史記 / 平原君虞卿列伝
十九人相與目笑之而未廢也。
新字:十九人相与目笑之而未廃也。
書き下し
十九人相与に目してこれを笑ふも未だ廃せず。
現代語訳
十九人は互いに目配せして毛遂を笑ったが、(口に出して)はねつけることはしなかった。
解説
毛遂の同行が決まった直後の、ほかの十九人の反応を記した一文です。平原君が選んだ十九人は、三年間何の評判もなかった毛遂が自ら名乗り出て一行に加わったことを、互いに目配せして笑いました。しかし「未だ廃せず」、つまり面と向かって追い出したり排除したりはしなかったとあります。心の中では侮りながらも、主君が決めたことに表立って異を唱えない、という微妙な空気が一文で描かれています。この後、楚に向かう道中で毛遂は十九人と議論を重ね、楚に着くころには全員が毛遂に心服するようになります。そして楚王との交渉が行き詰まったとき、十九人の方から「先生、上がってください」と毛遂を押し出すことになります。新しく加わった人を内心で笑いながら見ているとき、その人の実力を知る機会はすぐそこにあるかもしれないということを、この短い一文は予告しています。
関連する章句
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史記 平原君虞卿列伝秦の邯鄲を囲むや、趙、平原君をして救ひを求めしめ、楚に合従せんとし、食客門下の勇力有りて文武備はり具はる者二十人と偕にせんことを約す。平原君曰く、「文をして能く勝ちを取らしめば、則ち善し。文能く勝ちを取らずんば、則ち華屋の下に歃血して、必ず従を定むるを得て還らん。士は外に索めず、食客門下より取りて足れり」と。十九人を得、余は取るべき者無く、以て二十人を満たすこと無し。門下に毛遂なる者有り、前み、自ら平原君に賛して曰く、「遂聞く、君将に楚に合従せんとし、食客門下二十人と偕にせんことを約し、外に索めずと。今一人を少く、願はくは君即ち遂を以て員に備へて行け」と。平原君曰く、「先生、勝の門下に処ること幾年ここに於いてぞ」と。毛遂曰く、「三年ここに於いてす」と。平原君曰く、「夫れ賢士の世に処るや、譬へば錐の囊中に処るが若く、その末立ちどころに見る。今、先生勝の門下に処ること三年ここに於いてす、左右未だ称誦する所有らず、勝未だ聞く所有らず、是れ先生に有る所無きなり。先生能はず、先生留まれ」と。毛遂曰く、「臣乃ち今日囊中に処らんことを請ふのみ。遂をして蚤く囊中に処るを得しめば、乃ち穎脱して出でん、特にその末の見るるのみに非ず」と。平原君竟に毛遂と偕にす。
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史記 平原君虞卿列伝毛遂、楚に至る比、十九人と論議し、十九人皆服す。平原君、楚と合従し、その利害を言ふ、日出でてこれを言ひ、日中まで決せず。十九人、毛遂に謂ひて曰く、「先生上れ」と。毛遂、剣を按じ階を歴て上り、平原君に謂ひて曰く、「従の利害は、両言にして決するのみ。今、日出でて従を言ひ、日中まで決せず、何ぞや」と。楚王、平原君に謂ひて曰く、「客は何為る者ぞ」と。平原君曰く、「是れ勝の舎人なり」と。楚王叱して曰く、「胡ぞ下らざる。吾は乃ち而の君と言ふ、汝は何為る者ぞ」と。毛遂、剣を按じて前みて曰く、「王の遂を叱する所以の者は、楚国の衆きを以てなり。今、十歩の内、王は楚国の衆きを恃むを得ざるなり、王の命は遂の手に県る。吾が君前に在り、叱するは何ぞや。且つ遂聞く、湯は七十里の地を以て天下に王たり、文王は百里の壌を以て諸侯を臣とす、豈にその士卒衆多ならんや、誠に能くその勢ひに拠りてその威を奮へばなり。今、楚の地は方五千里、戟を持つもの百万、此れ霸王の資なり。楚の彊きを以てせば、天下能く当たる弗し。白起は小豎子のみ、数万の衆を率ゐ、師を興して以て楚と戦ひ、一戦して鄢郢を挙げ、再戦して夷陵を焼き、三戦して王の先人を辱む。此れ百世の怨みにして趙の羞づる所なり、而るに王は悪むことを知らず。合従は楚の為にして、趙の為に非ざるなり。吾が君前に在り、叱するは何ぞや」と。楚王曰く、「唯唯、誠に先生の言の若し、謹んで社稷を奉じて以て従はん」と。毛遂曰く、「従定まるか」と。楚王曰く、「定まれり」と。毛遂、楚王の左右に謂ひて曰く、「鶏狗馬の血を取り来たれ」と。毛遂、銅槃を奉じて跪きてこれを楚王に進めて曰く、「王当に歃血して従を定むべし、次は吾が君、次は遂」と。遂に従を殿上に定む。
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史記 平原君虞卿列伝平原君趙勝は、趙の諸公子なり。諸子の中にて勝最も賢にして、賓客を喜み、賓客蓋し至る者数千人。平原君、趙の恵文王及び孝成王に相たり、三たび相を去り、三たび位に復し、東武城に封ぜらる。平原君の家の楼は民家に臨む。民家に躄者有り、槃散として行きて汲む。平原君の美人楼上に居り、臨み見て、大いにこれを笑ふ。明日、躄者平原君の門に至り、請ひて曰く、「臣聞く、君の士を喜むや、士の千里を遠しとせずして至る者は、君の能く士を貴びて妾を賤しむを以てなり。臣不幸にして罷癃の病有り、而るに君の後宮臨みて臣を笑ふ。臣願はくは臣を笑ふ者の頭を得ん」と。平原君笑ひて応へて曰く、「諾」と。躄者去る、平原君笑ひて曰く、「此の豎子を観よ、乃ち一笑の故を以て吾が美人を殺さんと欲す、亦甚だしからずや」と。終に殺さず。居ること歳余、賓客門下の舎人稍稍引き去る者半ばを過ぐ。平原君これを怪しみて曰く、「勝の諸君を待する所以の者、未だ嘗て敢へて礼を失はず、而るに去る者何ぞ多きや」と。門下の一人前みて対へて曰く、「君の躄者を笑ひしものを殺さざるを以て、君を以て色を愛して士を賤しむと為す、士即ち去るのみ」と。是に於いて平原君乃ち躄者を笑ひし美人の頭を斬り、自ら門に造りて躄者に進め、因りて謝す。その後門下乃ちまた稍稍来たる。
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史記 魏公子列伝無忌は大梁に在りし時より、常にこの両人の賢なるを聞き、趙に至りて、見ゆるを得ざらんことを恐る。無忌の従ひて游ぶを以てするも、尚ほその我を欲せざるを恐る、今平原君は乃ち以て羞と為す、それ従ひて遊ぶに足らず」と。乃ち装して去らんと為す。夫人具に以て平原君に語る。平原君乃ち冠を免ぎて謝し、固く公子を留む。平原君の門下これを聞き、半ば平原君を去りて公子に帰し、天下の士また往きて公子に帰す、公子は平原君の客を傾く。
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史記 平原君虞卿列伝毛遂、左手に槃血を持して右手に十九人を招きて曰く、「公相与にこの血を堂下に歃れ。公等は録録たり、所謂人に因りて事を成す者なり」と。平原君已に従を定めて帰り、帰りて趙に至りて曰く、「勝は敢へてまた士を相せず。勝の士を相すること多き者は千人、寡き者は百数、自ら以為へらく天下の士を失はずと。今乃ち毛先生に於いてこれを失へり。毛先生一たび楚に至りて、趙をして九鼎大呂より重からしむ。毛先生は三寸の舌を以て、百万の師より彊し。勝は敢へてまた士を相せず」と。遂に以て上客と為す。平原君既に趙に返る、楚は春申君をして兵を将ゐて赴きて趙を救はしめ、魏の信陵君もまた矯りて晋鄙の軍を奪ひて往きて趙を救ふも、皆未だ至らず。秦急に邯鄲を囲む、邯鄲急にして、且に降らんとす、平原君甚だこれを患ふ。邯鄲の伝舎の吏の子李同、平原君に説きて曰く、「君は趙の亡ぶるを憂へざるか」と。平原君曰く、「趙亡ぶれば則ち勝は虜と為る、何為れぞ憂へざらん」と。李同曰く、「邯鄲の民は、骨を炊き子を易へて食らふ、急と謂ふべし。而るに君の後宮は百を以て数へ、婢妾は綺縠を被り、粱肉を余す。而して民は褐衣完からず、糟糠に厭かず。民困しみ兵尽き、或いは木を剡りて矛矢と為す、而るに君の器物鐘磬は自若たり。秦をして趙を破らしめば、君安んぞ此れ有るを得ん。趙をして全きを得しめば、君何ぞ有ること無きを患へん。今、君誠に能く夫人以下をして士卒の閒に編せしめ、功を分けて作さしめ、家の有る所を尽く散じて以て士に饗せば、士は其の危苦の時に方たりて、徳とし易きのみ」と。是に於いて平原君これに従ひ、敢死の士三千人を得たり。李同遂に三千人と秦の軍に赴く、秦の軍これが為に卻くこと三十里。また会々楚・魏の救ひ至り、秦の兵遂に罷め、邯鄲また存す。李同戦死す、その父を封じて李侯と為す。虞卿、信陵君の邯鄲を存するを以て平原君の為に封を請はんと欲す。
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史記 平原君虞卿列伝公孫竜これを聞き、夜駕して平原君に見えて曰く、「竜聞く、虞卿、信陵君の邯鄲を存するを以て君の為に封を請はんと欲すと、これ有るか」と。平原君曰く、「然り」と。竜曰く、「此れ甚だ不可なり。且つ王の君を挙げて趙に相たらしむる者は、君の智能を以て趙国に有ること無しと為すに非ざるなり。東武城を割きて君を封ずる者は、君を以て功有りと為すに非ざるなり、而して国人勲無きを以て、乃ち君を以て親戚と為すの故なり。君の相印を受けて無能を辞せず、地を割かれて無功を言はざる者も、また自ら以て親戚の故と為せばなり。今、信陵君邯鄲を存して封を請ふは、是れ親戚城を受けて国人功を計るなり。此れ甚だ不可なり。且つ虞卿はその両権を操る、事成らば、右券を操りて以て責め、事成らずんば、虚名を以て君に徳とせられん。君必ず聴くこと勿かれ」と。平原君遂に虞卿に聴かず。平原君、趙の孝成王の十五年を以て卒す。子孫代はり、後に竟に趙と倶に亡ぶ。平原君、公孫竜を厚く待す。公孫竜は善く堅白の弁を為す、鄒衍の趙を過ぎりて至道を言ふに及び、乃ち公孫竜を絀く。
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