史記 / 平原君虞卿列伝
是時齊有孟嘗,魏有信陵,楚有春申,故爭相傾以待士。
新字:是時斉有孟嘗,魏有信陵,楚有春申,故争相傾以待士。
書き下し
是の時、斉に孟嘗有り、魏に信陵有り、楚に春申有り、故に争ひて相傾けて以て士を待す。
現代語訳
このころ、斉には孟嘗君、魏には信陵君、楚には春申君がいたので、互いに競い合い、身を低くして士をもてなした。
解説
平原君の時代背景を一文で示した段です。戦国時代の末期、斉の孟嘗君、魏の信陵君、楚の春申君、そして趙の平原君の四人は「戦国四君」と呼ばれ、いずれも王族や重臣として数千人の食客を抱えていました。「争ひて相傾けて」とは、互いに張り合って、身を傾けるように低くして士を迎えたという意味です。優れた人材を多く抱えることが、そのまま本人の名声と国の力を示す指標になっていたのです。司馬遷は四君それぞれに列伝を立て(孟嘗君・平原君・魏公子・春申君の各列伝)、同じ「士を養う」行いでも、それぞれの人物がどう人を扱い、人にどう報われたかを描き分けています。直前の、足の不自由な者の件で食客が去った話も、この競争の中では致命的な評判の失墜だったことがわかります。人材の獲得競争が激しい時代ほど、待遇だけでなく、主の人柄や姿勢が問われるという点は、今の採用市場とも重なります。
関連する章句
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史記 魏公子列伝無忌は大梁に在りし時より、常にこの両人の賢なるを聞き、趙に至りて、見ゆるを得ざらんことを恐る。無忌の従ひて游ぶを以てするも、尚ほその我を欲せざるを恐る、今平原君は乃ち以て羞と為す、それ従ひて遊ぶに足らず」と。乃ち装して去らんと為す。夫人具に以て平原君に語る。平原君乃ち冠を免ぎて謝し、固く公子を留む。平原君の門下これを聞き、半ば平原君を去りて公子に帰し、天下の士また往きて公子に帰す、公子は平原君の客を傾く。
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史記 魏公子列伝太史公曰く、「吾大梁の墟を過ぎ、其の所謂夷門を求問す。夷門は、城の東門なり。天下の諸公子も亦た士を喜ぶ者有り、然れども信陵君の巌穴の隠者に接し、下交を恥ぢざるは、以有るなり。名諸侯に冠たるは、虚しからざるのみ。高祖過ぐる每に民をして祠を奉じて絶えざらしむるなり」と。
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史記 魏公子列伝魏の公子無忌は、魏の昭王の少子にして魏の安釐王の異母弟なり。昭王薨じ、安釐王即位し、公子を封じて信陵君と為す。是の時、范睢魏を亡げて秦に相たり、魏斉を怨むの故を以て、秦の兵大梁を囲み、魏の華陽の下の軍を破り、芒卯を走らす。魏王及び公子これを患ふ。公子は人と為り仁にして士に下り、士は賢不肖と無く皆謙りて礼もてこれに交はり、敢へてその富貴を以て士に驕らず。士は此を以て方数千里争ひ往きてこれに帰し、食客三千人を致す。是の時に当たりて、諸侯は公子の賢にして客多きを以て、敢へて兵を加へて魏を謀らざること十余年。
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史記 孟嘗君列伝孟嘗君薛に在り、諸侯の賓客及び亡人罪有る者を招致し、皆孟嘗君に帰す。孟嘗君業を舍てて之を厚遇す、故を以て天下の士を傾く。食客数千人、貴賤と無く一に文と等し。孟嘗君客を待して坐語するに、屏風の後ろに常に侍史有り、君の客と語る所を記し、親戚の居る処を問ふを主る。客去れば、孟嘗君已に使をして存問せしめ、其の親戚に献遺す。孟嘗君曾て客を待して夜食するに、一人火光を蔽ふ有り。客怒り、飯の等しからざるを以て、食を輟めて辞去せんとす。孟嘗君起ちて、自ら其の飯を持して之に比す。客慚ぢて自剄す。士此を以て多く孟嘗君に帰す。孟嘗君客に択ぶ所無く、皆善く之を遇す。
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史記 平原君虞卿列伝平原君趙勝は、趙の諸公子なり。諸子の中にて勝最も賢にして、賓客を喜み、賓客蓋し至る者数千人。平原君、趙の恵文王及び孝成王に相たり、三たび相を去り、三たび位に復し、東武城に封ぜらる。平原君の家の楼は民家に臨む。民家に躄者有り、槃散として行きて汲む。平原君の美人楼上に居り、臨み見て、大いにこれを笑ふ。明日、躄者平原君の門に至り、請ひて曰く、「臣聞く、君の士を喜むや、士の千里を遠しとせずして至る者は、君の能く士を貴びて妾を賤しむを以てなり。臣不幸にして罷癃の病有り、而るに君の後宮臨みて臣を笑ふ。臣願はくは臣を笑ふ者の頭を得ん」と。平原君笑ひて応へて曰く、「諾」と。躄者去る、平原君笑ひて曰く、「此の豎子を観よ、乃ち一笑の故を以て吾が美人を殺さんと欲す、亦甚だしからずや」と。終に殺さず。居ること歳余、賓客門下の舎人稍稍引き去る者半ばを過ぐ。平原君これを怪しみて曰く、「勝の諸君を待する所以の者、未だ嘗て敢へて礼を失はず、而るに去る者何ぞ多きや」と。門下の一人前みて対へて曰く、「君の躄者を笑ひしものを殺さざるを以て、君を以て色を愛して士を賤しむと為す、士即ち去るのみ」と。是に於いて平原君乃ち躄者を笑ひし美人の頭を斬り、自ら門に造りて躄者に進め、因りて謝す。その後門下乃ちまた稍稍来たる。
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史記 樗里子甘茂列伝太史公曰く、「樗里子は骨肉を以て重んぜらる、固より其の理なり、而して秦人其の智を称す、故に頗る采る。甘茂は下蔡の閭閻より起こり、名を諸侯に顕はし、斉楚を重彊す。甘羅は年少なり、然れども一奇計を出だし、声後世に称せらる。篤行の君子に非ずと雖も、然れども亦た戦国の策士なり。秦の彊き時に方り、天下尤も謀詐に趨るかな」と。
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