史記 / 范雎蔡沢列伝
若夫窮辱之事,死亡之患,臣不敢畏也。臣死而秦治,是臣死賢於生。」秦王跽曰:「先生是何言也!夫秦國辟遠,寡人愚不肖,先生乃幸辱至於此,是天以寡人慁先生而存先王之宗廟也。寡人得受命於先生,是天所以幸先王,而不棄其孤也。先生柰何而言若是!事無小大,上及太后,下至大臣,願先生悉以教寡人,無疑寡人也。」范睢拜,秦王亦拜。范睢曰:「大王之國,四塞以為固,北有甘泉、谷口,南帶涇、渭,右隴、蜀,左關、阪,奮擊百萬,戰車千乘,利則出攻,不利則入守,此王者之地也。民怯於私鬬而勇於公戰,此王者之民也。王并此二者而有之。夫以秦卒之勇,車騎之眾,以治諸侯,譬若施韓盧而搏蹇兔也,霸王之業可致也,而群臣莫當其位。至今閉關十五年,不敢窺兵於山東者,是穰侯為秦謀不忠,而大王之計有所失也。」秦王跽曰:「寡人願聞失計。」然左右多竊聽者,范睢恐,未敢言內,先言外事,以觀秦王之俯仰。
新字:若夫窮辱之事,死亡之患,臣不敢畏也。臣死而秦治,是臣死賢於生。」秦王跽曰:「先生是何言也!夫秦国辟遠,寡人愚不肖,先生乃幸辱至於此,是天以寡人慁先生而存先王之宗廟也。寡人得受命於先生,是天所以幸先王,而不棄其孤也。先生柰何而言若是!事無小大,上及太后,下至大臣,願先生悉以教寡人,無疑寡人也。」范睢拝,秦王亦拝。范睢曰:「大王之国,四塞以為固,北有甘泉、谷口,南帯涇、渭,右隴、蜀,左関、阪,奮撃百万,戦車千乗,利則出攻,不利則入守,此王者之地也。民怯於私闘而勇於公戦,此王者之民也。王并此二者而有之。夫以秦卒之勇,車騎之衆,以治諸侯,譬若施韓盧而搏蹇兔也,覇王之業可致也,而群臣莫当其位。至今閉関十五年,不敢窺兵於山東者,是穰侯為秦謀不忠,而大王之計有所失也。」秦王跽曰:「寡人願聞失計。」然左右多窃聴者,范睢恐,未敢言内,先言外事,以観秦王之俯仰。
書き下し
若し夫れ窮辱の事、死亡の患ひは、臣敢へて畏れざるなり。臣死して秦治まらば、是れ臣の死は生に賢れり」と。秦王跽きて曰く、「先生是れ何の言ぞや。夫れ秦国は辟遠にして、寡人は愚不肖なり。先生乃ち幸ひに辱くも此に至る、是れ天、寡人を以て先生を慁はしめて先王の宗廟を存せしむるなり。寡人命を先生に受くるを得るは、是れ天の先王を幸ひして、その孤を棄てざる所以なり。先生柰何ぞ是くの若く言ふや。事小大と無く、上は太后に及び、下は大臣に至るまで、願はくは先生悉く以て寡人に教へ、寡人を疑ふこと無かれ」と。范睢拝す、秦王もまた拝す。范睢曰く、「大王の国は、四塞以て固めと為す。北に甘泉・谷口有り、南は涇・渭を帯び、右は隴・蜀、左は関・阪、奮撃百万、戦車千乗。利あれば則ち出でて攻め、利あらざれば則ち入りて守る。此れ王者の地なり。民は私闘に怯にして公戦に勇なり、此れ王者の民なり。王、此の二者を并せてこれを有す。夫れ秦卒の勇、車騎の衆きを以て、以て諸侯を治むるは、譬へば韓盧を施ちて蹇兎を搏つが若し、霸王の業致すべきなり。而るに群臣その位に当たる莫し。今に至るまで関を閉づること十五年、敢へて兵を山東に窺はざる者は、是れ穣侯の秦の為に謀ること忠ならずして、大王の計に失ふ所有ればなり」と。秦王跽きて曰く、「寡人願はくは失計を聞かん」と。然れども左右竊かに聴く者多し、范睢恐れ、未だ敢へて内を言はず、先づ外事を言ひ、以て秦王の俯仰を観る。
現代語訳
「困窮や辱め、死の心配などは、私は決して恐れない。私が死んで秦が治まるなら、私の死は生きるよりもまさっている。」秦王はひざまずいて言った。「先生、何ということをおっしゃるのか。秦の国は辺鄙な遠方にあり、わしは愚かで至らない。それなのに先生はかたじけなくもここまで来てくださった。これは天がわしのために先生を煩わせ、先王の宗廟を守らせようとしているのだ。わしが先生から教えを受けられるのは、天が先王を守り、残された子のわしを見捨てないからだ。先生はどうしてそのようなことをおっしゃるのか。事の大小にかかわらず、上は太后のことから下は大臣のことまで、どうか先生はすべてわしに教えてほしい。わしを疑わないでいただきたい。」范睢は拝礼し、秦王もまた拝礼した。范睢は言った。「大王の国は四方を要害に囲まれて堅固だ。北には甘泉・谷口があり、南は涇水・渭水を帯のようにめぐらせ、西は隴山・蜀、東は函谷関と阪がある。勇猛な兵は百万、戦車は千台。有利なら出て攻め、不利なら入って守る。これは天下の王となる者の土地だ。民は私的な喧嘩には臆病だが、国のための戦いには勇敢だ。これは天下の王となる者の民だ。王はこの二つを兼ね備えておられる。秦の兵の勇猛さと車馬の多さで諸侯を従えるのは、たとえれば名犬の韓盧を放って足の悪い兎を捕らえるようなもので、覇王の業は成し遂げられるはずだ。それなのに、群臣の中にその地位にふさわしい者がいない。今まで十五年も関所を閉ざし、あえて山東(函谷関以東の諸国)に兵を向けなかったのは、穣侯が秦のために計ることに忠実でなく、大王の計略にも誤りがあったからだ。」秦王はひざまずいて言った。「その誤った計略について聞きたい。」しかし側近でこっそり聞き耳を立てている者が多かったので、范睢は恐れて、まだ内政(太后や穣侯のこと)については言わず、まず外交のことを話して、秦王の反応をうかがった。
解説
関連する章句
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戦国策・范睢至秦范睢秦に至る、王庭に迎へ、范睢に謂ひて曰く、「寡人宜しく身を以て令を受くること久しかるべし。今義渠の事急なれば、寡人日々自ら太后に請ふ。今義渠の事已(や)みぬれば、寡人乃ち身を以て命を受くるを得たり。躬(み)づから竊かに閔然として不敏なるも、敬んで賓主の禮を執らん。」范睢辭讓す。是の日范睢を見るに、見る者變色易容せざる無し。秦王左右を屏(しりぞ)け、宮中虛しくして人無く、秦王跪きて請ひて曰く、「先生何を以てか寡人に教ふるを幸ひせん。」范睢曰く、「唯唯。」間有りて、秦王復た請ふ、范睢曰く、「唯唯。」是くの若き者三たびす。秦王跽(ひざまづ)きて曰く、「先生幸ひに寡人に教へざるか。」范睢謝して曰く、「敢へて然るに非ざるなり。臣聞く、始め呂尚の文王に遇へるや、身漁父と為りて渭陽の濱に釣りせしのみ。是くの若きは交疏なり。已に一說して立ちて太師と為り、載せて俱に歸る者は、其の言深ければなり。故に文王果して功を呂尚に收め、卒に天下を擅にして身帝王と立てり。即し文王呂望を疏んじて與に深く言はざらしめば、是れ周に天子の德無く、文・武與に其の王を成す無からん。今臣は羇旅の臣にして、王に交疏し、而して願はくは陳ぜんとする所は、皆君を匡すの事にして、人の骨肉の間に處る。願はくは臣の陋忠を陳べんとするも、未だ王の心を知らざるなり。王三たび問ひて對へざる所以は是れなり。臣畏るる所有りて敢へて言はざるに非ざるなり。今日之を前に言ひて、明日之に伏誅せらるるを知るも、然れども臣敢へて畏れざるなり。大王信じて臣の言を行はば、死すとも以て臣の患ひと爲すに足らず、亡ぶとも以て臣の憂ひと爲すに足らず、身に漆して厲(らい)と爲り、髮を被りて狂と爲るも、以て臣の恥と爲すに足らず。五帝の聖にして死し、三王の仁にして死し、五伯の賢にして死し、烏獲の力にして死し、奔・育の勇にして死せり。死は人の必ず免れざる所なり。必然の勢に處りて、以て少しく秦に補ふ有る可くんば、此れ臣の大いに願ふ所なり、臣何をか患へん。伍子胥は橐に載せられて昭關を出で、夜行きて晝伏し、蔆水に至りて以て其の口を餌ふ無く、坐行蒲服して、食を呉市に乞ひ、卒に呉國を興し、闔廬を覇たらしめたり。臣をして謀を進むること伍子胥の如きを得しめ、之に幽囚を加へて、終身復た見えざるとも、是れ臣の說の行はるるなり、臣何をか憂へん。箕子・接輿は、身に漆して厲と爲り、髮を被りて狂と爲るも、殷・楚に益無かりき。臣をして箕子・接輿と行を同じくするを得しめ、身に漆すること以て賢とする所の主に補ふ可くんば、是れ臣の大榮なり、臣又何をか恥ぢん。臣の恐るる所は、獨り臣死するの後、天下臣の忠を盡くして身蹶(たふ)るるを見んことを恐るるなり。是を以て口を杜(と)ぢ足を裹みて、肯へて秦に即く莫きのみ。足下上は太后の嚴を畏れ、下は姦臣の態に惑ひ、深宮の中に居りて保傅の手を離れず、終身闇惑して與に姦を照らす無く、大なる者は宗廟滅覆し、小なる者は身以て孤危なり。此れ臣の恐るる所のみ。若し夫れ窮辱の事、死亡の患ひの若きは、臣敢へて畏れざるなり。臣死して秦治まらば、生けるより賢れり。」秦王跽きて曰く、「先生是れ何の言ぞや。夫れ秦國は僻遠にして、寡人は愚にして不肖なり。先生乃ち幸ひに此に至る、此れ天寡人を以て先生を慁(わづら)はし、先王の廟を存せしむるなり。寡人先生に命を受くるを得るは、此れ天の先王を幸ひして其の孤を棄てざる所以なり。先生奈何ぞ言ふこと此くの若くなる。事の大小と無く、上は太后に及び、下は大臣に至るまで、願はくは先生悉く以て寡人に教へ、寡人を疑ふ無かれ。」范睢再拜す、秦王も亦た再拜す。范睢曰く、「大王の國は、北に甘泉・谷口有り、南に涇・渭を帶び、右に隴・蜀、左に關・阪あり。戰車千乘、奮擊百萬。秦卒の勇、車騎の多きを以て、以て諸侯に當らば、譬へば韓盧を馳せて蹇兔を逐ふが若し。霸王の業致す可し。今反りて閉ぢて敢へて兵を山東に窺はざる者は、是れ穰侯國の爲に謀りて忠ならず、大王の計に失ふ所有ればなり。」王曰く、「願はくは失ふ所の計を聞かん。」睢曰く、「大王韓・魏を越えて強齊を攻むるは、計に非ざるなり。師を出だすこと少なければ、則ち以て齊を傷つくるに足らず。之を多くすれば則ち秦を害す。臣意ふに王の計、師を出だすこと少なくして、韓・魏の兵を悉くせんと欲するは則ち不義なり。今與國の親しむ可からざるを見て、人の國を越えて攻む、可ならんや。計に疏きなり。昔者、齊人楚を伐ちて、戰ひて勝ち、軍を破り將を殺し、地を再辟すること千里なるも、膚寸の地も得る者無かりき。豈に齊地を欲せざらんや、形有つ能はざればなり。諸侯齊の罷露するを見て、君臣の親しまざるを見て、兵を舉げて之を伐ち、主辱められ軍破れ、天下の笑ひと爲れり。然る所以の者は、其の楚を伐ちて韓・魏を肥やせばなり。此れ所謂『賊に兵を藉し盜に食を齎す』者なり。王は遠く交はりて近く攻むるに如かず、寸を得れば則ち王の寸なり、尺を得れば則ち王の尺なり。今此を舍てて遠く攻む、亦た繆(あやま)らざらんや。且つ昔者、中山の地、方五百里、趙獨り之を擅にす。功成り名立ち利附けば、則ち天下能く害する莫し。今韓・魏は、中國の處にして天下の樞なり。王若し霸たらんと欲せば、必ず中國に親しみて以て天下の樞と爲し、以て楚・趙を威(おど)すべし。趙彊ければ則ち楚附き、楚彊ければ則ち趙附く。楚・趙附けば則ち齊必ず懼れ、懼るれば必ず辭を卑くし幣を重くして以て秦に事へん。齊附きて韓・魏虛にす可きなり。」王曰く、「寡人魏に親しまんと欲するも、魏は變多きの國なり、寡人親しむ能はず。請ふ魏に親しむこと奈何と問はん。」范睢曰く、「辭を卑くし幣を重くして以て之に事へよ。不可ならば地を削りて之に賂せよ。不可ならば兵を舉げて之を伐て。」是に於て兵を舉げて邢丘を攻め、邢丘拔けて魏附くを請ふ。曰く、「秦・韓の地形は、相錯はること繡の如し。秦の韓有るは、木の蠹有るが若く、人の心腹を病むがごとし。天下變有らば、秦の爲に害を爲す者は韓より大なるは莫し。王は韓を收むるに如かず。」王曰く、「寡人韓を收めんと欲するも聽かず、之を爲すこと奈何せん。」范睢曰く、「兵を舉げて滎陽を攻むれば、則ち成睪の路通ぜず。北に太行の道を斬らば則ち上黨の兵下らず。一たび舉げて榮陽を攻むれば、則ち其の國斷ちて三と爲らん。魏・韓必ず亡ぶるを見ば、焉んぞ聽かざるを得んや。韓聽けば霸の事成る可し。」王曰く、「善し。」范睢曰く、「臣山東に居りしとき、齊の內に田單有るを聞くも、其の王有るを聞かず。秦に太后・穰侯・涇陽・華陽有るを聞くも、其の王有るを聞かず。夫れ國を擅にする之を王と謂ひ、能く利害を專らにする之を王と謂ひ、殺生の威を制する之を王と謂ふ。今太后行を擅にして顧みず、穰侯使を出だして報ぜず、涇陽・華陽擊斷して諱む無し。四貴備はりて國危からざる者、未だ之有らざるなり。此の四者の爲にすれば、下乃ち所謂王無きのみ。然らば則ち權焉んぞ傾かざるを得んや、令焉んぞ王より出づるを得んや。臣聞く、『善く國を爲むる者は、內に其の威を固くし、外に其の權を重くす』と。穰侯の使者は王の重きを操り、諸侯を決裂し、天下に符を剖ち、敵を征し國を伐ち、敢へて聽かざる莫し。戰ひて勝ち攻めて取れば、則ち利陶に歸す。國弊るれば、諸侯に御せられ、戰ひて敗るれば、則ち怨み百姓に結び、禍ひ社稷に歸す。詩に曰く、『木の實繁き者は其の枝を披き、其の枝を披く者は其の心を傷つく。其の都を大にする者は其の國を危くし、其の臣を尊くする者は其の主を卑くす。』と。淖齒齊の權を管し、閔王の筯を縮め、之を廟梁に縣け、宿昔にして死せり。李兌趙を用ゐ、主父の食を減じ、百日にして餓死せり。今秦、太后・穰侯事を用ゐ、高陵・涇陽之を佐け、卒に秦王無し。此れ亦た淖齒・李兌の類のみ。臣今王の廟朝に獨立するを見る。且つ臣將に後世秦國を有つ者、王の子孫に非ざるを恐れんとす。」秦王懼れ、是に於て乃ち太后を廢し、穰侯を逐ひ、高陵を出だし、涇陽を關外に走らしむ。昭王范睢に謂ひて曰く、「昔者、齊公管仲を得て、時に以て仲父と爲す。今吾子を得て、亦た以て父と爲さん。」
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史記 范雎蔡沢列伝意者ふに臣愚にして王の心に概せざるか。亡(はた)臣を言ふ者賤しくして用ふべからざるか。然るに非ざるよりは、臣願はくは少しく游観の閒を賜はり、顔色を望見するを得ん。一語も効無くんば、請ふ斧質に伏せん。是に於いて秦の昭王大いに説び、乃ち王稽に謝し、伝車を以て范睢を召さしむ。是に於いて范睢乃ち離宮に見ゆるを得、詳りて永巷を知らずとしてその中に入る。王来たりて宦者怒り、これを逐ひて曰く、「王至る」と。范睢繆りて為して曰く、「秦に安んぞ王を得ん。秦には独り太后・穣侯有るのみ」と。以て昭王を感怒せしめんと欲す。昭王至り、その宦者と争ひ言ふを聞き、遂に延き迎へ、謝して曰く、「寡人宜しく身を以て命を受くべきこと久し、会々義渠の事急にして、寡人旦暮自ら太后に請ふ。今、義渠の事已む、寡人乃ち命を受くるを得たり。竊かに閔然として不敏なり、敬んで賓主の礼を執らん」と。范睢辞譲す。是の日、范睢の見ゆるを観る者、群臣灑然として色を変じ容を易へざる者莫し。秦王、左右を屏け、宮中虚しくして人無し。秦王跽きて請ひて曰く、「先生何を以て幸ひに寡人に教へんとするか」と。范睢曰く、「唯唯」と。閒有りて、秦王また跽きて請ひて曰く、「先生何を以て幸ひに寡人に教へんとするか」と。范睢曰く、「唯唯」と。是くの若き者三たび。秦王跽きて曰く、「先生卒に幸ひに寡人に教へざるか」と。范睢曰く、「敢へて然るに非ざるなり。臣聞く、昔者呂尚の文王に遇ふや、身は漁父と為りて渭浜に釣るのみ。是くの若き者は、交はり疏きなり。已に説きて立てて太師と為し、載せて与に倶に帰る者は、その言深ければなり。故に文王遂に功を呂尚に収めて卒に天下に王たり。郷に文王をして呂尚を疏んじて与に深く言はざらしめば、是れ周に天子の徳無くして、文・武与にその王業を成すこと無からん。
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史記 范雎蔡沢列伝因りて進みて曰く、「夫れ穣侯の韓・魏を越えて斉の綱寿を攻むるは、計に非ざるなり。少しく師を出だせば則ち以て斉を傷つくるに足らず、多く師を出だせば則ち秦に害あり。臣意ふに王の計は、少しく師を出だして韓・魏の兵を悉くせんと欲するなり、則ち不義なり。今、与国の親しまざるを見て、人の国を越えて攻む、可ならんや。その計に於いて疏なり。且つ昔、斉の湣王南のかた楚を攻め、軍を破り将を殺し、再び地を辟くこと千里、而るに斉は尺寸の地も焉に得る者無し。豈に地を得んことを欲せざらんや、形勢有つこと能はざればなり。諸侯、斉の罷獘し、君臣の和せざるを見て、兵を興して斉を伐ち、大いにこれを破る。士辱められ兵頓れ、皆その王を咎めて曰く、『誰か此の計を為せし者ぞ』と。王曰く、『文子これを為せり』と。大臣乱を作し、文子出でて走る。斉を攻めて大いに破りし所以の者は、その楚を伐ちて韓・魏を肥やせるを以てなり。此れ所謂賊に兵を借して盗に糧を齎す者なり。王は遠く交はりて近く攻むるに如かず。寸を得れば則ち王の寸なり、尺を得るもまた王の尺なり。今此を釈きて遠く攻むるは、また繆らずや。且つ昔者、中山の国は地方五百里、趙独りこれを呑み、功成り名立ちて利附く、天下これを能く害する莫し。今、夫れ韓・魏は中国の処にして天下の枢なり。王それ霸たらんと欲せば、必ず中国に親しみて以て天下の枢と為し、以て楚・趙を威せ。楚彊ければ則ち趙を附け、趙彊ければ則ち楚を附けよ。楚・趙皆附かば、斉必ず懼れん。斉懼れば、必ず辞を卑くし幣を重くして以て秦に事へん。斉附きて韓・魏因りて虜にすべきなり」と。昭王曰く、「吾魏に親しまんと欲すること久し、而るに魏は多変の国なり、寡人親しむ能はず。請ふ問ふ、魏に親しむこと柰何」と。対へて曰く、「王、詞を卑くし幣を重くして以てこれに事へよ。不可ならば、則ち地を割きてこれに賂へ。不可ならば、因りて兵を挙げてこれを伐て」と。王曰く、「寡人敬んで命を聞けり」と。乃ち范睢を拝して客卿と為し、兵事を謀らしむ。
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史記 范雎蔡沢列伝秦の太后・穣侯・華陽・高陵・涇陽有るを聞きて、その王有るを聞かざるなり。夫れ国を擅にする、これを王と謂ひ、能く利害する、これを王と謂ひ、殺生の威を制する、これを王と謂ふ。今、太后は擅に行ひて顧みず、穣侯は出使して報ぜず、華陽・涇陽等は撃断して諱む無く、高陵は進退して請はず。四貴備はりて国危ふからざる者は、未だこれ有らざるなり。此の四貴の者の下と為るは、乃ち所謂王無きなり。然らば則ち権安んぞ傾かざるを得ん、令安んぞ王より出づるを得んや。臣聞く、善く国を治むる者は、乃ち内にその威を固めて外にその権を重くすと。穣侯の使者は王の重きを操り、制を諸侯に決し、符を天下に剖き、政適(てき)して国を伐つ、敢へて聴かざる莫し。戦ひ勝ち攻め取らば則ち利は陶に帰し、国獘れて諸侯に御せらる。戦ひ敗るれば則ち怨みを百姓に結び、而して禍は社稷に帰す。詩に曰く『木の実繁き者はその枝を披き、その枝を披く者はその心を傷つく。その都を大にする者はその国を危ふくし、その臣を尊ぶ者はその主を卑しくす』と。崔杼・淖歯は斉を管し、王の股を射、王の筋を擢き、これを廟の梁に県け、宿昔にして死す。李兌は趙を管し、主父を沙丘に囚へ、百日にして餓死せしむ。今、臣聞く、秦の太后・穣侯事を用ひ、高陵・華陽・涇陽これを佐け、卒に秦王無し、此れまた淖歯・李兌の類なり。且つ夫れ三代の国を亡ぼしし所以の者は、君専ら政を授け、酒を縦にし馳騁弋猟して、政事を聴かざればなり。その授けられし所の者は、賢を妒み能を嫉み、下を御し上を蔽ひ、以てその私を成し、主の為に計らず、而して主覚悟せず、故にその国を失ふ。今、有秩より以上諸大吏に至るまで、下は王の左右に及ぶまで、相国の人に非ざる者無し。王の独り朝に立つを見、臣竊かに王の為に恐る、万世の後、秦国を有つ者は王の子孫に非ざらんことを」と。昭王これを聞きて大いに懼れて曰く、「善し」と。是に於いて太后を廃し、穣侯・高陵・華陽・涇陽君を関外に逐ふ。秦王乃ち范睢を拝して相と為す。
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史記 范雎蔡沢列伝今、臣は羈旅の臣なり、交はり王に疏くして、陳べんと願ふ所の者は皆君を匡すの事なり、人の骨肉の閒に処る。愚忠を效さんと願へども未だ王の心を知らざるなり。此れ王三たび問へども敢へて対へざる所以の者なり。臣は畏るる有りて敢へて言はざるに非ざるなり。臣は今日これを前に言ひて明日誅に後に伏するを知る、然れども臣敢へて避けざるなり。大王信に臣の言を行はば、死も以て臣の患ひと為すに足らず、亡も以て臣の憂ひと為すに足らず、身に漆して厲と為り、髪を被りて狂と為るも以て臣の恥と為すに足らず。且つ五帝の聖を以てするも死し、三王の仁を以てするも死し、五伯の賢を以てするも死し、烏獲・任鄙の力を以てするも死し、成荊・孟賁・王慶忌・夏育の勇を以てするも死す。死は人の必ず免れざる所なり。必然の勢ひに処りて、以て少しく秦に補ふ有るべくんば、此れ臣の大いに願ふ所なり、臣また何をか患へん。伍子胥は橐載せられて昭関を出で、夜行き昼伏し、陵水に至りて、以てその口を糊する無く、厀行し蒲伏し、稽首し肉袒し、腹を鼓し篪を吹きて、食を呉の市に乞ひ、卒に呉国を興し、闔閭霸と為る。臣をして謀を尽くすこと伍子胥の如きを得しめ、これに加ふるに幽囚を以てし、終身また見えずとも、是れ臣の説行はるるなり、臣また何をか憂へん。箕子・接輿は身に漆して厲と為り、髪を被りて狂と為るも、主に益無し。仮使臣をして行ひを箕子に同じくするを得しめ、以て賢とする所の主に補ふ有るべくんば、是れ臣の大いなる栄なり、臣何の恥か有らん。臣の恐るる所の者は、独り臣の死するの後、天下の臣の忠を尽くして身死するを見て、因りて是を以て口を杜ぎ足を裹み、肯へて秦に郷ふ莫からんことを恐るるのみ。足下は上は太后の厳を畏れ、下は姦臣の態に惑ひ、深宮の中に居り、阿保の手を離れず、終身迷惑して、与に姦を昭らかにする無し。大なる者は宗廟滅覆し、小なる者は身以て孤危す、此れ臣の恐るる所のみ。
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史記 范雎蔡沢列伝卒に范睢の謀を聴き、五大夫綰をして魏を伐たしめ、懐を抜く。後二歳、邢丘を抜く。客卿范睢また昭王に説きて曰く、「秦・韓の地形は、相錯はること繡の如し。秦の韓有るや、譬へば木の蠹有るが如く、人の心腹の病有るがごときなり。天下変無くんば則ち已む、天下変有らば、その秦の患ひと為る者、孰か韓より大ならんや。王は韓を収むるに如かず」と。昭王曰く、「吾固より韓を収めんと欲す、韓聴かず、これを為すこと柰何」と。対へて曰く、「韓安んぞ聴くこと無きを得んや。王、兵を下して滎陽を攻めば、則ち鞏・成皋の道通ぜず。北のかた太行の道を断たば、則ち上党の師下らず。王一たび兵を興して滎陽を攻めば、則ちその国断たれて三と為らん。夫れ韓は必ず亡ぶるを見ば、安んぞ聴かざるを得んや。若し韓聴かば、而して霸事因りて慮るべし」と。王曰く、「善し」と。且に使ひを韓に発せんとす。范睢日に益々親しまれ、また説きて用ひらるること数年、因りて閒を請ひて説きて曰く、「臣山東に居りし時、斉の田文有るを聞きて、その王有るを聞かず。
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