春秋左氏伝 / 襄公二十九年 魯を瘠せて杞を肥やす
展瑕。展玉父。為一耦。公臣。公巫召伯。仲顏莊叔。為一耦。鄫鼓父。黨叔。為一耦。晉侯使司馬女叔侯來治杞田。弗盡歸也。晉悼夫人慍曰。齊也取貨。先君若有知也。不尚取之。公告叔侯。叔侯曰。虞。虢。焦。滑。霍。揚。韓。魏。皆姬姓也。晉是以大。若非侵小。將何所取。武獻以下。兼國多矣。誰得治之。杞。夏餘也。而即東夷。魯。周公之後也。而睦於晉。以杞封魯。猶可。而何有焉。魯之於晉也。職貢不乏。玩好時至。公卿大夫。相繼於朝。史不絕書。府無虛月。如是可矣。何必瘠魯以肥杞。且先君而有知也。毋寧夫人。而焉用老臣。杞文公來盟。書曰子。賤之也。
新字:展瑕。展玉父。為一耦。公臣。公巫召伯。仲顔荘叔。為一耦。鄫鼓父。党叔。為一耦。晋侯使司馬女叔侯来治杞田。弗尽帰也。晋悼夫人慍曰。斉也取貨。先君若有知也。不尚取之。公告叔侯。叔侯曰。虞。虢。焦。滑。霍。揚。韓。魏。皆姫姓也。晋是以大。若非侵小。将何所取。武献以下。兼国多矣。誰得治之。杞。夏余也。而即東夷。魯。周公之後也。而睦於晋。以杞封魯。猶可。而何有焉。魯之於晋也。職貢不乏。玩好時至。公卿大夫。相継於朝。史不絶書。府無虚月。如是可矣。何必瘠魯以肥杞。且先君而有知也。毋寧夫人。而焉用老臣。杞文公来盟。書曰子。賤之也。
書き下し
展瑕・展玉父、一耦と為る。公臣は、公巫召伯・仲顏莊叔、一耦と為る。鄫鼓父・黨叔、一耦と為る。晉侯、司馬女叔侯をして來りて杞田を治めしむ。盡くは歸さざるなり。晉の悼夫人慍りて曰く、「齊や貨を取れり。先君若し知る有らば、之を取るを尚ばざらん」と。公、叔侯に告ぐ。叔侯曰く、「虞・虢・焦・滑・霍・揚・韓・魏は、皆姬姓なり。晉是を以て大なり。若し小を侵すに非ずんば、將に何れの所より取らん。武・獻より以下、國を兼ぬること多し。誰か之を治むるを得ん。杞は夏の餘なり、而して東夷に即く。魯は周公の後なり、而して晉に睦まじ。杞を以て魯に封ずるも、猶ほ可なり。而るを何か有らん。魯の晉に於けるや、職貢乏しからず、玩好時に至り、公卿大夫、相繼いで朝す。史は書を絕たず、府は虛月無し。是くの如くにして可なり。何ぞ必ずしも魯を瘠せて以て杞を肥やさん。且つ先君にして知る有らば、毋寧ろ夫人ならん、而して焉んぞ老臣を用ゐん」と。杞の文公來りて盟ふ。書して子と曰ふは、之を賤しむなり。
現代語訳
展瑕と展玉父が一組となった。公臣からは、公巫召伯と仲顔荘叔が一組となった。鄫鼓父と党叔が一組となった。晋侯(平公)は司馬の女叔侯(女齊)を魯に来させて、魯がかつて杞から取った田地を返させる処理をさせた。しかし女叔侯はすべてを返させはしなかった。晋の悼夫人(平公の母、杞の出身)は怒って言った。「齊(女叔侯)は賄賂を受け取ったのだ。先君(悼公)にもし霊があれば、こんなやり方は決してお認めにならないだろう」。平公はそのことを叔侯に告げた。叔侯は言った。「虞・虢・焦・滑・霍・揚・韓・魏は、みな姫姓の国です。晋はそれらを併合して大きくなりました。もし小国を侵さなかったなら、どこから領土を得たでしょう。武公・献公より後、晋が併合した国は多いのです。誰がそれを元に戻させることができましょう。杞は夏王朝の末裔ですが、東夷の風俗に染まっています。魯は周公の子孫であり、晋と親しくしています。杞をまるごと魯に与えたとしても、まだ構わないくらいです。何を返させる必要がありましょう。魯は晋に対して、定められた貢納を欠かさず、珍しい品も折々に届け、公卿大夫が次々に朝見に来ています。史官の記録が途絶えることはなく、晋の府庫に魯からの納入がない月はありません。これで十分です。どうしてわざわざ魯を痩せさせて杞を肥やす必要がありましょう。それに、先君にもし霊があるのなら、むしろ夫人ご自身にやらせればよいでしょう。どうしてこの老臣を使う必要がありましょう」。杞の文公が魯に来て盟を結んだ。『春秋』が杞伯を「子」と記したのは、東夷の礼を用いた杞をいやしめたのである。
解説
この章句が説くこと
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史記 屈原賈生列伝屈平既に絀けらる。其の後秦斉を伐たんと欲す。斉と楚と従親す。恵王之を患ふ。乃ち張儀をして詳りて秦を去り、厚幣もて質を委ねて楚に事へしめて曰く、「秦は甚だ斉を憎む。斉と楚と従親す。楚誠に能く斉と絶たば、秦は商・於の地六百里を献ぜんことを願ふ」と。楚の懐王貪りて張儀を信じ、遂に斉と絶ち、使をして秦に如きて地を受けしむ。張儀之を詐りて曰く、「儀は王と六里を約せり。六百里を聞かず」と。楚の使怒りて去り、帰りて懐王に告ぐ。懐王怒り、大いに師を興して秦を伐つ。秦兵を発して之を撃ち、大いに楚の師を丹・淅に破り、首を斬ること八万、楚将屈丐を虜にし、遂に楚の漢中の地を取る。懐王乃ち悉く国中の兵を発して以て深く入りて秦を撃ち、藍田に戦ふ。魏之を聞き、楚を襲ひて鄧に至る。楚兵懼れ、秦より帰る。而して斉竟に怒りて楚を救はず。楚大いに困しむ。明年、秦漢中の地を割きて楚に与へ以て和す。楚王曰く、「地を得るを願はず。張儀を得て心を甘んぜんことを願ふ」と。張儀聞き、乃ち曰く、「一儀を以て漢中の地に当つ。臣請ふ往きて楚に如かん」と。楚に如き、又因りて厚幣もて事を用ふる者の臣靳尚に用ひ、而して詭弁を懐王の寵姫鄭袖に設く。懐王竟に鄭袖に聴き、復た張儀を釈し去らしむ。是の時屈平既に疏んぜられ、復た位に在らず。斉に使ひし、顧反し、懐王を諫めて曰く、「何ぞ張儀を殺さざる」と。懐王悔い、張儀を追へども及ばず。其の後諸侯共に楚を撃ち、大いに之を破り、其の将唐眛を殺す。時に秦の昭王楚と婚し、懐王と会せんと欲す。懐王行かんと欲す。屈平曰く、「秦は虎狼の国なり。信ずべからず。行くこと毋きに如かず」と。懐王の稚子子蘭、王に行くを勧む。「奈何ぞ秦の歓を絶たん」と。懐王卒に行く。武関に入る。秦伏兵もて其の後を絶ち、因りて懐王を留め、以て地を割かんことを求む。懐王怒り、聴かず。亡げて趙に走る。趙内れず。復た秦に之き、竟に秦に死して帰葬せらる。
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『春秋左氏伝』昭公五年 始めを敬して終はりを思ふ晉の韓宣子楚に如きて女を送る。叔向介為り。鄭の子皮・子大叔、諸を索氏に勞ふ。大叔叔向に謂ひて曰く、「楚王の汏侈已甚し。子其れ之を戒めよ」と。叔向曰く、「汏侈已甚しきは、身の災ひなり。焉んぞ能く人に及ばん。若し吾が幣帛を奉じ、吾が威儀を慎み、之を守るに信を以てし、之を行ふに禮を以てし、始めを敬して終はりを思はば、終に復せざる無し。從ひて儀を失はず、敬して威を失はず、之を道くに訓辭を以てし、之を奉ずるに舊法を以てし、之を考ふるに先王を以てし、之を度るに二國を以てせば、汏侈と雖も我を若何せん」と。楚に及ぶ。楚子其の大夫を朝せしめて曰く、「晉は吾が仇敵なり。苟も志を得ば、其の他を恤ふる無けん。今其の來たる者は、上卿・上大夫なり。若し吾韓起を以て閽と為し、羊舌肸を以て司宮と為さば、以て晉を辱むるに足り、吾も亦た志を得ん。可ならんか」と。大夫對ふる莫し。薳啟彊曰く、「可なり。苟も其の備へ有らば、何の故に可ならざらん。匹夫を恥づかしむるすら以て備へ無かるべからず、況んや國を恥づかしむるをや。是を以て聖王は禮を行ふに務めて、人を恥づかしむるを求めず。
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史記 秦本紀是に於て繆公晋君を虜にして以て帰り、国に令す、「斉宿せよ、吾将に晋君を以て上帝を祠らんとす」と。周の天子之を聞きて、曰く「晋は我が同姓なり」と、為に晋君を請ふ。夷吾の姊も亦繆公の夫人為り。夫人之を聞き、乃ち衰絰して跣し、曰く、「妾が兄弟相救ふ能はず、以て君命を辱めしむ」と。繆公曰く、「我晋君を得て以て功と為す。今天子為に請ひ、夫人是れ憂ふ」と。乃ち晋君と盟ひ、之を帰すことを許し、更めて上舎に舎せしめ、而して之に七牢を饋る。十一月、晋君夷吾を帰す。夷吾其の河西の地を献じ、太子圉をして秦に質たらしむ。秦子圉に妻はすに宗女を以てす。是の時秦の地東のかた河に至る。十八年、斉の桓公卒す。二十年、秦梁・芮を滅ぼす。二十二年、晋の公子圉晋君の病むを聞きて、曰く、「梁は、我が母の家なり。而るに秦之を滅ぼす。我兄弟多し、即し君百歳の後、秦必ず我を留めん。而して晋我を軽んじ、亦更に他子を立てん」と。子圉乃ち亡げて晋に帰る。二十三年、晋の恵公卒し、子圉立ちて君と為る。秦圉の亡げ去りしを怨み、乃ち晋の公子重耳を楚より迎へ、而して妻はすに故の子圉の妻を以てす。重耳初め謝し、後乃ち受く。繆公益礼して厚く之を遇す。二十四年春、秦人をして晋の大臣に告げしめ、重耳を入れんと欲す。晋之を許す。是に於て人をして重耳を送らしむ。二月、重耳立ちて晋君と為る。是を文公と為す。文公人をして子圉を殺さしむ。子圉は是を懐公と為す。其の秋、周の襄王の弟帯翟を以て王を伐ち、王出でて鄭に居る。二十五年、周王人をして難を晋・秦に告げしむ。秦の繆公兵を将ゐて晋の文公を助けて襄王を入れ、王の弟帯を殺す。二十八年、晋の文公楚を城濮に敗る。三十年、繆公晋の文公を助けて鄭を囲む。鄭人をして繆公に言はしめて曰く、「鄭を亡ぼして晋を厚くするは、晋に於ては得たり、而るに秦は未だ利有らず。晋の彊きは、秦の憂ひなり」と。繆公乃ち兵を罷めて帰る。晋も亦罷む。
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『春秋左氏伝』昭公二十二年 華氏、楚に出奔す二十二年春、王の二月、甲子、齊の北郭啟師を帥ゐて莒を伐つ。莒子將に戰はんとす。苑羊牧之諫めて曰く、「齊の帥は賤し、其の求むること多からず。之に下るに如かず。大國は怒らす可からざるなり」と。聽かず。齊の師を壽餘に敗る。齊侯莒を伐つ。莒子成を行ふ。司馬灶莒に如きて盟に蒞み、莒子齊に如きて盟に蒞む。稷門の外に盟ふ。莒是に於いてか大いに其の君を惡む。楚の薳越、宋に告げしめて曰く、「寡君、君に不令の臣有りて、君の憂ひと為ると聞く。寧ろ以って宗の羞と為す無からんや。寡君請ふ受けて之を戮せん」と。對へて曰く、「孤佞ならず、父兄に媚ぶる能はず、以って君の憂ひと為る。命の辱きを拜す。抑君臣日に戰ふ。君曰く、『余必ず臣を是れ助けん』と。亦た唯だ命のままなり。人言へる有り、曰く、『唯だ亂門にのみ過ぐる無し』と。君若し惠みて敝邑を保んじ、不衷に亢(かば)ひて、以って亂人を獎むる無くんば、孤の望みなり。唯だ君之を圖れ」と。楚人之を患ふ。諸侯の戍謀りて曰く、「若し華氏困しむを知りて死を致し、楚功無きを恥ぢて疾く戰はば、吾が利に非ざるなり。之を出だして、以って楚の功と為すに如かず。其れ亦た能く為す無からんのみ。宋を救ひて其の害を除く、又何をか求めん」と。乃ち固く之を出ださんことを請ふ。宋人之に從ふ。己巳、宋の華亥・向寧・華定・華貙・華登・皇奄傷・省臧・士平、出でて楚に奔る。宋公、公孫忌をして大司馬為らしめ、邊卬を大司徒と為し、樂祁を司馬と為し、仲幾を左師と為し、樂大心を右師と為し、樂輓を大司寇と為し、以って國人を靖んず。
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『春秋左氏伝』隠公六年 親仁善隣は国の宝六年春、鄭人來りて平を渝ふ、成を更むるなり。翼の九宗五正頃父の子嘉父、晉侯を隨に逆へ、諸を鄂に納る。晉人之を鄂侯と謂ふ。夏、艾に盟ふ、始めて齊に平ぐなり。五月庚申、鄭伯陳を侵し、大いに獲たり。往歲、鄭伯成を陳に請ふ、陳侯許さず。五父諫めて曰く、「仁に親しみ鄰に善くするは、國の寶なり。君其れ鄭を許せ」と。陳侯曰く、「宋・衛實に難し、鄭何ぞ能く為さん」と。遂に許さず。君子曰く、「善は失ふ可からず、惡は長ず可からずとは、其れ陳の桓公の謂か。惡を長じて悛めずんば、從ひて自ら及ばん。之を救はんと欲すと雖も、其れ將に能くせんや。商書に曰く、『惡の易るや、火の原に燎ゆるが如し。鄉邇す可からず、其れ猶ほ撲滅す可けんや』と。周任言へる有りて曰く、『國家を為むる者は、惡を見ること、農夫の務めて草を去るが如くす。芟夷して之を蘊崇し、其の本根を絕ち、能く殖えしむること勿かれ。則ち善なる者信びん』と」と。秋、宋人長葛を取る。冬、京師來りて饑を告ぐ。公之が為に糴を宋・衛・齊・鄭に請ふ、禮なり。鄭伯周に如く、始めて桓王に朝するなり。王禮せず。周の桓公王に言ひて曰く、「我が周の東遷するや、晉・鄭に焉れ依る。鄭を善くして以って來る者を勸むるも、猶ほ蔇らざるを懼る、況や禮せざるをや。鄭來らざらん」と。
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『春秋左氏伝』襄公四年 和戎の五利少康を立つ。少康、澆を過に滅ぼし、后杼、豷を戈に滅ぼす。有窮、是に由りて遂に亡ぶ。人を失ふが故なり。昔、周の辛甲の大史たるや、百官に命じ、官ごとに王の闕を箴(いまし)めしむ。虞人の箴に於て曰く、『芒芒たる禹の跡、畫して九州と爲し、九道を經啟す。民に寢廟有り、獸に茂草有り。各〻攸(ところ)を處(しめ)る有り、德用(もつ)て擾れず。帝夷羿に在りては、原獸に冒(むさぼ)り、其の國の恤(うれ)ひを忘れて、其の麀牡(ゆうぼ)を思ふ。武は重ぬべからず、用て夏家を恢(ひろ)めず。獸臣原を司る、取りて僕夫に告ぐ』と。虞箴是くの如し。懲りざるべけんや」と。是に於て晉侯田を好む。故に魏絳之に及ぶ。公曰く、「然らば則ち戎に和するに如くは莫きか」と。對へて曰く、「戎に和するに五利有り。戎狄は荐居(せんきょ)し、貨を貴びて土を易(かろ)んず。土賈(か)ふべし。一なり。邊鄙聳(おそ)れず、民其の野に狎れ、穡人(しょくじん)功を成す。二なり。戎狄晉に事へ、四鄰振動し、諸侯威懷す。三なり。德を以て戎を綏んじ、師徒動かず、甲兵頓(つか)れず。四なり。后羿に鑒みて、德度を用ゐ、遠きは至り邇(ちか)きは安んず。五なり。君其れ之を圖れ」と。公說(よろこ)び、魏絳をして諸戎と盟はしむ。民事を脩め、田するに時を以てす。冬、十月、邾人・莒人、鄫を伐つ。臧紇、鄫を救ひ、邾を侵し、狐駘(こたい)に敗る。國人の喪を逆ふる者、皆髽(ざ)す。魯、是に於てか始めて髽す。國人之を誦して曰く、「臧の狐裘、我を狐駘に敗る。我が君は小子、朱儒是れ使ふ。朱儒よ朱儒よ、我をして邾に敗らしむ」と。
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