史記 / 孟嘗君列伝
孟嘗君過趙,趙平原君客之。趙人聞孟嘗君賢,出觀之,皆笑曰:「始以薛公爲魁然也,今視之,乃眇小丈夫耳。」孟嘗君聞之,怒。客與倶者下,斫撃殺數百人,遂滅一縣以去。齊湣王不自得,以其遣孟嘗君。孟嘗君至,則以爲齊相,任政。孟嘗君怨秦,將以齊爲韓、魏攻楚,因與韓、魏攻秦,而借兵食於西周。蘇代爲西周謂曰:「君以齊爲韓、魏攻楚九年,取宛、葉以北以彊韓、魏,今復攻秦以益之。韓、魏南無楚憂,西無秦患,則齊危矣。韓、魏必輕齊畏秦,臣爲君危之。君不如令敝邑深合於秦,而君無攻,又無借兵食。君臨函谷而無攻,令敝邑以君之情謂秦昭王曰『薛公必不破秦以彊韓、魏。其攻秦也,欲王之令楚王割東國以與齊,而秦出楚懷王以爲和』。君令敝邑以此惠秦,秦得無破而以東國自免也,秦必欲之。楚王得出,必德齊。齊得東國益彊,而薛世世無患矣。秦不大弱,而處三晉之西,三晉必重齊。」薛公曰:「善。」因令韓、魏賀秦,使三國無攻,而不借兵食於西周矣。是時,楚懷王入秦,秦留之,故欲必出之。秦不果出楚懷王。孟嘗君相齊,其舍人魏子爲孟嘗君收邑入,三反而不致一入。孟嘗君問之,對曰:「有賢者,竊假與之,以故不致入。」孟嘗君怒而退魏子。
新字:孟嘗君過趙,趙平原君客之。趙人聞孟嘗君賢,出観之,皆笑曰:「始以薛公為魁然也,今視之,乃眇小丈夫耳。」孟嘗君聞之,怒。客与倶者下,斫撃殺数百人,遂滅一県以去。斉湣王不自得,以其遣孟嘗君。孟嘗君至,則以為斉相,任政。孟嘗君怨秦,将以斉為韓、魏攻楚,因与韓、魏攻秦,而借兵食於西周。蘇代為西周謂曰:「君以斉為韓、魏攻楚九年,取宛、葉以北以彊韓、魏,今復攻秦以益之。韓、魏南無楚憂,西無秦患,則斉危矣。韓、魏必軽斉畏秦,臣為君危之。君不如令敝邑深合於秦,而君無攻,又無借兵食。君臨函谷而無攻,令敝邑以君之情謂秦昭王曰『薛公必不破秦以彊韓、魏。其攻秦也,欲王之令楚王割東国以与斉,而秦出楚懐王以為和』。君令敝邑以此恵秦,秦得無破而以東国自免也,秦必欲之。楚王得出,必徳斉。斉得東国益彊,而薛世世無患矣。秦不大弱,而処三晋之西,三晋必重斉。」薛公曰:「善。」因令韓、魏賀秦,使三国無攻,而不借兵食於西周矣。是時,楚懐王入秦,秦留之,故欲必出之。秦不果出楚懐王。孟嘗君相斉,其舎人魏子為孟嘗君収邑入,三反而不致一入。孟嘗君問之,対曰:「有賢者,窃仮与之,以故不致入。」孟嘗君怒而退魏子。
書き下し
孟嘗君趙を過ぐ、趙の平原君これを客とす。趙人孟嘗君の賢を聞き、出でてこれを観、皆笑ひて曰く、「始め薛公を以て魁然たりと為す、今これを視れば、乃ち眇小の丈夫のみ」と。孟嘗君これを聞きて怒る。客の与に倶にする者下り、斫撃して数百人を殺し、遂に一県を滅ぼして以て去る。斉の湣王自ら得ず、その孟嘗君を遣りしを以てなり。孟嘗君至る、則ち以て斉の相と為し、政を任ず。孟嘗君秦を怨み、将に斉を以て韓・魏の為に楚を攻めんとし、因りて韓・魏と秦を攻めんとして、兵食を西周に借らんとす。蘇代、西周の為に謂ひて曰く、「君、斉を以て韓・魏の為に楚を攻むること九年、宛・葉以北を取りて以て韓・魏を彊くし、今また秦を攻めて以てこれを益さんとす。韓・魏、南に楚の憂ひ無く、西に秦の患ひ無くんば、則ち斉危ふし。韓・魏必ず斉を軽んじて秦を畏れん、臣君の為にこれを危ぶむ。君は敝邑をして深く秦に合せしめ、而して君は攻むること無く、また兵食を借ること無きに如かず。君、函谷に臨みて攻むること無く、敝邑をして君の情を以て秦の昭王に謂はしめて曰はしめよ、『薛公は必ず秦を破りて以て韓・魏を彊くせず。その秦を攻むるや、王の楚王をして東国を割きて以て斉に与へしめ、而して秦の楚の懐王を出だして以て和を為さんことを欲するなり』と。君、敝邑をして此を以て秦に恵ましめば、秦は破らるること無くして東国を以て自ら免るるを得、秦必ずこれを欲せん。楚王出づるを得ば、必ず斉を徳とせん。斉、東国を得て益々彊く、而して薛は世世患ひ無からん。秦大いに弱らずして、三晋の西に処らば、三晋必ず斉を重んぜん」と。薛公曰く、「善し」と。因りて韓・魏をして秦を賀せしめ、三国をして攻むること無からしめ、而して兵食を西周に借らず。是の時、楚の懐王秦に入り、秦これを留む、故に必ずこれを出ださんと欲す。秦果たして楚の懐王を出ださず。孟嘗君斉に相たり、その舎人魏子、孟嘗君の為に邑の入を収むるに、三たび反りて一入をも致さず。孟嘗君これを問ふ、対へて曰く、「賢者有り、竊かに仮してこれに与ふ、故を以て入を致さず」と。孟嘗君怒りて魏子を退く。
現代語訳
孟嘗君が(秦から逃れて)趙を通ったとき、趙の平原君は彼を客としてもてなした。趙の人々は孟嘗君が賢者だと聞いて、見物に出てきたが、みな笑って言った。「はじめは薛公を堂々とした大男だと思っていたが、いま見ればちっぽけな男ではないか。」孟嘗君はこれを聞いて怒った。一緒にいた食客たちは車を降りて斬りかかり、数百人を殺し、とうとう一つの県を滅ぼして去った。斉の湣王は(孟嘗君を秦に)遣わしたことを気に病んでいた。孟嘗君が帰ると、すぐに斉の宰相に任じ、政務を任せた。孟嘗君は秦を恨み、斉の力で韓・魏のために楚を攻め、さらに韓・魏と共に秦を攻めようとして、兵と食糧を西周から借りようとした。蘇代は西周のために孟嘗君に言った。「あなたは斉の力で韓・魏のために楚を攻めること九年、宛や葉以北の地を取って韓・魏を強くした。いまさらに秦を攻めて、韓・魏をもっと強くしようとしている。韓・魏が南に楚の心配もなく、西に秦の憂いもなくなれば、斉が危うくなる。韓・魏は必ず斉を軽んじて秦を恐れるようになる。私はあなたのためにそれを危ぶむ。あなたは、我が国(西周)を秦と深く結ばせ、自分は攻めず、兵と食糧も借りないのが一番だ。あなたは函谷関に兵を臨ませながら攻めずにおき、我が国にあなたの意向を秦の昭王にこう伝えさせるのだ。『薛公は決して秦を破って韓・魏を強くしようとは思っていない。薛公が秦を攻めるのは、王が楚王に命じて東国(楚の東部の地)を割いて斉に与えさせ、秦が(抑留している)楚の懐王を釈放して和睦することを望んでいるからだ』と。あなたが我が国にこうして秦に恩を売らせれば、秦は破られることなく、楚の東国を差し出させることで自分は難を免れられるのだから、必ずそれを望むだろう。楚王が釈放されれば、必ず斉に恩を感じる。斉は東国を得てますます強くなり、薛は代々心配がなくなる。秦が大きく弱らずに三晋の西にいれば、三晋は必ず斉を重んじるだろう。」薛公は「よろしい」と言い、韓・魏に秦へ祝いを述べさせ、三国とも攻めないことにし、兵と食糧を西周から借りることもしなかった。このとき楚の懐王は秦に入って抑留されていたので、孟嘗君は何としても釈放させたいと思っていたのである。しかし秦は結局楚の懐王を釈放しなかった。孟嘗君が斉の宰相であったとき、その家臣の魏子が孟嘗君のために領地の収入を取り立てに行ったが、三度往復して一度も収入を持って帰らなかった。孟嘗君がわけを尋ねると、魏子は答えた。「賢者がいたので、ひそかにあなたの名で貸し与えた。そのため収入を持ち帰らなかったのだ。」孟嘗君は怒って魏子を退けた。
解説
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史記 孟嘗君列伝居ること数年、人或ひと孟嘗君を斉の湣王に毀りて曰く、「孟嘗君将に乱を為さんとす」と。田甲の湣王を劫かすに及び、湣王意に孟嘗君を疑ふ、孟嘗君乃ち奔る。魏子の粟を与へし所の賢者これを聞き、乃ち上書して孟嘗君の乱を作さざるを言ひ、身を以て盟と為さんことを請ひ、遂に宮門に自剄して以て孟嘗君を明らかにす。湣王乃ち驚き、而して蹤跡験問す、孟嘗君果たして反謀無し、乃ちまた孟嘗君を召す。孟嘗君因りて病を謝し、帰りて薛に老せんとす。湣王これを許す。その後、秦の亡将呂礼斉に相たり、蘇代を困しめんと欲す。代乃ち孟嘗君に謂ひて曰く、「周最の斉に於けるや、至って厚し、而るに斉王これを逐ひ、而して親弗の呂礼を相とするを聴くは、秦を取らんと欲すればなり。斉・秦合せば、則ち親弗と呂礼と重からん。用ひらるる有らば、斉・秦必ず君を軽んぜん。君は急ぎ兵を北し、趙に趨きて以て秦・魏と和し、周最を収めて以て行ひを厚くし、且つ斉王の信を反し、また天下の変を禁ずるに如かず。斉に秦無くんば、則ち天下斉に集まり、親弗必ず走らん、則ち斉王孰と与にその国を為めん」と。是に於いて孟嘗君その計に従ふ、而して呂礼孟嘗君を嫉み害せんとす。孟嘗君懼れ、乃ち秦の相穣侯魏冉に書を遺りて曰く、「吾聞く、秦は呂礼を以て斉を収めんと欲すと。斉は天下の彊国なり、子必ず軽んぜられん。斉・秦相取りて以て三晋に臨まば、呂礼必ず并せて相たらん、是れ子は斉に通じて以て呂礼を重くするなり。若し斉天下の兵を免れば、その子を讎とすること必ず深からん。子は秦王に勧めて斉を伐たしむるに如かず。斉破れなば、吾請ふ得る所を以て子を封ぜん。斉破れなば、秦は晋の彊きを畏れ、秦必ず子を重んじて以て晋を取らん。晋国は斉に敝れて秦を畏れ、晋必ず子を重んじて以て秦を取らん。是れ子は斉を破りて以て功と為し、晋を挟みて以て重きを為すなり。是れ子は斉を破りて封を定め、秦・晋交々子を重んずるなり。若し斉破れずして、呂礼また用ひらるれば、子必ず大いに窮せん」と。
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史記 孟嘗君列伝是に於いて穣侯、秦の昭王に斉を伐たんことを言ひ、而して呂礼亡ぐ。後に斉の湣王宋を滅ぼし、益々驕り、孟嘗君を去らんと欲す。孟嘗君恐れ、乃ち魏に如く。魏の昭王以て相と為し、西のかた秦・趙に合し、燕と共に斉を伐ち破る。斉の湣王亡げて莒に在り、遂に焉に死す。斉の襄王立ち、而して孟嘗君は諸侯に中立して、属する所無し。斉の襄王新たに立ち、孟嘗君を畏れ、与に連和し、また薛公に親しむ。文卒し、謚して孟嘗君と為す。諸子立たんことを争ひ、而して斉・魏共に薛を滅ぼす。孟嘗は嗣を絶ちて後無きなり。初め、馮驩、孟嘗君の客を好むを聞き、蹻を躡みてこれに見ゆ。孟嘗君曰く、「先生遠く辱くす、何を以て文に教へんとするや」と。馮驩曰く、「君の士を好むを聞き、貧しき身を以て君に帰す」と。孟嘗君、伝舎に置くこと十日、孟嘗君、伝舎の長に問ひて曰く、「客は何をか為す」と。答へて曰く、「馮先生甚だ貧しく、猶ほ一剣有るのみ、また蒯緱なり。その剣を弾じて歌ひて曰く『長鋏帰来せんか、食に魚無し』と」と。孟嘗君これを幸舎に遷す、食に魚有り。五日にして、また伝舎の長に問ふ。答へて曰く、「客また剣を弾じて歌ひて曰く『長鋏帰来せんか、出づるに輿無し』と」と。孟嘗君これを代舎に遷す、出入に輿車に乗る。五日にして、孟嘗君また伝舎の長に問ふ。舎長答へて曰く、「先生また嘗て剣を弾じて歌ひて曰く『長鋏帰来せんか、以て家を為むる無し』と」と。孟嘗君悦ばず。居ること朞年、馮驩言ふ所無し。孟嘗君時に斉に相たり、万戸を薛に封ぜらる。その食客三千人。邑の入は以て客を奉ずるに足らず、人をして銭を薛に出ださしむ。歳余にして入らず、銭を貸る者多くはその息を与ふること能はず、客の奉将に給せざらんとす。孟嘗君これを憂へ、左右に問ふ、「何人か薛に債を収めしむべき者ぞ」と。伝舎の長曰く、「代舎の客馮公は形容状貌甚だ弁(べん)ず、長者にして、他の伎能無し、宜しく債を収めしむべし」と。
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