人物志 / 八觀
八曰觀其聰明,以知所達。
新字:八曰観其聰明,以知所達。
書き下し
八に曰く、其の聡明を観て、以て達する所を知る。
現代語訳
第八に、その人の聡明さの程度を観察することによって、到達しうる境地を知る。
解説
聡明さとは頭の回転の速さだけでなく、物事の道理をどこまで見通せるかという射程の広さを指す。人物志は、その聡明の深浅を観察すれば、その人がどこまで到達しうるかがおのずと見えてくるという。目の前の問題だけでなく先の展開まで見通しているかどうかに注意を向けると、その人の可能性の広がりが感じられてくる。自分の理解がどこまで届いているかを振り返ることも、成長の手がかりになる。
この章句が説くこと
聡明洞察到達点
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