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史記 / 平原君虞卿列伝

今郝曰『秦善韓、魏而攻趙者,必王之事秦不如韓、魏也』,是使王歲以六城事秦也,即坐而城盡。來年秦復求割地,王將與之乎?弗與,是棄前功而挑秦禍也;與之,則無地而給之。語曰『彊者善攻,弱者不能守』。今坐而聽秦,秦兵不獘而多得地,是彊秦而弱趙也。以益彊之秦而割愈弱之趙,其計故不止矣。且王之地有盡而秦之求無已,以有盡之地而給無已之求,其勢必無趙矣。」趙王計未定,樓緩從秦來,趙王與樓緩計之,曰:「予秦地如毋予,孰吉?」緩辭讓曰:「此非臣之所能知也。」王曰:「雖然,試言公之私。」樓緩對曰:「王亦聞夫公甫文伯母乎?公甫文伯仕於魯,病死,女子爲自殺於房中者二人。其母聞之,弗哭也。其相室曰:『焉有子死而弗哭者乎?』其母曰:『孔子,賢人也,逐於魯,而是人不隨也。今死而婦人爲之自殺者二人,若是者必其於長者薄而於婦人厚也。』故從母言之,是爲賢母;從妻言之,是必不免爲妒妻。故其言一也,言者異則人心變矣。今臣新從秦來而言勿予,則非計也;言予之,恐王以臣爲爲秦也:故不敢對。使臣得爲大王計,不如予之。」王曰:「諾。」虞卿聞之,入見王曰:「此飾説也,王慎勿予!」

新字:今郝曰『秦善韓、魏而攻趙者,必王之事秦不如韓、魏也』,是使王歳以六城事秦也,即坐而城尽。来年秦復求割地,王将与之乎?弗与,是棄前功而挑秦禍也;与之,則無地而給之。語曰『彊者善攻,弱者不能守』。今坐而聴秦,秦兵不獘而多得地,是彊秦而弱趙也。以益彊之秦而割愈弱之趙,其計故不止矣。且王之地有尽而秦之求無已,以有尽之地而給無已之求,其勢必無趙矣。」趙王計未定,楼緩従秦来,趙王与楼緩計之,曰:「予秦地如毋予,孰吉?」緩辞譲曰:「此非臣之所能知也。」王曰:「雖然,試言公之私。」楼緩対曰:「王亦聞夫公甫文伯母乎?公甫文伯仕於魯,病死,女子為自殺於房中者二人。其母聞之,弗哭也。其相室曰:『焉有子死而弗哭者乎?』其母曰:『孔子,賢人也,逐於魯,而是人不随也。今死而婦人為之自殺者二人,若是者必其於長者薄而於婦人厚也。』故従母言之,是為賢母;従妻言之,是必不免為妬妻。故其言一也,言者異則人心変矣。今臣新従秦来而言勿予,則非計也;言予之,恐王以臣為為秦也:故不敢対。使臣得為大王計,不如予之。」王曰:「諾。」虞卿聞之,入見王曰:「此飾説也,王慎勿予!」

書き下し

今、郝曰く『秦の韓・魏を善くして趙を攻むる者は、必ず(以て韓・魏の趙を救はずと為して王の軍必ず孤なるも以て有り)王の秦に事ふること韓・魏に如かざればなり』と。是れ王をして歳に六城を以て秦に事へしむるなり、即ち坐して城尽きん。来年秦また地を割かんことを求めば、王将にこれに与へんとするか。与へずんば、是れ前功を棄てて秦の禍を挑むなり。これを与へば、則ち地無くしてこれに給せん。語に曰く『彊き者は善く攻め、弱き者は守る能はず』と。今、坐して秦に聴かば、秦の兵は獘れずして多く地を得、是れ秦を彊くして趙を弱むるなり。益々彊き秦を以て愈々弱き趙を割く、その計は故より止まざらん。且つ王の地は尽くること有りて秦の求むるは已むこと無し。尽くること有るの地を以て已むこと無きの求めに給せば、その勢ひ必ず趙無からん」と。趙王の計未だ定まらず、楼緩秦より来たる。趙王、楼緩とこれを計りて曰く、「秦に地を予ふると予ふること毋きと、孰れか吉なる」と。緩辞譲して曰く、「此れ臣の能く知る所に非ざるなり」と。王曰く、「然りと雖も、試みに公の私を言へ」と。楼緩対へて曰く、「王もまた夫の公甫文伯の母を聞けるか。公甫文伯、魯に仕へ、病みて死す。女子の為に房中に自殺する者二人。その母これを聞き、哭せざるなり。その相室曰く、『焉んぞ子死して哭せざる者有らんや』と。その母曰く、『孔子は賢人なり、魯に逐はれしに、是の人随はざるなり。今死して婦人これが為に自殺する者二人、是くの若き者は必ずその長者に於いて薄くして婦人に於いて厚きなり』と。故に母よりこれを言はば、是れ賢母と為す。妻よりこれを言はば、是れ必ず妒妻たるを免れず。故にその言は一なるも、言ふ者異なれば則ち人心変ず。今、臣新たに秦より来たりて予ふること勿かれと言はば、則ち計に非ざるなり。これに予へよと言はば、恐らくは王、臣を以て秦の為にすと為さん。故に敢へて対へず。臣をして大王の為に計るを得しめば、これに予ふるに如かず」と。王曰く、「諾」と。虞卿これを聞き、入りて王に見えて曰く、「此れ飾説なり、王慎みて予ふること勿かれ」と。

現代語訳

「いま趙郝は『秦が韓・魏と仲よくして趙を攻めるのは、王の秦への仕え方が韓・魏に及ばないからだ』と言う。これは王に毎年六つの城を差し出して秦に仕えさせようということで、座したまま城がなくなってしまう。来年秦がまた土地を割けと求めてきたら、王は与えるおつもりか。与えなければ、これまでの譲歩を無駄にして秦の禍いを招くことになる。与えれば、もう与える土地がなくなる。ことわざに『強い者はうまく攻め、弱い者は守りきれない』とある。いま座して秦の言いなりになれば、秦の兵は疲れることなく多くの土地を得る。これは秦を強くして趙を弱くすることだ。ますます強くなる秦に、ますます弱くなる趙が土地を割いて与えるのだから、秦の企みはもとより止むことがない。それに王の土地には限りがあるが、秦の求めには果てがない。限りある土地で果てのない求めに応じていれば、その成り行きとして必ず趙はなくなってしまう。」趙王の考えはまだ定まらなかった。そこへ楼緩が秦からやって来た。趙王は楼緩と相談して言った。「秦に土地を与えるのと与えないのと、どちらがよいか。」楼緩は辞退して言った。「それは私にわかることではない。」王は言った。「そうではあろうが、試しにそなた個人の考えを言ってみよ。」楼緩は答えた。「王は公甫文伯の母の話をお聞きになったことがあるか。公甫文伯は魯に仕えていたが、病気で死んだ。すると彼のために部屋で自殺した女が二人いた。母はそれを聞いても泣かなかった。家宰が言った。『子が死んで泣かない母親などいるものか。』母は言った。『孔子は賢人だが、魯を追われたとき、この子はついて行かなかった。いま死んで、女が二人もあとを追って自殺した。こういう者は、きっと目上の人には薄情で、女には手厚かったのだ。』だから、母の口から言えば、これは賢い母だということになる。しかし妻の口から同じことを言えば、嫉妬深い妻だと言われるのは免れない。言葉は同じでも、言う人が違えば人の受け取り方は変わる。いま私が秦から来たばかりで『与えるな』と言えば、それは本心からの計ではない。『与えよ』と言えば、王は私を秦のために言っていると思われるだろう。だからお答えしなかったのだ。もし私に大王のために計らせていただけるなら、与える方がよい。」王は「わかった」と言った。虞卿はこれを聞くと、宮中に入って王に会って言った。「それは言葉を飾っただけの説だ。王は決して与えてはならない。」

解説

虞卿の反論の続きと、親秦派の楼緩の巧みな弁舌を描いた段です。虞卿は「王の土地には限りがあるが、秦の求めには果てがない。限りあるもので果てのない要求に応じれば趙は必ずなくなる」と、譲歩の連鎖の行き着く先を示しました。そこへ秦から来た楼緩は、意見を求められてもすぐには答えず、公甫文伯の母の故事を引きます。同じ「息子は女に厚く目上に薄かった」という言葉でも、母が言えば賢母、妻が言えば嫉妬深い妻と受け取られる。だから秦から来た自分が何を言っても疑われる、と前置きしたうえで「与えるべきだ」と勧めました。自分の立場の弱みを先に認めて相手の警戒を解く、実に巧妙な話法です。虞卿はこれを「飾説」、つまり言葉を飾っただけだと切り捨てます。誰が言うかで言葉の重みが変わることを逆手に取る話術は、今の会議や交渉でも見られるものです。

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