史記 / 春申君列伝
韓、魏之彊,足以校於秦。齊南以泗水為境,東負海,北倚河,而無後患,天下之國莫彊於齊、魏,齊、魏得地葆利而詳事下吏,一年之後,為帝未能,其於禁王之為帝有餘矣。夫以王壤土之博,人徒之眾,兵革之彊,壹舉事而樹怨於楚,遲令韓、魏歸帝重於齊,是王失計也。臣為王慮,莫若善楚。秦、楚合而為一以臨韓,韓必斂手。王施以東山之險,帶以曲河之利,韓必為關內之侯。若是而王以十萬戍鄭,梁氏寒心,許、鄢陵嬰城,而上蔡、召陵不往來也,如此而魏亦關內侯矣。王壹善楚,而關內兩萬乘之主注地於齊,齊右壤可拱手而取也。王之地一經兩海,要約天下,是燕、趙無齊、楚,齊、楚無燕、趙也。然後危動燕、趙,直搖齊、楚,此四國者不待痛而服矣。昭王曰:「善。」於是乃止白起而謝韓、魏。發使賂楚,約為與國。
新字:韓、魏之彊,足以校於秦。斉南以泗水為境,東負海,北倚河,而無後患,天下之国莫彊於斉、魏,斉、魏得地葆利而詳事下吏,一年之後,為帝未能,其於禁王之為帝有余矣。夫以王壤土之博,人徒之衆,兵革之彊,壱舉事而樹怨於楚,遅令韓、魏帰帝重於斉,是王失計也。臣為王慮,莫若善楚。秦、楚合而為一以臨韓,韓必斂手。王施以東山之険,帯以曲河之利,韓必為関内之侯。若是而王以十万戍鄭,梁氏寒心,許、鄢陵嬰城,而上蔡、召陵不往来也,如此而魏亦関内侯矣。王壱善楚,而関内両万乗之主注地於斉,斉右壤可拱手而取也。王之地一経両海,要約天下,是燕、趙無斉、楚,斉、楚無燕、趙也。然後危動燕、趙,直揺斉、楚,此四国者不待痛而服矣。昭王曰:「善。」於是乃止白起而謝韓、魏。発使賂楚,約為与国。
書き下し
韓・魏の彊きは、以て秦に校するに足らん。斉は南は泗水を以て境と為し、東は海を負ひ、北は河に倚りて、後患無し。天下の国、斉・魏より彊きは莫からん。斉・魏、地を得て利を葆ち、詳りて下吏に事へば、一年の後、帝為ること未だ能はざるも、その王の帝為るを禁ずるに於いては余り有らん。夫れ王の壌土の博き、人徒の衆き、兵革の彊きを以て、壹たび事を挙げて怨みを楚に樹て、遅れて韓・魏をして帝を帰して斉に重からしむるは、是れ王の計を失ふなり。臣王の為に慮るに、楚を善くするに若くは莫し。秦・楚合して一と為りて以て韓に臨まば、韓必ず手を斂めん。王、施すに東山の険を以てし、帯ぶるに曲河の利を以てせば、韓必ず関内の侯と為らん。是くの若くにして王十万を以て鄭を戍らば、梁氏は寒心し、許・鄢陵は城を嬰り、而して上蔡・召陵は往来せざらん。此くの如くにして魏もまた関内の侯たらん。王壹たび楚を善くせば、関内の両万乗の主は地を斉に注ぎ、斉の右壌は手を拱きて取るべきなり。王の地は一たび両海を経し、天下を要約せん。是れ燕・趙は斉・楚無く、斉・楚は燕・趙無きなり。然る後に燕・趙を危動し、直ちに斉・楚を揺るがさば、此の四国は痛むを待たずして服せん」と。昭王曰く、「善し」と。是に於いて乃ち白起を止めて韓・魏に謝す。使ひを発して楚に賂ひ、約して与国と為す。
現代語訳
「(そうなれば)韓・魏の強さは、秦と張り合うのに十分なものになる。斉は南は泗水を国境とし、東は海を背にし、北は黄河に寄りかかっていて、後ろの憂いがない。天下の国で斉と魏より強い国はなくなるだろう。斉と魏が土地を得て利益を保ち、うわべは王の役人にへりくだって仕えていれば、一年後には、自分が帝となることはまだできないにしても、王が帝となるのを妨げるには十分な力を持つだろう。そもそも王の領土の広さ、民の多さ、軍の強さをもってしながら、ひとたび事を起こして楚に恨みを植えつけ、その結果韓・魏に帝号の重みを斉に譲らせるようなことになれば、それは王の計略の失敗である。私が王のために考えるに、楚と親しくするのが一番だ。秦と楚が一つになって韓に臨めば、韓は必ず手を引っ込めて従う。王が東山の険しい地で韓を囲み、曲がりくねった黄河の利を帯のようにめぐらせれば、韓は必ず関内の諸侯(秦の臣下の諸侯)となるだろう。そうしておいて王が十万の兵で鄭を守らせれば、梁(魏)は肝を冷やし、許と鄢陵は城にこもり、上蔡と召陵は行き来もしなくなる。こうして魏もまた関内の諸侯となる。王がひとたび楚と親しくすれば、関内の二つの万乗の国(韓・魏)の君主は、斉に向かって攻め込み、斉の西側の土地は手をこまねいたまま取ることができる。王の領土は東西の二つの海にまたがり、天下を締めくくることになる。そうなれば燕・趙は斉・楚の助けを得られず、斉・楚は燕・趙の助けを得られない。そのうえで燕・趙を脅かし、ただちに斉・楚を揺さぶれば、この四つの国は痛い目にあわされるまでもなく服従するだろう。」昭王は「よろしい」と言い、そこで白起の出兵を止めて韓・魏に断りを入れた。そして使者を送って楚に贈り物をし、同盟国となる約束を結んだ。
解説
関連する章句
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『新序』善謀第九臣王の爲に慮るに、楚を善くするに若くは莫し。秦・楚合して一と爲りて以て韓に臨まば、韓必ず拱手せん。王之に施すに東山の險を以てし、帶ぶるに曲河の利を以てせば、韓必ず關内の侯と爲らん。是くの若くにして王十萬を以て鄭を伐たば、梁氏心を寒くし、許・鄢陵・嬰城し、而して上蔡・召陵往來せざるなり。此くの如くして魏も亦た關内の侯ならん。王一たび楚を善くして關内に兩萬乘の王あり。地を齊に注入せば、齊の右壤拱手して取る可きなり。王の地一たび兩海に桎り、天下を要約す。是れ燕・趙に齊・楚無く、齊・楚に燕・趙無し。然る後に燕・趙を危動し、直ちに齊・楚を揺るがす。此の四國は、痛みを待たずして服するなり、と。昭王曰く、善し、と。是に於いて乃ち白起を止め、韓・魏を謝し、使いを發して楚に賂い、約して與國と爲す。黃歇約を受けて楚に歸る。楚を弱むるの禍を解き、秦を彊むるの兵を全うす。黃歇の謀なり。
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史記 春申君列伝此れより観れば、楚国は援なり、隣国は敵なり。詩に云ふ『趯趯たる毚免、犬に遇ひてこれを獲らる。他人心有り、余これを忖度す』と。今、王、中道にして韓・魏の王を善くするを信ず、此れ正に呉の越を信ずるなり。臣これを聞く、敵は仮すべからず、時は失ふべからずと。臣恐る、韓・魏は辞を卑くして患ひを除き、実は大国を欺かんと欲するを。何となれば則ち、王は韓・魏に重世の徳無くして、累世の怨み有り。夫れ韓・魏の父子兄弟の踵を接して秦に死する者は将に十世ならんとす。本国残はれ、社稷壊れ、宗廟毀たる。腹を刳き腸を絶ち、頸を折り頤を摺き、首身分離し、骸骨を草沢に暴し、頭顱僵仆して、境に相望む。父子老弱の脰を系ぎ手を束ねて群虜と為る者は、路に相及ぶ。鬼神孤傷して、血食する所無し。人民は生を聊んぜず、族類離散し、流亡して仆妾と為る者、海内に盈満す。故に韓・魏の亡びざるは、秦の社稷の憂ひなり。今、王これに資して与に楚を攻む、また過ちならずや。且つ王の楚を攻むるに将に悪くにか兵を出ださんとする。王将に路を仇讎の韓・魏に借らんとするか。兵出づるの日にして王その返らざるを憂へん、是れ王は兵を以て仇讎の韓・魏に資するなり。王若し路を仇讎の韓・魏に借らずんば、必ず随水の右壌を攻めん。随水の右壌は、此れ皆広川大水、山林谿谷にして、食はざるの地なり、王これを有すと雖も、地を得たりと為さず。是れ王は楚を毀るの名有りて地を得るの実無きなり。且つ王の楚を攻むるの日、四国必ず悉く兵を起こして以て王に応ぜん。秦・楚の兵構へて離れず、魏氏将に出でて留・方与・銍・湖陵・碭・蕭・相を攻めんとし、故宋必ず尽きん。斉人南面して楚を攻め、泗上必ず挙げられん。此れ皆平原四達、膏腴の地なり、而して独り攻めしむ。王、楚を破りて以て韓・魏を中国に肥やして斉を勁くせん。
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『新序』善謀第九楚黃歇を秦に使いせしむ。秦の昭王白起をして韓・魏を攻めしむ。韓・魏服して秦に事う。昭王方に白起をして韓・魏と共に楚を伐たしめんとす。黃歇適ミ至り、其の計を聞く。是の時秦已に白起をして楚を攻め數縣を取らしむ。楚の頃襄王東に徙る。黃歇書を秦の昭王に上る。秦をして遠く楚に交わりて韓・魏を攻めしめ、以て楚を解かんと欲す。其の書に曰く、天下秦・楚より强きは莫し。今王楚を伐たんと欲すと聞く。此れ猶お兩虎相い與に鬭うがごとし。兩虎相い與に鬭いて駑犬其の弊を受くるなり。楚を善くするに如かず。臣請う其の說を言わん。臣之を聞く、物至れば則ち反る、冬夏是れなり。高きを致せば則ち危うし、棊を累ぬる是れなり、と。今大國の地は天下に徧く、其の二垂を有つ。此れ生民より以來、萬乘の地、未だ嘗て有らざるなり。今王盛橋をして韓に守事せしむ。盛橋其の地を以て秦に入る。是れ王甲を用いず威を信べずして、百里の地を得るなり。王能くすと謂う可し。王又た甲を舉げて魏を攻め、大梁の門を杜ぎ、河内を舉げ、燕・酸棗・虚桃を攻め、邢に入る。魏の兵雲翔して敢えて救わず。王の功も亦た多し。王甲を休め衆を息わしめ、二年にして之を復す。滿・衍・首・垣を取り、以て仁・平丘・黃・濟陽・甄城に臨む有り。而して魏氏服す。王又た濮・歷の北を割き、之を秦齊の要に注ぎ、楚・趙の脊を絶つ。天下五たび合し六たび聚まるも敢えて相い救わず。王の威も亦た單くせり。
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史記 春申君列伝春申君は楚人なり、名は歇、姓は黄氏。游学して博聞、楚の頃襄王に事ふ。頃襄王、歇を以て弁と為し、秦に使ひせしむ。秦の昭王、白起をして韓・魏を攻めしめ、これを華陽に敗り、魏将芒卯を禽にす。韓・魏服して秦に事ふ。秦の昭王方に白起をして韓・魏と共に楚を伐たしめんとし、未だ行かず、而して楚の使ひ黄歇適々秦に至り、秦の計を聞く。是の時に当たり、秦已に前に白起をして楚を攻めしめ、巫・黔中の郡を取り、鄢郢を抜き、東して竟陵に至る。楚の頃襄王、東に徙りて陳県に治す。黄歇は楚の懐王の秦に誘はれて入朝し、遂に欺かれて留められ秦に死するを見る。頃襄王はその子なり、秦これを軽んず、恐らくは壹たび兵を挙げて楚を滅ぼさん。歇乃ち上書して秦の昭王に説きて曰く、天下に秦・楚より彊きは莫し。今聞く、大王楚を伐たんと欲すと。此れ猶ほ両虎の相与に闘ふがごとし。両虎相与に闘へば駑犬その獘を受く、楚を善くするに如かず。臣請ふその説を言はん。臣聞く、物至れば則ち反る、冬夏是れなり。致至れば則ち危ふし、累棋是れなり。今、大国の地は、遍く天下にその二垂を有す、此れ生民より已来、万乗の地の未だ嘗て有らざる所なり。
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