史記 / 孟嘗君列伝
必受命於戸,則可髙其戸耳,誰能至者!」嬰曰:「子休矣。」久之,文承閒問其父嬰曰:「子之子爲何?」曰:「爲孫。」「孫之孫爲何?」曰:「爲玄孫。」「玄孫之孫爲何?」曰:「不能知也。」文曰:「君用事相齊,至今三王矣,齊不加廣而君私家富累萬金,門下不見一賢者。文聞將門必有將,相門必有相。今君後宮蹈綺縠而士不得裋褐,仆妾餘粱肉而士不厭糟糠。今君又尚厚積餘藏,欲以遺所不知何人,而忘公家之事日損,文竊怪之。」於是嬰乃禮文,使主家待賓客。賓客日進,名聲聞於諸侯。諸侯皆使人請薛公田嬰以文爲太子,嬰許之。嬰卒,謚爲靖郭君。而文果代立於薛,是爲孟嘗君。
新字:必受命於戸,則可高其戸耳,誰能至者!」嬰曰:「子休矣。」久之,文承閒問其父嬰曰:「子之子為何?」曰:「為孫。」「孫之孫為何?」曰:「為玄孫。」「玄孫之孫為何?」曰:「不能知也。」文曰:「君用事相斉,至今三王矣,斉不加広而君私家富累万金,門下不見一賢者。文聞将門必有将,相門必有相。今君後宮蹈綺縠而士不得裋褐,仆妾余粱肉而士不厭糟糠。今君又尚厚積余蔵,欲以遺所不知何人,而忘公家之事日損,文窃怪之。」於是嬰乃礼文,使主家待賓客。賓客日進,名声聞於諸侯。諸侯皆使人請薛公田嬰以文為太子,嬰許之。嬰卒,謚為靖郭君。而文果代立於薛,是為孟嘗君。
書き下し
必ず命を戸に受けば、則ちその戸を高くすべきのみ、誰か能く至る者ぞ」と。嬰曰く、「子休めよ」と。これを久しくして、文、閒を承けてその父嬰に問ひて曰く、「子の子を何と為す」と。曰く、「孫と為す」と。「孫の孫を何と為す」と。曰く、「玄孫と為す」と。「玄孫の孫を何と為す」と。曰く、「知ること能はざるなり」と。文曰く、「君事を用ひて斉に相たること、今に至るまで三王なり。斉は広きを加へずして君の私家は富むこと万金を累ね、門下に一賢者を見ず。文聞く、将門には必ず将有り、相門には必ず相有りと。今、君の後宮は綺縠を蹈みて士は(短)[裋]褐を得ず、仆妾は粱肉を余して士は糟糠に厭かず。今、君また尚ほ厚く積み余り蔵し、以て知らざる所の何人に遺さんと欲して、公家の事の日に損するを忘る。文竊かにこれを怪しむ」と。是に於いて嬰乃ち文を礼し、家を主りて賓客を待たしむ。賓客日に進み、名声諸侯に聞こゆ。諸侯皆人をして薛公田嬰に文を以て太子と為さんことを請はしむ、嬰これを許す。嬰卒し、謚して靖郭君と為す。而して文果たして代はりて薛に立つ、是れを孟嘗君と為す。
現代語訳
「もし戸口から授かるのなら、戸口を高くすればよいだけのこと。誰がそこまで背が届こうか。」田嬰は言った。「もうよい、やめておけ。」しばらくして、文は折を見て父の田嬰に尋ねた。「子の子を何と言うか。」田嬰は言った。「孫と言う。」「孫の孫を何と言うか。」田嬰は言った。「玄孫と言う。」「玄孫の孫は何と言うか。」田嬰は言った。「それはわからない。」文は言った。「父上が政務を執って斉の宰相となってから、今まで三代の王に仕えてきた。ところが斉の領土は少しも広がらないのに、父上の家は万金を重ねるほど富み、門下には一人の賢者も見当たらない。私は、将軍の家には必ず将軍が出て、宰相の家には必ず宰相が出ると聞いている。いま父上の後宮の女たちは薄絹を踏みつけるほどぜいたくなのに、士は粗末な短い衣さえ手に入らない。召使いは上等の穀物や肉を食べ残すのに、士は酒かすや糠さえ満足に食べられない。いま父上はそのうえなお財をたっぷり蓄え込み、どこの誰とも知れない者に残そうとして、公の事が日に日に損なわれていくのを忘れておられる。私はひそかにこれを不思議に思っている。」そこで田嬰は文を礼遇し、家を取りしきって賓客をもてなす役を任せた。賓客は日ごとに集まり、文の名声は諸侯に聞こえた。諸侯はみな人をやって、薛公田嬰に文を跡継ぎにするよう願い出た。田嬰はこれを許した。田嬰が亡くなると、靖郭君と諡された。そして文は、はたして父に代わって薛の君となった。これが孟嘗君である。
解説
関連する章句
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史記 孟嘗君列伝孟嘗君は名は文、姓は田氏。文の父を靖郭君田嬰と曰ふ。田嬰は斉の威王の少子にして斉の宣王の庶弟なり。田嬰は威王の時より職に任じ事を用ひ、成侯鄒忌及び田忌と将として韓を救ひ魏を伐つ。成侯、田忌と寵を争ひ、成侯田忌を売る。田忌懼れ、斉の辺邑を襲ふも、勝たず、亡げ走る。会々威王卒し、宣王立ち、成侯の田忌を売るを知り、乃ちまた田忌を召して以て将と為す。宣王の二年、田忌、孫臏・田嬰と倶に魏を伐ち、これを馬陵に敗り、魏の太子申を虜にして魏の将龐涓を殺す。宣王の七年、田嬰、韓・魏に使ひし、韓・魏は斉に服す。嬰、韓の昭侯・魏の恵王と斉の宣王に東阿の南に会し、盟ひて去る。明年、また梁の恵王と甄に会す。是の歳、梁の恵王卒す。宣王の九年、田嬰斉に相たり。斉の宣王、魏の襄王と徐州に会して相王とす。楚の威王これを聞き、田嬰を怒る。明年、楚伐ちて斉の師を徐州に敗り、而して人をして田嬰を逐はしむ。田嬰、張丑をして楚の威王に説かしめ、威王乃ち止む。田嬰斉に相たること十一年、宣王卒し、湣王即位す。即位三年にして、田嬰を薛に封ず。初め、田嬰に子四十余人有り。その賤妾に子有り、名は文、文は五月五日を以て生まる。嬰その母に告げて曰く、「挙ぐること勿かれ」と。その母竊かに挙げてこれを生かす。長ずるに及び、その母兄弟に因りてその子文を田嬰に見えしむ。田嬰その母を怒りて曰く、「吾若をしてこの子を去らしめしに、敢へてこれを生かすは何ぞや」と。文頓首し、因りて曰く、「君の五月の子を挙げざる所以の者は、何の故ぞ」と。嬰曰く、「五月の子は、長じて戸と斉しくなり、将にその父母に利あらざらんとす」と。文曰く、「人の生は命を天に受くるか、将た命を戸に受くるか」と。嬰黙然たり。文曰く、「必ず命を天に受けば、君何をか憂へん。
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史記 孟嘗君列伝今、臣竊かに聞く、秦は使車十乗を遣り、黄金百鎰を載せて以て孟嘗君を迎ふと。孟嘗君西せずんば則ち已む、西して秦に入りて相たらば則ち天下これに帰し、秦は雄と為りて斉は雌と為らん。雌ならば則ち臨淄・即墨危ふし。王何ぞ秦の使ひの未だ到らざるに先だち、孟嘗君を復し、而して益々これに邑を与へて以てこれに謝せざる。孟嘗君必ず喜びてこれを受けん。秦は彊国と雖も、豈に以て人の相を請ひてこれを迎ふべけんや。秦の謀を折きて、その霸彊の略を絶たん」と。斉王曰く、「善し」と。乃ち人をして境に至りて秦の使ひを候はしむ。秦の使車適々斉の境に入る、使ひ還り馳せてこれを告ぐ。王、孟嘗君を召してその相位を復し、而してその故邑の地を与へ、また益すに千戸を以てす。秦の使者、孟嘗君のまた斉に相たるを聞き、車を還して去る。斉王の孟嘗君を毀り廃してより、諸客皆去る。後に召してこれを復するや、馮驩これを迎ふ。未だ到らざるに、孟嘗君太息して嘆じて曰く、「文は常に客を好み、客を遇するに敢へて失ふ所無し、食客三千有余人、先生の知る所なり。客、文の一日廃せらるるを見て、皆文に背きて去り、文を顧みる者莫し。今、先生に頼りてその位に復するを得たり、客もまた何の面目ありてまた文に見えんや。如しまた文に見ゆる者あらば、必ずその面に唾してこれを大いに辱めん」と。馮驩、轡を結びて下拝す。孟嘗君車を下りてこれを接して曰く、「先生は客の為に謝するか」と。馮驩曰く、「客の為に謝するに非ざるなり、君の言の失の為なり。夫れ物には必ず至る有り、事には固より然る有り、君これを知るか」と。孟嘗君曰く、「愚にして謂ふ所を知らざるなり」と。曰く、「生ある者は必ず死有り、物の必ず至るなり。富貴なれば士多く、貧賤なれば友寡し、事の固より然るなり。君独り夫の(朝)市[朝]に趣く者を見ずや。明旦には、肩を側てて門を争ひて入る。日暮るるの後は、市朝を過ぐる者も臂を掉ひて顧みず。朝を好みて暮れを悪むに非ず、期する所の物その中に忘るればなり。今、君位を失ひ、賓客皆去る、以て士を怨みて徒らに賓客の路を絶つに足らず。願はくは君、客を遇すること故の如くせよ」と。孟嘗君再拝して曰く、「敬んで命に従はん。
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史記 孟嘗君列伝孟嘗君薛に在り、諸侯の賓客及び亡人罪有る者を招致し、皆孟嘗君に帰す。孟嘗君業を舍てて之を厚遇す、故を以て天下の士を傾く。食客数千人、貴賤と無く一に文と等し。孟嘗君客を待して坐語するに、屏風の後ろに常に侍史有り、君の客と語る所を記し、親戚の居る処を問ふを主る。客去れば、孟嘗君已に使をして存問せしめ、其の親戚に献遺す。孟嘗君曾て客を待して夜食するに、一人火光を蔽ふ有り。客怒り、飯の等しからざるを以て、食を輟めて辞去せんとす。孟嘗君起ちて、自ら其の飯を持して之に比す。客慚ぢて自剄す。士此を以て多く孟嘗君に帰す。孟嘗君客に択ぶ所無く、皆善く之を遇す。
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史記 孟嘗君列伝孟嘗君乃ち馮驩を進めてこれに請ひて曰く、「賓客、文の不肖を知らず、幸ひに文に臨む者三千余人、邑の入は以て賓客を奉ずるに足らず、故に息銭を薛に出だす。薛は歳に入らず、民頗るその息を与へず。今、客の食恐らくは給せざらん、願はくは先生これを責めよ」と。馮驩曰く、「諾」と。辞して行き、
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史記 孟嘗君列伝是に於いて穣侯、秦の昭王に斉を伐たんことを言ひ、而して呂礼亡ぐ。後に斉の湣王宋を滅ぼし、益々驕り、孟嘗君を去らんと欲す。孟嘗君恐れ、乃ち魏に如く。魏の昭王以て相と為し、西のかた秦・趙に合し、燕と共に斉を伐ち破る。斉の湣王亡げて莒に在り、遂に焉に死す。斉の襄王立ち、而して孟嘗君は諸侯に中立して、属する所無し。斉の襄王新たに立ち、孟嘗君を畏れ、与に連和し、また薛公に親しむ。文卒し、謚して孟嘗君と為す。諸子立たんことを争ひ、而して斉・魏共に薛を滅ぼす。孟嘗は嗣を絶ちて後無きなり。初め、馮驩、孟嘗君の客を好むを聞き、蹻を躡みてこれに見ゆ。孟嘗君曰く、「先生遠く辱くす、何を以て文に教へんとするや」と。馮驩曰く、「君の士を好むを聞き、貧しき身を以て君に帰す」と。孟嘗君、伝舎に置くこと十日、孟嘗君、伝舎の長に問ひて曰く、「客は何をか為す」と。答へて曰く、「馮先生甚だ貧しく、猶ほ一剣有るのみ、また蒯緱なり。その剣を弾じて歌ひて曰く『長鋏帰来せんか、食に魚無し』と」と。孟嘗君これを幸舎に遷す、食に魚有り。五日にして、また伝舎の長に問ふ。答へて曰く、「客また剣を弾じて歌ひて曰く『長鋏帰来せんか、出づるに輿無し』と」と。孟嘗君これを代舎に遷す、出入に輿車に乗る。五日にして、孟嘗君また伝舎の長に問ふ。舎長答へて曰く、「先生また嘗て剣を弾じて歌ひて曰く『長鋏帰来せんか、以て家を為むる無し』と」と。孟嘗君悦ばず。居ること朞年、馮驩言ふ所無し。孟嘗君時に斉に相たり、万戸を薛に封ぜらる。その食客三千人。邑の入は以て客を奉ずるに足らず、人をして銭を薛に出ださしむ。歳余にして入らず、銭を貸る者多くはその息を与ふること能はず、客の奉将に給せざらんとす。孟嘗君これを憂へ、左右に問ふ、「何人か薛に債を収めしむべき者ぞ」と。伝舎の長曰く、「代舎の客馮公は形容状貌甚だ弁(べん)ず、長者にして、他の伎能無し、宜しく債を収めしむべし」と。
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史記 孟嘗君列伝居ること数年、人或ひと孟嘗君を斉の湣王に毀りて曰く、「孟嘗君将に乱を為さんとす」と。田甲の湣王を劫かすに及び、湣王意に孟嘗君を疑ふ、孟嘗君乃ち奔る。魏子の粟を与へし所の賢者これを聞き、乃ち上書して孟嘗君の乱を作さざるを言ひ、身を以て盟と為さんことを請ひ、遂に宮門に自剄して以て孟嘗君を明らかにす。湣王乃ち驚き、而して蹤跡験問す、孟嘗君果たして反謀無し、乃ちまた孟嘗君を召す。孟嘗君因りて病を謝し、帰りて薛に老せんとす。湣王これを許す。その後、秦の亡将呂礼斉に相たり、蘇代を困しめんと欲す。代乃ち孟嘗君に謂ひて曰く、「周最の斉に於けるや、至って厚し、而るに斉王これを逐ひ、而して親弗の呂礼を相とするを聴くは、秦を取らんと欲すればなり。斉・秦合せば、則ち親弗と呂礼と重からん。用ひらるる有らば、斉・秦必ず君を軽んぜん。君は急ぎ兵を北し、趙に趨きて以て秦・魏と和し、周最を収めて以て行ひを厚くし、且つ斉王の信を反し、また天下の変を禁ずるに如かず。斉に秦無くんば、則ち天下斉に集まり、親弗必ず走らん、則ち斉王孰と与にその国を為めん」と。是に於いて孟嘗君その計に従ふ、而して呂礼孟嘗君を嫉み害せんとす。孟嘗君懼れ、乃ち秦の相穣侯魏冉に書を遺りて曰く、「吾聞く、秦は呂礼を以て斉を収めんと欲すと。斉は天下の彊国なり、子必ず軽んぜられん。斉・秦相取りて以て三晋に臨まば、呂礼必ず并せて相たらん、是れ子は斉に通じて以て呂礼を重くするなり。若し斉天下の兵を免れば、その子を讎とすること必ず深からん。子は秦王に勧めて斉を伐たしむるに如かず。斉破れなば、吾請ふ得る所を以て子を封ぜん。斉破れなば、秦は晋の彊きを畏れ、秦必ず子を重んじて以て晋を取らん。晋国は斉に敝れて秦を畏れ、晋必ず子を重んじて以て秦を取らん。是れ子は斉を破りて以て功と為し、晋を挟みて以て重きを為すなり。是れ子は斉を破りて封を定め、秦・晋交々子を重んずるなり。若し斉破れずして、呂礼また用ひらるれば、子必ず大いに窮せん」と。
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