学問のすゝめ / 四編・学者の職分を論ず・利あらざるものは必ず害あり
以上論ずるところを概すれば、今の世の学者、この国の独立を助けなさんとするに当たりて、政府の範囲に入り官にありて事をなすと、その範囲を脱して私立するとの利害得失を述べ、本論は私立に左袒したるものなり。すべて世の事物をくわしく論ずれば、利あらざるものは必ず害あり、得あらざるものは必ず失あり、利害得失相半ばするものはあるべからず。わが輩もとよりためにするところありて私立を主張するにあらず、ただ平生の所見を証してこれを論じたるのみ。世人もし確証を掲げてこの論説を排し明らかに私立の不利を述ぶる者あらば、余輩は悦んでこれに従い、天下の害をなすことなかるべし。
書き下し
以上論ずるところを概すれば、今の世の学者、この国の独立を助けなさんとするに当たりて、政府の範囲に入り官にありて事をなすと、その範囲を脱して私立するとの利害得失を述べ、本論は私立に左袒したるものなり。すべて世の事物をくわしく論ずれば、利あらざるものは必ず害あり、得あらざるものは必ず失あり、利害得失相半ばするものはあるべからず。わが輩もとよりためにするところありて私立を主張するにあらず、ただ平生の所見を証してこれを論じたるのみ。世人もし確証を掲げてこの論説を排し、明らかに私立の不利を述ぶる者あらば、余輩は悦んでこれに従い、天下の害をなすことなかるべし。
現代語訳
以上論じたところをまとめれば、今の世の学者がこの国の独立を助けようとするにあたって、政府の範囲に入って官で事を行うことと、その範囲を脱して民間に立つことの利害得失を述べ、この論は民間の側に味方したものです。すべて世の物事を詳しく論じれば、利のないものには必ず害があり、得のないものには必ず失があり、利害得失が相半ばするものはありえません。私はもとより下心があって民間を主張するのではなく、ただ日ごろの見解を証明して論じただけです。世の人がもし確かな証拠を掲げてこの議論を退け、はっきりと民間の不利を述べる者があれば、私は喜んでこれに従い、天下に害をなすことはないでしょう。
解説
四編の締めくくりで、自分の立場を偏りとして明示します。本論は私立に味方したものだ、と。そのうえで、確かな証拠で反論されれば喜んで従う、と述べる。議論の勝ち負けではなく、正しい結論が出ることを目的にした態度です。利害得失が相半ばすることはない、という一行も実務的で、どの選択にも必ず代償があるという認識を示しています。
この章句が説くこと
立場偏り反論代償誠実
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