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孟子 / 離婁章句下

曾子居武城。有越寇。或曰、寇至、盍去諸。曰、無寓人於我室、毀傷其薪木。寇退、則曰、修我牆屋。我將反。寇退、曾子反。左右曰、待先生、如此其忠且敬也。寇至則先去以為民望、寇退則反。殆於不可。沈猶行曰、是非汝所知也。昔沈猶有負芻之禍。從先生者七十人、未有與焉。子思居於衛。有齊寇。或曰、寇至、盍去諸。子思曰、如伋去、君誰與守。孟子曰、曾子子思同道。曾子、師也、父兄也。子思、臣也、微也。曾子子思易地則皆然。

新字:曽子居武城。有越寇。或曰、寇至、盍去諸。曰、無寓人於我室、毀傷其薪木。寇退、則曰、修我牆屋。我将反。寇退、曽子反。左右曰、待先生、如此其忠且敬也。寇至則先去以為民望、寇退則反。殆於不可。沈猶行曰、是非汝所知也。昔沈猶有負芻之禍。従先生者七十人、未有与焉。子思居於衛。有斉寇。或曰、寇至、盍去諸。子思曰、如伋去、君誰与守。孟子曰、曽子子思同道。曽子、師也、父兄也。子思、臣也、微也。曽子子思易地則皆然。

書き下し

曾子、武城に居る。越の寇有り。或ひと曰く、「寇至る、盍ぞ諸を去らざるや。」曰く、「人を我が室に寓し、其の薪木を毀傷すること無かれ。」寇退けば、則ち曰く、「我が牆屋を修めよ。我將に反らんとす。」寇退き、曾子反る。左右曰く、「先生を待つこと、此の如く其れ忠にして且つ敬なり。寇至れば、則ち先づ去りて以て民の望みを為し、寇退けば則ち反る。不可なるに殆(ちかい)し。」沈猶行曰く、「是れ汝の知る所に非ざるなり。昔、沈猶、負芻の禍い有り。先生に従う者七十人、未だ與ること有らず。」子思、衛に居る。齊の寇有り。或ひと曰く、「寇至る。盍そ諸を去らざるや。」子思曰く、「如し伋去らば、君誰と與にか守らん。」孟子曰く、「曾子・子思は道を同じくす。曾子は師なり、父兄也なり。子思は臣なり、微なり。曾子・子思、地を易うれば則ち皆然り。」

現代語訳

曾子が魯の武城に居たとき、越の軍が攻めてきた。ある人が、「敵が攻めてきた、速く逃げなされ。」と言った。そこで曾子は、留守居の者に、「人を部屋に入れるな、庭の草や木を傷つけさせるな。」と言いつけて去った。敵軍が退却すると使いを出して、「へいや部屋を修理しておけ、やがて帰るから。」と言いつけた。やがて敵兵が全て去ったので、曾子は帰ってきた。門人たちは、「武城では、これほどまでに忠実に敬意を以て先生を厚遇してくれたのに、敵が来れば、いち早く逃げ去り、民への手本となり、敵が去れば復た帰ってくるというのは、あまりよろしくないと思う。」とうわさした。それを聞いた弟子の沈猶行は言った、「それは君たちには理解できないことだ。むかし、先生が我が沈猶家に来られたとき、負芻の乱暴者たちが我が家を襲ったとき、先生は七十人の弟子と一緒に逃げられ、この乱に一切関与されなかった。」

解説

敵が攻めてきた際に避難した曾子と、国君のもとに留まった子思は、一見相反する行動をとったように見えます。しかし、曾子は客分や教師の立場であり、子思は君主に仕える臣下の立場でした。立場が違えば取るべき責任ある行動も異なります。現代のビジネスや社会においても、役職や役割によって求められる責任範囲は違いますが、共通しているのは「自分の立場で最善を尽くし、全体の被害を最小限に抑えつつ道義を守る」という姿勢です。

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