臣を以てこれを論ずれば、商君・呉起・大夫種のその願ふべきは、閎夭・周公といづれぞや」と。応侯曰く、「商君・呉起・大夫種は若かざるなり」と。蔡沢曰く、「然らば則ち君の主の慈仁にして忠に任じ、旧故に惇厚にして、その賢智と有道の士とに膠漆たり、義として功臣に倍かざるは、秦の孝公・楚の悼王・越王といづれぞや」と。応侯曰く、「未だ何如なるかを知らざるなり」と。蔡沢曰く、「今、主の忠臣に親しむは、秦の孝公・楚の悼王・越王に過ぎず。君の智を設くるや、能く主の為に危ふきを安んじ政を修め、乱を治め兵を彊くし、患ひを批ち難を折き、地を広め穀を殖やし、国を富まし家を足らし、主を彊くし、社稷を尊び、宗廟を顕かにし、天下敢へてその主を欺き犯す莫く、主の威は海内を蓋ひ震ひ、功は万里の外に彰れ、声名は光輝千世に伝はる、君は商君・呉起・大夫種といづれぞや」と。応侯曰く、「若かず」と。蔡沢曰く、「今、主の忠臣に親しみ旧故を忘れざるは孝公・悼王・句践に若かず、而して君の功績愛信親幸もまた商君・呉起・大夫種に若かず。然れども君の禄位貴盛にして、私家の富は三子に過ぐ、而して身退かざるは、恐らくは患ひの三子より甚だしからん、竊かに君の為にこれを危ぶむ。語に曰く『日中すれば則ち移り、月満つれば則ち虧く』と。物盛んなれば則ち衰ふるは、天地の常数なり。進退盈縮、時と変化するは、聖人の常道なり。故に『国に道有れば則ち仕へ、国に道無ければ則ち隠る』。聖人曰く『飛竜天に在り、大人を見るに利あり』と。『不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲の如し』と。今、君の怨みは已に讎いられ徳は已に報いられ、意欲至れり、而るに変計無し、竊かに君の為に取らざるなり。
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史記 范雎蔡沢列伝夫れ死を待ちて而る後に以て忠を立て名を成すべくんば、是れ微子も仁たるに足らず、孔子も聖たるに足らず、管仲も大たるに足らざるなり。夫れ人の功を立つるは、豈に成全を期せざらんや。身と名と倶に全き者は、上なり。名は法とすべくして身死する者は、その次なり。名は僇辱に在りて身全き者は、下なり」と。是に於いて応侯善しと称す。蔡沢少しく閒を得て、因りて曰く、
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史記 范雎蔡沢列伝身の服する所の者七十余城、功已に成れり、而して遂に剣を賜はりて杜郵に死す。呉起は楚の悼王の為に法を立て、大臣の威重を卑減し、無能を罷め、無用を廃し、不急の官を損じ、私門の請ひを塞ぎ、楚国の俗を一にし、游客の民を禁じ、耕戦の士を精にし、南のかた楊越を収め、北のかた陳・蔡を并せ、横を破り従を散じ、馳説の士をしてその口を開く所無からしめ、朋党を禁じて以て百姓を励まし、楚国の政を定め、兵は天下に震ひ、威は諸侯を服す。功已に成れり、而して卒に枝解せらる。大夫種は越王の為に深謀遠計し、会稽の危ふきを免れ、亡を以て存と為し、辱に因りて栄と為し、草を墾き邑に入れ、地を辟き穀を殖やし、四方の士を率ゐ、上下の力を専らにし、句践の賢を輔け、夫差の讎に報い、卒に勁呉を擒にす。越をして霸を成さしむ。功已に彰れて信なり、句践終に負きてこれを殺す。此の四子の者は、功成りて去らず、禍此に至る。此れ所謂信びて詘する能はず、往きて返る能はざる者なり。范蠡これを知り、超然として世を辟け、長く陶朱公と為る。君独り夫の博する者を観ずや。或いは大いに投ぜんと欲し、或いは功を分かたんと欲す。此れ皆君の明らかに知る所なり。今、君秦に相たり、計は席を下らず、謀は廊廟を出でずして、坐して諸侯を制し、利は三川に施し、以て宜陽を実たし、羊腸の険を決し、太行の道を塞ぎ、また范・中行の涂を斬り、六国をして合従するを得ざらしめ、桟道千里、蜀漢に通じ、天下をして皆秦を畏れしむ。秦の欲得たり、君の功極まれり、此れまた秦の功を分かつの時なり。是くの如くにして退かずんば、則ち商君・白公・呉起・大夫種是れなり。吾これを聞く、『水に鑒みる者は面の容を見、人に鑒みる者は吉と凶とを知る』と。書に曰く『成功の下には、久しく処るべからず』と。四子の禍、君何ぞ居らんや。
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史記 范雎蔡沢列伝且つ夫れ翠・鵠・犀・象は、その処る勢ひ死を遠ざけざるに非ざるなり、而して死する所以の者は、餌に惑へばなり。蘇秦・智伯の智は、以て辱めを辟け死を遠ざくるに足らざるに非ざるなり、而して死する所以の者は、利を貪りて止まざるに惑へばなり。是を以て聖人は礼を制し欲を節し、民に取ること度有り、これを使ふに時を以てし、これを用ふること止まる有り。故に志溢れず、行ひ驕らず、常に道と倶にして失はず、故に天下承けて絶えず。昔者斉の桓公は九たび諸侯を合し、一たび天下を匡すも、葵丘の会に至りて、驕矜の志有り、畔く者九国。呉王夫差は兵天下に敵無く、勇彊にして以て諸侯を軽んじ、斉・晋を陵ぐ、故に遂に以て身を殺し国を亡ぼす。夏育・太史噭は叱呼して三軍を駭かすも、然れども身は庸夫に死す。此れ皆至盛に乗じて道理に返らず、卑退に居り倹約に処らざるの患ひなり。夫れ商君は秦の孝公の為に法令を明らかにし、姦の本を禁じ、爵を尊び必ず賞し、罪有れば必ず罰し、権衡を平らかにし、度量を正し、軽重を調へ、阡陌を決裂し、以て生民の業を静めてその俗を一にし、民に耕農して土を利するを勧め、一室に二事無く、田に力め稸積し、戦陳の事を習はしむ。是を以て兵動きて地広く、兵休みて国富む。故に秦は天下に敵無く、威を諸侯に立て、秦国の業を成す。功已に成れり、而して遂に以て車裂せらる。楚は地方数千里、戟を持つもの百万、白起は数万の師を率ゐて以て楚と戦ひ、一戦して鄢郢を挙げ以て夷陵を焼き、再戦して南のかた蜀漢を并す。また韓・魏を越えて彊趙を攻め、北のかた馬服を阬にし、四十余万の衆を誅屠し、これを長平の下に尽くし、流血川を成し、沸声雷の若し。遂に入りて邯鄲を囲み、秦をして帝業有らしむ。楚・趙は天下の彊国にして秦の仇敵なり、是より後、楚・趙皆懾伏して敢へて秦を攻めざる者は、白起の勢ひなり。
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史記 范雎蔡沢列伝蔡沢笑ひて謝して去り、その御者に謂ひて曰く、「吾粱を持し肥を刺歯し、馬を躍らせて疾く駆け、黄金の印を懐き、紫綬を要に結び、人主の前に揖譲し、肉を食らひ富貴なること、四十三年にして足れり」と。去りて趙に之き、逐はる。韓・魏に之き、釜鬲を涂に奪はるるに遇ふ。応侯の鄭安平・王稽を任じて皆重罪を秦に負ひ、応侯内に慚づるを聞き、蔡沢乃ち西して秦に入る。将に昭王に見えんとし、人をして宣言せしめて以て応侯を感怒せしめて曰く、「燕の客蔡沢は、天下の雄俊弘弁の智士なり。彼一たび秦王に見えば、秦王必ず君を困しめて君の位を奪はん」と。応侯聞きて曰く、「五帝三代の事、百家の説、吾既にこれを知る。衆口の弁、吾皆これを摧く。是れ悪んぞ能く我を困しめて我が位を奪はんや」と。人をして蔡沢を召さしむ。蔡沢入り、則ち応に揖す。応侯固より快からず、これに見ゆるに及び、また倨る。応侯因りてこれを譲めて曰く、「子嘗て宣言して我に代はりて秦に相たらんと欲すと、寧ろこれ有るか」と。対へて曰く、「然り」と。応侯曰く、「請ふその説を聞かん」と。蔡沢曰く、「吁、君何ぞこれを見ることの晩きや。夫れ四時の序、功を成す者は去る。夫れ人生まれて百体堅彊、手足便利、耳目聡明にして心聖智なるは、豈に士の願ひに非ずや」と。応侯曰く、「然り」と。蔡沢曰く、「仁を質とし義を秉り、道を行ひ徳を施し、志を天下に得、天下懐楽敬愛してこれを尊慕し、皆願ひて以て君王と為す、豈に弁智の期に非ずや」と。応侯曰く、「然り」と。蔡沢また曰く、「富貴顕栄、万物を成理し、各々その所を得しむ。性命寿長、その天年を終へて夭傷せず。天下その統を継ぎ、その業を守り、これを無窮に伝ふ。名実純粋、沢千里に流れ、世世これを称して絶ゆる無く、天地と終始す。豈に道徳の符にして聖人の所謂吉祥善事なる者に非ずや」と。応侯曰く、「然り」と。
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