韓非子 / 說林下二十三
此《周書》所謂「下言而上用者,惑也。」
書き下し
此れ周書の所謂「下言にして上用する者は惑なり」と。
現代語訳
これが『周書』のいわゆる「卑近に見える言葉が実は上等の用を果たす、それに人は惑う」というものである。
解説
伯楽が、嫌いな者には千里の名馬の見分け方を、好きな者には駄馬の見分け方を教えたという直前の既存の章句を受けて、『周書』の句で締めくくる一文です。名馬は滅多に売買されないので利が遅く、駄馬は毎日売れるので利が速い。一見、格の高い名馬の目利きを教える方が厚遇に見えますが、実際に役立つのは身近で卑しく見える駄馬の目利きの方でした。見かけの格と実際の効用が逆になることに人は惑う、という指摘です。この『周書』は今の『尚書』には見えない逸文で、読みには諸説があります。研修や配属でも、見栄えのよい仕事より日々使われる地味な技能の方が、本人の身を立てることがあります。
関連する章句
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『韓非子』說林下二十三伯楽、二人に踶馬を相することを教へ、相与に簡子の廐に之きて馬を観る。一人、踶馬を挙ぐ。其の一人、後ろより之を循で、三たび其の尻を撫づるも馬踶まず。
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『韓非子』說林下二十三千里の馬は時に一有るを以てして、其の利緩く、駑馬は日々に售れて、其の利は急なり。
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『韓非子』說林下二十三夫れ事には必ず帰する所有り、而して膝を腫らす所有るを以て任へざるは、智者の独り知る所なり。
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『韓非子』說林下二十三子、踶馬を相するに巧みなるも、腫膝を任ずるに拙し。
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『淮南子』主術訓夫れ華騮・綠耳は、一日にして千里に至る。然れども其の之をして兔を搏たしむれば、豺狼に如かず。伎能 殊なればなり。鴟は夜に蚤蚊を撮り、分を察すること秋豪なるも、晝日には顛越して、丘山を見る能わず。形性 詭なればなり。夫れ螣蛇は霧に遊びて動き、應龍は雲に乘りて舉がり、猿は木を得て捷く、魚は水を得て鶩る。故に古の車を為るや、漆する者は畫かず、鑿つ者は斫らず、工に二伎無く、士は官を兼ねず、各々其の職を守りて、相い奸すを得ず。人 其の宜しきを得、物 其の安きを得たり。是を以て器械 苦しからずして、職事 嫚らず。夫れ責め少なき者は償い易く、職 寡なき者は守り易く、任 輕き者は權り易し。上は約省の分を操り、下は為し易きの功を效す。是を以て君臣 彌々久しくして相い厭わず。
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『淮南子』道應訓秦の穆公 伯樂に謂いて曰く、「子の年 長けたり。子姓に馬を求めしむ可き者有るか」と。對えて曰く、「良馬なる者は、形容筋骨を以て相す可きなり。天下の馬を相する者は、滅するが若く失するが若く、其の一を亡うが若し。此くの若き馬は、塵を絶ち轍を弭む。臣の子は皆な下材なり。告ぐるに良馬を以てす可くして、告ぐるに天下の馬を以てす可からず。臣に與に儋纏を供にし薪を采る者有り、方九堙なり。此れ其の馬に於けるや、臣の下に非ざるなり。請う之に見えん」と。穆公 之に見え、之をして馬を求めしむ。三月にして反り報じて曰く、「已に馬を得たり。沙丘に在り」と。穆公曰く、「何の馬ぞや」と。對えて曰く、「牡にして黃なり」と。人をして往きて之を取らしむれば、牝にして驪なり。穆公 説ばず。伯樂を召して之を問いて曰く、「敗れたり。子の使いて求めしむる所の者。毛物・牝牡すら知る能わず、又た何ぞ馬を能く知らんや」と。伯樂 喟然として大息して曰く、「一に此に至れるか。是れ乃ち其の臣に千萬して數無き所以の者なり。堙の觀る所の若き者は、天機なり。其の精を得て其の粗を忘れ、内に在りて其の外を忘れ、其の見る所を見て其の見ざる所を見ず、其の視る所を視て其の視ざる所を遺る。彼の相する所の若き者は、乃ち馬より貴き者有らん」と。馬 至りて、果たして千里の馬なり。故に老子曰く、「大直は屈するが若く、大巧は拙なるが若し」と。