史記 / 范雎蔡沢列伝
蔡澤笑謝而去,謂其御者曰:「吾持粱刺齒肥,躍馬疾驅,懷黃金之印,結紫綬於要,揖讓人主之前,食肉富貴,四十三年足矣。」去之趙,見逐。之韓、魏,遇奪釜鬲於涂。聞應侯任鄭安平、王稽皆負重罪於秦,應侯內慚,蔡澤乃西入秦。將見昭王,使人宣言以感怒應侯曰:「燕客蔡澤,天下雄俊弘辯智士也。彼一見秦王,秦王必困君而奪君之位。」應侯聞,曰:「五帝三代之事,百家之說,吾既知之,眾口之辯,吾皆摧之,是惡能困我而奪我位乎?」使人召蔡澤。蔡澤入,則揖應。應侯固不快,及見之,又倨,應侯因讓之曰:「子嘗宣言欲代我相秦,寧有之乎?」對曰:「然。」應侯曰:「請聞其說。」蔡澤曰:「吁,君何見之晚也!夫四時之序,成功者去。夫人生百體堅彊,手足便利,耳目聰明而心聖智,豈非士之願與?」應侯曰:「然。」蔡澤曰:「質仁秉義,行道施德,得志於天下,天下懷樂敬愛而尊慕之,皆願以為君王,豈不辯智之期與?」應侯曰:「然。」蔡澤復曰:「富貴顯榮,成理萬物,使各得其所;性命壽長,終其天年而不夭傷;天下繼其統,守其業,傳之無窮;名實純粹,澤流千里,世世稱之而無絕,與天地終始:豈道德之符而聖人所謂吉祥善事者與?」應侯曰:「然。」
新字:蔡沢笑謝而去,謂其御者曰:「吾持粱刺歯肥,躍馬疾駆,懐黄金之印,結紫綬於要,揖譲人主之前,食肉富貴,四十三年足矣。」去之趙,見逐。之韓、魏,遇奪釜鬲於涂。聞応侯任鄭安平、王稽皆負重罪於秦,応侯内慚,蔡沢乃西入秦。将見昭王,使人宣言以感怒応侯曰:「燕客蔡沢,天下雄俊弘弁智士也。彼一見秦王,秦王必困君而奪君之位。」応侯聞,曰:「五帝三代之事,百家之説,吾既知之,衆口之弁,吾皆摧之,是悪能困我而奪我位乎?」使人召蔡沢。蔡沢入,則揖応。応侯固不快,及見之,又倨,応侯因譲之曰:「子嘗宣言欲代我相秦,寧有之乎?」対曰:「然。」応侯曰:「請聞其説。」蔡沢曰:「吁,君何見之晩也!夫四時之序,成功者去。夫人生百体堅彊,手足便利,耳目聰明而心聖智,豈非士之願与?」応侯曰:「然。」蔡沢曰:「質仁秉義,行道施徳,得志於天下,天下懐楽敬愛而尊慕之,皆願以為君王,豈不弁智之期与?」応侯曰:「然。」蔡沢復曰:「富貴顕栄,成理万物,使各得其所;性命寿長,終其天年而不夭傷;天下継其統,守其業,伝之無窮;名実純粋,沢流千里,世世称之而無絶,与天地終始:豈道徳之符而聖人所謂吉祥善事者与?」応侯曰:「然。」
書き下し
蔡沢笑ひて謝して去り、その御者に謂ひて曰く、「吾粱を持し肥を刺歯し、馬を躍らせて疾く駆け、黄金の印を懐き、紫綬を要に結び、人主の前に揖譲し、肉を食らひ富貴なること、四十三年にして足れり」と。去りて趙に之き、逐はる。韓・魏に之き、釜鬲を涂に奪はるるに遇ふ。応侯の鄭安平・王稽を任じて皆重罪を秦に負ひ、応侯内に慚づるを聞き、蔡沢乃ち西して秦に入る。将に昭王に見えんとし、人をして宣言せしめて以て応侯を感怒せしめて曰く、「燕の客蔡沢は、天下の雄俊弘弁の智士なり。彼一たび秦王に見えば、秦王必ず君を困しめて君の位を奪はん」と。応侯聞きて曰く、「五帝三代の事、百家の説、吾既にこれを知る。衆口の弁、吾皆これを摧く。是れ悪んぞ能く我を困しめて我が位を奪はんや」と。人をして蔡沢を召さしむ。蔡沢入り、則ち応に揖す。応侯固より快からず、これに見ゆるに及び、また倨る。応侯因りてこれを譲めて曰く、「子嘗て宣言して我に代はりて秦に相たらんと欲すと、寧ろこれ有るか」と。対へて曰く、「然り」と。応侯曰く、「請ふその説を聞かん」と。蔡沢曰く、「吁、君何ぞこれを見ることの晩きや。夫れ四時の序、功を成す者は去る。夫れ人生まれて百体堅彊、手足便利、耳目聡明にして心聖智なるは、豈に士の願ひに非ずや」と。応侯曰く、「然り」と。蔡沢曰く、「仁を質とし義を秉り、道を行ひ徳を施し、志を天下に得、天下懐楽敬愛してこれを尊慕し、皆願ひて以て君王と為す、豈に弁智の期に非ずや」と。応侯曰く、「然り」と。蔡沢また曰く、「富貴顕栄、万物を成理し、各々その所を得しむ。性命寿長、その天年を終へて夭傷せず。天下その統を継ぎ、その業を守り、これを無窮に伝ふ。名実純粋、沢千里に流れ、世世これを称して絶ゆる無く、天地と終始す。豈に道徳の符にして聖人の所謂吉祥善事なる者に非ずや」と。応侯曰く、「然り」と。
現代語訳
蔡沢は笑って礼を言って立ち去り、御者に言った。「上等の穀物を食べ、脂の乗った肉をかじり、馬を躍らせて駆け、黄金の印を懐に入れ、紫の組紐を腰に結び、君主の前で会釈し合い、肉を食べて富み栄えること、四十三年あれば十分だ。」蔡沢は趙へ行ったが、追い払われた。韓や魏へ行く途中では、道で鍋や釜を奪われた。応侯が推薦した鄭安平と王稽がともに秦で重罪を犯し、応侯が内心恥じていると聞くと、蔡沢は西へ向かって秦に入った。昭王に会う前に、人を使って言いふらさせ、応侯を怒らせようとした。「燕の客の蔡沢は、天下に優れた、弁舌豊かな知恵者だ。彼がひとたび秦王に会えば、秦王は必ずあなたを追い詰めて、宰相の地位を奪うだろう。」応侯はそれを聞いて言った。「五帝・三代の事績も諸子百家の学説も、私はすでに知り尽くしている。大勢の弁舌の士も、私はみな論破してきた。そんな男がどうして私を追い詰めて地位を奪えようか。」そして人をやって蔡沢を呼び寄せた。蔡沢は入ってくると、応侯に軽く会釈しただけだった。応侯はもともと不愉快に思っていたうえ、会ってみるとさらに傲慢だったので、責めて言った。「おまえは私に代わって秦の宰相になるつもりだと言いふらしたそうだが、本当か。」蔡沢は答えた。「そうだ。」応侯は言った。「その理由を聞こう。」蔡沢は言った。「ああ、あなたは気づくのがなんと遅いことか。四季の移り変わりでも、役目を果たした季節は去っていく。そもそも、生まれながらに体が丈夫で、手足がよく動き、耳目は聡く、心は聖明で知恵があることは、士の願いではないか。」応侯は言った。「そうだ。」蔡沢は言った。「仁を根本とし義を守り、道を行い徳を施し、天下で志を遂げ、天下の人々が慕い楽しみ敬い愛して尊び、みな君主として仰ぎたいと願うようになることは、弁舌と知恵のある者が目指すところではないか。」応侯は言った。「そうだ。」蔡沢はまた言った。「富み栄え名を上げ、万物を筋道立てて治めて、それぞれにふさわしい所を得させる。天寿を長く保ち、天から与えられた年を全うして若死にしない。天下がその血統を継ぎ、その事業を守り、限りなく伝えていく。名と実がともに純粋で、恵みは千里に流れ、代々称えられて絶えることがなく、天地と共に終わりも始まりもない。これこそ道徳のしるしであり、聖人のいう吉祥で善いことではないか。」応侯は言った。「そうだ。」
解説
関連する章句
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戦国策・蔡澤見逐於趙蔡澤趙に逐はれ、韓・魏に入るに、塗に釜鬲を奪はるるに遇ふ。應侯の任ずる鄭安平・王稽、皆重罪を負ふを聞き、應侯內に慚ぢ、乃ち西のかた秦に入る。將に昭王に見えんとするに、人をして宣言せしめて以て應侯を感怒せしめて曰く、「燕の客蔡澤は、天下の駿雄弘辯の士なり。彼一たび秦王に見えなば、秦王必ず之を相として君の位を奪はん。」應侯之を聞き、人をして蔡澤を召さしむ。蔡澤入るに、則ち應侯に揖す、應侯固より快からず、之を見るに及びて、又倨(おご)る。應侯因りて之を讓めて曰く、「子常に我に代りて秦に相たらんと宣言すと、豈に此れ有るか。」對へて曰く、「然り。」應侯曰く、「請ふ其の說を聞かん。」蔡澤曰く、「吁、何ぞ君の見ることの晚きや。夫れ四時の序は、功を成す者去る。夫れ人生まれて手足堅強、耳目聰明聖知なるは、豈に士の願ふ所に非ずや。」應侯曰く、「然り。」蔡澤曰く、「仁を質とし義を秉り、道を行ひ德を天下に施し、天下懷き樂しみて敬愛し、願はくは以て君王と爲さんとするは、豈に辯智の期する所ならずや。」應侯曰く、「然り。」蔡澤復た曰く、「富貴顯榮、萬物を成理し、萬物各々其の所を得しめ、生命壽長にして、其の年を終へて夭傷せず、天下其の統を繼ぎ、其の業を守り、之を傳へて窮まり無く、名實純粹にして、澤千世に流れ、之を稱して絕ゆる毋く、天下と終ふるは、豈に道の符にして、聖人の所謂吉祥善事なるに非ずや。」應侯曰く、「然り。」澤曰く、「秦の商君の若き、楚の吳起、越の大夫種の若きは、其の卒(をはり)も亦た願ふ可きか。」應侯蔡澤の己を困しめんと欲して說くを知り、復た曰く、「何為れぞ不可ならん。夫れ公孫鞅孝公に事へ、身を極めて貳(に)する毋く、公を盡くして私に還らず、賞罰を信にして以て治を致し、智能を竭くし、情素を示し、怨咎を蒙り、舊交を欺き、魏の公子卬を虜にし、卒に秦の爲に將を禽にし、敵軍を破り、地を攘(はら)ふこと千里なり。吳起悼王に事へ、私をして公を害せしめず、讒をして忠を蔽はしめず、言苟合を取らず、行苟容を取らず、義を行ひて毀譽に固まらず、必ず伯主強國有り、禍凶を辭せず。大夫種越王に事へ、主困辱を離るるも、悉く忠にして解けず、主亡絕すと雖も、能を盡くして離れず、功多くして矜らず、貴富にして驕怠せず。此くの若き三子は、義の至り、忠の節なり。故に君子は身を殺して以て名を成す、義の在る所、身死すと雖も、憾悔無し、何為れぞ不可ならん。」蔡澤曰く、「主聖にして臣賢なるは、天下の福なり。君明にして臣忠なるは、國の福なり。父慈にして子孝、夫信にして婦貞なるは、家の福なり。故に比干忠なるも、殷を存する能はず、子胥知なるも、呉を存する能はず、申生孝なるも、晉惑亂す。是れ忠臣孝子有りて、國家滅亂するは、何ぞや。明君賢父の以て之を聽く無ければなり。故に天下其の君父を以て戮辱と爲し、其の臣子を憐れむ。夫れ死を待ちて而して後忠を立て名を成す可きは、是れ微子は仁足らず、孔子は聖足らず、管仲は大足らざるなり。」是に於て應侯善しと稱す。蔡澤少しく間を得て、因りて曰く、「商君・吳起・大夫種、其の人臣爲るや、忠を盡くし功を致せば、則ち願ふ可し。閎夭文王に事へ、周公成王を輔けしは、豈に亦た忠ならざらんや。君臣を以て之を論ずれば、商君・吳起・大夫種の、其の願ふ可き閎夭・周公と孰與(いづ)れぞや。」應侯曰く、「商君・吳起・大夫種は若かざるなり。」蔡澤曰く、「然らば則ち君の主、慈仁にして忠を任じ、舊故を欺かざること、秦の孝公・楚の悼王・越王と孰與れぞや。」應侯曰く、「未だ何如なるかを知らざるなり。」蔡澤曰く、「主の忠臣を親しむ、固より秦孝・越王・楚悼に過ぎず。君の主爲るや、亂を正し患を批(う)ち難を折り、地を廣め穀を殖やし、國を富ませ家を足らしめ主を強くし、威海內を蓋ひ、功萬里の外に章(あら)はるるは、商君・吳起・大夫種に過ぎず。而して君の祿位貴盛にして、私家の富三子に過ぐるも、身退かず、竊かに君の爲に之を危ぶむ。語に曰く、『日中すれば則ち移り、月滿つれば則ち虧く』と。物盛んなれば則ち衰ふるは、天の常數なり。進退・盈縮・變化は、聖人の常道なり。昔者、齊桓公九たび諸侯を合し、一たび天下を匡すも、葵丘の會に至りて、驕矜の色有り、畔く者九國なり。吳王夫差天下に適する無く、諸侯を輕んじ、齊・晉を凌ぎ、遂に身を殺し國を亡ぼせり。夏育・太史啟叱呼して三軍を駭かすも、然れども身庸夫に死せり。此れ皆盛を極むるに乘じて道理に及ばざればなり。夫れ商君孝公の爲に權衡を平らかにし、度量を正しくし、輕重を調へ、阡陌を決裂し、民に耕戰を教ふ、是を以て兵動きて地廣まり、兵休みて國富み、故に秦天下に敵無く、威を諸侯に立てり。功已に成り、遂に車裂を以てせらる。楚の地戟を持する者百萬なるに、白起數萬の師を率ゐて、以て楚と戰ひ、一戰して鄢・郢を舉げ、再戰して夷陵を燒き、南は蜀・漢を并せ、又韓・魏を越えて強趙を攻め、北に馬服を坑にし、四十餘萬の眾を誅屠し、流血川を成し、沸聲雷の若く、秦をして帝を業とせしむ。是より之後、趙・楚懾服して、敢へて秦を攻めざる者は、白起の勢なり。身の服する所の者、七十餘城なり。功已に成れるに、死を杜郵に賜はる。吳起楚悼の爲に無能を罷め、無用を廢し、不急の官を損じ、私門の請を塞ぎ、楚國の俗を壹にし、南は楊越を攻め、北は陳・蔡を并せ、橫を破り從を散じ、馳說の士をして口を開く所無からしむ。功已に成れるに、卒に支解せらる。大夫種越王の爲に草を墾き邑を創め、地を辟き穀を殖やし、四方の士を率ゐ、上下の力を合はせ、以て勁呉を禽にし、霸功を成す。勾踐終に棓(つゑ)にて之を殺せり。此の四子は、功を成して去らず、禍此に至れり。此れ所謂信じて詘する能はず、往きて反る能はざる者なり。范蠡之を知りて、超然として世を避け、長く陶朱と爲れり。君獨り博する者を觀ざるか。或は大投を分たんと欲し、或は功を分たんと欲す。此れ皆君の明らかに知る所なり。今君秦に相たり、計は席を下らず、謀は廊廟を出でずして、坐しながら諸侯を制し、利は三川に施し、以て宜陽を實たし、羊腸の險を決し、太行の口を塞ぎ、又范・中行の途を斬り、棧道千里なるを蜀・漢に通じ、天下をして皆秦を畏れしむ。秦の欲する所は得たり、君の功は極まれり。此れ亦た秦の功を分つの時なり。是くの如くにして退かずんば、則ち商君・白公・吳起・大夫種是れなり。君何ぞ此の時を以て相印を歸し、賢者に讓りて之を授けざる、必ず伯夷の廉有らん。長く應侯と爲り、世世孤と稱し、喬・松の壽有らん。孰與(いづ)れぞ禍を以て終ふると。此れ則ち君何くにか居らん。」應侯曰く、「善し。」乃ち延(ひ)き入れて坐せしめ上客と爲す。後數日、朝に入り、秦昭王に言ひて曰く、「客新たに山東より來る者に蔡澤有り、其の人辯士なり。臣の人を見ること甚だ眾きも、及ぶ者有る莫し、臣如かざるなり。」秦昭王召見し、與に語りて、大いに之を說び、拜して客卿と爲す。應侯因りて病と謝し、相印を歸さんことを請ふ。昭王彊ひて應侯を起こすも、應侯遂に篤しと稱し、因りて相を免ぜらる。昭王新たに蔡澤の計畫を說び、遂に拜して秦の相と爲し、東のかた周室を收む。蔡澤秦王に相たること數月、人或は之を惡み、誅を懼れ、乃ち病と謝して相印を歸し、號して剛成君と爲る。秦に十餘年、昭王・孝文王・莊襄王に事へ、卒に始皇帝に事ふ。秦の爲に燕に使し、三年にして燕太子丹をして秦に入質せしむ。
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史記 范雎蔡沢列伝応侯曰く、「善し。吾聞く『欲して(止)[足]るを知らざれば、その欲する所以を失ふ。有りて(足)[止]まるを知らざれば、その有る所以を失ふ』と。先生幸ひに教ふ、睢敬んで命を受けん」と。是に於いて乃ち延きて入れて坐せしめ、上客と為す。後数日、入朝し、秦の昭王に言ひて曰く、「客に新たに山東より来たる者有り、蔡沢と曰ふ。その人は弁士にして、三王の事、五伯の業、世俗の変に明らかなり、以て秦国の政を寄するに足る。臣の人を見ること甚だ衆きも、及ぶもの莫し、臣は如かざるなり。臣敢へて以て聞す」と。秦の昭王召見し、与に語り、大いにこれを説び、拝して客卿と為す。応侯因りて病と謝して相印を帰さんことを請ふ。昭王彊ひて応侯を起こさんとす、応侯遂に病甐しと称す。范睢相を免ぜられ、昭王新たに蔡沢の計画を説び、遂に拝して秦の相と為す、東のかた周室を収む。蔡沢秦に相たること数月、人或ひとこれを悪む、誅を懼れ、乃ち病と謝して相印を帰し、号して綱成君と為す。秦に居ること十余年、昭王・孝文王・荘襄王に事ふ。卒に始皇帝に事へ、
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史記 范雎蔡沢列伝「夫れ商君・呉起・大夫種は、その人臣と為りて忠を尽くし功を致すは則ち願ふべし。閎夭の文王に事へ、周公の成王を輔くるや、豈にまた忠聖ならずや。君臣を以てこれを論ずれば、商君・呉起・大夫種のその願ふべきは、閎夭・周公といづれぞや」と。応侯曰く、「商君・呉起・大夫種は若かざるなり」と。蔡沢曰く、「然らば則ち君の主の慈仁にして忠に任じ、旧故に惇厚にして、その賢智と有道の士とに膠漆たり、義として功臣に倍かざるは、秦の孝公・楚の悼王・越王といづれぞや」と。応侯曰く、「未だ何如なるかを知らざるなり」と。蔡沢曰く、「今、主の忠臣に親しむは、秦の孝公・楚の悼王・越王に過ぎず。君の智を設くるや、能く主の為に危ふきを安んじ政を修め、乱を治め兵を彊くし、患ひを批ち難を折き、地を広め穀を殖やし、国を富まし家を足らし、主を彊くし、社稷を尊び、宗廟を顕かにし、天下敢へてその主を欺き犯す莫く、主の威は海内を蓋ひ震ひ、功は万里の外に彰れ、声名は光輝千世に伝はる、君は商君・呉起・大夫種といづれぞや」と。応侯曰く、「若かず」と。蔡沢曰く、「今、主の忠臣に親しみ旧故を忘れざるは孝公・悼王・句践に若かず、而して君の功績愛信親幸もまた商君・呉起・大夫種に若かず。然れども君の禄位貴盛にして、私家の富は三子に過ぐ、而して身退かざるは、恐らくは患ひの三子より甚だしからん、竊かに君の為にこれを危ぶむ。語に曰く『日中すれば則ち移り、月満つれば則ち虧く』と。物盛んなれば則ち衰ふるは、天地の常数なり。進退盈縮、時と変化するは、聖人の常道なり。故に『国に道有れば則ち仕へ、国に道無ければ則ち隠る』。聖人曰く『飛竜天に在り、大人を見るに利あり』と。『不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲の如し』と。今、君の怨みは已に讎いられ徳は已に報いられ、意欲至れり、而るに変計無し、竊かに君の為に取らざるなり。
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史記 范雎蔡沢列伝秦大いに趙を長平に破り、遂に邯鄲を囲む。已にして武安君白起と隙有り、言ひてこれを殺す。鄭安平を任じ、趙を撃たしむ。鄭安平、趙の囲む所と為り、急にして、兵二万人を以て趙に降る。応侯、槁に席して罪を請ふ。秦の法、人を任じて任ずる所の善からざる者は、各々その罪を以てこれを罪す。是に於いて応侯の罪は当に三族を収むべし。秦の昭王、応侯の意を傷つけんことを恐れ、乃ち令を国中に下す、「敢へて鄭安平の事を言ふ者有らば、その罪を以てこれを罪せん」と。而して相国応侯に食物を加へ賜ふこと日に益々厚く、以てその意に順適せしむ。後二歳、王稽河東の守と為り、諸侯と通じ、法に坐して誅せらる。而して応侯日に益々以て懌ばず。昭王朝に臨みて嘆息す、応侯進みて曰く、「臣聞く『主憂ふれば臣辱められ、主辱めらるれば臣死す』と。今、大王中朝にして憂ふ、臣敢へてその罪を請ふ」と。昭王曰く、「吾聞く、楚の鉄剣は利にして倡優は拙なりと。夫れ鉄剣利なれば則ち士勇に、倡優拙なれば則ち思慮遠し。夫れ遠き思慮を以て勇士を御す、吾楚の秦を図らんことを恐る。夫れ物素より具はらずんば、以て卒に応ずべからず。今、武安君既に死し、而して鄭安平等畔く、内に良将無くして外に敵国多し、吾是を以て憂ふ」と。以て応侯を激励せんと欲す。応侯懼れ、出づる所を知らず。蔡沢これを聞き、往きて秦に入る。蔡沢は燕人なり。游学して諸侯の小大に干むること甚だ衆きも、遇はれず。而して唐挙に従ひて相せしめて曰く、「吾聞く、先生李兌を相して、曰く『百日の内に国秉を持せん』と、これ有るか」と。曰く、「これ有り」と。曰く、「臣の若き者は何如」と。唐挙孰視して笑ひて曰く、「先生は曷鼻、巨肩、魋顔、蹙齃、膝攣なり。吾聞く、聖人は相せずと、殆ど先生か」と。蔡沢、唐挙のこれに戯るるを知り、乃ち曰く、「富貴は吾の自ら有する所なり、吾の知らざる所の者は寿なり、願はくはこれを聞かん」と。唐挙曰く、「先生の寿は、今より以往四十三歳なり」と。
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史記 范雎蔡沢列伝君何ぞ此の時を以て相印を帰し、賢者に譲りてこれに授け、退きて巌居川観せざる。必ず伯夷の廉有りて、長く応侯と為らん。世世孤と称し、而して許由・延陵季子の譲、喬松の寿有らん。禍を以て終はるといづれぞや。即ち君何ぞ居らん。忍びて自ら離るる能はず、疑ひて自ら決する能はずんば、必ず四子の禍有らん。易に曰く『亢竜悔い有り』と。此れ上りて下る能はず、信びて詘する能はず、往きて自ら返る能はざる者を言ふなり。願はくは君これを孰計せよ」と。
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史記 范雎蔡沢列伝蔡沢曰く、「若し夫れ秦の商君、楚の呉起、越の大夫種、その卒然たるもまた願ふべきか」と。応侯、蔡沢の己を困しめて以て説かんと欲するを知り、また謬りて曰く、「何為れぞ不可ならん。夫れ公孫鞅の孝公に事ふるや、身を極めて貳慮無く、公を尽くして私を顧みず。刀鋸を設けて以て姦邪を禁じ、賞罰を信にして以て治を致す。腹心を披き、情素を示し、怨咎を蒙り、旧友を欺き、魏の公子卬を奪ひ、秦の社稷を安んじ、百姓を利し、卒に秦の為に将を禽にし敵を破り、地を攘ふこと千里。呉起の悼王に事ふるや、私をして公を害するを得ざらしめ、讒をして忠を蔽ふを得ざらしめ、言は茍合を取らず、行ひは茍容を取らず、危ふきが為に行ひを易へず、義を行ひて難を辟けず、然して霸主の為に国を彊くし、禍凶を辞せず。大夫種の越王に事ふるや、主困辱すと雖も、忠を悉くして解らず、主絶亡すと雖も、能を尽くして離れず、功を成して矜らず、貴富にして驕怠せず。此の三子の若き者は、固より義の至りなり、忠の節なり。是の故に君子は義を以て難に死し、死を視ること帰するが如し。生きて辱めらるるは死して栄あるに如かず。士は固より身を殺して以て名を成す有り、義の在る所と雖も、死すと雖も恨む所無し。何為れぞ不可ならんや」と。蔡沢曰く、「主聖に臣賢なるは、天下の盛福なり。君明に臣直なるは、国の福なり。父慈に子孝に、夫信に妻貞なるは、家の福なり。故に比干は忠なれども殷を存する能はず、子胥は智なれども呉を完くする能はず、申生は孝なれども晋国乱る。是れ皆忠臣孝子有りて、国家滅乱する者は、何ぞや。明君賢父以てこれを聴く無し。故に天下その君父を以て僇辱と為してその臣子を憐れむ。今、商君・呉起・大夫種の人臣たるは、是なり。その君は非なり。故に世に三子は功を致して徳とせられずと称す、豈に世に遇はずして死するを慕はんや。
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